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約束
参
しおりを挟む私の鼓舞の明は皆を鼓舞する光。皆を守りたい、皆の背を押したい。そう強く祈りながら舞う。
皆が祝詞奏上しながら横目で私を見ている。私よりも危ない場所にいるはずなのに私の身を案じてくれている。私の力を信じてくれている。
私は、その期待に応えたい。
皆が作ってくれた道を次に、信乃くんに繋ぐ。信乃くんの背中を押すために、信乃くんが進む道を照らすために舞うんだ。
お腹の底が熱くなるのを感じる。そこから血液が流れるように身体中を熱い何かが巡っていく。前よりもその感覚は鮮明で体に馴染んだ。
閉じていた目をうっすら開いた。自分の体わずかに発光し、その光の粒が周辺に広がっていく。それはみんなに降り積もり、やがて体へ溶け込んで行った。
「惚れ惚れするほど綺麗だ……」
鬼市くんの呟きが聞こえて少し恥ずかしくなったけれど、「惚気ける暇があるなら奏上しろ奏上ッ!」と恵衣くんの怒り狂う声に我に返る。
最後まで集中しなきゃ。
最後のパートに入った。必死に気持ちと祈りを込める。
瓏くんを、皆を、この舞で助ける。
「……今です!」
最後の型が終わった瞬間、みんなに聞こえるようにそう叫んだ。
「落としてッ!」
聖仁さんのその声を合図に皆がピタリと奏上を止めた。それに伴って言霊の効果も切れて、風に煽られて宙に浮いていた瓏くんは重力に従い落下を始める。
次の瞬間、瓏くんの尾っぽの先の怪し火がぶわりと膨らんだのが見えた。
先見の明で見た光景が脳裏を過る。
自我を失った瓏くん、膨らんだ怪し火、次に起きたのは────瓏くんの暴走だ。
「皆隠れて……!」
叫ぶと同時に振り返った。驚いた顔をした瑞祥さんと目が合う。
「あかん暴走するッ!」
切羽詰まった声と共に、炎が膨らむ音が頭上から聞こえる。瑞祥さんに向かって一歩踏み出した。
全てがコマ送りのようにゆっくりと見えた。自分の心臓の音がやけに大きくて、周りの音が鮮明に耳に入ってくる。
「どうした巫寿!?」と瑞祥さんが手を差し出して、私の体が傾いていることに気付いた。足元を見下ろすと木の根っこにつま先が引っかかっている。
徐々に体が傾く。地面が迫ってくる。炎の音はうるさいほどに大きい。
駄目だ駄目だ駄目だ、このままじゃ瑞祥さんを守れない。未来を見たはずなのに、未来を変えるために今ここにいるはずなのに。
転んでる場合じゃない、足を出せ手を出せ。瑞祥さんを守らなきゃ。何としても守らなきゃ。
瑞祥さんに向かって手を差し出したその瞬間、青い炎が辺り一面に広がった。
「瑞祥さん……ッ!」
半透明の結界の中で私の声が響いた。炎は結界が弾いた。私は結界に守られたまま、つまり瑞祥さんはこの炎に晒されているということだ。
「そんな、いや、瑞祥さん……瑞祥さんッ!」
ピクリとも動かない瑞祥さんの姿が何度も何度も脳裏を過ぎる。それを振り払うように強く首を振った。
なんで、どうして。私なら助けられるはずだった。間に合うはずだった。手が届くはずだった。
膝からその場に崩れ落ちる。焦げた地面にその衝撃でボタボタと涙が落ちた。かわいた土をきつく握りしめる。
未来を変えるための力なのに。皆を救うための力なのに。大切な人を守るための力なのに。
瑞祥さんは私を守ってくれたのに。
食いしばった歯の間から嗚咽が漏れた。
轟音が止んで炎の勢いが弱まった。誰かが鎮火祝詞を奏上する声が聞こえる。
袖で目元を強く擦って顔を上げる。上げた瞬間目が合った。正確には目が合ったのではなく、驚いた顔で宙を凝視する瑞祥さんの視線と絡んだ。
瑞祥さんは尻もちをついてその場に座り込んでいた。怪我はない、火傷もだ。傷一つない。瑞祥さんのまわりには私と同じ、半透明の膜が張られている。
守りの結界だ。
「瑞祥さ────」
「聖仁さんッ!」
私が名前を呼ぶのとほぼ同時に、悲鳴のような声が響く。
嘉正くんが焦りの滲んだ表情で何かに向かって走っていく。作戦は一旦中止だ、瓏を持ち上げろ!恵衣くんがそう叫んだことで皆は風神祝詞を再開する。
地面に横たわる黒い影見える。風に煽られて焦げた何かがパタパタとはためく。僅かに色の残った部分から鮮やかな紫色が見えた。
今いるメンバーの中で色付きの袴を履いているのは五人、そのうち紫色の袴を許されているのは一人しかいない。
「聖仁……ッ!」
悲痛な叫びは森中に響き渡った。
転がるように側へ駆け寄った瑞祥さんがその黒い影を抱き起こす。うつ伏せになっていたらしく、辛うじて肌色が残った顔がだらんと力なく垂れる。
意識のない生気のない横顔に息が止まった。
「聖仁……ッ! お前なんでこんな、馬鹿野郎! しっかりしろ聖仁!」
震える声で名前を呼んだ。必死に頬を叩く姿が私の見た未来と重なる。
「なんで、なんで私に結界を張ったんだよッ! 自分のことくらい自分でなんとかするって、前から言ってんだろ! なんでッ……」
その言葉から、あの瞬間聖仁さんは咄嗟に瑞祥さんの周りに結界を貼ったんだと分かった。
聖仁さんが守ったんだ。
後悔と困惑と焦りで酷く顔をゆがめた瑞祥さんが何度も何度も名前を呼ぶ。かすかに呻き声がして瞼が震えた。途端その顔は苦痛に歪む。
「瑞祥、痛い……あんま揺らさないで……」
乾いた細い声だ。
「聖仁!? 聖仁!」
その声を聞いた瞬間安堵が弾けたのか、なんとか堪えていた物が溢れ出したみたいにボタボタと涙が溢れた。聖仁さんがその流れる涙を震える手で救った。
「泣かないでよ……俺がしたくて、したことだから」
「そういうのやめろっていつも言ってんだろ……!」
「止やない、よ。大切な人……守るためなら」
馬鹿野郎、と罵る声はあまりにも弱々しい。
「瑞祥……後のこと、皆のこと、頼む」
「お前それ死亡フラグにしたら絶対に許さないぞッ!」
「はは……やり残したこと山ほどあるから、まだ死なないよ」
気遣うように、でも十分に気持ちは伝わるくらいに聖仁さんをきつく抱きしめる。二人はこつんと額を合わせた。
「……終わったら説教だぞ」
「ふふ……望む、ところだ」
小さく笑った聖仁さんはゆっくり目を閉じる。気を失っし閉まったんだろう。
木の幹に持たれさせた瑞祥さんが目元を強く擦って勢いよく立ち上がった。
「何がなんでも成功させるぞ!」
立ち上がったその横顔に迷いはない。
瑞祥さんが私の元へ駆け寄った。へたり込む私に手を差し出して赤くなった目を細めて笑った。
一番辛いはずの瑞祥さんがこうして自分の力で立ち上がった。立ち上がって、今度は私を立ち上がらせようとしている。
それなのに私はいつまで座り込んでいるんだ。立ち上がれば私にだって、まだ何かが出来るはずだ。
その手を掴んで弾みをつけて立ち上がった。
振り返ると瓏くんはまだ風神祝詞によって空高く持ち上げられている。上手く体が保てないのか怪し火も放たれていない。
瑞祥さんがみんなに向かって叫んだ。
「作戦再開! 落とせッ!」
皆の奏上がピタリと止まった。瓏くんの体はすぐさま地上に向かって落下を始める。
瓏くんの足が地面に着いたその瞬間、鬼市くんが再び瓏くんの前に飛び出す手筈だ。だったら私がするべきことは、鬼市くんのフォローだ。
上手く体勢を戻せなかったのか、瓏くんば枯葉の上に背中から落ちた。苦しげに咳き込みながらも体を起こす。九尾の怪し火がまたぶわりと膨らんだ。
鬼市くんが一直線に走り出す。それに気付いたのか怪し火を振りかぶった。
必死に火鎮祝詞を奏上する。
鬼市くんが瓏くんの目の前まで迫ったその瞬間、怪し火が放たれた。恵衣くんと嘉正くんが張った結界に当たって弾け、結界と共に霧散する。
再び怪し火を振りかざしたその瞬間。
「親友の存在忘れてんとちゃうぞッ!」
背後から飛び出した信乃くんが、瓏くんの背中に飛びかかった。体重に負けてそのまま倒れ込んだ瓏くんの背中に馬乗りになる。
皆は一目散に駆け出して手足に飛び乗った。
「シャァッ作戦通り! いまから呪印刻むぞ、絶対暴れよるからしっかり抑えとけッ!」
「いいからさっさとやれ関西弁!」
暴れる足を抑えながら恵衣くんが眉を釣りあげた。
瓏くんが胸の前で手を合わせた。口の中で何かを唱えたあと瓏くんの背中に手を乗せる。乗せた瞬間手のひらと背中の間から黒い煙が立ち上り、皮膚を焼くような嫌な音が聞こえた。
耳をつんざくような瓏くんの悲鳴が辺り一面に響いた。
激しく暴れる瓏くんの九尾がみんなに向かって振り下ろされる。尻尾の先に宿った怪し火は容赦なく皆を攻撃する。
「離しちゃ駄目だよ皆ッ! 離したらもれなく全員丸焦げだ!」
「もう十分焦げてるよ!」
「うるさい馬鹿なのかお前ら!?」
「恵衣が一番うるせぇ!」
瓏くんが激しく身をよじった。うわぁッ、とみんなが悲鳴をあげる。
鎮火祝詞を奏上する声に力が入る。リズムが乱れて言祝ぎが揺らいだ。怪し火の勢いが増す。焦りが声に現れたその時、瑞祥さんが私の肩に手を置いた。
ハット顔を上げると力強い目で私を見下ろす。「落ち着け、大丈夫」そう言っているようだった。奏上の合間に深く息を吸う。おかげで自分のリズムを取り戻した。
信乃くんが奏上しているのは言わば呪詞、祝詞とは反対の効果をもたらす他者を呪う詞だ。
呪詞は相手に苦しみをもたらす。
瓏くんが今どんな苦痛の中にいるのかは想像しなくてもわかる。それに辛いのはきっと信乃くんも同じだ。
でも今手を止めればもっと大変なことになる。瓏くんもそれは望んでいないはずだ。
背中を横切る一文字の傷跡に文字が刻まれていく。泣きたくなるような悲鳴が響き渡る。頑張れ、堪えろ、皆が必死に声をかけた。私も祝詞を奏上しながら心の中で強く祈る。
「大丈夫や瓏ッ! 俺は絶対にお前を助ける!」
信乃くんが奥歯を噛み締め、手のひらを強くその背中に押し当てた。紫暗の煙がいっそう強く立ち上る。瓏くんが激しく泣き叫んだ。怪し火がみんなに襲いかかる。
「そう約束したからな……ッ!」
次の瞬間、背中に刻まれた文字が黒く光った。光った文字は背中に吸い込まれるように溶け込んでいくと、刺青のように肌に定着する。
瓏くんの背中の上にうつ伏せで倒れ込んだ信乃くんに皆が目を見開いた。
「おい信乃大丈夫か!」
「信乃どうした!?」
「死んだのか!?」
気だるげに右手を持ち上げた信乃くんはその手をひらひらさせると、そのまま瓏くんの隣にごろんと転がり落ちる。
「誰やねんいま死んだのか言うたやつ。生きとるわボケ」
青い顔でふーっと息を吐いた信乃くんはそう軽口を叩いた。
「瓏はどうなったんだよ! 呪印は上手くいったのか?」
信乃くんが隣で倒れる瓏くんの顔をのぞきこんだ。
「はぁ…くっそ疲れた。上手くいったはずや。気ぃ失っとるだけやし、ほっとけばそのうちケロッと起きてくるやろ」
呑気に寝よって、と瓏くんの鼻をつまんだ信乃くんはどこか嬉しそうに頬を緩めた。
皆が顔を見合せた。しばらくお互いの様子を伺って呆然としたあと、歓喜の雄叫びが揃った。
「シャァアッ!」
「うわぁぁ!」
皆ががむしゃらに拳をつきあげる中、私は腰が抜けてよろよろとその場に座り込んだ。手足が震えている。なんの震えなのか分からなかった。
……上手くいった。上手くいったんだ。
みんな無事だ。怪我も火傷もあるしボロボロだけど、誰一人欠けることなく瓏くんを助けることができた。
あの最悪な未来を、この手で変えることができたんだ。
目尻がカァッと熱くなって、堪えようと思ったけれど出来なかった。安堵と喜びと、とにかく色んな感情でぐちゃぐちゃになった涙が零れた。
皆が私の背中を叩いた。容赦のない手がちょっと痛くて、それ以上に温かくて嬉しくて、余計に涙が止まらなくなった。
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