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噂と視線
肆
しおりを挟むゴールデンウィークの初日。
いちばん早い早朝の便の車で神修を発った。そのおかげで私以外に乗っている学生はおらず少しだけ安心した。
窓の外をぼーっと眺める。
あれだけ自分から「神修で勉強したい」とお兄ちゃんや禄輪さんに訴えたくせに、今はあの場所から離れられるのが嬉しいなんて。
沢山心配するメッセージをトークアプリに送ってくれていた嘉正くんたちには、実家に帰省することだけを伝えた。
ゴールデンウィーク中にみんなでピクニックに行こうと話していたけれど、皆は快く送り出してくれた。変に気を遣わずに「お土産よろしく~」「帰ってくる時にモックのチーズバーガーセット買ってきて!」といつも通りの返事が来て、それがいくらか心を軽くした。
気脈をでて鬼門を抜けると、「おかえり」と声をかけられた。顔を上げるとお兄ちゃんが嬉しそうに手を上げる。
目を丸くした。
「お兄ちゃん……迎えに来なくていいって言ったのに」
「寂しいこと言うなよ~。お兄ちゃんは毎日、巫寿に会いたくて会いたくて震えてるんだぞ」
うぇーん、と泣き真似をしたお兄ちゃん。
「なにそれ」
ふふ、と笑みがこぼれる。久しぶりに自然に笑った気がした。
「さ、帰るかぁ。晩ご飯は玉じい特製のスペアリブだぞ」
「本当? 嬉しい。玉じいのスペアリブ大好き」
「そーかそーか」
お兄ちゃんは私から荷物を取り上げると、ぐりぐりと頭を撫でた。
初日は何かをする訳でもなく、帰り道にスーパーでお兄ちゃんと買い物をして、アイスをかじりながら帰って玉じいと晩ご飯を食べた。
その次の日は恵理ちゃんが遊びに来てくれた。わざわざ所属するバトミントン部の活動が終わってから顔を出してくれた。
「イコくん私カルピスの牛乳割りがいい~」とわが家のようにくつろぐ姿に笑ってしまう。恵理ちゃんは昔からそうだった。
暫くはお兄ちゃんと三人で談笑していたけれど、お兄ちゃんに電話がかかってきて本庁から仕事を割り振られたらしく「家族団欒を邪魔しやがってクソジジイどもめ」と鬼の形相で出かけて行った。
依頼先じゃなくて本庁の庁舎に乗り込みに行きそうな勢いだったので少し心配だった。
相変わらずだね、なんて談笑していると、恵理ちゃんは少し間をおいて真剣な顔をした。
「あのさ、巫寿」
「うん?」
「何かあった……?」
思いもしなかった言葉に目を瞬かせた。恵理ちゃんは心配そうにきゅっと眉根を寄せて言葉を続けた。
「その……最近電話もしてなかったしメッセージも返してくれるのちょっと遅かったでしょ? 学校大変なのかなって思ってたんだけど、泰紀くんから"元気づけてやって"って連絡が来て……」
泰紀くんのその言葉に、いつも通りに接してくれていた皆にもかなり心配をかけていたんだと思い知る。
そして皆がそれを表に出さずにいてくれたおかげで、私は今まで何とか自分を保っていられたんだと。
「もちろん巫寿が話したくないなら話さなくていいよ。でも聞いてほしいこととか言いたいことがあるなら、なんでも聞くからね。巫寿のタイミングで話してくれていいから」
心から気遣ってくれているのが分かる。みんな、優しいな。沢山心配かけてたんだな。申し訳ないな。
じわりと涙が滲んで顔を歪め俯く。
「よしよし、たくさん泣け~! 巫寿は頑張ってる! えらいえらい!」
箱ティッシュを抱えて隣に座った恵理ちゃんは私の手を握る。その手の温もりに、もうしばらくは涙が止まりそうになかった。
「────そっかぁ……。そんな事が」
真剣な顔をして話を聞いていた恵理ちゃんが眉尻を提げてそう呟く。こくりと頷き差し出されたティッシュで鼻をかんだ。
恵理ちゃんに学校で起きていることを一通り話したおかげか、いっぱいいっぱいだった心が心が落ち着いた気がする。
「話してくれてありがとう」
「聞いてくれてありがとう」
お互いの感謝の言葉が被って顔を見合せた。そしてプッと吹き出す。
あはは、とお腹を抱えて笑いあった。
「にしても、難しい問題だね。そういうのって、"不正じゃない、自分の力で勝ち取ったんだ"ってアピールすればするほど皆は疑ってくるわけだし、何も言わなければ肯定してると受け取られるしさ」
妙に具体的に言った恵理ちゃんに「うん?」と首を傾げる。
「ああ。実は私も去年の夏休み頃に、大会の団体戦の出場枠に選ばれてさ。先生とか先輩とかと結構仲良かったから贔屓だとかコネだとか色々言われたんだよね~」
今日はいい天気だね、のテンションでそう言った恵理ちゃんに目を瞠る。
「聞いてないよ!」
「言ってないもん。それに私としては家の事でいっぱいいっぱいだったから」
去年の夏休みというと、恵理ちゃんは家で起きる怪奇現象に悩まされていた。
それで相談を受けた私たちが修祓に臨んだけれど失敗して、結果駆け付けた禄輪さんに助けて貰った。
相変わらずな性格の親友に額を押えて息を吐く。
「恵理ちゃんは、その時大丈夫だったの……?」
「まぁフル無視と陰湿な嫌がらせは食らったけど、実力見てせ黙らせたよ。金メダル取って帰ってきたら、コロッと態度変えてさ~。今は皆超仲良し」
さっぱりした性格だという事は昔からよく知っていたけれど、改めて親友の逞しさを思い知る。
前に恵理ちゃんの言祝ぎが高いと嘉正くんが言っていたけど、こういう性格もきっと関係しているんだろう。
「ていうか、私のことはいいから! 今は巫寿のことだよ!」
恵理ちゃんが私の両肩に手を乗せた。
「私は巫寿のいい所いっぱい知ってるし、きっと学校のみんなだって分かってるはずだよ。ただ今は噂に惑わされて、何を信じたらいいのか分からなくなってるんだよ」
恵理ちゃんは目を弓なりにすると、私の両手を握りしめて自分の額にあてた。
「絶対に大丈夫。親友の私が保証する。巫寿は優しくて可愛くて強くてすごい女の子だもん。巫寿が自分を見失わずいつも通りに過ごしていれば、皆きっとそれを思い出して元に戻れるよ」
「恵理ちゃん……」
名前を呼ぶ声が震える。
どうしよう、また泣きそうだ。
「辛くて苦しい時は、私の事を思い出してね。どんな時でも無条件に巫寿を支える最強の味方だから。地元に最強の味方がいるんだって思えば、何も怖くないでしょ?」
「……うん、そうだね。全然怖くないね」
思わず笑みがこぼれる。
でしょ、と恵理ちゃんが顔を上げた。
目尻の涙を拭おうとしたその瞬間「トウッ!」という掛け声とともに恵理ちゃんが私の首に手を回して飛び付いてきた。
支えきれずにそのまま後ろにひっくり返る。
「巫寿、大好きだよ!」
耳元で恵理ちゃんがそう言う。
「私の自慢の親友! 世界一可愛い女の子! 強くて優しい正義の味方!」
私を煽てる言葉を次々と並べていく恵理ちゃんに思わずプッと吹き出す。
大袈裟だよ、と肩をすくめると「私の親友をバカにするなー!」と脇腹を擽られて、声が枯れるまでゲラゲラ笑い続けた。
長いようで短かったゴールデンウィークの最終日、お兄ちゃんと恵理ちゃんが鬼門の前まで見送りに来てくれた。
「体には気を付けてな。嫌になったらすぐに学校辞めて帰ってきていいからな? お兄ちゃんは巫寿一人養うくらいどうって事ないからな? ああそうだ、その時は二人でスイスに山小屋を建てて暮らそうか! 山羊飼ってチーズとか作ろうか! おっきい木にブランコとかかけて、のんびり二人で暮らそうか!」
名案とばかりに手を打ったお兄ちゃんに苦笑いを浮べる。否定するともっと面倒くさそうなので、「考えとくね」と適当に濁した。
恵理ちゃんが両手で私の手を包み込む。
「いつでも電話してね。巫寿が私を必要とするならすぐにでも飛んでいくよ! グールルマップで調べながら!」
「流石に神修はグールルマップには出てこないかな」
二人してプッと吹き出す。そして別れを惜しむようにハグをした。
行ってらっしゃい、とふたりが私に手を振る。少し心配そうにこちらを見ている。それだけ沢山心配をかけたということだ。
元気に手を振って「行ってきます!」と応えた。
鬼門をくぐる。やがてふたりが見えなくなった。
正直、また辛くなってしまうかもしれない。けれど味方でいてくれる人、帰る場所があるということが背中を押してくれるような気がした。
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