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祈願祭
参
しおりを挟むとっくに授業が始まっていると思っていたので静かに教室の後ろ扉を開けたけれど、中はガランとしていて誰もいない。
教室の掛け時計を見上げる。授業が始まって20分は経過している。
「次って現国だったよね?」
隣に立っていた恵衣くんに尋ねる。丁度スマホをいじっているところだった。何かを確認した恵衣くんはスマホの画面をくるりと引っくり返し私に見せる。
トークアプリの画面、送り主は来光くんだ。
【次の現国 休講になった】
そんなメッセージが届いている。
「休講?」
スマホを確認すると『チーム罰則』のグループトーク画面にも皆から同じ内容が届いていた。休講になったので寮の広間で雑談しているらしい。
「みんな広間にいるんだって」
「ん」
教室に背を向けて歩き出した恵衣くん。足先はどうやら広間に向いているらしい。
少し前までなら絶対に私たちの輪に混じろうとしなかったのに大きな変化だ。相変わらず来光くんとは直ぐに喧嘩になるけれど、教室で会話している姿は増えた気がする。
なんだか嬉しくて頬が緩む。恵衣くんは隣に並んだ私を怪訝な顔で見下ろた。
「そもそも休講になったからって勉強しなくていいわけじゃない。あいつらは空いた時間を自学自習に当てようとは思わないのか」
「そういう風に考えられるのは恵衣くんだけだと思うよ」
「呆れた奴らだな」
そんな雑談をしながら広間を目指して廊下を歩いていると、向かいから若い先生が二人歩いてきた。授業中に出歩いている私たちを見てすぐに呼び止められる。
一般科目を担当しているこの二人は、鞍馬の神修では珍しく人の神職さまだ。休講になったことを伝えると、他のクラスは授業中だからあまり出歩かず自習するんだよ、と釘を刺されて「はぁい」と肩を竦めた。
先生たちが遠ざかっていく。私たちも行こうか、と背を向けたその時。
「それにしてもこの感じ、嫌でも思い出すな」
「ですね。あれから十三年前か……」
そんな話し声が聞こえて私と恵衣くんは顔を見合わせる。
嫌でも思い出す?
「俺、当時は神修の中等部三年だったんですよ。そん時も今みたいな感じでじわじわ休講が増えてって」
「俺も空亡戦の頃は鞍馬に異動する前で、向こうの神修にいたから覚えてるよ」
「え、先輩って神修で教鞭取ってたんですか?」
「ああ。担当は高等部だったから見かけなかったんだろ」
二人の会話に上がった「空亡戦」という言葉に歩みが止まる。恵衣くんも会話が気になっているらしく、足を止めて振り返った。
「でしたら先輩も」
「ああ。本庁からの要請で空亡討伐に参加した。俺、祓除には向いてないから教師目指したんだけどなぁ」
はは、と苦笑いを浮かべた先生。
「そうだったんですね……ご無事で何よりです。俺はその頃中3だったから学生派遣の対象にはならなくて、実家からも危ないから帰ってくるなって言われてずっと寮にいたんです。最近の鞍馬の神修はあの時と同じ匂いがするんです」
「確かに、いい雰囲気ではないよな。さっき聞いた羅刹族の────」
二人が角を曲がってそれ以上の会話は聞こえなかった。行くぞ、と恵衣くんが歩き出し慌てて足を動かす。
"あの時と同じ匂いがするんです"
先生の言葉が頭の中で何度も繰り返された。
休講になったクラスは私たちの他にもあったらしい。学生寮の玄関でちらほら他学年の人達とすれ違う。
テレビゲーム大会でも始まっていそうだな、なんて呑気なことを考えながら広間へ足を踏み入れると、皆は広間の真ん中くらいで固まって座っていた。
テレビゲームではなくボードゲームでもしているんだろうかとも思ったけれど、賑わう声どころか話し声すら聞こえず、むしろ誰かがすすり泣く声に困惑した。
そっとその輪に歩み寄ると、すみにいた来光くんが私達二人に気付いた。
「二人ともおかえり。巫寿ちゃんやっぱり具合悪かったんだって? 大丈夫だった?」
恵衣くんの心遣いで私が戻らない理由は体調不良になっていたらしい。心の中で感謝を伝える。
「少し休んだらすぐに良くなったよ、ありがとう」
「よかった。でも具合が悪い時にこんな奴と二人きりなんて、僕だったら余計に悪化しそうだけど────痛ッ」
来光くんの背中を蹴飛ばした恵衣くん鼻を鳴らしてその場に座る。始まりそうな喧嘩を宥めながら「何かあったの?」と小声で問いかける。
広間に集まっていたのは私たち二年だけではなく初等部や中等部の学生もいる。皆どこか表情は暗い。
皆の真ん中に座っているのは信乃くんだ。私も何度か放課後に遊び相手をしたことのある初等部一年の男の子を抱きかかえている。
抱かれたその子は信乃くんの胸に顔を埋め泣いているようだった。
「信乃が抱いてる小等部のあの子、羅刹族の次期頭領なんだって」
来光くんが眼鏡の奥の目を憐れむように細めた。
羅刹族といえば、鬼の中でもとりわけ力の強い鬼一族だ。通力と呼ばれる何事も自由自在にできる特殊な力を持っている。
確かこっちの現国の先生も、羅刹族だったはず────。
そこまで思い出してハッと息を飲んだ。
羅刹族の先生が担当する授業が突然の休講、泣きじゃくる羅刹族の子供、廊下ですれ違った先生たちの会話、全てが繋がる。
「相手は」
私よりも先に恵衣くんが険しい表情で口を開いた。
「鉄鼠の頼豪鼠族だ。ほんの数時間前に羅刹族の里へ奇襲したらしい」
頼豪鼠族はネズミの妖・鉄鼠の一族で、平安時代の僧侶頼豪の怨霊が鉄鼠になったことで生まれた妖一族だ。僧侶にルーツがあるため頼豪鼠族の鉄鼠たちも通力が使え、呪術にも秀でている。
つまり、また戦が始まったんだ。
「父さんがぼくに、絶対に帰ってくるなって文鳥を送ってきたの……ッ!」
羅刹族の男の子が絞り出すようにそう叫ぶ。
「母さんも友達も、皆里にいるのにッ……ぼくだって皆を守りたいのに……!」
悲痛な叫びに胸がぎゅっと締め付けられる。
鞍馬の神修に通う妖は、時期頭領か頭領候補の子供たちだ。あやかしの子供たちの多くは里の学び舎で学ぶ。
おそらく頼豪鼠族が奇襲してきた時、あの子の仲のいい友達は皆里の学び舎にいたはずだ。
「お前の父ちゃんや母ちゃんも、同じようにお前を守りたくてそう言うたんや。父ちゃんがしっかり里守れるように、いつまでもベソベソ泣くんは止めぇ」
信乃くんが優しく背中を叩く。しかしその瞳には隠しきれない動揺が見えた。
広間の入口の方で床が軋む音がしてそっと振り返る。入口に立つ鬼市くんの姿があった。よく見ると重なるようにもう一つ影がある。鬼市くんの腰に手を回し身を固くして隠れる小さな影。
足の間から細くて長い尻尾が揺れている。
目が合った鬼市くんは小さく首を振った。そして背中に隠れる小さな影の頭を叩くように撫でる。ほんの少し見えた小さな頭には丸くて大きな耳が見えた。
まだまだ妖の知識が浅い私に、「鉄鼠は妖狐や犬神と同じくらい鼻がいいんだよ!」と自慢げに自分たちの一族のことを教えてくれた、男の子のことを思い出した。
鬼市くんと共に広間から離れていった男の子。一瞬見えた横顔は涙で濡れていた。
二人並んで寮の廊下を駆け抜けていく姿を何度か見たことがある。二人はきっと友達同士だったんだろう。
仲のいい友達、けれど戦が始まって里ではお互いの家族がお互いの家族を傷つけ合っている。その事実はあまりにも苦しくて、言葉が出てこなかった。
泣きじゃくるその子を励ますように皆が声をかけた。
「大丈夫だよ」「きっとみんな無事だよ」「すぐに終わるよ」
けれどやはり皆の瞳は不安と動揺で揺れている。その言葉は自分たちに言い聞かせているようにも聞き取れた。
赤狐族と黒狐族の開戦、立て続けに始まった羅刹族と頼豪鼠族の戦。漂う不穏な空気に、いつかその火種が自分たちの里へ飛んでくるかもしれないという恐れが少なからずあるんだろう。
「大丈夫や、御祭神さまが見守ってくれとる。いいようにしてくれはる」
不安がる子供たちに信乃くんがそう笑いかけた。
しかし、その日を境に幽世各所で妖一族同士の戦が開戦、激化の一途を辿った。
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