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予感
弐
しおりを挟む部活が終わってお風呂から上がると、脱衣所のカゴに適当に放り込んでいたスマホに何件かメッセージが届いていた。そのほとんどがお兄ちゃんで「何してる?」「ご飯食べた?」「今忙しい?」と言った内容だ。読むだけ読んで放置する。
あとはクラスメイトの皆からと親友の恵里ちゃんから他愛もない話題。
私の保護者代わりである禄輪さんからもメッセージが届いていた。一学期の終わり頃に頼んでいた件の返事だった。
「あ、良かった」
「何がー?」
隣で髪を拭いていた盛福ちゃんが振り向く。
「夏休みの課題に、"夏祭りの運営を手伝う"って課題が出てるの。私の実家はお社じゃないから、ほだかの社で手伝えないか聞いてたらオッケーだって」
ほだかの社は禄輪さんが管轄する社だ。
私と同じように実家がお社じゃない学生向けに、神修を管轄しているまねきの社が夏祭り運営のボランティアを受け入れていると聞いたけれど、先輩が青い顔をして「絶対に他の社でやった方がいい」と言っていたので禄輪さんにお願いした。
なんでもしばらくの間夢でもうなされるほどこき使われるらしい。流石にうなされたくはない。
【何ならバイト代も出すから、合宿が終わったらすぐにでも手伝ってほしい】とも書かれている。
禄輪さんのお社は十数年前に訳あって潰れてしまい、ようやく再建に向けて動きだしたところだ。当時務めていた神職たちは定年したり結婚したりで戻ってくることは難しく、年末年始もかなり人手不足で嘆いていた。
断る理由もないので二つ返事で引き受ける。
「あ、瑞祥さん」
洗面台の前で髪を乾かしていた玉珠ちゃんが手を止めて顔を上げる。
暖簾から顔を覗かせたのは瑞祥さんだ。膝に手を着いて肩で息をしている。顔が赤い。走ってきたからと言うよりかは、もっと別の理由がありそうな顔だった。
「お、おう。皆も風呂入ってたのか」
「どうしたんですか? そんなに慌てて」
「な……んでもない」
絶対に何かあった時の間だ。嘘が付けない性格なのはよく知っている。
後輩二人が一気に怪しむ顔をした。怪しむ顔は企む顔になった。目だけで会話した二人は立ち上がってパタパタと瑞祥さんに駆け寄ると、両サイドからその腕に抱きつききゅるんとした目で見上げる。
「瑞祥さんっ、久しぶりにアレやろうよ!」
「ア…アレって何だよ?」
「アレですよアレ……!」
二人に腕を揺すられうん?と首を捻った。
「アレと言ったら────お泊まり女子会!」
「カンパーイ!」
例のごとく未成年の集まりなので、乾杯のお供は甘酒だ。
本日の開催地は玉珠ちゃんの私室、本棚に並ぶなかなか過激な背表紙がチラチラと視界に入ってきて非常に落ち着かない。男の人たちが半裸で絡み合っている。
玉珠ちゃんの趣味はボーイズラブの漫画を読むことだ。ちなみに三次元も可なんだとか。
「ねぇ玉珠、この前借りた『僕に堕ちてよ安吾先輩~無限快楽地獄の果てで~』の三巻ってあるー?」
「あるある。今出すね」
借りてるんだ。というかもう二巻まで読んでるんだ。
明らかなに18歳以下の購入は認められていなさそうなタイトルなのにはあえて突っ込まない。巫寿さんもボクオチ読みますか?と聞かれたので丁寧にお断りした。
「で、本題だよ本題! 瑞祥さん!」
夕飯に出たフルーツの残りを呑気に咀嚼していた瑞祥さんがゴボッとむせた。胸をトントン叩きながら水を一気飲みする。口元の水滴を拭いながら目を逸らした。
「な、何だよ」
「最近の瑞祥さんなんか変! 何で!?」
「何かあったんですか? 聖仁さんと」
聖仁さんという単語にもう一度むせた。怪し~い、と二人の声が揃う。瑞祥さんが私に助けを求めるように振り返った。
可哀想だとは思うけれど、ぶっちゃけ私も気になっていたところなので三人のやり取りを見守ることに決める。苦笑いで肩を竦めれば「巫寿ぉ……」と恨めしそうに睨まれた。
「聖仁さんと何かあったんですよね……? 方向性の違いですか?」
「もしくは本当は違うことをしたかったとか?」
「ちげーよ。アイドルグループの解散理由みたいに言うな」
冷静なツッコミに思わず吹き出した。
「だって明らかに挙動不審なんですもん……!」
「ねぇー? ホントに解散前のアイドルかコンビ芸人みたい! なんでなんで? ほんとに喧嘩でもしたの?」
ジリジリと迫ってくる二人に顔を真っ赤にした瑞祥さん。うう、と言葉を詰まらせる。忙しなく視線を彷徨わせた。
「……せ、聖仁が」
「聖仁さんが?」
観念したようにギュッと目を瞑った。
「せ……聖仁が格好よく見えるんだよッ!」
はぁー、はぁーと瑞祥さんの荒い息が響く。目を点にした私たち三人はしばらくの沈黙のあと顔を見合せた。
「何をそんな今更」
「聖仁さんはずっとイケメンですよ……? 受け顔の」
受け顔かどうかはさておき、二人の意見には同意だ。
「聖仁さんはずっと前から格好いいと思います」
「嘘だろ!? 巫寿まで!?」
「え? あ、はい……」
「あのもっさりヘアーの聖仁だぞ!?」
確かにもっさりヘアーではある。私はあのクルクルした髪型も聖仁さんの優しい性格とよくあっていると思うけれど。
「でも何で急に?」
「そうですよ……! 今まであの顔と何十年向かい合ってきたんですよね」
「それが分かったら苦労しねぇーよ……」
へなへなと膝に顔を埋めた瑞祥さん。
「……ホントに、分かんねぇんだ。奉納祭の頃までは、そんなこと微塵も思わなかった。でもアイツが私を庇って大怪我した時、心臓の辺りがギューって痛くなってさ」
奉納祭の日のことを思い出す。
異文化交流学習で神修へ来ていた鞍馬の神修の学生の一人瓏くんは、千歳狐と呼ばれる特別な妖だった。
千歳狐は非常に力が強く、瓏くんもまだ自分ではコントロールが上手くできないため呪印を体に刻んで力を押さえ込んでいた。けれど奉納祭の最中に何かが起きてその呪印が解かれ、暴走してしまった瓏くん。
その時、瓏くんが放った怪し火から瑞祥さんを守るため、聖仁さんは大怪我を負ってしまった。
「聖仁が目を覚ました時言ったんだよ、"瑞祥が無事でよかった"って。その時から、アイツのそばにいると妙に落ち着かなくて、毎日アイツの事考えちまうんだ。普通に喋りたいけど、何でかめちゃくちゃ格好良く見えて、まともに顔も見れねぇし……」
そこまで話してポッと頬を赤くした瑞祥さん。
私は勢いよく口元を抑えた。そうしていないと変な声を上げて叫んでしまいそうだったからだ。
これって。これってもう間違いなく……!
「恋じゃんッ!」
盛福ちゃんがそう叫び、思わず足をばたつかせた。
「嘘でしょ!? 瑞祥さん、聖仁さんの事好きになったの!?」
「は、はァ!? なんで急にそうなるんだよ!!」
目を剥いた瑞祥さんがテーブルに身を乗り出した。
「どうでもよかった人が急に格好よくみえて、一緒にいるとソワソワして上手く喋れなくなる……典型的な恋の始まりですっ!」
「嘘ォ~! あの瑞祥さんが恋! 恋!」
「コイコイうるせぇー!!」
二人に飛びかかった瑞祥さんが後ろから羽交い締めにする。そんな事はお構いなしに二人は「キャーっ!」と興奮気味に叫んだ。
とうとう瑞祥さんにも恋心が……!
唯一無二のバディポジションから好きな人への変化、これはかなり大きな一歩だ。
「わ、私が……聖仁を……す、す……」
真っ赤になって後ろにひっくりかえった瑞祥さん。みんなが慌てて手を引っ張り起こす。
「しっかりしてよ瑞祥さん! ビックリするのは分かるけど、どっちかって言うと私たちの方が衝撃大きいんだから!」
「でも、だって、アイツは幼馴染で……」
「幼馴染から恋人になるのは、ボーイズラブの鉄板です……!」
玉珠ちゃん、この二人はボーイズラブじゃないよ。それはさておき。
「瑞祥さんは困惑してるんですよね? 今まで聖仁さんに向けていた感情とは、全く違う感情が芽生えて」
瑞祥さんは潤んだ瞳で私を見た。
「困惑……してんのか? ああ……そうだな。困惑してる」
アイツはちょっと口うるさい幼馴染で、なんでも話せる親友でいいライバルで。でもあの日、聖仁が死んじまうのかと思ったら怖くてたまらなくなった。ずっと傍にいたいって思った。アイツには笑っててほしい、泣かないでほしい。心の底からそう思ったんだ。
そう呟いた瑞祥さんの表情は優しく、恋する女の子の横顔だった。
「聖仁が、大事だ。何よりも大切だ。これって、好きって事なのか」
「少なくとも特別な気持ちがあるって事だと思います」
「そう、か」
うんうんと頷けば、瑞祥さんは一点を見つめたまままた固まる。固まったかと思えばみるみると目に涙を溜めて今度は膝に顔を埋めた。
「は、ちょ、瑞祥さん!?」
「どどど、どうしましたか……!?」
ううう、と声を押し殺すように泣き出した瑞祥さん。仰天したふたりがティッシュの箱を持って慌てふためく。
「聖仁に嫌われた……ッ!」
「なんで急にそこまで行き着いた!?」
あまりにも唐突な発言に盛福ちゃんがすかさず突っ込む。
「だって私、これまで散々聖仁のこと馬鹿にしたりからかったり、言葉だって荒っぽいし喧嘩っ早いし、こんなヤツ嫌になるに決まってる……ッ!!」
長らくの沈黙、瑞祥さんの鼻をすする音だけが響く。瑞祥さんが恐る恐る顔を上げた瞬間、私たち三人の深いため息が揃った。
「マスター、強いお酒くださーい」
「甘酒ならまだ少しあるよ」
「恋する乙女って面倒ですね。BLならドキドキして読めるのに。あ、巫寿さん私にも下さい」
「なんだよお前ら! 私は真剣に悩んでるんだよッ!」
噛み付く瑞祥さんに私たちは顔を合わせてもう一度ため息をついた。
「いちいち言わなきゃ分かんないかなぁ……恋愛感情の有無はさておき、聖仁さんが瑞祥さんのこと嫌いになるわけないでしょ?」
「そうですね。天地がひっくりかえってもないです」
「ないですねぇ……」
二人に続けてそう答え、ついでに「恋愛感情もちゃんとありますよ」と心の中で付け足す。聖仁さんはもうとっくの昔から瑞祥さんに惚れている。
無粋な真似はしたくないので絶対に本人には伝えないけれど。
「でもこんな男勝りでガサツでいい加減な奴なんて……」
「仮に嫌いになってたなら、今頃とっくに離れていってると思います……!」
「でもあいつの前でオナラもゲップも容赦なくしてきたし……」
「流石にそれはないわ」
盛福ちゃんと同意見だ。流石にそれは至急直していくべきだと思う。
ほらやっぱり嫌われてる!と膝に顔を埋めてしくしく泣き出す。二人が露骨に「めんどくさ」という顔をした。
まぁまぁと二人を宥め、瑞祥さんにはティッシュを差し出した。
「聖仁さんが瑞祥さんを嫌うことはないと思います。少なくとも十数年前隣にいた幼馴染な訳ですし。ただ、急に態度を変えられたら流石に聖仁さんも悲しいんじゃないでしょうか」
「……悲しい?」
「瑞祥さんも、急に聖仁さんに素っ気ない態度を取られたら悲しいですよね?」
つま先を見つめた瑞祥さん。こくん、とひとつ頷いた。
「いつも通り、とまではいかないと思いますけど、ちゃんと顔を見て話してあげてください」
影から見守ると決めていた二人の恋路だけれど、これくらいの助言は許されるだろう。
ほら甘酒飲んで、ほらチョコ食べて、と後輩ふたりに世話を焼かれる瑞祥さんがちょっと微笑ましい。
「あ、私厨房からお茶貰ってきますね」
そう言って立ち上がった。
空いたピッチャーを片手に厨房に顔を出す。電気が落とされていて、非常口の青い光がぼやんと足元を照らす。流石に心もとないので壁を探り当てて電気をつけた。
明るくなると同時に突然現れた人影に「ひっ」と声を上げた。流し台に手を付き項垂れたその人がゆらりと顔を上げる。
「ああ……巫寿ちゃんか……」
「せ、聖仁さん! びっくりしました、電気も付けないで何してるんですか……?」
「喉乾いたから、お茶を貰いにね」
そう言いつつコップも出されていなければ、お茶も用意していない。
怪訝に思いながらも冷蔵庫を開けて新しいピッチャーを拝借する。空になった容器は流し台に置いておけば翌日洗ってもらえるので、流し台で項垂れる聖仁さんにそろ~っと歩み寄る。
背中から漂う悲壮感がすごい。
「ねぇ……巫寿ちゃん」
「は、はい……?」
「俺、何かしちゃったのかな」
え?と目を瞬かせる。
「心当たりはあるんだ。看病って言いながら嫌がる瑞祥に色んなことしてもらってさ」
そういえば入院中ベッドサイドに座らせて「あーん」とかしてもらってましたね。
他にも色々させてたんだ、とちょっと遠い目をする。
「瑞祥が口をきいてくれないんだ。俺の顔見た途端すぐにどこか行っちゃうし、明らかに素っ気ない気がする。間違いなく嫌われたんだ」
紫色のオーラを見に纏わせた聖仁さんが深い息を吐く。
こっちもか、と天を仰いだ。
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