言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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見知らぬ女

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「千江さん! 俺の制服どこぉ!?」

「昨日アイロンかけてハンガーに干しといたったやろ!」

「千江さん! 俺の昨日洗濯に出したパンツもう乾いてる!?」

「昨日の今日で乾くかいな! ドライヤーで乾かしたるからちょっと待ち!」


次の日、本日ついに神修へ帰る私達は朝からバタバタと帰り支度に追われていた。男子部屋からは何度も千江さんを呼ぶ悲鳴と、千江さんの怒鳴り声が響いている。

私は昨日のうちにある程度まとめていたので、後は洗顔道具と充電器をキャリーケースにしまうくらいだ。

奉仕を終える挨拶は昨日みんなでしたけれど、最後にもう一度社の中を見て回りたくて社宅を抜け出した。


外に出ると眩しい日差しが降り注ぎ目を細めた。気が付けばもう三月、日中は温かい風が少しずつ吹くようになっている。社頭の一角に植えられた梅の花が数日前に赤い花を咲かせていた。

まずは本殿に手を合わせる。

約三ヶ月間、お世話になりました。

心を込めてそう挨拶してから軒下にいる二匹の狛犬にも「元気でね」と声をかける。

本当にあっという間だったな、なんて思いながらゆっくり歩いていると神楽殿の扉が開いていることに気がついた。

風に乗って神楽の音色が聞こえてきて、ひょっこり顔を出すと志らくさんが舞の稽古をしている所だった。今日は土曜日だから仕事もお休みらしい。

振り向きざまに私が見えたらしく「巫寿ちゃん?」と舞を止める。


「邪魔しちゃいましたか?」

「ええよええよ、集中切れとったし。もう帰る時間?」

「いえ。ちょっと社の中を見て回ってたんです」

「そーかそーか。そんなとこ立っとらんと入ってきや」


おいでおいでと手招きされ、雪駄を脱いで中へ入った。祭壇に一礼してから、座布団が並べられた客席の隅に座る。

志らくさんは扇子を広げて舞を再開した。


「巫寿ちゃんら、今回はホンマに大手柄やったな。私長いこと奉仕してきたけど、あんな大活躍した事ないわ」


舞いながら志らくさんがそう笑う。慌ててぶんぶんと首を振った。


「禰宜が沢山サポートしてくださったおかげです。それに最後はやっぱり助けてもらったし」

「そんな謙遜するもんちゃうで。あたかも自分一人でやり遂げましたみたいな顔しとかんと」


そんな言葉に思わずプッと吹き出す。


「でも志らくさんの方が凄いです。昼は外でお仕事しながら夜は社で奉仕なんて」


会社から帰ってくるなり袴に着替えて夕拝の為に舞を舞って、それからは巫女としての奉仕。

それでも毎日パワフルに出かけていく志らくさん。一体いつ眠っているんだろうと少し不安になる。


「あー……まぁ、うちはそんな大層なもんちゃうよ。なんなら神職も一回辞めてるし」


神職を辞めた?

意外な事実に目を丸くした。

だって志らくさんは言霊の力だけじゃなく、授力にも恵まれている。他の神職よりも能力だけで言えばかなり優位な立ち位置だ。

それに舞だって上手いし、神職からだけじゃなくて参拝者からも信頼は厚い。

そんな人がどうして……?


「"何で辞めたん?"て顔やな」

「あ……すみません」

「あはは、ええよ。謝ることちゃうし。ただ私は、本庁のやり方に疑問を持ってしもうただけなんよ」


本庁のやり方?

そう聞き返すと志らくさんは笑って頷き私の隣に腰を下ろした。


「空亡戦の最後、お姉がどうなったか聞いたことある?」

「あ……」


軽々しく"はい"とは言えなかった。空亡戦については以前嘉正くんから教えてもらったので知っている。

空亡は自分の体を八つ裂きにして無数の残穢を生み出すことで消滅を逃れようとしたけれど、当時の審神者さにわである志ようさんがそれの一部を自分の中に閉じ込めることで完全に分散仕切ってしまうのを防いだんだ。


「もしそれをお姉ではない他の誰かがやったんなら私もそれを賞賛したと思うんよ。でも私のお姉がやるんは、話が違う」


落ち着いた静かな声だけれど芯が通っている。溢れる感情を押さえ込んでいるようだった。


「なぁ、知ってる? 当時皆が何て言うてたか。"審神者さまがその命で守ってくださった。感謝せねば"って。"ありがとう審神者さま"って。本庁の役員共はまねきの社の社頭で万歳三唱したらしいわ」


扇子を握る手がぶるぶると震えている。


「人が一人死んだんよ。やのに、ありがとうって何? お姉は死ぬために審神者になったんとちゃう! 授力を生かして皆を守るために、言祝ぎで皆を導くために審神者になったんや……ッ!」


顔を真っ赤にした志らくさんはきつく唇を噛み締めて息を吐いた。


「長いこと一人ぼっちであないな場所に閉じ込めて、お姉の力を散々利用して、最後はお姉のこと使い捨てて、しまいには"私たちのために死んでくれてありがとう"って! 頭おかしいやろッ!」


辛くないはずがない。耐えられるはずがない。大切な人がそんな扱いを受けて、一度も再会しないまま帰らぬ人になったんだ。

大きく見開かれた目から雫が溢れた。溢れたことに気づいた志らくさんが慌てて袖でゴシゴシと目元をこする。


「……ごめん、おっきい声出して」


いえ、と小さく首を振るとぐりぐりと頭を撫でられた。


「私にはさ、どうしても本庁に都合よく利用されたようにしか思えんかったんよ。だから本庁には従えんと思って神職を辞めた。まぁ、そん時に人手不足で社が回らんようになってお母さんが倒れてしもて、今は仕方なく手伝ってるだけ。あくまでも手伝ってるだけで、本職はキャリアウーマンや」


志らくさんはそう笑って肩を竦めた。

ずっと疑問に思っていた。

けれど一度聞いた時ははぐらかされて、話したくないことなんだと思っていたから聞かなかった。志らくさんが会社員として務めているのにはそんな理由があったんだ。


「ああ、でも巫寿ちゃんは私からこんな話聞いたからって本庁のこと疑うんはあかんで。少なくとも神職は間違いなく必要な存在やし、物事を判断する時は自分の目で見て耳で聞いたものから判断しや」


はい、と素直に頷けば「ほんまええ子やな~」とまたぐりぐり頭を撫でられた。


「長話堪忍な。そろそろ戻ろっか。何時の電車に乗るん?……ああ、そういえば電車で思い出したけど、私巫寿ちゃんに一個聞きたいことあったんや!」

「私に聞きたいこと、ですか?」


そうそう、と頷いた志らくさんは「えっとなぁ」と腕を組んで斜め上を見上げる。


「こないだ仕事帰りで電車待ってる時に、ホームで巫寿ちゃんの知り合い言う人に声かけられたんよ」


私の知り合い?

京都に知り合いなんていた記憶はないけれど……強いて言うなら八瀬童子一族の鬼市くんとは友達になったけど、鬼市くんなら志らくさんだって知っているはずだ。


「下の名前だけ名乗られてんけど、ホームやしうるさくてちゃんと聞き取れんくて。男の人でな、ちょい長めの黒髪に眼帯つけた高身長の男で」


勢いよく身を乗り出すと、志らくさんが「な、なんやの急に」と目を丸くする。


「が、眼帯をつけた男の人ですか!?」

「そうそう。なんか"君は本庁のやり方をどう思う?"みたいなの急に言われて、気持ち悪いし胡散臭いし、そもそもうちの社の神職以外は敵やと思ってるから無視して電車乗り込んだんやけどな」


眼帯をつけた知り合い、私にそんな知り合いは一人しかいない。

恐らく志らくさんがホームで会ったその男は神々廻芽、薫先生のお兄さんだ。

どうして志らくさんに話しかけたの? 志らくさんに会うためにわざわざこんな所まで来たんだろうか? でも何のために?

私が黙り込んでいると、ぽんと両肩に手を乗せられた。顔を上げると眉を下げた志らくさんが私を見つめている。


「あのな巫寿ちゃん。不安にさせたら申し訳ないんやけどな、うち胸騒ぎがするんよ。うちに先見の明なんて大層な力は無いけど、お姉が死ぬ直前もそうやった」


志らくさんの瞳が不安に揺れる。添えられた手に自分の手を重ねた。


「私、巫寿ちゃんのことは弟子やと思ってるし、妹みたいに可愛く思ってるんや。だからこそ、怪我して欲しくないし無理してほしくない」


志らくさんの言葉がじんわりと胸に染みて温かい気持ちになる。純粋に嬉しかった。私の事をこんなにも心配してくれる人がいるということが。


「どうか、自分を一番大切にしてな。困った時は一人で抱え込まずに周りを頼るんや。私も、絶対力になるからな」

「はい……!」


ええ返事、と笑った志らくさんは勢いよく私の背中を叩く。痛いですよ、と唇をとがらせれば「喝入れたんや、喝」とケラケラ笑った。

芽さんのことや先日現れたあの女の人が言った言葉……正直不安な事は沢山ある。

でも私の事を思ってくれている人がいる、支えてくれる仲間もいる。それを思うと不安な気持ちは幾分か軽くなった。


出発の直前に千江さんは新幹線で食べる用のお弁当を私達に持たせてくれた。「駅弁買うしいいよー」と言った慶賀くんは「恩知らずな子やね!」と頭を叩かれていた。

一人一人に挨拶をして、鳥居の下に立った。


「それじゃあ、お世話になりました!」


声を揃えて深々と頭を下げる。

そうして三ヶ月に渡る神社実習は幕を閉じた。



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