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春休みと禊
参
しおりを挟むかむくらの社は神職たちの要の地、それだけあってその場所は何十もの結界が張り巡らされている。社へたどり着くためには、結界の役割を果たしている鳥居を外側からひとつずつ通っていくしか方法がない。
かといって千本鳥居のように一本道で繋がっている訳ではなく、あちこちに散らばった鳥居をひとつも間違うことなく通っていかなければたどり着くことは出来ない。
コツさえ掴めば1時間くらいで行けるぞ、と禄輪さんが笑っていたけれど間違いなく私一人ならは一ヶ月はかかるだろう。
かむくらの社に来たのは今回で二度目だ。一度目はちょうど一年前、妖に襲われた私を助け出した後禄輪さんが連れてきてくれた。
大寒波の直撃で雪が降っていて、積もった雪に社頭に咲いた梅の赤が映えてとても綺麗だったのを覚えている。
かむくらの社への入り方は、全国各地の神職を統括する日本神社本庁に所属するほんの一部の役員しか知らない。
その役員ですら一年に一度の参拝しか認められておらず、地方の神職に至っては宮司になった時のみその報告に一度だけ参拝を許される。つまり普通の神職なら一生お目にかかれない場所だ。
そんな場所に今日で二度目の参拝。
前回は何も知らなかったので呑気に寝泊まりできたけれど、ここがどういう場所なのかを知った今では話は変わってくる。
かむくらの社が創建された年は記録にないけれど、次いで古いのが薫先生の実家であるわくたかむの社で創建は奈良時代だ。
ということは少なくとも奈良時代に建てられた建物ということになる。歩く床も柱もなんならトイレの壁も、あの場所にあるもの全部が歴史的に価値のある重要文化財という訳だ。
絶対に何も触らないでおこう、と色褪せた木の鳥居を見上げて胸に誓う。
モグラが土から顔を出すように広大な鎮守の森からひょっこりと頭を出す荘厳な建物。長年手入れをされていなかったらしく所々に痛みはあるものの積み重ねられた年月が私たちに威厳を感じさせる。
社頭は朝の山頂の空気のように澄み渡っていて、空気は春の日の昼下がりのように温かい。花の蕾が芽吹き若葉が茂り生気に満ちている。何よりそこは言祝ぎが溢れていた。
まずは二人で本殿に手を合わせ、滞在することを報告する。挨拶を終えて顔を上げた。深く息を吐けば、家を出てからずっとしかめっ面だった禄輪さんがやっと笑った。
「疲れたろ。少し休んでからにしよう。部屋の空気も入れ替えないとな」
目を細めて社務所を見上げた禄輪さんは、「行こうか」と私の背を押した。
「────さて、道中の説明で巫寿と眞奉が今どういう状況なのかは把握できたか?」
一通り社の中を掃除して回った後、和室に集まった私たち。禄輪さんが本題を切り出し、姿勢を正してひとつ頷いた。
「私の言祝ぎの総量が減ってしまったから、眞奉が私のそばにいられなくなった……」
「そうだ」
「……その原因が天地一切清浄祓と空亡の残穢を浴びたことで、眞奉を呼び戻すには言祝ぎの量を元に戻し、かむくらの社から祝詞奏上しなければいけない、ですよね……?」
もう一度「そうだ」と頷いた禄輪さん。気まずさに身を縮めた。
数時間前、急にかむくらの社へ行くと言い出した禄輪さん。状況が掴めないお兄ちゃんに説明がてら、一学期のあの日何が起きたのかを省かず全て話すように言われ、言われた通りに話し始めると「天地一切清浄祓」という単語が私の口から出た途端、二人は表情を変えた。
結論から言えば、とんでもない勢いで叱られた。多分あんなに叱られたのは生まれて初めてだと思う。とにかく禄輪さんが怖すぎて、初めは一緒になって怒っていたお兄ちゃんが仲裁に入ってくるほどの勢いだった。
道中でも終始説教の嵐で、自分が悪いとはいえ一時間の道のりはそれはそれはもう地獄だった。
また説教が始まりそうな雰囲気にビクビクしていると、禄輪さんは額に手を当てて項垂れた。
「まず天地一切清浄祓についてだが……これに関しては巫寿から尋ねられた時にもっと詳しく聞き出さなかった私も悪い」
ふぅ、と息を吐いた禄輪さんが顔を上げる。
「対象を絞って浄化したり一部だけを祓う他の祓詞と違って、この祝詞は名前の通り天も地もその場に存在するもの一切を清め浄化する最強の祝詞だ。前にも言ったが扱える人はまずいない。私が生きてきた中でこれが使えたのはたったの二人だけだ」
それは前にも聞いたことがある。
これを使えたひとりは神修の学生だった人で、もう一人が先代の審神者志ようさんだ。
教本に載っているような祝詞でもなく、言祝ぎの総量が桁違いに多い人しか扱うことは出来ないらしい。
「扱える人物が少ないのは、それだけ高度な祝詞で扱いが難しく危険を伴うということだ」
「危険、なんですか?」
「この祝詞は────己の言祝ぎと相殺させあうことで浄化する祝詞だ」
言祝ぎと相殺。
不穏な言葉の羅列に息を飲んだ。
「言霊で浄化の力を生む祓詞と違って、言祝ぎそのものに浄化の要素が備わっているから力同士を直接ぶつけて祓うことができる」
どんな物でも一度何かを介してしまえば威力は落ちるもの。そうか、だから直接ぶつけることで一層強い効果が生じるわけだ。
「この祝詞が危険な理由はそこだ。己の言祝ぎをぶつける事が危険なんだ」
でもその祝詞の何がいけないんだろう。禄輪さんの説明に危険な要素はなさそうに思える。
私の考えが読めたのか禄輪さんは険しい顔で続けた。
「言祝ぎはどこにある?」
「え……? 言霊の力の中、です」
「言霊の力はどこにある?」
「血液みたいに体の中を巡ってます」
神修では初等部で習うような基礎的なことだ。言霊の力は呪と言祝ぎから成り立ち、体の中を血液のように巡っている。
それとこれとどういう関係が……?
「言祝ぎだけを取り出すのは血液の赤血球だけ取り出すのと同じ。まぁまず不可能だということは分かるな? じゃあ言祝ぎに穢れをぶつけるにはどうする?」
取り出せないなら、それはもう中に入れるしか────そこまで考えて目を見開いた。
嘘、まさか。この祝詞は。
お兄ちゃんや禄輪さんがあれだけ怒ったのは、そういう事だから……?
「天地一切清浄祓は、穢れを己の中に取り込んで言祝ぎで浄化する祝詞だ」
穢れを己の中に取り込む。
それがどれほど危険の伴う行為なのかを私は知っている。何度もこの身でその苦しみを味わってきた。
「取り込んだ穢れが言祝ぎの総量よりも下回っていれば問題ない。しかしもし穢れの方が上回っていれば……」
言霊の力は体力と同じだと前に嘉正くんが言っていた。使えばなくなるし休めば回復する。
つまり穢れを相殺するたびに言祝ぎは減っていく。言祝ぎが尽きて、それでも穢れの浄化が間に合っていなければその先にあるのは。
そこでやっと分かった。自分が無知だったとはいえどれだけ馬鹿で無謀なことをしていたのかを。
私は人よりも言祝ぎが多いらしい。でももしそうじゃなかったら、私は今頃。
「……これ以上は私から言うまでもないな」
禄輪さんが静かにそう言った。小さく頷く。嫌というほどよく分かった。
「本題に戻るぞ。それで、この祝詞を奏上した事と大量の空亡の残穢に当たったことで、おそらく巫寿の中の言祝ぎが著しく減少したんだろう。十二神使の原動力は結びを交わした主の言祝ぎだ。十分な言祝ぎを確保できないことと、十二神使の特性である穢れを嫌う性質から、騰蛇は一時的に巫寿から離れているんだと思う」
最近見かけないな、なんて呑気に考えていた少し前の自分が情けない。眞奉がそばにいられなくなったのは、全部私のせいじゃないか。
それなのに私は自分の事ばかりで、禄輪さんから言われるまで気付きもしなかった。ひとつの事に集中すると途端に視野が狭くなるのは昔から悪い癖だった。
眉根を寄せて机の木目をじっと見つめる。そうしていないと色々なものが我慢できそうになかった。
眞奉、今どこにいるんだろう。
言祝ぎが得られないということは、ご飯を食べれていないのと同じ状況のはずだ。
今もどこかですごく苦しんでいるかもしれない、そう思うと申し訳なさや後悔がぶわりとこみ上げる。胸が苦しくてたまらなかった。
「そう落ち込まんでいい。十二神使の真の主は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命だ。巫寿のそばにいないなら、間違いなく祭神さまの元に戻っているはずだ」
「本当ですか……?」
「ああ。だから今から巫寿の言祝ぎを戻して騰蛇を呼び戻す。さぁ、やることは山積みだ。泣いてる暇はないぞ」
膝を打って立ち上がった禄輪さん。
私が目を丸くして見上げると、目を弓なりにして微笑んだ。急いで袖で目尻を拭うと力強く頷き立ち上がる。
「やります……! やり方教えてください……!」
私の言葉に禄輪さんは「よし」と強く背中を叩いた。
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