3 / 18
1・其は天より授かりし
1-3
しおりを挟む
先に額宛を手にしたのは兄上の方だった。
枝に結んであった額宛を手に、兄上が来た道を戻ろうとこちらを向く。
兄上の影をねらって俺は苦無を投げたが、兄上は身軽にそれをかわし、更に俺に向かって手裏剣を投げてくる。
・・・さすがは兄上だ。
一度身を潜め、俺は機会をうかがう。
追いかけながら何度か攻撃を試みるが、なかなかうまくいかない・・・
投げては外し、投げては外し・・・
前を行く兄上が、一瞬だけ後ろを振り返った。
もう少し・・・
最後の暗具を投げる。
思ったとおり、兄上は見事な動きで身をかわす。
どこかにもう一つくらい苦無は無いのか。
しきりに暗具入れを探す俺を、もう一度振り返って見た兄上が、口の端をほんの少しだけあげた。
くやしい・・・!
歯をギリッと噛み締めた・・・
・・・・・・フリをして見せた直後。
「縛!風糸の術!」
素早く印を結んで叫ぶと、行きしなに仕掛けておいた術が発動し、四方から風が巻き起こり、目に見えぬ糸となって兄上の身体に巻きついた。
「なっ!」
空気の糸が兄上の動きを鈍らせる。
俺は兄上の横を通り過ぎる様、すっとその手にある額宛を取った。
だが・・・分かっている。
これは偽物だと。
本物は兄上の籠手の中。
偽物をその手から取る一瞬の間に、俺は微かに籠手から覗くそれを抜き取り、取ったばかりの偽物と入れ替えた。
ゴールにはすぐにたどり着いた。
俺の足と兄上の足。
そのラインを踏んだのはほぼ同時だった。
俺が父上に額宛を手渡す間、兄上の様子をそっと伺う。
兄上は何も顔には出さず、真っ直ぐな瞳で父上を見ていた。
「ふむ、確かに・・・」
額宛を確かめた父上の言葉に、兄上の瞳が微かに見開かれた。
そっと偽物の額宛の隠されている籠手に触れただけで、兄上はまたもとの無表情へと戻った。
「矢禅の勝ちだ」
俺は不思議だった。
何故兄上は本物はこれだと籠手の中の偽物を出さなかったのだろう。
あの様子では、俺が籠手の中の額宛を入れ替えたことには気づいていなかっただろうに。
だが、そんなことよりも、偶然であったとしても兄上に勝てたという喜びで俺の心は一杯だった。
その夜は浮かれるあまり、眠ることなど出来なかった。
百年に一度の天才と謳われる兄上。
ずっと憧れていた兄上。
今まで目標にしてきた兄上。
まぐれとはいえ、一度でも勝てたことが、俺には嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。
だが、すぐにそれは知れた。
あの勝利が・・・まぐれなどではなかったのだと。
次の日の訓練は、俺を驚愕させた。
内容は至極簡単なことだった。
やることは昨日と大して変わらない。
ただ、一度それをやって終わりではなく、出来ないところまで難易度を上げていっただけだ。
兄上はどんどんそれをこなしていった。
確かに凄い。
全てにおいて、兄上には才能があった。
だが・・・
「・・・・・・・」
忍術と一般学問、統率力、判断力においては確かに兄上は人間離れしたものを持っていた。
だが、足の速さ、反射神経、跳躍力、手裏剣術、剣術、歩行術、観察力・・・
身体能力に関する全ては・・・俺が勝っていたのだ。
冷徹で厳格だと評判の父上が見たことも無いほど嬉しそうに俺を褒めた。
嬉しいと、そう感じるよりも、俺は信じられぬ思いで立ち尽くしていた。
いつの間にか俺は、五つも年上である兄上をしのいでいたのだと知った。
兄上は何も言わなかった。
ただ、蒼い顔で唇を噛み締めていた。
握り締め、震えるこぶしから血が滴り落ちていた。
兄上はとっくに感づいていたのだ。
俺が、既に自分を超えていると・・・
それから、兄上が俺に微笑むことが無くなった。
子供のように俺を罵ったり、無視したりすることは無かったが、兄上の方から俺に話しかけることが無くなった。
温かだったあの瞳を俺にむけることは無く、話しかけても淡白な反応を返してくるだけだった。
その時から里の者たちの俺を見る目が変わった。
優秀な小憎らしい子供から、天才へと・・・里の希望へと変わったのだ。
兄上に向けられていた尊敬のまなざしが、そのままそっくり俺へと向けられるようになった。
日が経つにつれ俺の技には磨きがかかっていく。
それに比例するように兄上の評判は霞んでいった。
兄上は昔と少しも変わっていない。
それどころか着々と腕を伸ばしているというのに、もはや誰も兄上には見向きもしなかった。
里の者たちが笑顔で話しかけてくれようと、父上が手放しで褒めてくれようと、俺の心はどこか虚しさを感じていた。
何故、皆兄上を見ない?
あれほど兄を称えていたというのに。
兄上を見てくれ。
今までたいした努力もしなかった兄が、する必要など無かったあの兄が、今必死で己を鍛えている。
俺は知っている。
兄上はずっと密かに裏山で修行をしていると。
何故・・・!!
『兄上ぇ~!ボク、何か悪い事したのかなぁ?どうして皆ボクを無視するのかなぁ・・・?』
泣きべそをかきながらしがみついた兄上の腰。
兄上は少し驚いた後、しゃがんで俺と目線をあわせ、優しく俺の頭をなでてくれた。
悲しいとき、悔しい時、つらい時・・・
俺はいつも兄上に縋り、励ましてもらっていた。
俺の周りには誰もいなかった。
だが、兄上がいてくれた。
兄上に支えられていた。
兄上が励ましてくれたから、どんな孤独も乗り越えられた。
俺の心を分かってくれていたのは、兄上と妹の小夜だけだった。
今、俺の周りにはたくさんの里の者が集まる。
俺を褒め、俺に羨望の眼差しすら送ってくる。
そんなものはいらない。
そんな安っぽいものが余計に俺に吐き気をもたらす。
小夜は今兄上の心配をしている。
兄は俺を見ようともしない。
俺は今・・・
孤独なのだと知った。
枝に結んであった額宛を手に、兄上が来た道を戻ろうとこちらを向く。
兄上の影をねらって俺は苦無を投げたが、兄上は身軽にそれをかわし、更に俺に向かって手裏剣を投げてくる。
・・・さすがは兄上だ。
一度身を潜め、俺は機会をうかがう。
追いかけながら何度か攻撃を試みるが、なかなかうまくいかない・・・
投げては外し、投げては外し・・・
前を行く兄上が、一瞬だけ後ろを振り返った。
もう少し・・・
最後の暗具を投げる。
思ったとおり、兄上は見事な動きで身をかわす。
どこかにもう一つくらい苦無は無いのか。
しきりに暗具入れを探す俺を、もう一度振り返って見た兄上が、口の端をほんの少しだけあげた。
くやしい・・・!
歯をギリッと噛み締めた・・・
・・・・・・フリをして見せた直後。
「縛!風糸の術!」
素早く印を結んで叫ぶと、行きしなに仕掛けておいた術が発動し、四方から風が巻き起こり、目に見えぬ糸となって兄上の身体に巻きついた。
「なっ!」
空気の糸が兄上の動きを鈍らせる。
俺は兄上の横を通り過ぎる様、すっとその手にある額宛を取った。
だが・・・分かっている。
これは偽物だと。
本物は兄上の籠手の中。
偽物をその手から取る一瞬の間に、俺は微かに籠手から覗くそれを抜き取り、取ったばかりの偽物と入れ替えた。
ゴールにはすぐにたどり着いた。
俺の足と兄上の足。
そのラインを踏んだのはほぼ同時だった。
俺が父上に額宛を手渡す間、兄上の様子をそっと伺う。
兄上は何も顔には出さず、真っ直ぐな瞳で父上を見ていた。
「ふむ、確かに・・・」
額宛を確かめた父上の言葉に、兄上の瞳が微かに見開かれた。
そっと偽物の額宛の隠されている籠手に触れただけで、兄上はまたもとの無表情へと戻った。
「矢禅の勝ちだ」
俺は不思議だった。
何故兄上は本物はこれだと籠手の中の偽物を出さなかったのだろう。
あの様子では、俺が籠手の中の額宛を入れ替えたことには気づいていなかっただろうに。
だが、そんなことよりも、偶然であったとしても兄上に勝てたという喜びで俺の心は一杯だった。
その夜は浮かれるあまり、眠ることなど出来なかった。
百年に一度の天才と謳われる兄上。
ずっと憧れていた兄上。
今まで目標にしてきた兄上。
まぐれとはいえ、一度でも勝てたことが、俺には嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。
だが、すぐにそれは知れた。
あの勝利が・・・まぐれなどではなかったのだと。
次の日の訓練は、俺を驚愕させた。
内容は至極簡単なことだった。
やることは昨日と大して変わらない。
ただ、一度それをやって終わりではなく、出来ないところまで難易度を上げていっただけだ。
兄上はどんどんそれをこなしていった。
確かに凄い。
全てにおいて、兄上には才能があった。
だが・・・
「・・・・・・・」
忍術と一般学問、統率力、判断力においては確かに兄上は人間離れしたものを持っていた。
だが、足の速さ、反射神経、跳躍力、手裏剣術、剣術、歩行術、観察力・・・
身体能力に関する全ては・・・俺が勝っていたのだ。
冷徹で厳格だと評判の父上が見たことも無いほど嬉しそうに俺を褒めた。
嬉しいと、そう感じるよりも、俺は信じられぬ思いで立ち尽くしていた。
いつの間にか俺は、五つも年上である兄上をしのいでいたのだと知った。
兄上は何も言わなかった。
ただ、蒼い顔で唇を噛み締めていた。
握り締め、震えるこぶしから血が滴り落ちていた。
兄上はとっくに感づいていたのだ。
俺が、既に自分を超えていると・・・
それから、兄上が俺に微笑むことが無くなった。
子供のように俺を罵ったり、無視したりすることは無かったが、兄上の方から俺に話しかけることが無くなった。
温かだったあの瞳を俺にむけることは無く、話しかけても淡白な反応を返してくるだけだった。
その時から里の者たちの俺を見る目が変わった。
優秀な小憎らしい子供から、天才へと・・・里の希望へと変わったのだ。
兄上に向けられていた尊敬のまなざしが、そのままそっくり俺へと向けられるようになった。
日が経つにつれ俺の技には磨きがかかっていく。
それに比例するように兄上の評判は霞んでいった。
兄上は昔と少しも変わっていない。
それどころか着々と腕を伸ばしているというのに、もはや誰も兄上には見向きもしなかった。
里の者たちが笑顔で話しかけてくれようと、父上が手放しで褒めてくれようと、俺の心はどこか虚しさを感じていた。
何故、皆兄上を見ない?
あれほど兄を称えていたというのに。
兄上を見てくれ。
今までたいした努力もしなかった兄が、する必要など無かったあの兄が、今必死で己を鍛えている。
俺は知っている。
兄上はずっと密かに裏山で修行をしていると。
何故・・・!!
『兄上ぇ~!ボク、何か悪い事したのかなぁ?どうして皆ボクを無視するのかなぁ・・・?』
泣きべそをかきながらしがみついた兄上の腰。
兄上は少し驚いた後、しゃがんで俺と目線をあわせ、優しく俺の頭をなでてくれた。
悲しいとき、悔しい時、つらい時・・・
俺はいつも兄上に縋り、励ましてもらっていた。
俺の周りには誰もいなかった。
だが、兄上がいてくれた。
兄上に支えられていた。
兄上が励ましてくれたから、どんな孤独も乗り越えられた。
俺の心を分かってくれていたのは、兄上と妹の小夜だけだった。
今、俺の周りにはたくさんの里の者が集まる。
俺を褒め、俺に羨望の眼差しすら送ってくる。
そんなものはいらない。
そんな安っぽいものが余計に俺に吐き気をもたらす。
小夜は今兄上の心配をしている。
兄は俺を見ようともしない。
俺は今・・・
孤独なのだと知った。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

あの日、さようならと言って微笑んだ彼女を僕は一生忘れることはないだろう
まるまる⭐️
恋愛
僕に向かって微笑みながら「さようなら」と告げた彼女は、そのままゆっくりと自身の体重を後ろへと移動し、バルコニーから落ちていった‥
*****
僕と彼女は幼い頃からの婚約者だった。
僕は彼女がずっと、僕を支えるために努力してくれていたのを知っていたのに‥
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる