言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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はぐれ者同士

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学校にはひと月ほど休む連絡を入れた。

担任に連絡した時にちょうど職員室にいたクラスメイトの鬼市が電話を代わった。

普段からちょっと抜けているあいつは俺の事情なんてお構い無しに「今日の夕飯はおはぎが出るらしい」と言った。今日一日で唯一心が休まった瞬間だった。


連日神事が続いた。宮司が代替わりするだけでこんなにも色んな神事があるのかと辟易したけれど、それに加えて宮司としての職務も始まる。

ある程度はオヤジに習っていたことと、権宮司もかなり補ってくれたこともあってなんとかやって行けそうだ。

もともと俺が頭領になるのは百歳を過ぎて気狐きこになってからの予定だった。それがたったの齢十で代替わりしたことで、神職たちの間には不安が広がっていた。それ以前に身内から野狐が出たことで不信感が強まっていたのも相まって、里には俺を憐れむものか嫌うものしかいなくなった。

権宮司が"憐れむ方"だったのが不幸中の幸いだろう。


里の子供らや友人たちは、親に言われたのか俺とは口を聞かないようにしている。

昔、俺と同い歳の妖狐の叔父が野狐落ちして、そいつも俺と同じような扱いを受けていたのを思い出した。その一家は一年も経たずに里を出て行った。それからどうなったのかは誰も知らない。


オヤジが年末年始で五徹した際に禰宜が処方した漢方薬、補中益気湯ほちゅうえっきとうと目薬が俺の横に常備されるようになった。齢十でこの有り様だ。なかなか笑える。

鬼市と明け方まで桃鉄をした時の疲労感とは比べ物にもならない。

そして俺があの千歳狐の存在を思い出したのは、あれから二週間ほど経った頃だった。

上がってきた報告書に目を通して判を押していると、担当者名が空欄の報告書をいくつか見かけた。


「権宮司、これ名前抜けとる。出し直せ言うてきて。あと字汚い読めん」


ミミズ文字に眉をひそめて隣に控えていた権宮司に突き返す。目頭を押えて天を仰いだ。権宮司はざっと目を通して「ああ」と呟いた。


「これは例の少年が担当したんです。名がないので空欄で」


例の少年? 名がない?

眉をひそめて、すぐに離れにいる千歳狐のことを思い出した。


「先代が何か役割を与えてやろうと、信乃さんの夏休みが明けたころから任務につかせているんです」


あいつが?と権宮司を疑った。

日本語もろくに喋れなかったあいつが任務?

本当にちゃんとできるのか。


「最初の一ヶ月は他の神職も同行させましたけど、問題を起こすことも無くやっているようです。ひと月前からは一人で行かせて報告書を書かせていて」


里の子供らが書いたような字の報告書に目を通す。

ひがいなし、ふつじょずみ。端的すぎるが本当に問題なくやっているようだ。


「一段落したら千歳狐の処遇についても見直しが必要かと。里の者たちは彼をここに置いておくことに不安と不満を感じているようです」


深い息を吐いて天井を仰いだ。問題が次から次へと出てくる。ひと月休んだ後は神修に帰って土日でまた里に戻り宮司の仕事をこなそうと思っていたが、上手く回るのだろうか。


「それに……噂程度の話なのですが」


言いづらそうに目を逸らして口篭る権宮司に「何や、はっきり言え」と息を吐く。


「伊也が野狐落ちする直前まで、伊也と例の千歳狐がよく一緒にいるところを見かけたとか」

「……は?」

「二人が歩いていった方角から怪我をした子供が帰ってきた、とも。あくまで噂ですが」


キン、と耳鳴りがした。頭の奥がじんわりと鈍く痛い。胸がスっと冷える感覚がする。

ダンッと激しい音がして、傍にあった湯のみが倒れたのと、右拳がじんわりと鈍い痛みを発したことで自分が机を殴ったことに気付いた。

無言で立ち上がれば権宮司が焦ったように腰を浮かせた。


「あいつは今どこや」

「どうなさるつもりですか……!」

「噂かホンマか、俺が判断する」


俺の腕を掴む権宮司の手を振り払った。


うんざりだ。もう何もかも。

野狐に落ちた伊也も責任だ何だ言って宮司を降りたオヤジも泣いてばかりのお袋も。あれほど面倒を見てもらっていたのにころっと態度を変えた神職たちも俺にへばりついて監視してくる権宮司も。親に言われて俺と目を合わさない友人たちも戸惑うように俺から距離を置く里の子供らも。

なのになぜ俺はアイツらのために里を守らなければならないんだろう。里のために自分の時間を削らなければならないんだろう。

俺になんの利点がある? 俺に何が返ってくる?

伊也が野狐になんかならなければ、お袋が伊也を赤目で産んでさえいなければ、オヤジとお袋が結婚なんてしなければ。

普段ならそんな馬鹿げたことなんて考えるはずがないのに、疲れた頭は心の底にある小さな呪を焚き付ける。

目頭を押えた。暗い瞼の奥で目が回る。上手く頭が回らない。

ぐるぐると考えているうちに、あいつが寝泊まりしている離れについた。


「……おい」


こんなにも呪が燻った声は自分でもこれまでに聞いたことがない。


「どうぞ」


数ヶ月前に比べると随分滑らかになった日本語が返事が返ってきた。

そんなつもりはなかったが、開けた障子は縁に当たってタンッと音を立てた。それに驚いたのか中にいたそいつは僅かに目を見開いた。俺と視線が合えば、ほんの少し目を細めた。


「信乃」


親しみの籠った声色に苛立ちさえ覚える。

自分の感情をコントロール出来ない。疲れた、眠りたい、何もかも投げ出したい。

大股で歩み寄る。伸ばした手はそいつの襟元を掴んだ。


「お前、里の子供に怪我させたんか」


そいつは何も言わずに俺をじっと見ている。


「伊也とつるんで何か企んどったんか。お前のこと助け出した信田妻の恩を仇で返すんか。なんで黙っとるんや答えろよッ!!」


俺を見上げる目が、俺を責めているように思えて唇を噛んだ。

それを振り払うように勢いよく胸ぐらを揺する。少しも抵抗しようとしないそいつに苦り切った。


「言えない」


そいつはぽつりとそう呟いた。


「言えんちゅうんはやましいことがあるって言うてんのと同じなんやぞ!?」

「でも、言えない」

「言えッ! 頭領命令や言えッ!」

「言えない」


この……ッ!と言葉を詰まらせたと同時に自分が拳を振り上げていたのに気付いた。そいつは眉を寄せて身を固める。

振り上げた拳は宙で止まった。やり切れない怒りが拳の中でぶるぶると震える。


「クソったれ……ッ!」


そう吐いた言葉はそいつにも自分にも当てはまった。

胸ぐらを勢いよく離した。そいつは尻もちをついて畳の上に座り込む。その瞳に自分を映されるのが嫌ですぐに背を向けた。


「お前、うちの里から追い出されるかもしらんのやぞ。それでも弁解せんか」


返ってきたのは頑なな返事だった。

もうこれ以上こいつに構う義理もない。元はと言えばオヤジが連れてきた赤の他人なのだから。


「……勝手にせぇ」

「信乃」


部屋を出ようとした直前に背後から名前を呼ばれた。背を向けたまま足だけ止める。


「信乃、大丈夫?」


カッと目の奥が熱くなって、奥歯を噛み締めた。

なんで。俺はあんなに呪を込めた声でこいつを問いつめたのに。しまいには見放して、どうにでもなれとまで思ったのに。

なんでこいつはそんなに暖かい声で、俺の名前を呼ぶんや。

腹が立つのは心に広がる虚しさがそうさせているみたいだった。




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