言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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雨と傘と

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「あれ、瓏のやつ寝坊?」


朝拝に向かいながら、今朝から一度も姿を見かけない瓏くんをきょろきょろと探す慶賀くん。

確かにいつも朝拝の少し前には教室にいるのに今日はまだ来てない。


「あいつは昼まで別件で、夜明け頃から出かけとる」

「何あいつ副業でもしてんの?」

「な訳あるか」

「知ってるなら教えろよ信乃~」


苦笑いを浮かべた信乃くんは「瓏が話してないなら俺からは言わん」と慶賀くんに手刀を落とす。


なにか事情でもあるんだろうか?

思えば土日に遊びに誘っても断られてばかりだし、朝早くから出かけて夜遅くに帰ってきているようだった。


「女か!? まさか女なのか!?」

「さぁ。どうなんやろな」

「クソォ! 女だったら絶対に許さないぞ瓏のやつ! 抜け駆けしやがって!!」


まねきの社へ続く階段を一気に駆け下りた慶賀くんが真ん中辺りで「彼女欲しいー!!」と叫ぶ。

上から見ていた私達はそんな背中にケラケラ笑った。

そして次の瞬間、案の定般若の顔をした巫女頭が社務所から飛び出してくるのが見えた。物凄い勢いで階段を駆け上がってきた巫女頭は慶賀くんの襟首を摘むとずるずると引っ張って行く。


「お、おい。連れていかれたで?」


焦った信乃くんが指を指した。


「今に始まったことじゃないからほっとけ」

「馬鹿だよねぇ」

「もはや風物詩でしょ」


隣の鬼市くんが「可哀想な奴だな」と呟いて堪えきれずに吹き出した。

「彼女欲しい」と切実な思いを叫んだだけなのに、結局慶賀くんは朝拝が終わるまでの間後ろで立たされるらしい。巫女頭に睨まれながら直立不動を強いられている姿にみんなでクスクスと笑う。

可哀想だけど罰則にならなかっただけマシだろう。

祓詞の奏上から始まり、いつもと代わり映えしない朝拝が着々と進んでいく。


「次に、今年の神話舞に参加する学生を紹介します。名前を呼ばれた学生は前に来るように」


禰宜のそんな言葉にハッとする。

そういえば去年もこの時期に神話舞に参加する学生として朝拝で紹介された。

訳が分からないまま舞台に上がってそれでは意気込みをのどうぞと言われ頭が真っ白になって訳が分からないことを言った気がする。

すっかり忘れていた。今年もまたおかしな事を言うことになるかもしれない。


「まず楽人がくじんの部からは高等部三年生の────」


早速紹介が始まった。

私や聖仁さん達みたいに舞を奉納する舞手まいての部と同様に、雅楽器を用いて神話舞の音楽を奉納する楽人の部もたまに学生の中から選ばれることがあると前に教えてもらった。

舞よりも雅楽器を先行する人が多い分、学生から選ばれるのことは滅多にないらしい。

去年はいなかったようだけれど、今年は何人か選ばれたようだ。

って感心してる場合じゃない。舞台の上で何を言うか考えないと。

必死に頭をめぐらせていると「おい、邪魔」と頭の上から冷たい声が降ってくる。

顔を上げれば席の細い通路を縫って歩いてきたらしい恵衣くんが面倒くさそうに私を見下ろしていた。


「恵衣くん? どうしたの?」

「だから邪魔。足どけろ」


え?と目を瞬かせたその時。


「高等部二年、龍笛りゅうてき部門、京極恵衣」


権宮司によって恵衣くんのなまえが読み上げられる。

私の前をすり抜けて舞台へ歩いていく恵衣くんの背中をぽかんと見送る。


「すげぇよな恵衣の奴」


隣に座っていた泰紀くんがそう呟いた。


「泰紀くん知ってたの?」

「知ってたっていうか、選ばれるだろうなって思ってた感じ? 去年の龍笛のテストで評価が嘉正より低かったらしくて、それからアイツ気持ち悪いくらい練習してたんだよ」


俺隣の部屋だから聞こえてくんだよな、と泰紀くんが肩をすくめる。

クラスで一二を争うのが嘉正くんと恵衣くんだから、テストでは二番の成績だったんだろう。

私ならきっとそれで満足しちゃうだろうけれど、恵衣はそこから更に努力したんだ。


舞台に進む恵衣くんの背中に皆が応援や尊敬の拍手を送る。


「続いて舞手の部から。高等部三年、榊聖仁」


聖仁さんの名前が呼ばれた。間を置かずに私の名前も読み上げられる。

最悪だ、と思いながら立ち上がる。

立ち上がったその瞬間、突き刺さるような視線を身体中に感じた。喉が渇いた時のようにひりつく感じがして、その視線が私を歓迎していないことを物語った。

最近は神話舞や誉さんとの稽古で忙しく神楽部の活動にも参加していなかったし、異文化理解学習が始まってからはみんなの関心もそちらに向いていた。

露骨な態度を取られることはかなり減ったと思っていたけど、やはりまだ噂は消えないらしい。

嫌な動悸がする。落ち着けるように息を吐いた。

明らかに数が減ったパラパラとした拍手を受けながら舞台へ進む。


「どうせまたズルでもしたんだろ」

「男たらしなんでしょ? 禰宜におねだりでもしたんじゃない?」

「信じらんない」


静かな室内ではひそめられた声もよく拾う。

唇を噛み締める。顔を上げていられなくなって俯いたその時、視線の先にすっと足が差し出された。

目を見開く。避けるよりも先に自分の体が進んで、その足に躓いた。バタンと音を立ててその場に膝を着いた。幸いなことにちゃんと前に手が出て、派手に転ぶことはなかった。

恐る恐る顔を上げた。中等部の男の子と目が合う。 悪意に満ちた目ではなく、むしろ正義感に満ちた目で私を見下ろす。


乾いた空気にくすくすと誰かの笑い声が振動する。

床に着いた手と膝にじんわりと痛みが広がっていく。

これまで無視されたり嫌味を影から言われることはあったけれど、直接こうして悪意をぶつけられることは無かった。

驚きと困惑と、それを上回る悲しさに唇が震えた。


恥ずかしい、逃げ出したい。

私はそんなに悪いことをしたんだろうか。

悔しい、腹が立つ。

どうしてこんなに悪意に晒されなければいけないんだろう。


床の上で手を握りしめた。その時。




「惨めったらしくうつむくのはやめろ」




顔の前にすっと手が差し出された。

顔を上げる。目が合った。私を見下ろすいつも通りの冷静な目だ。


「恵衣、くん……」

「さっさと立て」


手を取るよりも先に掴まれた。引っ張られるように立ち上がる。

手を離した恵衣くんはスタスタと舞台に戻っていく。つられるように足が前に進んだ。その背中を追いかけているうちに舞台の隅にたどり着く。

しれっと列に交じった恵衣くんの隣に並ぶ。みんなの視線が痛いほどに突き刺さり、また頭がスルスルと下を向く。その時。


「やましい事がないなら胸張ってろ」


前を向いたまま恵衣くんが小さくつぶやく。

その瞬間、無性に泣きたくなった。

恵衣くんはムスッとした顔で「見てるこっちがイライラする」と付け足す。泣きそうだったはずなのに、思わずぷっと吹き出した。

どうしてこの人は、そんな言い方しか出来ないんだろう。

でもそのおかげで、前を向けそうな気がする。


息を吐いて前を見る。心臓がばくばくとうるさい。

相変わらず私に向けられる視線は厳しく、身体中に突き刺さるような心地だった。


掴まれた右の手首に残る熱を背中の後ろで確かめる。

そうすると向けられた敵意も少しは怖くなくなる気がした。




結局時間が押していたこともあり挨拶は代表して聖仁さんだけが行うことになった。

一限目が始まる予鈴がなったことでバタバタと朝拝は終了する。

ゾロゾロと皆が出口へ進む中で、嘉正くんたちが流れに逆らって舞台まで進んでくるのが見えた。


「巫寿!」


一番に駆け付けたのは鬼市くんだった。


「大丈夫か、どこも怪我してないか?」


険しい顔で詰め寄る鬼市くんに「大丈夫だよ」と苦笑いを浮べる。心配してくれるのは有難いけど転んだだけだしちょっと大袈裟だ。

その時、「おらっ、自分で歩け!」と怒ったような声と共に、出口へ向かう生徒らの隙間から皆が現れた。

泰紀くんと慶賀くんが誰かの腕を引っ張るように掴んで出てくる。二人に挟まれて連れてこられたのは先程私に足をひっかけた中等部の男の子だった。

二人の手から逃げようと暴れる彼と目が合った。一瞬とても気まずそうな顔をした彼は、思い出したようにキッと私を睨んでもっと激しく暴れ出す。


「この野郎ッ、さっさと巫寿に謝れ!」

「中坊にもなってやっていい事と悪いことの区別もできねぇのか!?」

「うるさい! 慶賀くん達にはカンケーねぇだろ!」


泰紀くんがゴンッと彼の脳天に拳骨を落とした。

呻き声を上げた男の子は酷く顔を顰めると二人の腕を振り切って逃げ出した。


「あんにゃろッ……!」


慶賀くんが追いかけようとしたのを慌てて止めた。

そこまで謝罪を求めているわけじゃないし、これ以上ことを大きくしたくない。それにさっきから、興味津々にこちらを眺めているたくさんの学生の視線が痛い。

でも、と不満げながらも足を止めた慶賀くんと泰紀くんにお礼を伝える。


「……追いかけても、意味ないよ」


落ち着いたそんな声が聞こえたかと思うと、信乃くんが「おわっ」と驚いた声を上げた。


「ろ、瓏! お前戻っとったんか!」

「ん……思いのほか早く片付いたから」


いつの間にか信乃くんの隣に立っていた瓏くん。

さっき「意味がない」と言ったのは瓏くんだったらしい。

突然現れた瓏くんにも驚いたけれど、それ以上に普段一切自分から話の輪に入って来ない瓏くんが喋りかけてきたことの方が驚きだった。


「意味がないってどういう事だ? 意味ならあるだろ。悪いことをしたら謝るのが道理ってもんだ」


泰紀くんのそんな問い掛けに瓏くんは静かに首を振った。


「……今の子、悪いことしたって自覚ないよ。謝らせても、余計に悪化する。だから意味ない」


泰紀くんと慶賀くんが顔を見合せた。ガシガシと頭を搔くと深く息を吐く。確かに、と呟く。


「ああいうの、何言っても意味ないから」


目を伏せた瓏くん。信乃くんは励ますようにその肩を叩いた。



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