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鼓舞の明

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私達がいる被服室は三階の最奥、下の階へ繋がる階段とは正反対にあった。

先頭を恵衣くんと私、その次にノブくんを支えて来光くんが走る。足音は立てないように、でも出来るだけ早く廊下を駆け抜ける。

三階から二階へ降りる階段に辿り着いた。壁の影に隠れて下の様子を伺う。階段は15段ほど降りて踊り場を挟み折り返すようにまた下りる。見える範囲で異変はない。

恵衣くんが小さく頷き、私達は階段へ飛び出した。


残穢は確かに階下から上へ登ってきているけれど、すぐ近くにいるような量ではない。おそらくまだ一階にいるのだろう。

この調子で走れば無事に二号棟へ移り外へ出られるはず。宮司や本庁からの応援も間もなく到着する頃合、外にさえ出ればもう大丈夫だ。


油断をしているつもりはなかった。けれどもその一瞬の気の緩みがそれを招いてしまった。

階段へ飛び出す前には一度影に身を潜めて階下の確認をしたはずなのに、私も恵衣くんも階段の途中の踊り場ではそれをしなかった。

安堵感と急く気持ちが無意識に出てしまったのかもしれない。


踊り場を飛び出すと同時に、ぶわりと紫暗の靄が顔中に降りかかった。鉄の臭いと生臭さ、背筋がぞわりとするどす黒い赤。その先で、光を灯さない目と目が合った。

それが何なのか理解したその瞬間、頭よりも先に身体が急ブレーキをかけた。飛び出しそうになった身体を両足が踏ん張って支える。

それでも間に合わずふわりと体が階段から浮いたその時、隣から伸びてきた白い腕が勢いよく私の肩を掴んだ。

勢いよく後ろへ方に引かれて、投げ出されそうになった体は今度は踊り場へと突き飛ばされる。


まるでスローモーションでも見ているかのようだった。首を向けた先で私を掴んだ手と反対の手で来光くんの体を止めると、同じように踊り場へ突き飛ばす。


「────振り返るな、走れッ!」


切れ長の目を見開いて私に向かって怒鳴るように叫んだ。


「恵衣くんッ!」


そう叫んだ私の声はほとんど悲鳴だった。差し出した手は宙を掴む。投げ出された恵衣くんの体は一直線にそれに向かって落ちていく。

それがにたりと笑ったような気がした。鋭い爪の生えた手を振り下ろしたその瞬間、目の前で赤が散った。絵具を含んだ筆を勢いよく振り下ろしたように鮮赤が私の顔に降りかかる。尻もちをついた。

大きな荷物が落ちる鈍い音がした。

呆然とその音を聞いてハッと我に返った。震えて脚が言うこと聞かず、這うように踊り場から顔を出し階段の下を見下ろす。

二階の廊下にうつ伏せで倒れる人の姿。白い白衣はくえにじんわりと赤が滲み瞬く間に真っ赤に染め上げる。

ピクリとも動かない。瞼は力なく閉じられて見える頬はどんどん白くなっていく。


「え、い……くん?」


喉が震えた。まともに名前すら呼べない。

そんな、だって。どうして。


「立って巫寿ちゃん! 立つんだ早く! 走れッ!!」


もの凄い力で二の腕を引かれた。その勢いで立ち上がれば勝手に脚が回り出す。

来光くんが私とノブくんの手を引いて走る。

振り返ればひたひたと不気味な音を立ててこちらへ向かってくる赤黒い姿がある。

来光くんは私とノブくんを視聴覚室へ押し込むと、自分は中へ入らずに外からピシャリと扉を閉めた。

驚いて扉に駆け寄ると「出ないでッ!」と外から叫ぶ。


「僕が被服室の中に引きつけるから、その間にさっきのルートで二人は外に出るんだ! ノブくんを頼んだよ巫寿ちゃんッ!」


被服室の中に引きつける……?

それってつまり────。


理解すると同時に渾身の力で扉を引いた。私がそうする事を分かっていたのか、外から来光くんが扉を抑える。

目尻がカッと熱くなって視界がぼやける。


「来光くん駄目ッ! お願い開けて……ッ!」


必死にそう叫ぶけれど扉はピクリとも動かない。

来光くんは何も言わない。何も言わずに扉が開かないように外から押さえ付けている。

来光くんはこのまま囮になって私たちを逃がすつもりだ。

必死に扉を叩いた。やはりびくともしない。


「ねぇノブくん、巫寿ちゃん。あと嘉正と慶賀と泰紀も」


昼休みに話しかけて来る時と同じ声だ。落ち着いていて優しくて、穏やかな来光くんの声が私たちみんなの名前を呼んだ。

優しいはずなのに胸が引き裂かれるような切ない音に聞こえる。



「────僕と友達になってくれてありがとう」



扉の向こうで来光くんが笑った気がした。

キン、と耳鳴りがした次の瞬間、激しい物音と共に扉が揺れた。扉の窓に赤が飛び散り、数秒後には隣の被服室の窓が割れる音がした。

呆然とその赤を見つめる。


嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。そんな、どうして。何で恵衣くんが、来光くんが。嘘だ。そんな。だって。

どうして私はこんな所で座り込んでいるの? どうして何もしていないの?

私なら出来るって、禰宜がそう送り出してくれたはずなのに、目の前で鮮赤が飛び散るのを眺めているだけだった。

まただ、また助けてもらった。また私は周りの人に助けられた。

この一年新修で、大切な人を守るための強さを学んできたはずなのに。今度は私が守るんだって、そう決めたはずなのに。

嫌だ、こんなのは嫌だ。

私は皆を守りたい……ッ!






我に返ると同時に、扉に伸ばされた恵衣くんの手首を掴んでいた。目を丸くした恵衣くんが私を見下ろす。

眠りから目覚めたばかりのような頭は意識がハッキリするのに三秒かかり、覚醒すると同時に全てを理解する。

私は今、先見の明を使ったんだ。


「待って、駄目なの! もう下の階まで来てる! 今行けば階段で鉢合わせる……ッ!」

「急に何を────」

「お願い、信じて……!」


ぎゅっと目を瞑り恵衣くんの手首を握る。力を入れているはずなのに情けないくらいにがたがたと震えた。

数秒の沈黙の後、恵衣くんが震える私の手に自分の手を重ねた。ハッと顔を上げると真剣な目が私を射抜いた。


「作戦を変えるぞ」


そんな言葉に目を見開いた。

だってまさかそんなにもあっさり聞き入れてくれるなんて思ってもみなかったから。

私の表情を見て恵衣くんが顔を顰める。


「信じろつったのはお前だろうが。無駄話してる暇はない。さっさと次を考えるぞ」


ああ、どうしよう。泣きそうだ。でも、泣いてる暇なんて私達にはない。

袖で強く目元を擦って顔を上げた。


「階段を使って階下に逃げることは厳しいんだな?」


もう一度そう確かめた恵衣くんに「うん」と眉をひそめ頷く。


「だったら隠れてやり過ごす? もう宮司たちも着いてる頃だよね」


そんな提案に恵衣くんが首を振った。


「隠れたところで中から鍵を閉めれる訳でもない。中へ入ってこられたら全員終わる。何でもいいから他にないのか」

「じゃあバリケードを作るとか?」

「阿保かお前。本気であのバケモンにバリケードが通用すると思ってるのか?」

「何でもいいって言ったのは恵衣だろ!?」


また言い争いになる二人に「喧嘩してる場合じゃないから!」と今日で何度目かの仲裁に入る。

本当に言い争っている場合じゃない。おそらく蠱毒はもう二階にいて間もなく私たちのいる三階へ上がってくるはずだ。

あの禰宜と権宮司も歯が立たない相手だった。私たちが対峙してまともにやり合えるとは思えない。

戦わずに勝つ、そんな方法が────。


「あの……」


恐る恐る声を出したノブくん。一斉に振り向いた私たちにギョッと身を縮める。


「閉じ込めるのは、どうや……?」


おびき寄せて、閉じ込める?


「貰いもんやけど、あれをエレベーターの中に閉じ込めとくのにこんなん貼っとったんや……また使えたりせん?」


そう言っておずおずとズボンのポッケから取り出したのは、ぐしゃぐしゃに握りつぶされた紙切れだった。

ノブくんの手からひったくったそれを広げた恵衣くん。身を乗り出した来光くんが目を丸くした。


「これ御札だよ! なんでノブくんが持ってるの!?」


今度は来光くんがそれを取り上げてまじまじと見る。

私も手元を覗き込んだ。不思議な模様と崩し文字が書かれている。何とか「封」と「除災」という字が読めた。


「これでエレベーターを封じていたということは、これは封じの御札だ。真似て書けば使えるかもしれない! ナイスアイディアだよノブくん!」


片手を上げた来光くんに、ノブくんはおずおずとでも少し誇らしげにパンッと手を合わせた。


「一般人の方がまともな案を出せるなんて恥ずかしくないのか」

「ハイハイそうですね! とにかく新しいやつ作ればいいんでしょ!?」


目を釣りあげた来光くんは懐から袱紗と筆ペンを取り出して床に広げた。


「あとどれくらい残ってる」

「正直ほとんどない。一割程度かな」


書宿の明のことを話しているんだろう。結界の修復と禰宜達のために作った厄除の札でかなり消耗しているはずだ。


「分かった。とにかく全力でやれ。二枚だ」

「僕のこと殺す気かよ。言われなくてもそうするけどさ」


キャップを口にくわえてきゅぽんと外した。静かに目を閉じで深く息を吐く来光くん。

その姿をノブくんが不思議そうに見ていた。私が来光くんの特別な力のことを教えてあげるのは何だか違う気がして、黙って見守る。


「おい、ボケっとしてる暇があるのか。作戦を話すぞ」


ハッと顔を上げた。


「あの蠱毒だが……おそらく原型は餓鬼がきだ」


そうか、通りで見覚えがあると思ったんだ。

仏教に由来する鬼の妖、薄汚れた痩せ細った体と突き出した腹をしている。先程見た蠱毒の姿と同じだ。


「お前は恐らくこの後ぶっ倒れるであろう眼鏡を、そいつと担いで教室後方の扉で待機してろ。俺が合図したら外に飛び出して外から扉に札を貼れ。俺は餓鬼を中に引き込んだ後に前の扉から出て札を貼る。餓鬼程度なら走ってもギリギリ振り切れる」


なるほど、餓鬼をこの被服室の中に閉じ込める気なんだ。

あれ、でも餓鬼ってたしか────。


「あの、鬼だけど……大丈夫?」


私の知る限り恵衣くんの唯一の弱点が餓鬼だったはず。小さい頃に追いかけ回されてトラウマになり、鬼は今も苦手なんだと前に話していた。

どういう反応が返ってくるかは何となく分かっていたけれど堪らずそう尋ねた私に、恵衣くんは眉を釣りあげた。


「お前に心配される筋合いはないッ! 他人に任せてヘマされるより俺が我慢する方がよっぽどマシだッ!」


やっぱり怒った、と肩を竦めた。

でも我慢しなくちゃいけないほど嫌な相手ではあるんだな、と苦笑いをうかべる。とにかく今の私たちに出来ることは恵衣くんの作戦くらいしかない。

「分かった」とひとつ頷いた。

その時、バタン!と傍で何かが倒れる音がしてハッと振り向くと、来光くんが仰向けにひっくり返っていた。


「ら、来光!? 大丈夫か!?」


驚いたノブくんが慌ててその肩を揺する。


「驚かせてごめん、でも大丈夫。疲れてるだけだから」


青い顔をした来光くんは目を瞑ったまま重そうに片手を上げて深く息を吐いた。

授力をこの短時間で三回も使ったんだ。疲れるに決まっている。


「出来たのか?」

「お前ねぇ……人の心配を先に出来ないの? そこ」


呆れた来光くんが目で足元を示す。

ノブくんが持っていた御札と全く同じものが二枚並んでいる。


「よし、じゃあこれを────」


恵衣くんが何か言いかけたその時、つま先から頭のてっぺんまでを逆撫でされるような嫌な感覚が走り息を詰まらせた。

身震いするほどの嫌悪感と全身が拒絶するこの感じは。


来たんだ、この階に。

恵衣くんが険しい表情で御札を取って一枚を私に差し出した。慌てて受け取ってひとつ頷く。

こんなにいきなり作戦が始まるなんて。でも嘆いている暇なんてない。


「ノブくんそっち支えて……!」

「お、おう。てか俺が担ぐ」


ノブくんも見える人だ、このただならない雰囲気を感じ取ったのか直ぐに動き出してくれた。来光くんを背負ったのを確認し、作戦通り後ろの扉のそばにしゃがみ込み、引き手に手をかけた。

キィ、キィと木板の廊下が遠くで軋む音がする。

間違いなく真っ直ぐこちらへ向かってきている。

前の扉にいる恵衣くんを見た。落ち着いた表情で小窓から外の様子を伺っている。

大丈夫、来光くんの御札もある。恵衣くんが立てた作戦なんだ。きっと上手くいく。

急にばくばくと音を立て始めた心臓にそう言い聞かせて何度も深く息を吐いた。

ひたひたと水を踏む足音が聞こえる。近付いてきている。もう恐らく視聴覚室の前だ。

口を押えて息を殺した。来光くんの御札を胸の前で握りしめる。

ギィ、と扉の前の床が軋んで音が止んだ。耳鳴りがするほどの沈黙が流れる。耳の横に心臓があるみたいだ。背筋を汗が流れて、強く目を瞑った。


落ち着け、落ち着け……!


ギィ、ギィ、ひたひた、扉の前で止まった足音が歩き始めた。

いつの間にか止めていた息を細く細くゆっくりと吐き出す。脱力しそうになって慌ててお腹に力を入れる。

腰を浮かせて私の後ろにしゃがんでいたノブくんを見た。用意して、と唇だけを動かせばこくこくと何度も頷き、来光くんを背負い直す。

恵衣くんを見た。もう窓から外は覗いていない。中腰になって扉に厳しい目を向けている。

音が止んだ。また沈黙が流れる。息が詰まる緊張感にゴクリと唾を飲んだその時、

勢いよく開けた扉が扉枠にぶつかりバンッと大きな音を立てた。驚いて身を縮める。開けたのは恵衣くんだ。開けると同時に半 一歩後ろへ飛び退いた。

ぶわりと紫暗の靄が中へ入り込んで来ると同時に、モヤの中にどす黒い赤を見た。

ひた、ひた、と足音が教室の中へ入ってくる。水を踏む音ではない。これは浴びた血が足裏に流れてそれを踏む音だ。

身体が見えた。赤に染ったそれは遠くから見たあの時よりもおぞましい。

恵衣くんがハッと息を飲んだのが聞こえた。一歩また一歩と、近づいてくる度にゆっくりと後退する。

恵衣くんはきつく口を閉じたままだ。恵衣くんの指示で外へ飛び出すことになっているのにまだ合図がない。


一瞬不安が脳裏を過ってかぶりを振る。

いいや、恵衣くんならきっと大丈夫だ。恵衣くんを信じるんだ。

蠱毒が扉を通って中へ入ってきた。私とノブくんは必死に身を縮めて気配を潜める。こちらへ振り向くことなく歩を進める。

伸ばした引き手にぎゅっと力を入れたその時。


「……行けッ! 巫寿!」


名前を呼ばれた。

勢いよく外にとび出て、続いてノブくんが飛び出してきたのを確認して扉を閉めた。閉めた扉と扉枠を繋げるようにして御札を叩き付ける。

胸の前で柏手を打ったその瞬間、札の文字が溶けるように光りを放った。


御札の効果がちゃんと発揮されたんだ……!


後は恵衣くんが外に出て、同じように札を貼れば教室を封じることが出来る。

ガシャン!と机や椅子がぶつかる激しい音がして、慌てて前の扉へ走った。


「恵衣くんッ!」


名前を呼んで覗き込むと同時に「退けッ!」と怒鳴られて目の前に恵衣くんが迫ってきた。その後ろには蠱毒が迫ってきているのが見える。

飛び出した恵衣くんが勢いよく扉を閉めて御札を叩き付ける。札が黄金色に光り輝く。

次の瞬間、教室の中から扉に体当たりするような激しい音がした。驚いて尻もちをついた。けれど扉は隙間なくきっちり閉められている。 

こっちの扉にもちゃんと御札が効いてる……!


「おいさっさと立て! 走るぞ!」


恵衣くんが私の二の腕を掴んだ。

立ち上がろうと足に力を入れたその瞬間、ドンッと内側から扉を破ろうとする音がまた廊下に響く。


「何してる急げ!」


恵衣くんの手を借りて立ち上がり走り出そうと一歩踏み出したその時、また激しくぶつかる音がしてほぼ同時にバリッと乾いた音が小さく聞こえた。

恵衣くんにもそれは聞こえたらしく弾けるように振り返る。

見上げたその先に言葉を失った。


御札が────破れ始めてる。


バリ、バリバリ、立て続けに聞こえたその音が終わるよりも早く恵衣くんが飛び出した。

恵衣くんが扉を両手で強く抑えると同時に、御札がただの紙切れとなって木の葉のように目の前で揺れ落ちた。

次の瞬間、扉が沸騰したやかんの蓋のようにガタガタと激しく揺れ出した。

歯を食いしばった恵衣くんが全身で扉を押さえ付ける。


「立て巫寿ッ! 走れ! 行けッ!!」


そう叫んだ恵衣くんに目を見開いた。

恵衣くんは扉を押えるためにここに残る気だ。

バクン、と心臓が跳ねる。

先見の明の中でもそうだった。私たちを助けようとして恵衣くんは自分が犠牲になった。血溜まりの中で倒れる恵衣くんの姿が脳裏を過る。

また守ってもらうの? また誰かを犠牲にするの? それもクラスメイトを、友達を、仲間を。そうならないために変えようとした未来じゃなかったの? でも私に何が出来る?

来光くんのように知識もない、恵衣くんのような技術もない。何度も色んな人に助けられてきたこの私に、何ができるって言うの?


「何してる巫寿ッ! さっさと行けこのノロマッ!」


顔を顰めた恵衣くんがそう怒鳴った。

きつく拳を握りしめる、握りしめて、そして走った。

走って────恵衣くんの隣に立ち扉を強く抑えた。両手に激しい衝撃が伝わってきて、ギュッと唇を噛み締める。


「何やってんだよ馬鹿ッ!」


珍しく恵衣くんが慌てた声を上げた。

守ってもらうのはもう終わり、大切な人を守るために私は神修に残って強くなる道を選んだんだ。


「馬鹿でも何でもいいよ……ッ!」


何だって好きに言えばいい。誰かがまた傷付くのを見るくらいなら、罵られようと何だろうと構わない。

クソッ、と耳元で舌打ちした恵衣くんは、顔を上げて叫んだ。


「おいお前! 来光を叩き起こせ!」

「え、え!?」

「さっさとしろ聞こえないのか!」


恵衣くんにそう凄まれて、ノブくんは担いでいた来光くんを床に下ろして激しく揺すった。やがてゆっくりと目を開けた来光くんが、ノブくんに支えられて体を起こす。


「おい来光ッ、今すぐもう一枚書け!」


そう叫んだ恵衣くんに、来光くんが顔を顰めた。


「無茶……言うなよ。もう筆も、握れないって」

「なら気合いで書け、お前の取り柄は書宿の明くらいだろうがッ!」

「マジで……僕のこと、殺す気かよ」


来光くんが青い顔をして息を吐いた。ゆっくりと懐に手を伸ばし袱紗を取り出す。しかしパサリと床に落とした。手が力なくだらんと垂れる。

く、と苦しそうに歯を食いしばり目を細めた。

駄目だ、来光くんは消耗しきっている。もうほとんど力が残っていない。


「クソッ、どうしたら……ッ!」


封印するための祝詞はまだ習っていない。祓詞で修祓できる相手でもない。手を離して一斉に逃げたとしても、扉一枚挟んだこの距離じゃ逃げ切れるかどうかは半々といったところだ。

応援を待つ? いいや、それじゃ私たちが持たない。二人がかりで押さえ付けていても扉はバタバタと暴れている。体力の限界もある。

やはりここで教室ごと蠱毒を封じ込めるしか道はない。来光くんがもう一度書宿の明を使えれば────。


シャン、と鈴の音が頭の奥で響いた。


邪を打ち福を招く澄み通った清白な音色────これは巫女鈴だ。

脳裏で桜の花が散った。あれは志らくさんが隠し撮りしていたお母さんが舞う映像だ。花吹雪の中を舞う姿は桜の精霊そのものだった。

ぶるりと全身が震えた。武者震いだ。

これは賭けだ。圧倒的に負ける可能性の方が高い賭けだ。だってこれまで一度だって成功したことはなかった。

でも僅かでも勝てる可能性があるとするなら、きっと残された道はこれしかない。


「……恵衣くん!」


静かに名前を呼ぶと恵衣くんが顔を歪ませながら私を見た。


「考えがあるの……! 少しの間だけここを任せていい!?」

「……ッ、分かった! やれ!」


飛ぶようにそこから離れると扉が激しくガタンッ
揺れる。歯を食いしばった恵衣くんが苦しげに呻いた。

時間が無い────もう、やるしかない。

心を落着けるために深く息を吸って吐く。

鼓舞の明の最初の型は、両手を天高く差し出す動き。


お母さんの舞をもう一度思い出した。

天女のように美しく桜の精霊のように清廉に舞う。桜を見て感嘆のため息を漏らすように観ている人達を癒す舞。

私はお母さんのようには舞えない。技術も練習量もまだまだ足りていない。


でもきっと根っこの部分は同じはず。自分のためではなく人のために使う使う力。舞を舞うことで他者の力を増幅させる力。誰かを鼓舞するための力。

お母さんもきっと、誰かの力になりたいと強く願った時にこの舞を舞ったはずだ。

来光くんの力になりたい、恵衣くんの力になりたい。守られてばかりじゃない、大切な人を守れるだけの強さを。大切な人を支えられる力を。

お母さんの鼓舞の明は桜の花のように優しさで、志らくさんの鼓舞の明は崖に打ち寄せた白波のように力強く舞っていた。

思えば同じ鼓舞の明でも、人によって感じるイメージは全く違った。私は皆をどんな風に皆を鼓舞したいのだろう。

傷付いた体を癒し、疲れた体を温め、暗闇を照らすような……そう、光のように。みんなを包み込み癒し温め、進む道を照らすような光に。

この舞がそんな光になれば。

ああ、分かる。リズムが分かる。鼓舞の明に刻まれたリズムって、こういう事だったんだ。

その人自身が鼓舞の明にどんなイメージを見出すか。それによってどの型を強くするか早くするかは全く異なってくる。

お母さんのように優しく慈しむような踊りでも、志らくさんの力強く弾けるような踊りでもない。私の鼓舞の明は光、時に強く時に優しくみんなを照らす光だ。

春の日に木漏れ日が枝から差すようにゆっくりと優しく、真夏の日差しのように鋭く強く、冬の日の雪を照らすように細く滑らかに。

お腹のそこがぶわりと熱くなる。全身に力が溢れてくる。気持ちが昂る。光の中心にいるみたいだ。物凄いエネルギーが私を中心に渦を巻いている。

溢れるエネルギーを発散させるように舞に込めた。


この力で恵衣くんと来光くんを、皆を守るんだ。



「凄い……これが鼓舞の明……」



来光くんが目を丸くして自分の両手を見比べた。何かを感じとっているらしい。


「おい来光! 行けるか!?」


恵衣くんがそう叫んだのが聞こえた。


「もちろんバッチリだよ! 120パーセントの力で書ける!」


筆を取った来光くんが紙に文字を描く。

来光くんを、光で照らすんだ。


最後の一節を舞い切った。息は上がっていないけれど、全力で泳いだ後みたいに全身が重く力が抜ける。ふらふらとその場に座り込むと同時に来光くんが札を書き切った。


「ありがとう巫寿ちゃん! おかげで最強の札が書けた!」


立ち上がった来光くんが音を立てるドアに勢いよく御札を叩き付けた。その瞬間、目がくらむ程の激しい光を発すると、あれほどバタバタと激しく動いていた扉がピタリと止まり鉄板のように固くなった。

静まり返った廊下には、私たちの息遣いだけが響く。


「封じ……たんだよね?」


来光くんが戸惑うように扉を見つめる。

扉はピクリとも動かない。

その時、階下からバタバタと階段を駆け上がってくるいくつもの足音を聞いた。ハッと顔を上げると、鮮やかな紫に朱、浅葱色の袴が階段から現れる。


「皆大丈夫か!?」

「巫寿ちゃん……ッ!」


宮司に志らくさんだ。後ろにいるのはおそらく本庁から派遣された神職さま達だろう。

皆が駆け寄ってくる。囲まれた私は誰かの背に担がれた。正直指一本動かせそうにないのでありがたい。

同じように担がれた恵衣くんと来光くんにノブくんは、あっという間に門の外、結界の外側へ運び出された。


「大丈夫かお前ら!」


外を任せていた慶賀くん達が駆け寄ってきた。手に持っていた毛布を広げて私達の肩にかけてくれる。


「来光ッ! 来光死ぬな! 俺もっとお前と見たい景色があったんだよ~ッ!」

「慶賀、慶賀。僕元気だから」

「やだよ来光~ッ!」


座り込む来光くんの首に抱きつきおいおいと泣く慶賀くん。しまいには元気だつってんだろ!と来光くんの鋭い手刀が脳天に落ちた。


「大丈夫か巫寿、顔色やべぇぞ」


心配そうに私の顔を覗き込んだ泰紀くん。


「大丈夫だよ、鼓舞の明を使って疲れてるだけだから」


そう笑うと目を剥いて「ついに出来たのか!?」と身を乗り出す。うん、と少しはにかんだ。

誰かと連絡を取りあっていた嘉正くんが勢いよく振り返った。


「凄いよ三人とも、御札で完全に封じ込めてるって! これならすぐに対処できるだろうって言ってる! 本当にお手柄だよ!」


珍しく声を弾ませた嘉正くん。

地面に座り込んでいた私達は何度か瞬きした後、顔を見合せた。来光くんは他人事のようにぽかんとしているし、恵衣くんは相変わらず「当たり前だ」とばかりに鼻を鳴らす。

私はまだ何もかもが信じられない。

とにかく凄く疲れた、それなのにとても────。


誰ともなく差し出した拳が、三人の真ん中でコンッと合わさる。

ひひっと来光くんが笑う。ふっと恵衣くんが頬を緩ませた。私もよく分からないけれどぷっと笑う。

くすくすと笑ったあと、ほぼみんな同じタイミングでバタンと後ろに倒れた。

強烈な眠気に意識が体の奥底へ引っ張られる。皆が驚いて私たちの名前を呼ぶ声が聞こえた。


これ、多分明後日まで起きれないな。


そんなことを考えて、微笑みながら目を閉じた。



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朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。 不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。 そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。 帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。 そして邂逅する謎の組織。 萌の物語が始まる。

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

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