言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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春休みと禊

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「わぁ……本当に川がある」


白い着物に着替えた私は、禄輪さんから言われた通りに鎮守の森を少し歩くと小さな小川の前に出た。

さらさらと耳に心地よい水の音が聞こえ、自然と背筋が伸びる程度にほんのりと肌寒い。空気が澄み渡っている証拠だ。

そっと川を覗き込んだ。川底に積み重なった丸い石が水流で流されているのがよく見えた。その石の隙間から緑の草がゆらゆらと揺れて、小魚が優雅に間を通り抜ける。

鎮守の森の木々の隙間から差し込む光りが川面に集まり花緑青色に輝いていた。上流に近いからかとても水が透き通っている。

ちょんと指先を浸すとあまりの冷たさに全身がぶるりと震えた。


「冷た……!」


ひぃ、と苦笑いを浮べる。

この中に入るのか、とため息がつきたくなったけれどどれもこれも自分のため。よしと気合いを入れ直して川辺に雪駄を並べると左足からそっと中へ入った。

川はそんなに深くはなく、両足を浸けても膝下までしか水位がなかった。バシャバシャと水飛沫を上げながら真ん中まで進み、意を決してえいやっと座り込む。

正座をするとへそ下までしっかりと浸かって、やはり耐えきれずにぶるりと震える。


「は、早く済ませて帰る……!」


そう言ってガチガチ音を立てる歯を食いしばると背筋を伸ばして深く息を吐いた。

えっと、確かまずは左肩から。

右手の手のひらで川の水をすくいあげ勢いよく左肩にかける。あまりの冷たさに一瞬怯んだけれど、勢いのまま同じ要領で右肩に水をかけた。

少し前に禄輪さんから「裏の川でみそぎをしてくるように」と言われた。川や海の水で体を洗い清めることで、神職は大きな神事がある前は必ず行っている儀式だ。

やり方は社によって色んなあるらしい。頭から思い切り水をかぶったり潜ったり、滝に打たれるのも禊の一種なんだとか。

水の威力が強ければ強いほど大きな清め祓いの効果を得ることができるらしいけれど、今回は川に浸かった状態で肩に水をかけるやり方でいいと言われたので遠慮なくそうさせてもらう。

滝に打たれてこいなんて言われていたらと思うと、それこそ身体中がぶるりと震えた。両肩に十回ずつ水をかけると、逃げるように川から上がった。

駆け足で社に戻れば社務所の前で禄輪さんが火を焚いていた。駆け寄るなりバスタオルを広げて肩にかけてくれる。

必死に包まりながら火に手をかざせば、禄輪さんは楽しそうに笑う。


「ハハハ、そんなに寒かったか」

「さ、寒いなんて次元じゃないです……!」


ガチガチ合わさる顎で何とかそう抗議すれば、禄輪さんはもっと愉快そうに笑う。


「これに懲りたら同じ過ちは犯さないこと、だな」

「二度としません……!」

「これまでで一番重みのあるな。これからはお前たちが何かやらかす度に滝行をさせようか」


冗談に聞こえない声色に頬を引き攣らせる。

また何かをやらかす予定はないけれど、やらかすなら出来ればそれは夏であって欲しいなんて心の中で思った。

私の体が温まった頃にはかなり日が傾き、鎮守の森の影が濃くなっていた。

持ってきた白衣はくえと白袴に着替えた私は禄輪さんの指示の元、本殿の祭壇を整えていく。

今から一体何が始まるんだろう。

祭壇の前に座るように促されて腰を下ろす。


「今から行うのは、巫寿の中の呪を言祝ぎに転じさせる幸魂さきたま修行だ」

「呪を言祝ぎに……? そんな事ができるんですか?」


禄輪さんはひとつ頷く。


「場合によってはできない者もいるが、生まれながらに言祝ぎを持ち合わせていればな。非常に簡単だ、誰でもできる。誰にでもできるが誰もやらない」


簡単に出来るのに誰もやらない?

なぞかけみたいな言い方に首を捻る。


「例えば粘土で猫を作ったとする。その後同じ粘土で蛇を作る場合、巫寿ならどうする」


妙な例え話にいっそう首を傾げるも、「いいから考えてみろ」と促され顎に手を当てた。

猫から犬なら耳としっぽの形を変えれば何とかなりそうだけれど猫から蛇となるとこう……一度ぐしゃっと潰してくるくる丸めてから作り直す方が早そうだ。


「この修行は今巫寿が頭の中で考えたことと同じ事が、体の中で起きるということだ」


数秒の沈黙の後、自分の顔から血の気が引いたのが分かった。

比喩表現ではあるのだろうけれど、私の体の中でぐしゃっと潰してくるくる丸める事が起きるの……?

想像しただけで全身が粟立つ。

私の青ざめた顔に禄輪さんは息を吐いた。


「呪を言祝ぎに転じるのはそう容易くない。だから神職たちは日々、言祝ぎを口にし身の回りを整え日に当たり、己の言祝ぎが減らないように心掛けるんだ」

「今からそれに気を付けて生活したら、何とかなりませんか……?」

「もちろんある程度は回復するが、巫寿は生まれ持った言祝ぎが多い分すっかり元通りになるには10年かかると思うぞ」


10年、途方もない時間に目眩がする。

禄輪さんは眉を寄せた。


「ここまで無理やり連れてきたのは私だが、やるかどうかを決めるのは巫寿だ。どうする?」


怖い、出来るならやりたくない。

でもこれが自分にとっては必要なことだと言うのは分かる。そうじゃなきゃ、禄輪さんが慌てて私をかむくらの社へ連れてきたりしないはずだ。

何よりも呪が言祝ぎよりも勝っている状態がどれほど危険なのかを知っている。口に出した何気ない言葉が周りの人に危害を加えることだってある。

そんなのは絶対に嫌だ。

顔を上げた。私を試すように見ている禄輪さんの目を真っ直ぐに見つめ返す。ふ、と微笑んだ禄輪さんはそれ以上何も言わず、ひとつ頷くと私の隣に座り直した。


「やり方を教えるから私に続いてやってみなさい。あとはひたすら反復だ。時が来るまで絶対に手をと 止めず続けること。いいな?」

「はい……!」


姿勢を正した禄輪さんは祭壇を仰いで二礼、次いで四拍手しまた一礼する。遅れを取らないように直ぐに同じように柏手を打ち、頭を下げた。

やることは簡単だと言っていたし、同じことを反復するだけだと言っていた。そう難しいことではないのだろうけど、これから体の中でどんな事が起きるのかが分からずすごく怖い。

それに禄輪さんは「時が来るまで」続けるようにと言った。それはいつの話なんだろう。

何も分からない。分からないからこそ怖い。けれど今はとにかく、できることを全力でするだけだ。



禄輪さんの言う通り、幸魂修行は本当に誰でも出来るらしい。

姿勢を正し息を整え、いんと呼ばれる手指だけで形を作る。そして一行ほどの短い祝詞を唱えれば終了だ。

二回禄輪さんと繰り返し、三回目からは私一人で反復を続ける。

思いの外簡単だし、体の中で起きることを説明されてビクビクしていたけれど今のところ体に変化はない。

おそらく禄輪さんが大変だと言ったのは、この単純動作を続けて反復することが大変だと言ったのだろう。

これなら何とか私でも続けていけそうだ────なんて考えは数分後に呆気なく打ち砕かれた。


初めは急激な寒気だった。

重い風邪をひいた時のようにガタガタと全身が震えて、とにかく寒くて上手くてが合わさらない。

振り返って禄輪さんに尋ねようとしたけれど、私より先に「そのまま続けなさい」と言われまた同じ動作を繰り返す。

五回ほど反復して今度は寒気が熱に変わった。これも高熱を出した時みたいに体の内側が燃えるように熱い。


「続けなさい」


やはり私が考えるよりも先に禄輪さんがそう言った。

歯を食いしばって反復する。

目が回る。座っているのに寝転んでいるみたいで、まっすぐ前を向いているはずなのに世界が回る。寒くて暑い。震えが止まらない。

言霊の力を使った時にどっと疲れる感じとは違う。もっと内側から何かが減るような、増えるような。とにかく自分の中で激しく何かが変化しているのが分かる。

これが呪を言祝ぎに転じさせるということなんだ。

何度か深く息を吐いて心を落ち着ける。強ばっていた肩の力が抜けて、震えるだけだった手指に力の芯が通った。

禄輪さんが止めないということは想定内ということだ。大丈夫、落ち着いてやろう。

自分をそう鼓舞してぐっとお腹に力を入れる。背筋を伸ばし、強い柏手を響かせた。





「────巫寿、巫寿! もういい、よくやった!」


強く肩を引かれる感覚に我に返った。ハッと振り返ると禄輪さんが目を弓なりにして私を見ている。

あれ、私。そうだ幸魂、幸魂修行の最中だった。それで急に体が寒くなって暑くなって、訳が分からないまま必死に反復して。

ヒュウと冷たい風が吹き込んで来た。風が冷たく湿っている。朝の風だ。始めた時は日が沈みかけている頃だった。もうそんなに時間が経ったのか。

ふと首を折って自分を見下ろした。立っている。座っていたはずなのに立っている。


神遊かみあそびだ。言祝ぎが全て元に戻った証拠だ。よく頑張ったな」


肩を抱かれたその瞬間足の力が抜けた。おっと、とすかさず抱きとめてくれた禄輪さんは軽々と私を抱える。


「一旦寝なさい。目が覚めたら騰蛇を呼び戻そう。本当によく頑張ったな」


分厚い手のひらで頭を撫でられ、その温もりに誘われるように眠りに落ちた。


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