言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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それぞれの夜

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「いやぁ……参った参った。まさか僕らまでこんなにしごかれるとはね」


眼鏡を外して豪快に顔を拭った天叡さんは疲れ果てた口調でそう言った。

控えの私たちはやり直し三回目でなんとか開放されたけれど、出演組の聖仁さんたちは五回目のやり直しが今まさに始まろうとしている。汗は滲ませているものの疲れを感じさせない笑みで舞っている二人には心の底から尊敬の念を抱いた。

観月祭のひと月前、八月の満月の夜。今日は観月祭の通しリハーサルが行われる日だ。

疲れきった私達は並べられたパイプ椅子にぐでんと座り込む。しばらく立ち上がれないね、と笑った天叡さんに苦笑いで頷いた。

辺りを見回すと設営された会場の解体作業が始まっていた。本番はひと月先なので、設営された舞台も今日は片付けられる。


「おい、邪魔」


椅子に深く座り込んでいると、突然背後から声をかけられた。

振り向くと両脇にパイプ椅子を抱えた恵衣くんが私たちを見下ろしている。


「恵衣くん? あ、そっか。ご両親のお手伝いか」


ああ、と無愛想な返事。

恵衣くんのご両親は神社本庁の役員だ。恵衣くん自身も卒業後には入庁を打診されているらしい。だから放課後はよくこうして本庁で両親を手伝っている。


「椅子片付けるなら手伝うよ」


両手いっぱいに抱えているのを見てそう申し出た。すると途端に怪訝な顔をした。


「三回もやり直しをくらってた奴が、人を手伝ってる暇があるのか?」


失礼な物言いにむっと唇をつきだす。

おっしゃる通りだけど、別にそんな言い方しなくても。私は善意で手伝おうか聞いただけなのに。


「恵衣坊、そんな言い方してたらモテねぇぞ~」


背後から恵衣くんの肩に手を回したのはちょうど舞が終わって開放された瑞祥さんだった。心底迷惑そうな顔をした恵衣くんだけれど、相手が先輩だからか無理やり腕を引き離すことはしなかった。


「……離れてください。恵衣坊ってなんですか。あと別に自分は人から好意を向けられたい願望はありませんので」

「またまたそんなこと言っちゃって」


おらおら、と恵衣くんの頭を撫で回す瑞祥さん。恵衣くんのこめかみの血管が今にもはち切れそうだ。

遅れてやってきた聖仁さんが瑞祥さんの脳天に手刀を落とす。「あいたっ」と声を上げた瑞祥さんはやっと恵衣くんを解放した。


「後輩をからかわないよ、瑞祥」


首にかけたタオルで汗を拭いながら聖仁さんはふふふと笑った。


「恵衣はこう言いたいんだよ。"何度も舞の稽古をして疲れただろうから、手伝わなくていいよ"って」

「ほぉ、なるほどな! 分かりにくい男だなお前!」

「巫寿ちゃんが何回も舞ってるのを知ってるくらい、ちゃんと見てたんでしょ? そりゃ心配にもなるよねぇ」


なるほど、そういう事か。見ててくれたんだ恵衣くん。少し恥ずかしいけど気を使ってくれたのは純粋に嬉しい。あとはもう少し分かりやすい言葉で言ってくれるとありがたいだけど。

とにかくお礼を言おうとして振り返ると、真っ赤な顔をした恵衣くが目を閉じ歯を食いしばって黙り込んでいる。


「お前が一番タチ悪いよ、聖仁」


そう言った天叡さんはんふふと楽しそうに笑った。

恵衣、と遠くから低い声が恵衣くんを呼んだ。みんなして振り向くと恵衣くんとそっくりな顔の神経質そうな男性が眉根を寄せてこちらを睨んでいる。

何度か見かけたことがある。あの人は恵衣くんのお父さんだ。


「今参ります」


お父さんへ話しかけるにしては他人行儀で硬い口調だった。恵衣くんはいつも通りの無表情に戻ると先輩たちに一つ頭を下げて走っていった。

遠ざかっていく背中に聖仁さんは目を細める。


「恵衣はもうちょっと肩の力抜けばいいのにね」

「まぁお兄さんが優秀な人だったからね。その重圧とか両親の期待を一身に浴びたら、頑なにもなるよ」

「だからってあれは拗れすぎだろ!」


先輩三人の話を聞きながら、遠くでお父さんと話す恵衣くんの横顔を見つめた。

歳の離れたお兄さんがいることを教えてくれたのは一学期の頃だった。専科一年の時に先の戦い、空亡戦で亡くなったらしい。自分にも他人にも厳しい恵衣くんが唯一手放しで褒めていたので、本当に優秀な人だったんだろう。

『両親だって怜衣兄さんにとても期待してた、俺なんかより』

どこか誇らしげに、どこか苦しげにそう呟いた恵衣くんの表情をよく覚えている。

 何でもそつなくこなす優秀な恵衣くんにも、きっと私たちには見せないような葛藤があるんだろう。


「学生組、最後にもう一度通すから舞台袖に上がりなさい」


クソ長説教性悪ハゲ妖怪────瑞祥さんがそう命名した本庁側の月兎の舞の担当者────に呼ばれた私たちは思わず「えぇ……?」と顔を顰める。

案の定、クソ長説教性悪ハゲ妖怪の耳に届き「今嫌そうな顔をしたな? そもそもこの月兎の舞というのはな」とあだ名通りの長い説教が始まる。

結局その後二回ずつ通して解放されたのは日付が変わる直前頃。次の日揃って寝坊をした私たちはまたハゲ妖怪に説教を頂戴することになった。


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