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奉納祭

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進むにつれ、膝をつきたくなるような重圧を両肩に感じた。圧倒的存在の前に気圧される感覚と似ている。これは以前にも経験したことがある。瓏くんが千歳狐に変化へんげしたときだ。

歯を食いしばりながら進む。顔中に激しい熱を感じる。鎮火祝詞の奏上が少し前から間に合わなくなってきた。


「おいお前! あの千歳狐を見つけたとして、お前はあいつの体に呪印を入れることができるのか!?」


恵衣くんが叫ぶように尋ねた。


「正直方法は知ってるって程度やッ! 毎回入れ直す時は頭領がやってたし、前も禄輪禰宜がやってくれた。俺がやって成功するとは思えんけど、それ以外に方法ないやろ!」


ち、と舌打ちの音が聞こえる。でもそれ以上は何も言い返さないので、恵衣くんもそれ以外方法がないと判断したらしい。


「巫寿ちゃんの鼓舞の明で力を底上げしたら勝率上がるんじゃない!?」

「上がるかッ! 葛飾北斎の富嶽三十六景を手本なしに一発描きするんと同じくらいの難易度なんやぞッ!? ……でも一応頼む巫寿!」


意味は無いかもしれないけれど出来ることは何でもやっておくべきだ。

分かった、と叫んで答える。


草木が燃える白い煙の中に九つの青い火の玉がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。


「見つけた! おいこのド阿呆狐ッ! お前は一体何をやっとんねん……瓏!」



聖仁さんが鎮火祝詞を奏上する。それに合わせて瑞祥さんが手を打った。

凛とした高く伸びやかな瑞祥さんの声と、低く柔らかな聖仁さんの声。二人の声の音階が調和してひとつの歌を奏でるようだった。


早馳はやち風の神取り次ぎたまへ 早馳はやち風の神取り次ぎたまへ 早馳はやち風の神取り次ぎたまへッ!」


風神ノ祝詞、風を司る神の力を借りたい時に奏上する祝詞だ。

火が消えた途端、すかさず強い風が吹いた。煙を空に吹き飛ばす。一気に視界が晴れたその先に、白い背中を見つける。

木の上に佇むその背中に信乃くんが叫んだ。


「瓏ッ!」


泣きそうな声で名前を呼ぶ。白い背中が僅かに揺れた。黄金色の瞳がゆっくりとこちらを見据える。


「瓏、聞こえるか!? 一旦落ち着け! 森が燃えてる! 友達が逃げ惑ってる声が聞こえへんか!?」


能面のように感情を宿さない表情だ。


「瓏ッ、しっかりせぇ! 力に負けるな、自分がコントロールするんや!」


瓏くんは伏せた目をこちらに向けた。ほんの一瞬目が合って、無意識にヒュッと喉の奥が鳴る。

恐怖とは違うその感覚は、圧倒的な力を前にして竦む感覚と似ていた。金縛りにでもあったかのように指先すら動かせない。


九本の尾の先の怪し火が唸り声を上げて膨らんだ。


「まずい、暴走する……!」


鬼市くんが「隠れろ!」と怒鳴った。皆は頬をぶたれたようにハッと我に返って走り出す。そばにいた恵衣くんが私の手を引いた。傍にあった太い木の幹に押し付けられる。覆い被さるように恵衣くんが私に身を寄せた。


「瑞祥ッ……!」


身を切るような聖仁さんの叫び声が聞こえた次の瞬間、轟音と共に激しい熱が身体中の穴から伝わってくる。咄嗟に口元を袖で抑えた。鼻から入ってくる空気は喉を焼き、瞼を閉じていても目が熱い。

熱から逃れるように身じろげば、恵衣くんは痛いほど強く私を幹に押し付けて「動くなッ!」と怒鳴りつける。

返事どころか息も上手くできず、ただ体を縮こまらせて恵衣くんの影に隠れた。

炎が上がる音が止めば、木々が燃えて弾ける音の合間に誰かの叫び声が聞こえた。絶望と悲しみに染まった叫び声だった。


「瑞祥……! 目を覚まして瑞祥!!」


聖仁さんの声がする。今にも泣き出しそうに名前を呼んでいる。

心臓が嫌な音を立てた。

火の手が弱まったのを確認した恵衣くんが私の体を離した。勢いよく飛び出すと、木々が焦げた煙の奥で地面に倒れ込む影を見つける。

うつ伏せになって倒れ込んでいる。白衣の背中は先ほどの火炎で焼けたのか煤に塗れて大きく焼け焦げている。そこから見えた赤く爛れる肌に言葉を失った。一つに結い上げられた長く綺麗な髪も焼け落ちたのかまばらな長さで肩に流れる。意識を失った顔は青白い。


「ああそんなっ、なんで俺はまた……ッ!」


その傍に膝をつく聖仁さんは今にも泣き出しそうな顔で瑞祥さんの頬を摩る。

ハッと顔を上げると誰かを探すようなそぶりで辺りを見渡す。


「来光!? どこ!? 書宿の明で平癒のお札を書いてくれ! 来光ならできるだろ!?」


意識のない瑞祥さんを抱きかかえてそう叫ぶ。


「駄目だ聖仁さん、来光も逃げ遅れた!」


木陰から来光くんを担いだ泰紀くんが飛び出してきた。顔を真っ赤にして歯を食いしばる来光くんの目尻には大粒の涙が溢れる。白衣の右袖が焼け焦げて無くなっている。そして右頬から首、肩、そして右手の指先までが赤く爛れている。酷い火傷だった。


「この状態じゃ書宿の明は使えねぇよ!」

「そんな……頼む、頼むよ! 瑞祥が酷い火傷で意識がないんだ! 今すぐ治療しないと命に関わるんだよ……!」


泰紀くんは悲痛な面持ちで顔を顰める。


「せ、聖仁さん、すみません。書けません、利き手が燃えました……ッ」


絶え絶えにそういった来光くんに聖仁さんは悔しそうに唇を噛んだ。

他のみんなが木陰から出てきた。来光くんと瑞祥さん以外のみんなはぎりぎり炎から逃れることができたらしい。


「おいお前ら! 祓詞だ、次に平癒祝詞ッ!」


恵衣くんがそう叫び瑞祥さんの傍に膝をついた。

必死に瑞祥さんの頬を叩く聖仁さんに「あんたは落ち着け! しっかりしろ!」と怒鳴りつける。皆の柏手が揃った。

一足遅れた私も慌てて手を合わそうとして止める。


妖や幽霊からの攻撃を受けた際にできる怪我は霊障れいしょうと呼ばれ、普通の治療では治すことができない。傷口は呪いを受けている状態と同じだから、霊障を治すにはまず清め祓いをしてその後平癒祝詞を奏上する。

でも病気の治療と同じですぐに治る訳ではなく、繰り返しお祓い受けることで完治する。複数回に渡りお祓いが必要なのは、霊障を祓うには強い言祝ぎが必要だからだ。

つまりこの場で私がするべき事は祝詞に加勢することじゃない、皆の言祝ぎを底上げすることだ。

荒い息をと整えて姿勢を正す。両手を天高く差し出す。鼓舞の明、一番最初の型だ。

心の中で強く光をイメージした。私の鼓舞の明は光、皆の足元を照らし、傷を癒し、進むべき道を示すような強い光だ。

みんなの言霊が光の粒となって二人の体を覆い隠す。粒が火傷跡に触れると紫暗の靄がしゅわりと噴き出て宙に霧散した。霊障が祓えている証拠だ。

恵衣くんが一瞬顔を上げて目があうとわずかに頷いた。

おそらく鼓舞の明が皆助けになっているんだろう。しっかりと見つめ返して私も深く頷く。このまま祝詞が終わるまで舞い続ければ、少なくとも今よりかは二人の火傷も良くなるはずだ。

舞の型が全て終わった。

よし、もう一度頭から。

そう思って両手を天に差し出したその時、目の前の景色が余す事なく青に染まった。



声を上げようと口を開けば喉が一瞬で焼かれた。ひりつく痛みに呼吸が止まる。

瞼の向こう側から押さえつけられるような圧力を感じ、やがて全身の神経が激しい熱を伝えてきた。なすすべなくその場に崩れ落ちた。全身の皮膚に刺すような強烈な痛みを感じ転げ回る。

そこまでほんの数秒の出来事だった。

そこ知れない恐怖が身体中を駆け巡り、遠くなる意識の直線で皆の絶望に染まった悲鳴を聞いた気がした。






自分の悲鳴で我に返った。肩で息をしながら呆然と自分の手を見下ろす。悪い夢を見て起きた時のように冷たく白くなっている。


「おわっ!? なんだ巫寿どした!?」


隣にいた瑞祥さんが飛び跳ねて驚いた。

ハッと瑞祥さんを見上げる。驚きと困惑と、私を心配する不安げな表情を浮かべている。怪我もないし火傷もない。いつも通り溌剌とした瞳で私を見ている。

次の瞬間、目の奥がカッと熱くなって瞬く間に涙が溢れた。


「うおおお!? おいおい、本当にどうした!?」


慌てた瑞祥さんが咄嗟に私を抱きしめた。確かな温もりと心臓の音を感じる。

瑞祥さんは生きてる。怪我もない。

実感すると同時に張り詰めていた物が切れて壊れたダムのように涙が出た。

異変に気がついたのか聖仁さん達がなんだなんだとわらわら集まってきた。


「い、今はこっちくんなー!」


私の泣き顔が見えないように頭を抱き寄せた瑞祥さんがそう叫ぶ。ごめんなさい、と呟いた声は掠れて届かない。


「やーい、瑞祥が巫寿ちゃん泣かせた」

「うるせぇバカ聖仁! 男どもはどっか行ってろ!」


威嚇する瑞祥さんに「すみません」と咄嗟に謝って袖で顔を拭った。胸の中から抜け出すと、私の両肩に手を置いて不安そうに顔を覗き込む。

泣いている場合じゃない。

今見た光景は間違いなく、先見の明でみたこれから起こる未来の出来事。だったら私がするべきことはひとつ、悪い未来を変えること。


「おい、どうした」


恵衣くんが眉間に皺を寄せ一歩前に出た。


「みんなが危ないの、瓏くんを探さなきゃ……ッ!」


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