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雛渡り

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事件が起きたのは昼休憩を挟んだ後、神楽殿でパート練習が始まって少しした頃だった。

バダンッと大きな音がして驚いた皆がピタリと動き止めた。音のした方へ視線をやると、床に手をついた瑞祥さんが座り込んでいる。


「いってー! 久しぶりに裾踏んだ!」


パッと顔を上げた瑞祥さんはケラケラ笑って恥ずかしそうに頬を掻く。


「おいおいついに瑞祥が転けたぞ!」

「おっ、だったら今年の賭けは俺の勝ちだな!」

「しっかりしろよ瑞祥~!」


五人囃子の神職さまたちがゲラゲラ笑いながらそう声をかける。


「アハハッ、私を賭けの対象にするなよな~」


なんだ、瑞祥さんでも裾を踏んで転ぶことはあるんだ。

和やかな雰囲気に頬を緩ませたその時、ちょうど宮司に呼ばれて社務所へ戻っていた聖仁さんが戻ってきた。

笑う私たちに目を瞬かせる。


「何かあったの? 楽しそうだね」

「お、聖仁! いやそれがさぁ、ついに瑞祥が────」


神職さまが言い切るよりも先に、聖仁さんが動き出した。座り込む瑞祥さんに血相を変えて一目散にかけよるとその両肩を支える。


「瑞祥!? 何があったの!」

「落ち着けって聖仁、裾踏んで転けただけだよ」


笑いながらその手を押しのけようとするけれど、聖仁さんは離さなかった。


「裾踏んだって、ここ数年そんな事なかったろ! どこか痛めてたり具合が悪いのを隠してるんじゃないよね……!?」

「はぁ? そんなんじゃないってって!」

「じゃあ一度巫女頭に何ともないか診てもらいに行こう!」


瑞祥さんを担ごうと手を伸ばした聖仁さん。やめろって!と少し苛立った声とともに、手が弾かれる乾いた音がした。


「転けただけって言ってんだろ! しつこいぞ聖仁!」

「怪我してても隠して悪化させるし、病気になっても隠して倒れるまで無茶する瑞祥が悪いんだろ!? あの時だって……!」

「それはッ……そうだけど! でも今回は本当に違うから!」

「違うなら本巫女に診てもらっても問題ないよね!」


当然始まった言い争いに皆が困惑する。いつも仲よく寄り添っている二人からは想像も出来ないほど激しい言い合いだった。

お前ら一旦落ち着けって、そう仲裁に入った一人が「うるせぇ!」と瑞祥さんに一喝されて胸を突き飛ばされ後ろにひっくり返った。ゴンッと痛々しい音がして暫くしても起き上がって来ず、慌てて私達が駆け寄る。

倒れた時に頭をぶつけたらしく半目で気を失っていた。


「大体、最近の聖仁何なんだよ! 何でもかんでも口出ししてきて、母さんかよ!」

「心配させる瑞祥が悪いんだろ! 俺は瑞祥のことを想って言ってるんだよ!」

「はぁ!? そんなん頼んでないし!」


隣で人が気絶しているのもお構いなしに言い争いを続けるふたり。

乱暴に頭をかいた瑞祥さんが勢いよく立ち上がった。

10分休憩する、と吐き捨てるとドスドス足音を立てて神楽殿を出ていく。追いかけようとした聖仁さんを神職さま達が引き止めた。


「今はそっとしとけ。時間になったら戻ってくるから」


何か言いたそうに口を開きかけて、しかし直ぐにぎゅっと結ぶ。

分かりました、と肩を落とした背中にどう声をかければいいのか分からなかった。



「────あ」

「あ……」


銭湯の靴箱でばったり顔を合わせお互いに声を上げた。

同じく湯上りの濡れた髪で肩にタオルをかけた聖仁さんが靴箱から雪駄を出している所だった。


「巫寿ちゃん、皆と銭湯行かなかったの?」

「あ、はい。衣装のお直しを頼んでたら遅くなっちゃって」


あの後の練習でも裾を踏みまくった私は縫い目がかなり緩んでしまい、衣装のお直しを頼みに行っていた。皆を待たせるのは忍びないので先に銭湯へ行ってもらったのだ。

「そっか」と聖仁さんが笑って沈黙が流れる。絶妙に気まずい。なんとも言えない沈黙のまま雪駄に履き替えて外に出た。

4月上旬の夜の空気はまだ肌寒いけれど、風呂上がりの火照った体には心地よい。


「ね、巫寿ちゃん。アイス食べる?」


ちょっと困ったふうに眉を下げて笑った聖仁さんは、ゆの字の暖簾がかかった入口横の自販機を指さした。

全力で遠慮したけれど「いいからいいから」と絆されてしまい結局いちご味のアイスを買ってもらった。


「あの、すみません……ありがとうございます」

「いいのいいの。たまには先輩風吹かさせてよ。それに昼間は迷惑かけちゃったしね」


同じくチョコ味のアイスを買った聖仁さんは苦笑いを浮かべながら一口かじった。

昼間の一件を思い出す。

あの後ちゃんと十分後には帰ってきた瑞祥さん。すかさず聖仁さんが話しかけに行ったけれど、ツンと顔を背けて一切耳を貸さなかった。

直ぐに練習が再開して何度か通し稽古が行われた。もちろん二人の舞は完璧だったけれど、それ以外の部分が最悪だった。

『どこにそんな仲の悪いお内裏さまとお雛さまがいるんですかッ!』

喧嘩が尾を引いているせいで一切目も合わせず不機嫌さを丸出しにしていた二人に、総指揮を務める巫女頭が眉を釣りあげてそう叱りつけた。

叱られたあとは流石に反省したのか、不機嫌さはしまったけれどやはりいつも通りとは行かないらしい。

その小さな歪みがやがて舞にも影響し始めて、二人の息は稽古を重ねるごとに合わなくなっていった。

結局夜遅くまで稽古を続けて何とか巫女頭が納得のいく水準までは戻ったものの、二人の間を流れる空気は変わらず気まずいままだった。


「あの、正直びっくりしました。お二人が喧嘩するところなんて初めて見たので」


話題を変えても変な気がして恐る恐るそう口を開く。目を瞬かせた聖仁さんはけらけらと笑った。


「そりゃ後輩が見てる前で喧嘩なんてしないよ。見てないところではしょっちゅう喧嘩してるけどね。勝手にアイス食べたとか食べてないとか、しょうもない事で」


そうだったんだ。

学校内で見る聖仁さんと瑞祥さんは何でも分かりあっている唯一無二の相棒、みたいなイメージが強い。

私生活でもそんな感じなのかと思っていたけれど、ちゃんと普通に喧嘩していたんだな。


「まあ今回みたいに尾が引く喧嘩は滅多にないけどね」


力なく笑うと息を吐いて空を見上げた。


「本当は分かってる。俺が悪いんだ。瑞祥の言う通りだよ。最近ちょっとやり過ぎなのも自覚してるんだ」


真っ直ぐ前を見つめたままアイスをかじる横顔を見た。

とても優しい顔だ。聖仁さんはたまにこんな表情を浮かべている。その先にいるのはいつも瑞祥さんだった。

聖仁さんが過保護な理由は何となく分かる。二学期に瑞祥さんが倒れたことが原因なんだろう。

次々に学生が倒れていき、神職の命でもある声が出なくなった。命の危険にさらされた状態だった。

そんな状況でただ祈ることしか出来ない自分がどれだけ歯がゆかっただろうか。

瑞祥さんが帰ってきた日、反橋の下できつく抱きしめていた背中を見て、聖仁さんにとって瑞祥さんがどれほどの存在なのかを知った。

それを知っているからこそ、無理をして欲しくないという思いや過剰に心配してしまう気持ちが痛いほどに分かる。


「伝わんないよね、人の気持ちって。こんなに態度で示してるのに」

「……え?」

「あれ、巫寿ちゃん気付いてるんじゃなかったの? 俺が瑞祥の事好きって」


三度ほど瞬きをして言葉の意味を理解したと同時に「ええ!?」と激しく動揺した。

なんともない顔をしてアイスを頬張りながら、とんでもない爆弾を落とした事に聖仁さんは気付いているんだろうか。


「だって三学期の辺りから、すっごいにやにやを堪えた顔で俺らのこと見てるんだもん。流石に"ああ、見守られてるんだな"って思うよね」

「やっ、あの! それはその────すみません……」


もう何を言えばいいのか分からず謝罪すれば聖仁さんはおかしそうに声を上げた。


「いいよ。別に隠すつもりもないから」

「ないっ……んですか?」


うん、とまたアイスをかじる。

あまりのあっけらかんとした態度に何だか私の方が恥ずかしくなってきた。

ふぅ、と息を吐いて暴れる心臓を落ち着ける。


「その……瑞祥さんに言葉では伝えないんですか……?」


横目でそっと見上げれば、聖仁さんはまた空を見上げて首を捻った。


「んー……どうかな。多分言わないと思う」


意外な返答に目を瞬かせた。


「だってさ、俺たちの言葉って口にしたら言葉通りになっちゃうでしょ。もちろん好きな女の子に振り向いてもらうために言霊の力なんて使わないけど、多かれ少なかれ言霊と力は宿っちゃうものじゃない? 大切だからこそ、言葉で縛りたくない。だったら、瑞祥が自ら振り向いてくれるまで態度で示したいかなって」


恥ずかしそうにはにかんだ聖仁さんに、胸がいっぱいになって言葉が出てこなかった。

"大切だからこそ言葉で縛りたくない"、その言葉が聖仁さんの想いを全て物語っている。言葉が全てなこの界隈でそう断言できる聖仁さんがとても素敵だった。


「まぁ一生振り向いてもらえない可能性もあるんだけどね。なんせあの鈍感娘が相手だから」


はぁー、と息を吐いた聖仁さんに思わずふふっと笑う。

鈍感娘って。

確かに昨晩のガールズトークで、瑞祥さんは恋愛に疎くて慣れていないのは何となく分かったけれど。

けれどやっぱりこれから先、聖仁さんの隣を歩くのは瑞祥さんでいて欲しいし、瑞祥さんの手を引くのは聖仁さんであってほしい。

そう願ってしまう。


「とにかく今日は迷惑かけてごめんね。明日の本番までにはちゃんと話して元に戻るから」


最後の一口を齧った聖仁さん。いつの間にかお社の前まで戻ってきていた。


「じゃ、気をつけて部屋戻ってね。俺はここで」

「どこか行くんですか?」

「鈍感娘を迎えに。こういう時に決まって隠れてる場所があるから」


それじゃ、おやすみ。

軽く手を挙げた聖仁さんは小走りで夜の闇の中へ消えていく。

最後に見えた横顔はやはりうんと優しくて、明日の雛渡りはきっと大丈夫だろうと思った。



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