桜月夜-花弁の記憶-

琴水さやは

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6・求めしは誰がものか

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(6.求めしは誰がものか) 


音も無く、空から白い雪がゆっくりと舞い落ちてくる。 
気がつけばもう冬になっていた。 
稽古をする気にもなれず、自室から庭を眺めていると、突然父から呼び出しがかかった。
 
「御主ももうすぐ二十歳となる。そこでそろそろ嫁を貰ってはどうかと思うのだが・・・」 
「・・・・・・」
 
今度は俺の番のようだ。 
この里での婚礼の平均は十七歳。 
これでも今まで父が言い出さなかったのが不思議なくらいなのだ。 
兄はもう二十五になるが、未だ嫁を貰ってはいない。 
どうやら既に相手がいるようなのだが、父がその相手をどうしても認めようとはしなかった。 

「候補をこちらの方でそろえてみた。まず、この娘は・・・」 

並べられた娘はどれも器量がいいと評判の娘ばかり。 
嫁としては申し分ない。 
だが、俺はまだそんな気にはなれなかった。 

「少し・・・時間をください」 

父は頷いて、よく考えて選ぶようにと俺に言った。 

自室に戻ると、手渡されたリストを見ることも無くそのまま机上に乗せた。 
正直、乗り気ではなかった。 
こんな沈んだ気持ちのまま、イルティーユではない別の娘を愛せるとは思えなかった。 

何度も断ろうと考えた。 
だが・・・だがもしやすれば、愛せるかもしれぬ。 
娘が俺を癒してくれるかもしれぬ。 
どうせイルティーユを手に入れることが出来ないのならば・・・いっそ彼女を忘れさせてくれる女が欲しい。 
俺は娘のリストを手にとって・・・ 



選んだ娘は一番淑やかでおとなしい娘だった。 
一番最初に惹かれたのは少しつった目をした元気そうな娘だったのだが、その娘は最初に外した。 
その娘にイルティーユを重ねてしまうことが目に見えていたからだ。 

あそこが違う、ここが違う・・・ 
イルティーユと比べては娘にひどく当たってしまうに違いない。 

だから、あえてイルティーユと一番タイプの違う娘を選んだのだ。 
父にこの娘をと告げると、父はすぐにその娘を呼び出して、俺と見合わせた。 

三つ年下の娘は恥ずかしそうに頬を染め、手を引いて庭を歩く俺につき従った。 

「小雪は嬉しゅうございます・・・。矢禅様に選んでいただけて・・・」 

真っ赤な顔で娘・・・小雪は俯いたままそう言った。 
気の利いた台詞の一つでも言うべきなのだろうが、生憎俺はそんな器用な人間ではなかった。 

「・・・・・・」 

何も言い返すことなく淡々と歩くのみだったが、小雪は不満そうにはしていなかった。 
池の中央にある東屋で少し話をした後、そこから戻る橋の上で小雪がつまずき、バランスを崩す。 
それを俺は優しく受け止めてやった。 

「あ・・・」 

ますます頬を染めて小雪が俺を見上げる。 
漂う甘い空気を感じながら、俺は果たしてこの娘を愛せるだろうか、この娘は俺を癒してくれるだろうかと自分に問いかけた。 
その日は結局答えを出せぬまま、娘を家まで送った。 



それから何度か小雪と二人で一日を過ごした。 
最初はぎこちなかった小雪も、何度も会ううちに少しずつ柔らかな笑みを浮かべるようになった。 

半年がすぎた頃、父が早く嫁に貰ってしまえと急かしてくるようになった。 
小雪もまたそれとなくそういう態度を示してくる。 

俺はまだ迷っていた。 
小雪はいい娘だった。 
心根がとても優しく、よく気も利く。 
得意だという料理は神薙の料理長にも引けをとらぬほどの腕だ。 
非の打ち所の無い見事な娘だった。 
俺などにはもったいないのではないかと思ってしまうほどに・・・ 

「矢禅様、何を考えていらっしゃるの?」 

ぼんやりと庭を眺めていた俺に、小雪が尋ねてくる。 
近頃小雪は毎日のように俺の家を訪れる。 
こうして俺の傍でいつも縫い物をしている。 
その様は、きっと他人から見れば、既に夫婦のようだろう。 

「いや・・・なんでもない」 

目を伏せた俺の傍に、小雪が膝を滑らせ、近寄ってくる。 

「小雪には言えない事ですか?」 
「・・・・・・」 

小雪は哀しげに瞳を揺らし、俺の肩に頭を預けてきた。 

「小雪には貴方様の考えていることが分かりませぬ・・・。貴方様はいつも遠くを見てばかり。 
 こんなに近くにいるというのに、貴方様は小雪をちっとも見てくださらない・・・」 

俺を見上げ、真摯に訴えてくる。 

「矢禅様、小雪は貴方様の妻になりとうございます。・・・愛して・・・いるのです」 

潤んだ瞳を閉じ、小雪が伸び上がって俺に口付けてくる。 
これほど積極的な小雪は初めてだった。 
ふっと熱い吐息を漏らしながら、小雪の唇が離れていく。 
それと同時にしゅるっと自分の帯を解き、小雪が俺の手を取ってその胸元へと導いた。 

「契りを・・・小雪と夫婦めおとの契りを交わしてください・・・」 

目を細めて、震えながら訴えてくる小雪を見つめる。 
俺は小雪の胸元から手を離し、小雪の手を払いのけて立ち上がった。 

「小雪・・・申し訳ないのだが、この話は白紙に戻してもらいたい」 
「矢禅様!!」
 
廊下を歩き、外へと向かう。 
桜の木の下で、いつものように月を見上げて俺はため息をついた。 

違った。 
小雪では俺の心は癒されなかった。 

愛していると小雪は俺に言った。 
だが、何故俺などを小雪は愛するのかが分からない。 
小雪は俺の何を愛したというのだ。 
この容姿か?神薙という家柄か? 

優しくも無ければ気も利かぬ。 
自分でもろくな人間ではないと思う。 

なのに小雪は俺のどこを愛したというのだ。 
納得できない・・・

だが、それを言うならば、俺自身が一番納得の出来ない恋をしているではないか。 

幾度か見かけただけだ。 
話をしたわけでもない。 
イルティーユの何を知っていて俺はこれほど彼女を愛したというのだ。 

人を愛することは理屈ではないと、自分が一番分かっているはずだというのに・・・ 
矛盾している・・・・ 



「あれまあ・・・あんたはたしか・・・神薙家の次男坊だったかしらね」 

桜の下で蹲る俺の前に突然一人の女が現れ、声をかけた。 
着崩された着物。 
艶々と輝く、長く真っ直ぐな黒髪。 
泣き黒子ぼくろの妖艶な美女が其処に立っていた。 

「誰だ」 

女はくすくすと笑って俺の前にしゃがみ、目線を合わせてくる。 

「ただのしがない遊び女よ・・・」 

女の白い手が俺の頬を滑る。 
・・・一体なんなのだろうか。 

「なんて綺麗なんでしょう・・・本当・・・噂どおり人形のように美しい顔をしているのね」 

女の手が俺のあごを捉え、口付けてこようとする。 
その頬をぴしりと叩いて、俺は無表情のまま冷たく言い捨てた。 

「触れるな。御主を買うつもりなど無い。ね」 

女はまたくすくすと笑いながら、俺から少し距離を置いた。 

「冷たい目をしているのね。他人を信じない孤狼の目・・・」 
「・・・俺は長の傀儡だからな・・・」
 
吐きすてた俺の言葉に女は少し驚いたように目を開き、そしてまた艶めいた笑みを形作る。 

「ふふ・・・面白いことを言うのね。気に入ったわ・・・私の家にいらっしゃい。大丈夫よ。お金なんて取らないから。貴方と話がしたいわ」 

その女の誘いに、何故俺はついていったのだろう。 
きっとその笑みに引っかかるものを感じたからだろう。 
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