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昔の話(下)
壱
しおりを挟む紫色の袴を履いた男の人、神々廻薫先生は来年度から僕が通うことになる神役修詞中等学校の先生をしているらしい。
「俺の家なんだけど好きに使っていいよ。住所はここに移したから、長期休暇はこっちに帰ってきな」
そう言って連れてこられたのは都心から程遠い、とある山奥にある大きな豪邸だった。薫先生は名家のお坊ちゃまらしいのだけれど、訳あって本家とは別の家で暮らしているらしい。
身一つで家を出てきた僕に、薫先生は寝るところと住むところを与えてくれた。
中学校が始まるまでの間は、毎日とは行かないけれど僕が持つ力についてや学校のこと、この界隈のことを丁寧に教えてくれた。
僕には言霊の力という能力があって、これから通う中等学校は僕と似たような力を持つ子供が力の使い方を学び神職を目指すための教育機関らしい。
そのついでとばかりに「興味は無いと思うけど小耳に挟んでて」と教えられた話によると、入院していたクラスメイト達は少しずつだが着実に回復しており、行方不明だった三人は無事に発見されたらしい。消えていた間の記憶はなく、皆が「神隠し」だと騒いだのだとか。
職員室で倒れた担任も少し前から復帰しているようだ。過労と心労によるストレスが原因だと医者に言われたらしい。
興味は無い、ただそれを聞いて胸にのしかかっていた重りがひとつ無くなった気がした。
薫先生は良く周りを見ている人だと思った。
「あの……僕が入るクラスって、何人いるんですか」
薫先生が用事があるため、始業式より三日早く学校へ向かった。その道中でそんなことを尋ねた。
「来光を含めると五人だよ。事情があって最近生徒数が少なくて、今年の一年は五人だ。優等生、難あり優等生、筋肉馬鹿、ちっちゃい馬鹿がいるかな」
今から行き先が不安になる内訳だった。
「大丈夫だよ。みんな気の良い奴らだから」
薫先生はケラケラ笑って巾着の中から金平糖を摘むと、口の中へ転がした。
「うおー!? 何お前だれ!?」
「すげぇ! 編入生とか初めて見た!」
「二人ともうるさい。新学期から編入生が来るって、薫先生から前もって連絡来てたでしょ」
僕が挨拶するよりも薫先生が「新しいクラスメイトを紹介するよ」と言うよりも前に、教室に入った途端物凄い勢いで囲まれた。
その迫力に気圧されていると、薫先生が僕の背中をぽんと押す。
「嬉しいのは分かるけど落ち着きな~。お察しの通り、今年から一緒に勉強する松山来光くんね。適当に時間あげるから交流しな」
薫先生のそんな声なんてもう既に耳には届いておらず、我先にと自己紹介が始まった。
自己紹介を聞かずとも、薫先生が称した"優等生"と"筋肉馬鹿"、"ちっちゃい馬鹿"が誰なのか分かった。
"難あり優等生"は恐らく、一番隅の席で僕には目もくれず読書に耽っている冷たそうな面持ちの彼なんだろう。
自己紹介という名の質問攻めにあい、やがてその日は解散になった。
さようならの挨拶とともに「よっしゃ遊びに行くぞ!」と飛び出して行った筋肉馬鹿とちっちゃい馬鹿。そして呆れ気味にその後を追って出て行った優等生クン。
あれほど騒がしかった教室が、一気にがらんとして静かになる。
さっきまでは興味津々で話しかけてきたくせに、学校が終わるとこれだ。コロッと態度を変えられるのはもう慣れたけれど、結局ここでもそうなんだと小さく息を吐いた。
部屋に帰ってもつまらないし、もう少し教室に残ろうかな。暇つぶしにはなるだろうと貰ったばかりのプリントを広げたその時。
ピシャンッ、と勢いよく教室の前の扉が開いた。驚いて顔を上げると、ちっちゃい馬鹿が立っていた。
「志々尾くん……?」
「だから慶賀でいいってば! てか来光お前、何やってんの?」
「え……? いや、退屈だしもうちょっと教室残ろうかなって」
「はァ!?」
眉を寄せた志々尾くんがずんずんと僕の机へ歩いてきた。そして勢いよく机を叩いて身を乗り出した。反射的に身を縮める。
「遊びに行くぞって言ったじゃん! 何お前、俺らと遊んだことないのにコイツらと遊ぶのは退屈とか思ってんの!?」
「えっと……でも僕らまだ友達でもなんでもないよね」
遊びに行くぞ、という声はちゃんと聞いていたけれど、でもそれは僕以外の友達に向けた言葉なんだと思っていた。
だってまだ知り合って半日も経っていないんだから、知り合いと呼べるかすら怪しい。
ぽかんと口を開けて固まったちっちゃい馬鹿。すると「アハハッ」と愉快そうに笑う声が廊下から聞こえてきて、筋肉馬鹿と優等生が顔を覗かせた。
「来光さてはお前、前の学校に友達いなかったんだろ!」
筋肉馬鹿そう言い、僕があからさまに傷付いた顔をしたのが分かったのか、優等生がその頭を叩いた。
「バカ、言い方。ほんとデリカシーないんだから」
「だからって殴るこたねぇだろ!」
きゃいきゃい騒ぎながら中へ入ってきた二人。僕の机の周りをみんなが囲った。
「誘うも何も、たったの五人しかいねぇクラスメイトだぞ。友達になりましょうそうしましょうでは遊びに行きましょうそうしましょうの確認なんざいらねぇだろ?」
あまりにも自分の知っている常識とはかけ離れていて、一瞬理解が出来なかった。
ちっちゃい馬鹿が「お前変なの!」と不貞腐れたように言う。筋肉馬鹿が「お前釣り得意?」とにっかり笑う。優等生が「来光どうしたの?」と不思議そうに首を傾げた。
正直言って、疑った。たった数時間でこんなにも距離を詰めようとしてくる彼らを疑った。
だって普通なら自己紹介してはい終了。よくて帰り道を一緒に帰るくらい。何も言わずに友達になるなんて、その日のうちに遊ぶなんてありえない。
それに初日に親しげに話しかけてくる奴らは、一週間後に態度をころりと変える。僕が話しかければ笑いをこらえるような顔をして返事をして、仲間内でひそひそクスクス笑い合う。
いつもそうだった。
だからきっとこいつらだって、一週間もすれば前の学校のやつらみたいに態度を変えるんだ。
机の上に視線を落とした僕は膝の上でぎゅっと拳を握る。
その時。
「あーもう! グダグダしてたら時間なくなるって! いいから行くぞ、来光も!」
腕を引っ張られて転けそうになりながら立ち上がった。走り出したちっちゃい馬鹿に続いて、筋肉馬鹿が僕の背中を押す。
無理やりでごめんね、と優等生が呆れながらも止めることなく走って着いてきた。
気を許しちゃダメだ。
だっていつかはこいつらだって、あんなふうに僕を無視する。期待して傷付いて、またその繰り返し。
僕はもう疲れたんだ。
「ひっさしぶりに亀吊ろうぜ、亀!」
「ヌシのやつ、元気にしてっかな!」
「お前ら、初日から罰則食らうつもり?」
賑やかな声が響く。並んだ四つの影が廊下を駆け抜けた。
いつかこいつらも変わる日がくる。
夏が来る頃にはきっと影で笑われて。
「なぁ来光! 今週の金曜の夜から泰紀の部屋で映画観るから!」
「いや僕、部屋で本読むし……」
「強制参加だっつーの! キヒヒ、日曜の夜まで帰れると思うなよ~」
秋が来る頃には無視されて。
「来光! 頼むよ宿題写させてくれ!!」
「ヤダ。自分でやるから宿題なんでしょ」
「誰がやろうと宿題には変わりねぇだろ! ドケチ眼鏡!」
「とんでもない屁理屈だし、それが人に物頼む態度かよ!」
冬が来る頃には嫌われて。
「来光、大丈夫? これ今日の授業のプリントとノートのコピー。無理しないでね」
「昼飯に三色団子出たからとっといてやったぞ~」
「お前ヒョロヒョロだからすぐ風邪ひくんだよら、筋肉をつけろ筋肉を!」
「もー……お前らうるさい……フフ」
次の春には嫌われて。
「僕のつくったお菓子食べたの誰!?」
「僕ではありません」
「僕ではありません」
「ごめん、ちょっと食べた」
「嘉正以外の馬鹿二人はそこへ並べーッ! あと嘘つくなら、口元拭ってから言えこの野郎!」
次の夏には、秋には、冬には、来年には再来年には。
みんなに嫌われて、みんなに。
みんなに────嫌われたくない。
みんなともっと一緒にいたい。みんなと笑って過ごしたい。みんなとずっと友達でいたい。
こんなの初めてだった。こんなにも楽しくて、幸せで、離れ難い毎日は初めてだったんだ。
「薫先生」
「ん~? どした?」
中学三年の三学期、僕は放課後に薫先生の研究室を訪ねた。もうすぐ中等部の卒業課題である昇階位試験がある。
「どしたのそんな深刻な顔しちゃって~」
「聞きたい事があるんです」
薫先生は目を瞬かせた。
「神役諸法度の授業で習ったんです。神修への就学前に他者を呪殺した場合、正階未満の階級とする。また、権禰宜以上の神職としての奉仕を禁ずるって」
「……そうだね」
「僕の場合、どうなりますか?」
その一言だけでも薫先生は十分に伝わったらしい。真剣な表情になると腕を組み考え込むように目を瞑る。
「確かに呪殺した場合の処罰はそうなってるね」
薫先生の言葉に目を伏せた。
「けど来光の場合は授力を無意識に使った事による呪い被害の発生で被呪者は死亡してない。本庁へ確認が必要にはなるけど、罰にはならないと思うよ」
パッと顔を上げた。
ニヤニヤ笑う薫先生と目が合う。
「多分皆と揃って昇級出来るから、安心しなよ」
薫先生には僕の考えが全部お見通しだったらしい。顔を伏せるとぽんと頭を叩かれた。
もし僕が昇級出来ないことを知ったら、皆は「どうして?」と思うに違いない。
昇級できない理由はひとつしかない、神役諸法度に触れる罪を犯しているということ。この世界で人を呪うことは大罪だ。
正直一緒に昇級が出来ないなんて、そんなことはどうでもいい。ただいつかその時が来て、僕が過去に人を呪ったことがある事実を皆に知られるのが怖かった。
3年生の時の社会科見学で起きた事件は、僕についてまわった。みんなはそれを知って、僕を気味悪がり僕を除け者にした。
いつかまたそんな風になるんじゃないかって、ずっと心のどこかで不安を抱えていた。
「そう思える友達に出会えて良かったね────あ、そうだ。まだ確定じゃないけど、来光にはこっそり教えとこうかな」
ふいにそう言った薫先生に首を傾げた。
「来年から、クラスメイトが一人増えるよ」
「えっ! 本当!?」
「ホントホント。しかも女の子、紅一点だよ」
編入生、しかも女の子。慶賀や泰紀が騒ぎそうだな、と小さく笑った。
「いきなり知らない世界に来て大変だと思う。その気持ちを理解してあげられるのはやっぱり来光だけだと思うから、色々助けてあげてね」
張り切って返事をすれば薫先生は眩しそうに目を細めた。
「友達は大切にしなよ」帰り際にそんな言葉が聞こえて、振り向くと薫先生は珍しくデスクに向かってペンを動かしていた。
はい、と返事をすると先生は背を向けたままヒラヒラと手を振った。
僕にとって神修は初めてできた居場所。
僕にとって慶賀は、泰紀は、嘉正は、初めてできた心から信頼出来る友達。
三馬鹿と呼ばれるようになったのは不本意だけど、実はそれ以上に嬉しかった。馬鹿をして怒られる日々は楽しかった。
そんな毎日が大事で、大事で大事で。
だからこそ失う日が来るかもしれないと思うと、ずっと怖かった。
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