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第3章 秋
第1話 平穏な日
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暑い夏は過ぎ去り、山々を吹く涼し気な風に秋の気配を感じ始めていた。椎谷の里はこれから稲刈りで忙しくなる。田んぼの稲穂は、今年も豊かに実りつつあった。この里で暮らす葵姫や紅之介にとって平穏な日々が続いていた。
「パッカ! パッカ! パッカ!」
軽快な蹄の音を鳴らして馬が野を疾走していった。乗っているのは袴姿の葵姫だった。襲撃される心配が少なくなり、このところまた紅之介とともに馬に乗って出かけるようになった。そのうちに葵姫は自らも馬を走らせたくなったのだ。そのことを百雲斎に話したところ、彼はまた渋い顔をした。だが敵に襲われたときに自ら馬で逃げることができようと説き伏せて認めさせたのだった。
紅之介が丁寧に指南したこともあるが、葵姫は筋がよく、上達が早かった。まだ始めたばかりだというのに、もう一通り馬を走らせることができた。
葵姫は紅之介が待っているところまで戻ってきた。
「どうじゃ?」
「お見事でございます。日に日に上達されております。」
紅之介は笑顔で答えた。
「そうか。」
葵姫はそれを嬉しそうに喜んだ。そして馬から降りてその馬の顔を「よしよし」と撫でていた。最近では自分で自らの身を守ると言って、小太刀で紅之介に稽古をつけてもらってもいた。そのためか短い刀を腰に差している。長い髪を後ろでくくり、邪魔な袖をたくし上げている袴姿はとても高貴な姫様には見えない。どこかの侍の若様のような姿だ。その様子を紅之介はぼんやり眺めていた。
(この里に来られてもう半年以上経つ。最初は部屋に閉じこもりがちのやや陰気な影のある姫様だったが、今は元気に明るくなり陽の気で満ちている。そしてますます美しくなられた・・・。)
「紅之介! 紅之介!」
ふと我に返ると何度も葵姫から呼ばれているのに気付いた。
「あっ! これは・・・。どうかなされましたか?」
「どうしたのじゃ? 紅之介。先ほどから呼んでいるというのに。」
「これは失礼いたしました。少しばかり考え事をしていて・・・」
「まあ、よい。それよりあれを見い。」
葵姫は向こうに見える山を指さした。それは五条山であり、あの向こうに麻山城がある。その山に雲がかかり、夕日を浴びて赤く染まっていた。
「赤く染まった五条山は縁起が良いと聞く。どうじゃ?」
「はい。それはもう。良いことが起こる前兆かもしれませぬ。」
紅之介は答えた。確かにそう思わせるほど見事に山が紅く染まっている。
「あの山の向こうで父上は懸命に戦っておられる。それなら万代の軍勢を追い払えよう。」
「はい。私もそう思いまする。」
紅之介はうなずいた。麻山城からの知らせが度々この里にも届くようになった。それによると戦況は好転しているらしい。万代の兵を追い払えるのも遠い日ではないのかもしれない。
(しかしそうなれば・・・)
そこで紅之介は考えるのをやめた。その先には葵姫との別れが待っている。これは避けようもないことなのだ。葵姫もそのことをうすうす感じており、この里を離れて麻山城に帰ることなど言い出さなくなっていた。だが彼女は麻山城や父の御屋形様も恋しいには違いない。紅之介はあえて言った。
「麻山城に戻られるのも近いかもしれませぬ。」
だが葵姫はそれに答えず、馬に乗った。
「さあ、帰るぞ! 里の入り口まで早駆けじゃ。今日は負けぬぞ!」
「私こそ負けませぬ!」
紅之介も馬にまたがった。そして2頭の馬は里に向けて野を駆けて行った。
「パッカ! パッカ! パッカ!」
軽快な蹄の音を鳴らして馬が野を疾走していった。乗っているのは袴姿の葵姫だった。襲撃される心配が少なくなり、このところまた紅之介とともに馬に乗って出かけるようになった。そのうちに葵姫は自らも馬を走らせたくなったのだ。そのことを百雲斎に話したところ、彼はまた渋い顔をした。だが敵に襲われたときに自ら馬で逃げることができようと説き伏せて認めさせたのだった。
紅之介が丁寧に指南したこともあるが、葵姫は筋がよく、上達が早かった。まだ始めたばかりだというのに、もう一通り馬を走らせることができた。
葵姫は紅之介が待っているところまで戻ってきた。
「どうじゃ?」
「お見事でございます。日に日に上達されております。」
紅之介は笑顔で答えた。
「そうか。」
葵姫はそれを嬉しそうに喜んだ。そして馬から降りてその馬の顔を「よしよし」と撫でていた。最近では自分で自らの身を守ると言って、小太刀で紅之介に稽古をつけてもらってもいた。そのためか短い刀を腰に差している。長い髪を後ろでくくり、邪魔な袖をたくし上げている袴姿はとても高貴な姫様には見えない。どこかの侍の若様のような姿だ。その様子を紅之介はぼんやり眺めていた。
(この里に来られてもう半年以上経つ。最初は部屋に閉じこもりがちのやや陰気な影のある姫様だったが、今は元気に明るくなり陽の気で満ちている。そしてますます美しくなられた・・・。)
「紅之介! 紅之介!」
ふと我に返ると何度も葵姫から呼ばれているのに気付いた。
「あっ! これは・・・。どうかなされましたか?」
「どうしたのじゃ? 紅之介。先ほどから呼んでいるというのに。」
「これは失礼いたしました。少しばかり考え事をしていて・・・」
「まあ、よい。それよりあれを見い。」
葵姫は向こうに見える山を指さした。それは五条山であり、あの向こうに麻山城がある。その山に雲がかかり、夕日を浴びて赤く染まっていた。
「赤く染まった五条山は縁起が良いと聞く。どうじゃ?」
「はい。それはもう。良いことが起こる前兆かもしれませぬ。」
紅之介は答えた。確かにそう思わせるほど見事に山が紅く染まっている。
「あの山の向こうで父上は懸命に戦っておられる。それなら万代の軍勢を追い払えよう。」
「はい。私もそう思いまする。」
紅之介はうなずいた。麻山城からの知らせが度々この里にも届くようになった。それによると戦況は好転しているらしい。万代の兵を追い払えるのも遠い日ではないのかもしれない。
(しかしそうなれば・・・)
そこで紅之介は考えるのをやめた。その先には葵姫との別れが待っている。これは避けようもないことなのだ。葵姫もそのことをうすうす感じており、この里を離れて麻山城に帰ることなど言い出さなくなっていた。だが彼女は麻山城や父の御屋形様も恋しいには違いない。紅之介はあえて言った。
「麻山城に戻られるのも近いかもしれませぬ。」
だが葵姫はそれに答えず、馬に乗った。
「さあ、帰るぞ! 里の入り口まで早駆けじゃ。今日は負けぬぞ!」
「私こそ負けませぬ!」
紅之介も馬にまたがった。そして2頭の馬は里に向けて野を駆けて行った。
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