言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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はぐれ者同士

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数日後、大規模な祓除の任務が本庁から降りてきた。編成を組んでの大掛かりな修祓になる。まだ現場に出たことのない俺は、権宮司の言葉通りに人員を整えて初めての実戦に向かった。

結果は言わずもがな、酷い有様だった。

本庁から降りてきた情報と現場の状況が食い違っていたのも要因ではあるだろうけど、なによりも自分の不甲斐なさが、現場に出向いた神職の半分が重軽傷を負うという結果を招いたのだと思う。

自分は後ろで守られるばかりだった。オヤジみたいに最前線でみなを守るのが頭領の役目なはずなのに、後ろで何も出来ず棒立ちしているだけだった。

例の千歳狐も連れていった。あいつは前線でかなりの活躍を収めた。里の厄介者が前線で活躍し、里の頭領が厄介者になるなんておんだお笑い草だ。


帰り道、怪我を押えながら歩く神職達の心はもう俺にはないのだと感じた。その背中は間違いなく俺を拒んでいた。

やっぱり俺は頭領にはなれないのだ。血の繋がった姉を信じられず、親を恨み、同胞に手をあげようとした俺には宮司なんて務まらないのだ。


疲れた体を引きずるように里へ帰ってきた。家には戻らず裏山の小川へ向かった。

ほんの数ヶ月前までは、ここで友人や里の子供らと楽しく川遊びしていた日々がまるで遠い昔のようだ。

サワガニがちょろちょろと視界の隅を横切った。取っても喜ぶ奴はもういない。小石を投げれば傍に落ちて、驚いたように石の影に逃げていった。


「……これからどうしよかな」


情けない声はせせらぎに消える。力なく寝転んで目の上に腕を乗せると、どうしようもなく涙が溢れた。

悲しいし悔しいし、腹立たしいし苦しい。

現状に嘆くしかない自分が嫌だ。何も知らない自分が嫌だ。皆の心が離れていくのが嫌だ。決められた運命に流されるだけで何も出来ない自分が、何よりも嫌だった。

かわいた笑みが零れた。


「……ハハッ。こんなんもう、死にた────」


続きの言葉は俺のうめき声で強制的にかき消された。突然腹部へ強烈な圧迫感を感じて「ゔっ」と蛙が潰れたような声を上げる。

目を白黒させながら何とか首を起こすと、目の前に真っ赤な顔が現れた。両目からは大粒の涙をボタボタとこぼし、俺の襟元に容赦なく鼻水を垂らす。


「信乃にぃ死なんといてーッ!」


首元に抱きついたそいつは俺の鼓膜を破る勢いでそう叫ぶ。若干意識が遠のきかけた。


「おまっ、耳元で叫ぶな殺す気かッ!」


久しぶりに声に力が入った気がした。

俺の腹に飛び乗ったのは里の子供の一人だった。慌てて体を起こせば四方八方から子供らが飛びついてきて小猿の如く俺にしがみつく。


「し、信乃ッ! お前いま死にそうって言うたんか!?」

「やっぱり怪我してんのか!? なんで巫女頭に診せんとこんなとこ来てんねん!」

「バカヤロー!! お前が死んだら俺らもあと追いかけるからなッ!!」


後から走ってきたのは友人たちだった。子供らの上から俺に飛びつきぎゅうぎゅうと抱きしめる。

ぐはッと二度目の呻きを上げたことで、ようやく自分たちが俺を殺しかけていることに気付いたらしい。

慌てて子供ら引き剥がした。


「お前ら……なんでこんな所に」

「今日の任務がヤバかったって親父に聞いて……ほんで信乃がまだ家に戻ってないって言うから心配で探しに来たんや!」


瞳をうるませた友人が顔を真っ赤にしてそう叫ぶ。信乃にぃのばがぁぁ、と子供らの合唱が続いた。


「心配て……親に色々言われてんとちゃうんか」

「それはッ……そうやけど! でも信乃は信乃や!頭領でも野狐落ちの家族でも、俺らの友達やろ!」

「そうや! 友達の心配して何が悪いねん! 親の言うことなんて知らんわ黙っとれ!」


友人たちが俺の手を引っ張って立ち上がらせた。俺の手を掴むその手のひらの力強さに腹の底が熱くなる。


「ごめんな、大変な時に素っ気なくしてもうて」

「俺は最初からこうするつもりやったんやで!」

「嘘付け、一番日和ひよってたくせに~」

「信乃にぃ抱っこ!」

「信乃ちゃんおんぶしてぇ」


一気に騒がしくなった己の周りを呆然と見つめる。

ずっと当たり前の景色だと思っていた。なんならその賑やかさを煩わしいとさえ思っていた。そう思えるくらいその日々が自分にとって大切だったからだろう。

バレないように目尻を拭って子供たちを抱き抱える。軽やかな笑い声をもっと良く聞きたくて抱きあげる腕に力を入れた。


「信乃にぃ……」


袴をくいと引っ張られる感覚がして振り返った。里の子供の一人が、俺の袴を掴んでいる。その場にしゃがみこんで目線を合わせた。


目一杯に涙を貯めて唇をすぼめるその子供は、何かを恐れるように身を縮めて震えている。抱き上げていた子供らを下ろして、その子の頭に手を置いた。


「泣きべそかいて、どないした」


涙が睫毛を超えた。はたはたと雫が地面に落ちる。流れる涙をそのままに子供は着物の袖を捲った。

か細い二の腕に広がる黄色い痣。治りかけているようだけれど、酷い痣だったことがみてとれる。転んだりぶつけた程度じゃ出来ないような跡だった。


「これ……伊也ねぇか? まさか、あいつもなんか」

「あの兄ちゃんは悪ないんや……ッ」


しゃくりを上げながら鼻声で、必死に俺にそう伝える。


「オトンたちは悪い噂ばっかり話してたけど、あの兄ちゃんはそんな奴とちゃう!」


子供のいう"あの兄ちゃん"が誰なのかすぐに結びついた。眉根を寄せて子供の話に耳を傾ける。


「俺が、伊也ねぇに酷いことされてる時、あの兄ちゃんが助けてくれた。したら、伊也ねぇが"お前が代わりになるか"って言うて」

「私の時もそやった……!」

「あの兄ちゃんがうちの代わりに叩かれてッ」

「伊也ねぇが、人に喋ったらどうなるか分かってるやろなって……」


子供らは火がついたように泣き出した。自分にしがみつく子供らを戸惑いながら抱きしめる。


「うち、あの兄ちゃんのこと、信乃にぃと同じくらい好きや……!」


その言葉が決め手だった。

子供らを家に送り届けると一目散に離れへ向かった。廊下を駆け抜けあいつのいる部屋へ勢いよく飛び込む。

勢いよく開いた障子に、前と同じ驚いた顔で俺を見あげる。


「信乃」


やっぱり俺と目が合うなり、嬉しそうに名を呼んだ。

無言でずかずかと中へ入った。そのままの勢いでそいつを押し倒す。袖をめくり、前合わせを引っペがし、裾をたくしあげた。


「信乃……?」


されるがままのそいつが、やっと困惑した声を出す。

子供らの肌にあったものとは比べ物にもならないほどの酷い痣が身体中にあった。治りかけている切り傷から、直近で付けられたような痣まで。着物で隠れている箇所は、普通の肌色を探すの方が難しかった。

着物を直した。その手が震えていることに気がつく。唇をかみ締めた。


「なんで庇った」


そう問うたことで、"言えない"理由がばれていることに気付いたらしい。少し困ったように眉を下げて目を細めた。


「……そうするもの、だと思ったから」

「普通そんなんせんわ! 自分を犠牲にする奴があるかッ!」


頬に熱い線が走る。どうして自分が泣いているのか分からなかった。


「でも、それ以外、思い付かなかったから」


本当に困った顔をしたそいつは、俺が泣いているのに気付いてぎゅっと眉を寄せた。


「信乃、大丈夫?」


いきなり部屋に怒鳴り込んできたような俺を。掴みかかって殴りつけようとした俺を。友達でもなんでもない俺を。なんでこいつは、そんな顔で真っ先に心配するんだよ。


「どこか、痛い?」


昔お袋が夜寝る前に、千歳狐のおとぎ話を読んで聞かせてくれたことがあった。その本にはこう書かれていた。


千歳狐は傷付けない。千歳狐は貶めない。千歳狐は友を慈しみ、守り、導くお狐だ────。


こいつには生まれたその瞬間から、人を呪う感情なんてひとつもなかったんだろう。

だからあんなに強くても地下牢から逃げ出さなかった。初めて俺と会ったあの日も俺を傷付けないように縮こまった。俺がどんなに酷く当たろうとも、一度も俺を責めなかった。


「嫌なことは嫌って言えや。ムカつくことには怒鳴って怒れや。何やられっぱなしになっとんねん……ッ!」


そいつは不思議そうに首を傾げた。


「嫌じゃない、同胞だから。それに、信乃の大切な人だから」


ハッと顔を上げる。僅かに口角を上げたそいつが目を細めた。


「信乃は初めて友達になってくれた。俺に優しくしてくれた。だから、俺も優しくしたい。信乃の大切な人は、俺も大切にする」


何を、言うとんのやこいつは。

俺がこいつに構ったんはオヤジに言いつけられたからで、別に自分から優しくしてやろうと思って近付いた訳じゃない。

里の子供らや友人たちに比べたら酷く適当に扱っていたし、感謝されるようなことなんて何も。

これぽっちも、していないのに。


「俺は何もしとらん」

「友達って言ってくれた」

「そんなん、ノリで言うただけや」

「大丈夫って、言ってくれた」

「それもただノリで」


そいつは静かに首を振った。


「そう言ってくれたのは、信乃だけだった」


手のひらに爪が食い込む。唇をすぼめても頬を伝う涙は止まろうとしなかった。そいつはオロオロと焦る素振りを見せて、敷きっぱなしの掛け布団を俺の顔に押し付ける。


「信乃、大丈夫。大丈夫」


いつかの俺がそうしたみたいに、そいつは微笑み言祝ぎを紡いだ。



そいつは経験のない俺の代わりに前線へ立つようになった。そのおかげで俺は社の中での奉仕に集中出来るようになった。


「信乃、祓除終わった」

「おうお疲れさん。こっちも今終わった。飯行こ」


実戦で足りない知識は、そいつが補ってくれるようになった。


「牛鬼の祓除なら、二級の神職が五人は必要だと思う」

「ほんなら禰宜五人派遣するから、お前は後ろから援助してくれ」


相変わらず言葉は下手くそなので、俺が合間をぬって教えた。


「ねぇ信乃。この間教えてくれた、友達への挨拶。里の子に試したら、泣いて逃げられた」

「俺そんなん教えたっけ?」

「教えた。"こんちくびーむ うっほほーいうっほほーい!"」

「お……おま、ガチでそれやったん……?」


里の厄介者と信頼されていない頭領。

欠けているもの同士が欠けている所を補い合って過ごす日々は案外悪くなくて、むしろ居心地のよさを感じる。俺はそんな毎日をいつしか楽しんでいた。

俺たちは多くは語らなかったけれど、根っこにあった信頼が二人の関係を強くしたのだと思う。


「なぁ……ろうとかどうや?」


桃太郎から平家物語を読めるまでに成長したそいつは、本から顔を上げて目を瞬かせた。

筆を取って書き損じの裏にするすると書いてみせる。隣にすり寄ってきたそいつの顔に押し付けた。


「瓏……って読むの」

「おう」

「何が、瓏がいいの」

「名前。お前の」


普段はあまり変わらない表情が、驚きと喜びに染る。


「ろう……瓏」

「分かりやすくてええんちゃう? 俺もシノで二音やし」


うん、と頷いたそいつ────瓏は大切そうに文字をなぞる。


「名前、短い呪。意味あるんでしょ」

「あー……まぁ大体の奴はあるわな」

「瓏は、どういう意味?」


珍しく瞳を輝かせた瓏はぐいぐいと身を乗り出して俺に詰め寄る。近いわ、と額を弾いた。

なぜか意味を説明するのが小っ恥ずかしくて「自分で調べぇ」と背を向ける。

どうやって調べる?自分で考えろ。分かった。

くそ真面目に頷いた瓏は書き損じを引き寄せた。


「これ貰っていい?」

「書き損じやでそれ。やったら新しい紙に書き直したるわ」

「これがいい」


大切そうに折り畳んで懐にしまった瓏は平家物語の朗読を再開した。文机に頬杖をついてその様子を眺める。


まぁ……ポン太に比べたらなかなかええセンスなんちゃう?


瓏の僅かに上がった口角を眺めながら、自分の頬も緩むのを感じた。


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