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恋する乙女

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「────はい、では皆さんで考察していきましょうか」


無事にご祈祷が終わって恵衣くんが席に着いた。みんなは一斉に伸びをする。短いものとはいえ神事はやっぱりどこか空気が張りつめる。

それにしても、と私は未だ違和感の残る左手の指先をそっと撫でた。

先生がホワイトボードを引っ張ってきて真ん中に置いた。真ん中に簡単な人の頭と左手の絵を描く。


「じゃあ一人ずつ、何を感じたのかここに書き込んで発表していきましょう。まず恵衣さんからお願いします」

「はい」


立ち上がった恵衣くんはスタスタとホワイトボードに歩み寄ると赤いペンで頭頂部に丸を書いた。

線で引っ張り隣に「清水に触れた時のような心地よい冷たさ」と付け加えると、「あ、俺も」と嘉くんが同意する。


「頭頂部に心地よい感覚がありました。正神界系の中位の神が憑依していると思われます。神意にかなった状態だと判断しました」


頭頂部に清々しい感覚があるのは、憑霊観破法の中では最も普通の状態であるとされている。何事もなければ多くの人はこの状態になっている。

恵衣くんと嘉正くんがそう感じたのも何だか納得がいく。


「嘉正はともかく、無難にオリコウサンに面白みもなく生きてる恵衣ならまぁそうなるよねぇ」


明らかに褒めている口調ではない言い方に恵衣くんの眉がぴくりと動く。


「先祖や神に警告を受けるような生き方をしている奴らの方がどうかしてると思うけどな」

「はァ!? 僕は警告じゃなかったし!」


またもや喧嘩開始のゴングが鳴り響き立ち上がった来光くん。冷や冷やしながら見守っていると、ホワイトボードの前に立ち赤ペンを握った。

側頭部と左手の人差し指、中指にに丸を付けた。


「ここに指で押されるような感覚があったあと、左手のこの指先が痺れました」


こんこん、とホワイトボードを叩いた来光くん。


「左手にも何かしらを感じた人が出てきましたね。ここから分かることは何ですか? 泰紀さん」


先生に指名されて「げ、俺?」と露骨に嫌な顔をした泰紀くんが頬を掻きながら立ち上がる。


「えっとまず……両方の側頭部だから、霊とか先祖の類……っすよね?」

「そうですね。では左手に刺激があった場合は、どの指が何に当たりますか?」


うーんとえぇーと、と視線を泳がせる泰紀くんとふいにバチッと目が合った。そして小さく拝むと「先生! 巫寿さんが答えたがっています!」と私に丸投げする。

ひどい、あんまりだ。

露骨に顔を逸らして席に座った泰紀くんにちょっと恨みがましい視線を送って渋々立ち上がった。

私もあんまり憑霊観破は得意じゃないのに……。

頭に刺激を感じて続けて左手の指にも何らかの刺激があった場合、その指に応じてついている霊が異なってくる。

どうしても覚えられないと瑞祥さんにボヤいた時に、いい語呂合わせを教えてもらった。確か────。


「……親指は親戚の先祖霊、人差し指が父親と祖父の霊で中指が母親と祖母、薬指が兄弟叔父叔母で、小指が子供の霊です」

「素晴らしいですね、きちんと覚えられています。よく勉強していますね」


すげ~、と皆が拍手を送ってくれた。無事答えられたことにホッとしながら席に座る。隣に座っていた嘉正くんが私の袖をくっと引っ張った。


「凄いね巫寿、覚えるの難しくなかったの?」

「難しかったから、瑞祥さんにいい語呂合わせを教えてもらったの」

「へぇ、どんな? 教えてよ」

「あ、えっと……うん。後で、ね」


ありがとう、と嬉しそうに笑った嘉正くんが前を向く。

申し訳ないけれど、私から嘉正くんにこの語呂合わせを教えることはできないだろう。

瑞祥さんがこの語呂合わせを私に教えてくれた時のことを思い出す。隣にいた聖仁さんの呆れた顔が蘇る。

『そんなハレンチな語呂合わせを女子が作らないの。そして後輩に教えるのも止めなさい』

巫寿も後輩に伝授してやれよ、と言われたけれどおそらく私の代でその語呂合わせは途絶えるだろう。


「ではこの事から何が分かりますか、来光さん」

「はい。人差し指と中指なので巫寿ちゃんが言ったように父親と母親の霊です。自分の両親は健在なので生霊だと思います。連絡を無視してるので、その催促かなと」


結構です、と先生に席に戻るように促されて来光くんが戻ってきた。


「来光くん、あの……大丈夫?」


思わずそう声をかける。

来光くんは両親と絶縁関係にあると聞いている。日頃から連絡も取り合っていないし、長期休暇も実家ではなく間借りしているくゆる先生の家に帰っている。

そんな状態の両親が生霊になってまで来光くんに何かを伝えようとしているなんて、何かあったに違いない。


「あはは、全然大丈夫。いつもの事なんだよ。新学期とか学期末の度に"戻ってきて普通の学校に通え"って言ってくるんだ。世間体を気にする人たちだから僕が得体の知れない学校にいるのが気に食わないみたい。思い出した時だけそういう連絡してくるくせによく言うよねぇ全く」


世間話でもするような軽い口調でそう言った来光くん。話しぶりから本人は大して気に留めていない様子なのが伝わってくるけれど流石に心配になる。

部外者の私が口を挟んでいいような内容ではないので、「何かあったら相談してね」とだけ伝える。来光くんは「ありがとう」と嬉しそうにはにかんだ。


「では次は泰紀さん、発表してください」


はーい、と立ち上がった泰紀くんは頭頂部の丸をつけた。


「えーと、俺は頭のてっぺんを押される感覚がしたんだよなぁ。なんかこう、ツボを押されて"いでで"ってなる感じ」


隅によけていた教科書を捲った。頭頂部についての記述がある場所を指でなぞって心の中で読み上げる。

────頭のてっぺんに鈍痛を感じて疼くような痛みは、神の怒りに触れている疑いあり。痛みが強いほど神の怒りは強く、怒りが納まるまで祈念を行うこと。単に何かしらの感覚があるだけなら、警告、注意の暗示で本人に害が及ぶことはない。

なるほど、だったら泰紀くんの場合は。


「泰紀、お前何したんだよ! 神の怒りに触れるってよっぽどじゃね!?」


ゲラゲラ笑う慶賀くんに、すかさず「ちげーし!」と泰紀くんが噛み付く。


「俺の場合、神様からの注意と警告だつーの! これから怪我とかビョーキに用心して生活しろってことだよ! ていうかそういうお前はどーなんだよッ」


よくぞ聞いてくれましたとばかりに鼻を鳴らした慶賀くんは立ち上がって、孫悟空の頭の輪っかみたいな円を描き入れた。


「俺はここが紐で締め付けられる感じがした! センセーこれってまだ習ってないよな、どういうやつ!? 頭のてっぺんに近いほど神様の霊格が高いんだろ!」


確かに頭をぐるりと覆うように何かを感じる場合というのはまだ習っていなかった気がする。

試しに教科書をめくってみたがそれらしき記述はない。おそらく三年生で習う分野なんだろう。


「慶賀さん、本当にそう感じたんですか?」


先程までにこにこと見守っていたはずの先生が急に真剣な顔になった。突然空気が変わったことに、慶賀くんは戸惑いながら頷いた。


「……三年生の範囲なのでまだ教えていませんが、龍神系の神が意志を伝えようとしています」

「龍神!? かっけぇ~!」

「締め付けるような感覚は知らず知らずのうちに龍神の怒りに触れる行いをしたか、警告を受けている状態です」


え?と慶賀くんが固まる。

龍神と言えば主に水を司る神様だ。


「だはははッ! 龍神に怒られるとかお前何したんだよ!」

「慶賀って馬鹿だと思ってたけど、龍神を敵にするほど馬鹿だったんだね」

「どうせ水関連の悪さでもしたんでしょ」

「救いようのない馬鹿だな」


心当たりがあるのか青い顔をして口を閉ざした慶賀くん。龍神を怒らせるほどの悪さって一体何をしでかしたんだろう。


「しっかり手を合わせて心から反省してください。それしか方法はありません」


はい、と力なく肩を落とした慶賀くんが席に戻った。


「では最後に巫寿さん。発表してください」


先生に指名され返事をして立ち上がった。ホワイトボードの前に立ちペンを握る。

私が丸を書いたのは恵衣くんや嘉正くんたちと同じ頭頂部、そして左手全体を囲うように大きく丸を書く。

皆が少し不思議そうな顔をした。


「えっと……私も恵衣くんたちと同じで、頭頂部に刺激がありました。ただ心地よい感覚って言うよりかは、むずむずする感じでした。それと────」


自分がペンで囲った左手のイラストを見る。


「左手が動かなかったんです……神事の最中に」


指先に痛みが出たり付け根に痺れを感じる場合があるというのは習ったけれど、左手が動かなくなるなんてことは習っていなかったはずだ。

痛みは感じないけれど心地よいという訳でもない。それに手が動かなくなるなんて、なんだただならぬ感じがする。


「あら。神様は巫寿さんとお話したいことがあるのね」

「へ?」


明るい声でそう言った先生に目を瞬かせた。


「これも三年生の範囲なんだけれど、左手が動かなくなるのは"神が伝えたいことがある時"なのよ」


神が、伝えたいことがあるとき。だから先生は「神様は巫寿さんとお話したいことがあるのね」と言ったのか。

でも伝えたい事がある時と警告している時って何が違うんだろう。少なくとも痛みは感じていないから、私に対して怒ってはいないんだろうけど……。

ちょうどその時、授業の終りを知らせる鐘が鳴り響いた。では今日はここまで、と先生が手を叩く。


「来週までに今日の実習のレポートを書いてきてください」


少し面倒くさそうな声で皆は「はーい」と返事をして立ち上がった。私も荷物をまとめて立ち上がる。一度振り返って先生が消し始めたホワイトボードを見つめた。

神様が私に伝えたがっている事って、一体なんなんだろう。

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