言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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はぐれ者同士

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「────嘘やろ、あいつ日本語すら喋れんの!?」


次の日。今日は友人達と川上でサワガニをとる約束をしていたので、靴を履き替え出かけようとしていたところでオヤジに捕まった。

有無を言わさずオヤジの部屋に引きずり込まれて今に至る。


「千歳狐は念話ができる妖やから、言語は必要ないんや。でもこの里で暮らしていくなら、学んどかなアカンやろ」

「でも何でその指南役が俺やねん! 権禰宜とか巫女助勤とか……手空いてる暇な奴に任せぇや!」

「今一番暇なんはお前やろが」


別に俺だって暇なわけじゃない。

夏休みの宿題だってあるし、終日ガキどもが「信乃ちゃんあそぼ~」「信乃にぃ遊んで~」と押しかけてくる。オヤジだって雑用はすぐ俺に押付けてくるくせに、暇だと思われているのは心外だ。


「とにかく今日からお前はあいつに言葉を教えたれ。ほんで、里の子供らとも仲良くなれるように手引きしたり」

「いやいやいや、急に暴れ出すような奴と誰がつるみたがるん」

「次期頭領ともあろうお前が何を言いよるか!」


せっかく痛みが引いたたんこぶをまた殴られた。脳天を抑えながらクソォ、とオヤジを睨みつける。


「ええか信乃、頭領いうんは……」

「"全ての生き物を平等に導く存在"やろ! 耳タコやっちゅーの!」


大きなため息をついて立ち上がった。


あの千歳狐は昨日と同じ離れで寝泊まりしているらしい。

朝餉まだやから持って行ったり、着替えもないからお前の貸したれ、と色々渡されてこれまた大きなため息を吐く。

部屋の前についた。手が塞がっていて襖が開けれない。


「おーい、千歳狐。開けてくれ」


外からそう呼びかける。反応はない。無視するたァええ度胸やないけ、と頬をひきつらせたところで言葉が通じない相手だった事を思い出す。


「あー……せやったわ」


仕方なくつま先で襖を開ける。部屋の奥から風が吹いた。

奴は円窓のそばに立っていた。朝日を顔いっぱいに浴びて、汚れの知らない白髪が眩しいくらいに輝いている。窓枠に降り立った雀に鼻を寄せて嬉しそうに頬を崩していた。


「おい千歳狐、飯」


いつまでもこちらに気が付かないので背後まで近付いて声をかけた。弾けるように振り向いた千歳狐は目を見開いて俺を見るとすっ転びながら後ろへ下がった。


「あー……俺は味方や、味方。分かるか? みーかーたー」


ああそうや、日本語通じへんねんやった。

ふはぁ、とため息を吐いく。

千歳狐は部屋の隅で体を丸めてじっと息を潜めている。今回はオヤジの呪印を もちゃんと効果を発揮しているらしく、いきなり怪し火が鳩尾に入ってくることはなかった。


「ほれ。俺、お前、イジメナイ」


自分と千歳狐を指さした後握手するジェスチャーをして見せた。


「友達。フレンドやフレンド、オーケー?」


日本語が通じないのに英語が通じる訳がない。

千歳狐は目を見開いたままじっと俺を見ている。何だか恥ずかしくなってきた。長い耐久戦になりそやな、とその場に腰を下ろしてふと気が付く。

コイツ、逃げたり暴れたりするつもりはないんやな。

千歳狐はさっきからずっと同じ場所で固まっている。普通なら急に見知らぬ所へ連れてこられたら周りが全員敵に見えるはずなのに。

傍には布団もあるし朝飯の膳もある。俺に向かって投げつければ、 逃げたり反撃したりする隙なんていくらでも作れるはずだ。

試しに手を差し出した。僅かに身を固くしたがやはり動かない。ただじっと驚きと困惑の表情で俺を伺っている。


もしかしてこいつ……。


伸ばした手でそのままそいつの二の腕を掴んた。ハッと息を飲む声が聞こえた。


「もしかしてお前……自分のことが怖いんか?」


目を覗き込む。酷く怯えた瞳だった。


「自分の力が、怖いんか?」


もしかして昨日もそうだったのか?

俺に脅えているように見えたけれど、本当は自分自身に怯えていたのだとしたら。自分の力で人を傷付けることに怯えていたのだとしたら。

千歳狐の手首を握った。


目を丸くして逃げようと手を引く千歳狐に、負けじとこちらも力を入れた。てこでも動かないつもりらしい。

たく、世話がやけるやつやな。

ガシガシと後頭部をかいて、両手で千歳狐の着物の襟を掴むと勢いよく自分の方へ引き寄せた。仕舞っていた耳を立ち上げて、耳の裏をそいつの頬に擦り付ける。

妖狐族が家族や親しい友人にする仕草だ。里の子供らにはよくそうやって頭を擦り付けられるけれど、自分からしたのは何年ぶりだろうか。

ぐりぐりと押し付けたあと顔を離すと、千歳狐はぽかんとした表情で俺を見あげていた。


「お前の身体には呪印が刻まれとるから、もう間違って誰かを傷付けることはない。だから安心せぇ……ちゅーても分からんか」


未だに間抜けな顔で俺を見上げるそいつ。


「大丈夫。もう大丈夫やから」


千歳狐の手を握ってそう繰り返す。次第に強ばっていた体の力が抜けていくのが目に見えてわかった。


「だい……じょ」

「おう。ダイジョーブや」

「だい、じょうぶ」

「大丈夫、大丈夫」


そいつが確かめるように柔く俺の手を握ったから、応えるように握り返した。




あの日を境に、千歳狐はやたら怯えることはなくなった。毎日大人しく部屋で過ごしている。俺は毎日朝飯が終わってから一時間ほどあいつに言葉を教えている。

地頭はいいようなので、三日も経てば簡単な挨拶や俺の名前は直ぐに覚えた。相変わらずあいつは無口だし表情も乏しいけれど、今では簡単な意思疎通はできるようになった。

教科書代わりに社の文殿から持ってきた桃太郎を朗読するそいつの横顔を見ながら、頬杖をついた。


「なぁ、そういえばお前名前とかないん」


そいつは不思議そうな顔で俺を見た。名前の意味がわからないらしい。


「名前やナマエ。ほら……俺、信乃。お前は?」


自分を指さし信乃と名乗って、そいつを指さし首を傾げる。身振り手振りで何となく察しがついたのか、そいつは小さく首を振った。


「いいえ」

「いいえって……名前ないってことか?」


こくんと頷く。


「空狐、ない」

「あー、なんか親元で修行するんやっけ。ほな修行期間明けるまでは名前ないんか」


もう一度頷く。


「信田妻の里は生まれた時から名前つけるんや。ここで過ごすならないと不便やぞ」


視線を絵本に落としたそいつ。何かを考えるように黙り込む。落ち込ませてしまったんだろうか、とすこしどきりとした。


「なまえ……信乃、ください」

「は? お前俺とおんなじ名前がいいん?」


今度は小さく首を振った。

俺はうん?と首を捻る。


「信乃に、ください……?」

「いや俺は名前あるし」

「信乃へ、ください」

「何言うとんねん」


何かを必死に伝えようと身を乗り出した。


「信乃が、ください」


だから俺にはもう名前あるからいらんのや、そう答えようとしてひとつの可能性に気付き「あ」と声を漏らした。

もしかしてこいつ。


「俺に、名前を付けろと?」


言葉の意味は分かっていないようだがニュアンスで理解したらしい。小さく頷いて俺を見た。


「お前なぁ……名付けの意味分かってんのか? 名前いうんは短い呪や。相手の一生を縛るものなんやぞ」


困ったように眉を寄せて俺を見る。思わず天を仰いだ。


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