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第11章 死を乗り越えて
パパのいる運動会
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あの忌まわしい事件から1年がたつ。あの犯人がやっと動き出したのだ。妻が殺された事件では目撃者が出た。それで犯行を控えていたのだろう。だが1年がたって我慢ができなくなったようだ。
あの時のことは今でも時々思い出す。そのショックのために結奈がどれほど苦しんだのか・・・決して許してはおけない。だが今の私はもう捜査課の刑事ではない。倉田班長達に託すしかない。
私は朝食を食べながらもそのことばかりを考えていた。
「パパ! パパってば!」
結奈がしきりに呼んでいるのに気付いた。
「あっ。ごめん。何だい?」
「パパ、しっかりしてよ。もうすぐ運動会よ。来てくれるの?」
私ははっとした。1年前、その運動会の日に妻は刺されたのだった。結奈はいつもと同じ様子だった。そんなことを気にしないようにしているのだろう。
「ええと。今度の日曜部だったね。大丈夫だ。行くよ。おいしいお弁当を持っていくからね。」
「本当! じゃあ、先生にそう言っておくね。」
結奈はうれしそうだった。私は朝食を食べ終わって新聞を広げてみた。するとそこには、
『若い女性が刺殺される。昨夜午後10時ごろ・・・』
の記事が載っていた。犯人は警察をあざ笑うかのように好き勝手にしている。早く捕まえなければ被害者が、そのために不幸になる家族が増えるばかりだ。再び、私は考え込んだ。
そんな私を異様に思ったのだろうか。結奈はそっと一人で学校に行ってしまった。それでも私は気付かずに考えていた。
それから数日過ぎた。刺殺される被害者はまだ出ている。連続通り魔の事件の捜査は必死に行われていると思うが、犯人を挙げられないでいる。1年前と同じように目撃者も遺留品もなく、犯行が神出鬼没なのだ。どこかで犯人が警察をあざ笑っているのかもしれない・・・。
だが私はそのことを極力考えないようにしていた。私がしなければならないのは、明日の日曜日にお弁当を持って結奈の運動会を見に行くことだ。刑事でなくなった私は結奈のためにそうしなければならない。
「パパ、なんだか最近、こわい・・・」
結奈にはそう言われている。だがこれでも必死に刑事のにおいを抑えているのだ。
夕食のときに結奈が言った。
「パパ。明日の運動会来れそう?」
「大丈夫だ。必ず行くよ!」
「本当! それじゃあね。お弁当のおかずはね・・・」
結奈はうれしそうにおかずをリクエストしている。私はそれを聞きながら段取りを考えていた。朝はどれくらいに起きてお弁当を作って詰めて、結奈を送り出してから、いつ頃に家を出るか・・・。忙しそうだが何とかなるだろう。
その夜も結奈の部屋へ行って日記を見た。
『ママ。明日は運動会だよ。去年はかけっこで1等賞を取ったのを見てくれたね。今年も1等賞を取るよ。見ててね・・・』
理恵は結奈の運動会でそれを見た後、帰り道で殺されたのだ。それを思い出すと悲しみしかない。だが結奈でさえ、そのことを乗り越えているようだ。私がいつまでも引きずって泣いているわけにはいかない。
理恵ならこう言うはずだ。結奈に向かって・・・。
『結奈。ママはしっかり見ているわ。がんばってね・・・』
日曜日は朝から忙しかった。結奈のリクエストを入れて素晴らしい弁当に仕上げ、いつも通りに朝食を作り、運動会に持っていく物の用意をしていた。普段よりもせわしく、いや懸命にやっていた。
「パパ。はりきっているね。」
「そりゃそうだ。結奈の運動会だもの。パパもがんばらなくちゃ。」
「でもパパ。無理しないでね。いつも通りでいいから。」
私が普段より気合を入れているのを結奈は気付いたようだ。それは運動会だけのためでなく、1年前のあのことから無理にでも気をそらそうとしているからだ。結奈は心配そうな顔をしながらも登校していった。
私も後片づけをして、出発することにした。
「理恵。行ってくるよ。君の分まで応援してくるよ。」
私はテーブルの理恵の写真に向かって言った。その写真の理恵の顔はなぜか心配そうにしていているように見えた。こんな気持ちの私を気遣っているのか・・・。私はまた気合を入れ直して家を出た。
小学校は運動会でにぎやかな雰囲気に包まれていた。私は応援席の一角に陣取り、レジャーシートを敷いた。周囲には子供を応援しに来た親御さんが多くいる。彼らも私と同じように子供たちの成長を見に来たのだ。
いよいよ競技が始まった。私はカメラを回しながら結奈を探した。彼女はクラスの中でも元気に動き回っている。普段は大人しそうな山中先生も大きな声を張り上げて応援している。
(結奈の出るかけっこは・・・)
それは昼前のプログラムだった。去年は直接、見られなかったが、今年は直に応援できる。プログラムは順調に進行していき、やがて結奈の走る番になった。
「結奈! がんばれ!」
私は声を張り上げた。その声が届いたのか、結奈は私の方に手を振った。私も手を振り返した。あの様子だと結奈は緊張していない。いつも通り走ってくれたら・・・。
「ようい。ドン!」
で走り出した。いつも自慢する通り結奈は足が速い。どんどん加速して他を引き離して一等になった。
「やったー!」
私は思わず右手を突き上げて大声を上げていた。すると周りの人が眉間にしわを寄せてじろりと見た。私は(これはいけない)と慌てて小さくなった。でも結奈がこっちを見た時は小さくガッツポーズをしていた。
やがて昼になった。子供たちは応援に来た父兄とお弁当を食べるのである。あちこちで話し声が大きくなり、にぎやかになった。結奈も昼食のために私のそばに来た。
「パパ。見てくれた。一等賞だよ。」
「ああ、見たさ。ぶっちぎりだった。パパもうれしいよ。さあ、お弁当を持ってきたよ。」
私は持ってきたお弁当を広げた。
「うわあ!」
それを見て結奈は驚いてくれた。今日のお弁当は腕によりをかけてこしらえた。色とりどりのおにぎり、から揚げやエビフライの揚げ物、包丁で細工した野菜やウインナー・・・私の今までの最高傑作だと言っても過言ではない。私は結奈に自慢したくなった。
「どうだ! すごいだろう!」
「うん。パパ! すごい! おいしそう! 早く食べようよ!」
「わかった。じゃあ、いただきます。」
「いただきます!」
結奈は「おいしい! おいしい!」と食べてくれた。私はその様子を見て幸せな気分になった。理恵のいた去年の光景を思い出しても仕方がない。今年の今の状況に幸福を感じればいいのだ。
昼食の時間は終わり、結奈は戻っていった。それからもいろんな競技があり、結奈は大活躍した。私は周りの人の目など気にせずに大声で応援した。今まで来られなかった分まで・・・。結奈も私に手を振って答えた。
やがてすべてのプログラムは終わって運動会は閉会となった。私は大いに満足した。初めて結奈の運動会を最初から最後まで見ることができたのだから・・・。
(家に帰ってきたら運動会の活躍を大いにほめてやろう!)
私はそう思いながら家に帰ろうと片付けていた。するとそこに山中先生が現れた。
「藤田さん。来られていたのですね。」
「ええ、もちろん。結奈の運動会ですから。」
「見ておられた通り、結奈さんは大活躍でしたよ。」
「親としてうれしい限りです。あれから1年。去年と変わらず、明るさを取り戻して運動会で走る結奈を見て喜んでいます。実は妻の写真も持って来ました。彼女にも見せてやろうと思って。」
私は密かにテーブルの上の理恵の写真をもって来たのだ。彼女も結奈の元気な姿を見ただろう。
「それは本当に良かったですね。奥様も喜ばれていますわ。」
山中先生はそう言ってくれた。私は彼女がそう言ってくれたのがうれしかった。
「それでは失礼します。」
「子供たちもすぐに帰りますから、家で待っていてください。では失礼します。」
山中先生は校舎に入って行った。彼女の気持ちがわかるから気の毒なことをしているとは思っている。だが結奈のためにはこれでいいのだ。私は荷物をカバンに詰め、家路についた。
あの時のことは今でも時々思い出す。そのショックのために結奈がどれほど苦しんだのか・・・決して許してはおけない。だが今の私はもう捜査課の刑事ではない。倉田班長達に託すしかない。
私は朝食を食べながらもそのことばかりを考えていた。
「パパ! パパってば!」
結奈がしきりに呼んでいるのに気付いた。
「あっ。ごめん。何だい?」
「パパ、しっかりしてよ。もうすぐ運動会よ。来てくれるの?」
私ははっとした。1年前、その運動会の日に妻は刺されたのだった。結奈はいつもと同じ様子だった。そんなことを気にしないようにしているのだろう。
「ええと。今度の日曜部だったね。大丈夫だ。行くよ。おいしいお弁当を持っていくからね。」
「本当! じゃあ、先生にそう言っておくね。」
結奈はうれしそうだった。私は朝食を食べ終わって新聞を広げてみた。するとそこには、
『若い女性が刺殺される。昨夜午後10時ごろ・・・』
の記事が載っていた。犯人は警察をあざ笑うかのように好き勝手にしている。早く捕まえなければ被害者が、そのために不幸になる家族が増えるばかりだ。再び、私は考え込んだ。
そんな私を異様に思ったのだろうか。結奈はそっと一人で学校に行ってしまった。それでも私は気付かずに考えていた。
それから数日過ぎた。刺殺される被害者はまだ出ている。連続通り魔の事件の捜査は必死に行われていると思うが、犯人を挙げられないでいる。1年前と同じように目撃者も遺留品もなく、犯行が神出鬼没なのだ。どこかで犯人が警察をあざ笑っているのかもしれない・・・。
だが私はそのことを極力考えないようにしていた。私がしなければならないのは、明日の日曜日にお弁当を持って結奈の運動会を見に行くことだ。刑事でなくなった私は結奈のためにそうしなければならない。
「パパ、なんだか最近、こわい・・・」
結奈にはそう言われている。だがこれでも必死に刑事のにおいを抑えているのだ。
夕食のときに結奈が言った。
「パパ。明日の運動会来れそう?」
「大丈夫だ。必ず行くよ!」
「本当! それじゃあね。お弁当のおかずはね・・・」
結奈はうれしそうにおかずをリクエストしている。私はそれを聞きながら段取りを考えていた。朝はどれくらいに起きてお弁当を作って詰めて、結奈を送り出してから、いつ頃に家を出るか・・・。忙しそうだが何とかなるだろう。
その夜も結奈の部屋へ行って日記を見た。
『ママ。明日は運動会だよ。去年はかけっこで1等賞を取ったのを見てくれたね。今年も1等賞を取るよ。見ててね・・・』
理恵は結奈の運動会でそれを見た後、帰り道で殺されたのだ。それを思い出すと悲しみしかない。だが結奈でさえ、そのことを乗り越えているようだ。私がいつまでも引きずって泣いているわけにはいかない。
理恵ならこう言うはずだ。結奈に向かって・・・。
『結奈。ママはしっかり見ているわ。がんばってね・・・』
日曜日は朝から忙しかった。結奈のリクエストを入れて素晴らしい弁当に仕上げ、いつも通りに朝食を作り、運動会に持っていく物の用意をしていた。普段よりもせわしく、いや懸命にやっていた。
「パパ。はりきっているね。」
「そりゃそうだ。結奈の運動会だもの。パパもがんばらなくちゃ。」
「でもパパ。無理しないでね。いつも通りでいいから。」
私が普段より気合を入れているのを結奈は気付いたようだ。それは運動会だけのためでなく、1年前のあのことから無理にでも気をそらそうとしているからだ。結奈は心配そうな顔をしながらも登校していった。
私も後片づけをして、出発することにした。
「理恵。行ってくるよ。君の分まで応援してくるよ。」
私はテーブルの理恵の写真に向かって言った。その写真の理恵の顔はなぜか心配そうにしていているように見えた。こんな気持ちの私を気遣っているのか・・・。私はまた気合を入れ直して家を出た。
小学校は運動会でにぎやかな雰囲気に包まれていた。私は応援席の一角に陣取り、レジャーシートを敷いた。周囲には子供を応援しに来た親御さんが多くいる。彼らも私と同じように子供たちの成長を見に来たのだ。
いよいよ競技が始まった。私はカメラを回しながら結奈を探した。彼女はクラスの中でも元気に動き回っている。普段は大人しそうな山中先生も大きな声を張り上げて応援している。
(結奈の出るかけっこは・・・)
それは昼前のプログラムだった。去年は直接、見られなかったが、今年は直に応援できる。プログラムは順調に進行していき、やがて結奈の走る番になった。
「結奈! がんばれ!」
私は声を張り上げた。その声が届いたのか、結奈は私の方に手を振った。私も手を振り返した。あの様子だと結奈は緊張していない。いつも通り走ってくれたら・・・。
「ようい。ドン!」
で走り出した。いつも自慢する通り結奈は足が速い。どんどん加速して他を引き離して一等になった。
「やったー!」
私は思わず右手を突き上げて大声を上げていた。すると周りの人が眉間にしわを寄せてじろりと見た。私は(これはいけない)と慌てて小さくなった。でも結奈がこっちを見た時は小さくガッツポーズをしていた。
やがて昼になった。子供たちは応援に来た父兄とお弁当を食べるのである。あちこちで話し声が大きくなり、にぎやかになった。結奈も昼食のために私のそばに来た。
「パパ。見てくれた。一等賞だよ。」
「ああ、見たさ。ぶっちぎりだった。パパもうれしいよ。さあ、お弁当を持ってきたよ。」
私は持ってきたお弁当を広げた。
「うわあ!」
それを見て結奈は驚いてくれた。今日のお弁当は腕によりをかけてこしらえた。色とりどりのおにぎり、から揚げやエビフライの揚げ物、包丁で細工した野菜やウインナー・・・私の今までの最高傑作だと言っても過言ではない。私は結奈に自慢したくなった。
「どうだ! すごいだろう!」
「うん。パパ! すごい! おいしそう! 早く食べようよ!」
「わかった。じゃあ、いただきます。」
「いただきます!」
結奈は「おいしい! おいしい!」と食べてくれた。私はその様子を見て幸せな気分になった。理恵のいた去年の光景を思い出しても仕方がない。今年の今の状況に幸福を感じればいいのだ。
昼食の時間は終わり、結奈は戻っていった。それからもいろんな競技があり、結奈は大活躍した。私は周りの人の目など気にせずに大声で応援した。今まで来られなかった分まで・・・。結奈も私に手を振って答えた。
やがてすべてのプログラムは終わって運動会は閉会となった。私は大いに満足した。初めて結奈の運動会を最初から最後まで見ることができたのだから・・・。
(家に帰ってきたら運動会の活躍を大いにほめてやろう!)
私はそう思いながら家に帰ろうと片付けていた。するとそこに山中先生が現れた。
「藤田さん。来られていたのですね。」
「ええ、もちろん。結奈の運動会ですから。」
「見ておられた通り、結奈さんは大活躍でしたよ。」
「親としてうれしい限りです。あれから1年。去年と変わらず、明るさを取り戻して運動会で走る結奈を見て喜んでいます。実は妻の写真も持って来ました。彼女にも見せてやろうと思って。」
私は密かにテーブルの上の理恵の写真をもって来たのだ。彼女も結奈の元気な姿を見ただろう。
「それは本当に良かったですね。奥様も喜ばれていますわ。」
山中先生はそう言ってくれた。私は彼女がそう言ってくれたのがうれしかった。
「それでは失礼します。」
「子供たちもすぐに帰りますから、家で待っていてください。では失礼します。」
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