言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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書宿の明

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「────なんっ……だこれ」


校門の前に立って言葉を失った私達は、呆然とそれを見上げた。

例えるならばビニール袋に煙を閉じ込めたような光景だった。

学校全体がドーム状の薄くて透明な膜で覆われている。恐らく禰宜か権宮司が張った結界だろう。その結界の中に紫黒の靄がひっくり返したスノードームのように広がっている。奥に建っているはずの校舎ですらその靄のせいで目視できなかった。

これは間違いなく残穢ざんえだ。


「この残穢、やっぱり蠱毒だったんだよ! 早く禰宜達に知らせなきゃ……ッ!」


駆け出そうとした来光くんの腕を嘉正くんが咄嗟に掴んだ。


「落ち着いて来光。蠱毒を外に出さないために結界を張ったんだ。禰宜達はちゃんと気付いて対策を取ってる」


確かに夕方の作戦会議では修祓の前に結界を張るとは言っていなかった。結界を維持するために人員を一人必ず確保する必要があるし、そもそも普通の呪いなら暴れて被害が拡大することもないからだ。

一瞬靄がゆらりと晴れて生徒玄関が見えた。加湿器の口から吹き出す水蒸気のように残穢が溢れ出している。

息を飲んだ。一学期に見た、空亡の残穢が封印されたあの場所と同じだ。


「こ、これ……大丈夫なのかよ」

「どこをどう見たら大丈夫に見えんだよ……」


青い顔をした慶賀くんと泰紀くんがそう零す。自分たちの手には追えない事が目の前で起きているのは明らかだった。

禰宜たちは……この中に。


「ね、ねぇ……どうする? ここで待っとく?」


来光くんが振り返った。私達はお互いに顔を見合せて俯いたその時、ビリビリッと布が裂けるような音がした。

え?と目を瞬かせて振り返ると、恵衣くんが手ぬぐいの端を口にくわえて勢いよく割いている所だった。


「え、恵衣くん……? 何してるの?」


ちらりと私を見た恵衣くんは黙々と布を割き続け、やがて細かくなったそれをひとまとめにすると左巻きにぐるぐると編み上げていく。

ねじり鉢巻きのようになったそれを手首に結び付けた所で何かに気が付いた嘉正くんが「ハッ」と息を飲み恵衣くんの二の腕を掴んだ。


「やめろ恵衣、そんな結界じゃ何の役にも立たない!」

「うるさい黙れ、離せ」


結界? 恵衣くんはあの手ぬぐいで結界を作っていたの?

嘉正くんを振りほどこうとして上げた手首を見た。ロープのようにキツく拗られた細いそれ。やがて見覚えのある形に「あっ」と声を上げる。

あれは注連縄しめなわだ。

社の中だと鳥居や拝殿にかけられることが多い。私達の住む現世うつしよと神の住む神域常世とこよを区切るために設けられるもので、結界と同様悪しきを通さず悪しきを封じる力がある。

恵衣くんは自分に注連縄を結ぶことで、自分の周りに結界を張って残穢を通さないようにしたんだ。

でも、注連縄を結ぶことで一時的に結界を張ることは出来たとしても、急拵えのそれでは小さな災厄を遠ざける程度の効果しか無いはず。到底この膨大な残穢を防ぐことは出来ない。

恵衣くんだってそんな事は分かっているはずなのに、あんなふうに飛び出していこうとするなんてらしくない。


「行くべきじゃない! 俺らに出来ることは、社に状況を伝えて本町に応援要請を出すくらいだ!」

「じゃあお前がそうしろ! クソッ邪魔ばっかりしやがって……ッ! 俺はお前らとは違う!」


今にも掴みかかりそうな二人に「落ち着いて!」と間に入る。

恵衣くんが変だ。何で今日はこんなに感情的になっているんだろう。まるで何かにとても焦っているみたいに。


「おいお前ら、喧嘩してる場合じゃねぇみたいだぞ……ッ!」


そんな泰紀くんの声に二人はハッと手を止めた。振り向き、指さす先を見上げる。校舎が見えないくらいに立ち込めて結界の中を蠢いていた残穢が薄くなっている。

薄くなっているなら状況は良くなっているんじゃ────いいや、これは違う。


「残穢が漏れてる……ッ!」


みんなが目を見開いた。


「二手に分かれて学校の塀に沿って走って結界を確認しよう!」

「わ、分かった!」


私達は二手に分かれて走り出した。


「もっと早く走れないのかノロマ共ッ!」

「お前こそ口動かすより足動かしたら!?」


よりによって同じ方向に走り出したのは来光くんと恵衣くんだった。

こんな時に言い争っている場合じゃないと言いたいところだけれど全力疾走しているせいで上手く喋れない。

とにかく今は急いで探し出さないと。

暫く走り続けていると、急にズンと両肩を強く押さえつけられるような圧迫感を感じて膝が震えた。

この感じは間違いない、残穢だ。


「あっ、あそこ!」


来光くんが先を指さす。視線を向けて息を飲んだ。

裏門近くでヤカンの口から水蒸気が吹き出すように残穢が溢れ出し、凄まじい勢いで外へと流れ出している。

恵衣くんが足のスピードを速めた。あっという間に亀裂の元にたどり着くと、塀を乗り越えて敷地内へ入り込む。

こんな残穢の濃い中を何の用意もせずに飛び込むなんて……!


「あんの馬鹿ッ! 巫寿ちゃんこれ!」


来光くんに突然背中を叩かれた。途端、まるで部屋の窓を開けた時のように自分の周りの空気が入れ替わり息苦しかった呼吸が楽になる。

驚いて手をやると指先に紙が当たる。


「"前"よりもパワーアップしてるよ!」


そうか、厄除けの札!


「ありがとう来光くん……!」

「どういたしまして! でも恵衣の背中に貼りそびれたんだ。あのままじゃ気絶されてお荷物になるし急いで追いかけよう!」


破れた結界の前に着いた。吹き出す残穢に押し飛ばされそうになり体勢を低くして踏ん張る。

透明な膜に刃物で切り裂いたような亀裂が入っている。溢れ出した残穢は風に乗って空へ舞い上がり流されていく。


「来光! 恵衣! 大丈夫か巫寿ーッ!」


遠くから名前が呼ばれた。反対方向へ走り出した三人がこちらへ向かってきている。


「三人は来ないでッ、厄除けの札がもうないんだ! そこで流れ出した残穢を修祓して!」

「分かった!」


そんな返事と共にみんなが柏手を打つ音が聞こえた。


「巫寿ちゃんも嘉正たちと外に残って!」


塀に手をかけてじたばたと暴れながら来光くんがそう叫ぶ。


「私も行く! 一人で行く方が危険だよ! 足手纏いになるって理由以外なら尚更……ッ!」

「中で蠱毒が暴れ回ってるんだ、危険だよ! 僕も恵衣を回収して結界を修繕したら直ぐに出てくるから! ……何か自分で言っておきながら死亡フラグみたいだね!」

「全然笑えないよ!」


来光くんのおしりを押し上げる。塀に片足を引っ掛けた来光くんがまたじたばたと暴れて何とか塀の上で体制を整えた。


「ごめんちょっと格好つけた、本当は"分かった外で待ってる!"って言われたらどうしようって思った。足手纏いなわけないじゃん、同じ時間勉強した仲間だよ」


へへ、と笑った来光くんが上から手を差し出した。「もう」と苦笑いを浮べて差し出された手を握る。

弾みをつけて飛び上がった。

塀は越えられたものの体制を上手く整えられず、その勢いのまま二人して反対側へ転げ落ちた。背中からドンッと落ちるも幸運なことに草の緩衝材があって何とか大怪我は免れる。

ゲホゲホと咳き込みながら顔を上げた。運動場の真ん中辺りに黒い影が蹲っている。


「恵衣くん……ッ!」


急いで立ち上がり走り出す。

駆け寄れば、青を通り越して白い顔をした恵衣くんが喉の奥を鳴らしながら細い息をして蹲っていた。

来光くんが勢いよく背中を叩き御札を貼り付けた。その瞬間、ゴホッと大きな咳とともに紫暗色の靄が口からぶわりと出てくる。

呼吸の音がやがて正常になって、安堵の息を深く吐いた。そして明らかに冷静さを欠いている恵衣くんに眉根を寄せる。


「こんな残穢の中を何の用意もなしに飛び込むなんて無謀すぎるよ!」

「うる、さいッ!」


肩を支えていた私の手を振り払った恵衣くんが膝に手を着いて立ち上がる。まだ上手く力が入らないのか膝が震えていた。


「とにかく体内の残穢は追い出して、厄除けの札を張ったから恵衣は大丈夫だ。僕らは先にあっちをどうにかしないと」


私達は激しく吹き出ていく残穢を見上げて顔を顰めた。

今すぐこの結界を修繕しないと、どんどん残穢が溢れ出す。この量の残穢が街へ流れ込めば被害は甚大だ。

でも結界の張り方なんてまだ習っていない。一体どうすれば……。

来光くんがギュッと拳をきつく握ると私を見た。


「僕が書宿の明で────」

「俺が……やる! 邪魔だ下がってろッ……!」


そう言うと来光くんの肩を掴んで後ろへ突き飛ばす。な、と来光くんが目を見開く。


「まだそんな事言ってんの!? 勝手に飛び込んで倒れそうになって僕らに迷惑かけてるやつが何言ってんのさ!」

「うるさい黙れ! 俺より劣ってる癖に出しゃばるな! じゃあお前ならどうにか出来るのか!?」

「出来るよッ! 不本意だけど……お前と協力すればね!」


恵衣くんが顔を歪めて来光くんを睨んだが、凄む前にその顔は驚愕に変わる。来光くんが胸ぐらに掴みかかったからだ。

その勢いのまま強烈な頭突きが炸裂した。鈍い音が響き思わず息を潜める。


「いい加減にしろッ!」


来光くんの声に芯が通った。


「もう子供じゃないんだから、妥協とか協力とか少しは覚えたら!? 何でも俺が俺がって……自分が一番じゃないと気が済まないのかよッ! 出来ないことがあるのがそんなに恥ずかしいか!? まだ出来なくて当たり前だつーの! お前まだ生後16年だろうが!」


恵衣くんは目を見開いたまま何も言い返さなかった。

頭突きをされて恐らく脳が揺れて何も出来ないという理由が殆どだと思うけれど。

黙った彼を睨みつけ勢いよく手を離した。恵衣くんがその場にどさりと尻もちをつく。フンッと鼻を鳴らすと、懐へ手を突っ込むと袱紗と筆ペンを取り出した。


「来光くん、どうするつもりなの……?」


まだ鼻息の荒い来光くんに恐る恐る話しかける。


「僕も残穢を防ぐような結界の張り方は分からないから、結界の破れた部分の内側に厄除けの札を貼る。上手く行けば残穢が破れた部分を避けて、漏れることは防げるはずでしょ」


なるほど、たしかに弾く効果のある厄除けの札なら結界が貼れなくても代わりになる。


「だから恵衣、お前の知ってる限りで一番効果の強い厄除の祝詞を僕に教えて。まだ恵衣が使えない祝詞でもいいから」


恵衣くんは黙ったままだ。俯いていて表情は見えない。そして。


「……一度で書けよ」


そう言って赤くなった額を抑えながら立ち上がると私たちの元へ歩み寄る。


「恵衣こそ噛むなよ」


今度は恵衣くんがフンッと鼻を鳴らした。

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