桜月夜-花弁の記憶-

琴水さやは

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1・其は天より授かりし

1-3

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先に額宛を手にしたのは兄上の方だった。
 
枝に結んであった額宛を手に、兄上が来た道を戻ろうとこちらを向く。 
兄上の影をねらって俺は苦無を投げたが、兄上は身軽にそれをかわし、更に俺に向かって手裏剣を投げてくる。 

・・・さすがは兄上だ。 

一度身を潜め、俺は機会をうかがう。 
追いかけながら何度か攻撃を試みるが、なかなかうまくいかない・・・ 
投げては外し、投げては外し・・・ 
前を行く兄上が、一瞬だけ後ろを振り返った。 

もう少し・・・ 

最後の暗具を投げる。 
思ったとおり、兄上は見事な動きで身をかわす。 

どこかにもう一つくらい苦無は無いのか。 

しきりに暗具入れを探す俺を、もう一度振り返って見た兄上が、口の端をほんの少しだけあげた。 

くやしい・・・! 
歯をギリッと噛み締めた・・・

・・・・・・フリをして見せた直後。 

「縛!風糸の術!」 

素早く印を結んで叫ぶと、行きしなに仕掛けておいた術が発動し、四方から風が巻き起こり、目に見えぬ糸となって兄上の身体に巻きついた。 

「なっ!」 

空気の糸が兄上の動きを鈍らせる。 
俺は兄上の横を通り過ぎる様、すっとその手にある額宛を取った。 

だが・・・分かっている。 
これは偽物だと。 
本物は兄上の籠手の中。 

偽物をその手から取る一瞬の間に、俺は微かに籠手から覗くそれを抜き取り、取ったばかりの偽物と入れ替えた。 

ゴールにはすぐにたどり着いた。 
俺の足と兄上の足。 
そのラインを踏んだのはほぼ同時だった。 


俺が父上に額宛を手渡す間、兄上の様子をそっと伺う。 
兄上は何も顔には出さず、真っ直ぐな瞳で父上を見ていた。 

「ふむ、確かに・・・」 

額宛を確かめた父上の言葉に、兄上の瞳が微かに見開かれた。 
そっと偽物の額宛の隠されている籠手に触れただけで、兄上はまたもとの無表情へと戻った。 

「矢禅の勝ちだ」 

俺は不思議だった。 
何故兄上は本物はこれだと籠手の中の偽物を出さなかったのだろう。 
あの様子では、俺が籠手の中の額宛を入れ替えたことには気づいていなかっただろうに。 

だが、そんなことよりも、偶然であったとしても兄上に勝てたという喜びで俺の心は一杯だった。 
その夜は浮かれるあまり、眠ることなど出来なかった。 

百年に一度の天才と謳われる兄上。 
ずっと憧れていた兄上。 
今まで目標にしてきた兄上。 
まぐれとはいえ、一度でも勝てたことが、俺には嬉しくて嬉しくて仕方が無かった。 

だが、すぐにそれは知れた。 

あの勝利が・・・まぐれなどではなかったのだと。 



次の日の訓練は、俺を驚愕させた。 

内容は至極簡単なことだった。 
やることは昨日と大して変わらない。 
ただ、一度それをやって終わりではなく、出来ないところまで難易度を上げていっただけだ。 

兄上はどんどんそれをこなしていった。 
確かに凄い。 
全てにおいて、兄上には才能があった。 
だが・・・ 

「・・・・・・・」 

忍術と一般学問、統率力、判断力においては確かに兄上は人間離れしたものを持っていた。 

だが、足の速さ、反射神経、跳躍力、手裏剣術、剣術、歩行術、観察力・・・ 

身体能力に関する全ては・・・俺が勝っていたのだ。 

冷徹で厳格だと評判の父上が見たことも無いほど嬉しそうに俺を褒めた。 
嬉しいと、そう感じるよりも、俺は信じられぬ思いで立ち尽くしていた。 

いつの間にか俺は、五つも年上である兄上をしのいでいたのだと知った。 

兄上は何も言わなかった。 
ただ、蒼い顔で唇を噛み締めていた。 
握り締め、震えるこぶしから血が滴り落ちていた。 

兄上はとっくに感づいていたのだ。 
俺が、既に自分を超えていると・・・ 




それから、兄上が俺に微笑むことが無くなった。 

子供のように俺を罵ったり、無視したりすることは無かったが、兄上の方から俺に話しかけることが無くなった。 
温かだったあの瞳を俺にむけることは無く、話しかけても淡白な反応を返してくるだけだった。 

その時から里の者たちの俺を見る目が変わった。 
優秀な小憎らしい子供から、天才へと・・・里の希望へと変わったのだ。
 
兄上に向けられていた尊敬のまなざしが、そのままそっくり俺へと向けられるようになった。 

日が経つにつれ俺の技には磨きがかかっていく。 
それに比例するように兄上の評判は霞んでいった。 

兄上は昔と少しも変わっていない。 
それどころか着々と腕を伸ばしているというのに、もはや誰も兄上には見向きもしなかった。 

里の者たちが笑顔で話しかけてくれようと、父上が手放しで褒めてくれようと、俺の心はどこか虚しさを感じていた。 

何故、皆兄上を見ない? 
あれほど兄を称えていたというのに。 
兄上を見てくれ。 

今までたいした努力もしなかった兄が、する必要など無かったあの兄が、今必死で己を鍛えている。 

俺は知っている。 
兄上はずっと密かに裏山で修行をしていると。 

何故・・・!! 



『兄上ぇ~!ボク、何か悪い事したのかなぁ?どうして皆ボクを無視するのかなぁ・・・?』 

泣きべそをかきながらしがみついた兄上の腰。 
兄上は少し驚いた後、しゃがんで俺と目線をあわせ、優しく俺の頭をなでてくれた。 

悲しいとき、悔しい時、つらい時・・・ 

俺はいつも兄上に縋り、励ましてもらっていた。 
俺の周りには誰もいなかった。 

だが、兄上がいてくれた。 
兄上に支えられていた。 

兄上が励ましてくれたから、どんな孤独も乗り越えられた。 
俺の心を分かってくれていたのは、兄上と妹の小夜さよだけだった。 

今、俺の周りにはたくさんの里の者が集まる。 
俺を褒め、俺に羨望の眼差しすら送ってくる。 

そんなものはいらない。 

そんな安っぽいものが余計に俺に吐き気をもたらす。 
小夜は今兄上の心配をしている。 
兄は俺を見ようともしない。 
俺は今・・・

孤独なのだと知った。 
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