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違えた道

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「今日の夕飯鶏の照り焼き? 俺の分あるかな」


いつかと同じように、まるで昨日も会っていたかのような口振りで突然現れた薫に、広間で夕飯を食べていた自分たちはカランと箸を落とした。

冬休みも目前に迫り師走に入った一周目の事だった。


「く、薫……?」

「うん、そうだけど」

「幽霊じゃなく……?」

「あはは、お前相変わらず失礼極まりない奴だね」

「その言い草は薫だ~ッ!」


勢いよく立ち上がった宙一が薫に飛び付いた。支えきれずにひっくり返った薫は畳に転がり呻き声を上げる。


「気持ち悪いな、抱きつくなってば」

「俺たちがどれだけ心配したか分かってんのかよ~!」



ぐりぐりと頭を擦り付ける宙一に薫は顔を引き攣らせた。しかしいつものように無理やり引き剥がすことはせずに黙ってされるがままになる。

自分が耐えきれなくなって宙一の首根っこを掴むと無理やり引き剥がした。ぽいと宙一を後ろに放り投げて薫に詰め寄る。


「芽?」


不思議そうに名前を呼んだ薫。その呼び掛けには答えず無言で薫の体をぺたぺたとまさぐる。


「は!? え、ちょ芽!?」

「芽バカヤロー! こんな公共の場でそんなふしだらな事! キャッ、エッチ~!」


騒ぎ立てる二人を睨みで一蹴して、気が済むまで確認する。最後に頬に触れて、何処にも怪我をしていないことが分かり息を吐いた。


「どこも怪我してないよ」


体をまさぐられた意図が分かったのか、薫がくすくすと笑いながらそう言う。


「後でパンツも脱がすから」

「流石にそれは犯罪」

「冗談だよ」

「目が本気なんだよ」


そんな軽口も随分久しぶりだ。目と目が合う。

色々と言いたいことはある、けど────。



「おかえり、薫」



薫は目を瞬かせたあと、少し恥ずかしそうに「ただいま」と応えた。

久しぶりに四人で夕飯を食べる。

任務中は色んな社を転々としていたらしく、神職の年齢層が高い地方の社では毎日精進料理のようなものばかり食べさせられていたらしい。

久しぶりの肉料理に感極まった様子だったので、自分の大皿から残りを薫の皿に移してやった。


「でもちゃんと屋根のあるところで休めてたんだね。安心した」

「まぁね。前線って言っても空亡と追いかけっこばっかだったし、俺は連絡係だからしょっちゅうまねきの社にも帰ってきてたし」


はァ!?と宙一が目を剥いた。


「お前帰ってきてたの!? だったらなんで顔見せなかったんだよ!?」

「だってお前ら授業中か、真夜中だったし」

「お前と連絡取る手段無いんだから、遠慮せず入ってくるなり叩き起すなりしろよ!」

「次覚えてたらそうする」


明らかにその気のない返事だ。仲良くなってもあっさりしている部分は相変わらずで、そういう所は自分にそっくりだ。


「それで、いつまで居られるの?」

「それがはっきりと言われてないんだよね。ついさっき定期報告に戻ってきたんだけど、そのまま神修で待機命令が出て」

「へ~、そんなことあるんだな」

「昨日うちの班に負傷者が沢山出て、実働できないからだと思う。別の班と交代したばっかりだから、今日明日で再稼働にはならないと思うけど」


ふーん、と宙一が相槌を打つ。そして何かに気が付いたかのように瞳を輝かせると、自分たちを見回した。


「俺らも明日は土曜で学校休みじゃん!? てことはさ────」


ふふふ、と不敵に笑った宙一にピンと来た。俺は嫌だからね、と言い出す前にがしりと肩に腕が回される。


「やるぞ、映画鑑賞会!」


薫が任務についてから何となく開催が見送られていた映画鑑賞会は日曜日の夕方までぶっ通しで開催された。

初めに嬉々が脱落して宙一の布団を占領し、次に開催者の宙一が脱落し夢の国へと旅だった。

散らかったテーブルの上を片付けながら「そろそろお開きだね」と欠伸をこぼす。「だね」と薫はまだ平気そうな顔で相槌を打った。


「薫、休まなくて平気なの?」

「うん。任務中も寝れない日とかあったし、これくらいならまだ全然平気」


思わず黙ると薫がはっと顔を上げて「その後はちゃんと寝てるから」と付け足す。疑う目を向ければ、薫は苦笑いで肩を竦めた。


「そっちはどうなの。授業進んだ?」


分かりやすく話題を変えた薫に呆れながらも話に乗る。


「それが休講ばっかで全然」

「良かった。呼び出されるまでまた学校通おうと思ってたから、安心した」

「分かんなくても、俺が教えるよ」

「ありがと。さすが優等生」


ふふ、と薫が悪戯に笑う。なんだよそれ、と肩を軽く叩いた。

あらかた部屋が片付いて、缶の残りをちびちびと消費しながらとりとめのない会話をした。

薫がいない間の授業の話や、宙一がサッカーボールを本殿の屋根に乗せて罰則を食らったこと、嬉々が自分たちで呪いを試そうとしたこと、皆で銀杏を炒って食べた事。

薫は楽しそうに相槌を打って、たまにケラケラ笑いながら聞いてくれる。


「ホント宙一だけは中等部から何にも変わらないんだから」


呆れたようにどこか嬉しそうに、薫は目を細める。


「天然の阿呆だからね」

「あはは、天然の阿呆。でも宙一も嬉々も相変わらずで何か安心した」


大人びたそんな言葉に何故か胸がざわつく。薫と目が合った。


「芽は大丈夫?」

「……え?」


思わず聞き返したのは、聞こえなかったからでも予想外の質問だったからでもない。都合の悪いものを隠していて、それが見付かったような気がしたからだ。

薫に隠す事なんて何も無いはずなのに。


「どうかした? なんか違う、いつもの芽じゃない感じ」


顔をのぞき込まれて咄嗟に逸らした。取って付けたような「気のせいだよ」に多分薫も気付いている。


「じゃあ、なんかあったら言って」


気を遣ってかそれ以上は深入りしてこなかった薫は、缶の残りを飲み干した。

自分も立ち上がって、眠る嬉々を背におぶる。俺ら帰るよ、と薫が宙一の頬を叩けば宙一はむにゃむにゃと返事した。


「俺も、ケータイ買ってもらおうかな」


今までは「必要ある? ソレ」の一択だった薫がそんなことを呟く。珍しいねと目を丸くすれば、薫は「まあね」と肩を竦めた。


「そしたら、いつでも連絡できるでしょ」

「あ……」

「変な芽。お前が前にそうしたいって言ってたじゃん」


そうだっけ。そうだったか。そんなことを言ったような気もする。

薫が怪訝な顔でこちらを見ているのに気がついて歩く速度を早めた。薫と顔を合わせるのが今は少し苦しい。理由は分からない。


それからあっという間に一週間が過ぎた。

薫はいつ呼び出されるか分からないと言っていたけれどもう暫くその兆しはなさそうで、今は自分たちと一緒に神修で授業を受けている。

毎日のように飛び込んできていた厳しい戦況の噂は晴れた日の沖合のように静かになった。


「だからー、そこはこの公式を当てはめて解くんだってば!」

「それで解いて答えが合わないんだって、さっきから言ってるでしょ」

「お前が計算ミスってるだけなんじゃね?」


数日前にまねきの社にも初雪が降って、その日以降は昼休みを教室の中で過ごしていた。

今日も昼休みを教室で過ごし、薫が授業を抜けていた分を補うための課題を皆で教え合っていた。

すっかり調子を取り戻した宙一がぎゃあぎゃあと騒ぎ立て、薫が迷惑そうに耳の穴に指を突っ込む。


「そもそも当てはめる公式が違うね。この問題の場合はこっち」


教科書をトンと指させば、薫が分かりやすく眉を釣りあげて宙一を睨む。あれ~おっかしいなぁ、とヘラヘラ笑って首の後ろを摩った宙一の頭に薫の教科書の角が降り注ぐ。


「おまっ、馬鹿になったらどーすんだよ!」

「あはは、もう手の施しようがない馬鹿だから心配しなくていいよ」

「確かにそうか……ってなる訳ねぇだろ表出ろや薫ぅッ!」


暴れだした宙一を馬を落ち着かせる要領で「どうどう」と宥める。うるさいぞ阿呆共と嬉々にひと睨みされたことでシュンと肩を落とした。

その日の放課後、寮へ戻る前に髪が伸びた嬉々のためにヘアサロン宙一が開店した。


「お客様今日はどうしますか~?」


ゴミ袋に穴を開けただけの即席のケープを嬉々に被せながら宙一は楽しそう尋ねた。


「うるさい黙れとっとと始めろ」

「ったく……少しくらい乗ってこいよ。ほら、前髪切るから目瞑って」


言われた通りに目を閉じた嬉々。宙一は今回も迷うことなくザクザクとハサミを入れていく。


「お前ほんと手先だけは起用だね」


椅子に跨りストーブの傍で温まりながらそう言う。


「おうよ。頭空っぽな分こっちに全振りしてるからな! 頭以外は結構優秀だぜ~」


ソレ胸張って言えることなの、と薫の冷静なツッコミが入る。


「薫も髪結構伸びたな」

「あー、切りに行く暇なかったし」

「嬉々の後で切ってやろうか? 十センチくらい」

「あはは、善意チラつかせてハゲにしようとするのやめてくれる?」


お客様六十年後のトレンドはハゲなんですよ、そりゃそうだろうね。コントみたいな二人のやり取りにくふくふ笑いながら椅子の背もたれで頬杖をつく。


「でも次出発する前には切らないと、今度帰ってきた時は売れないバンドマンみたいになるかも」


薫は伸びた前髪を引っ張った。


「次の出発まだ決まってないんだよね?」


自分のそんな問い掛けに、うんとひとつ頷く。

帰ってきた時に薫が所属する班員に負傷者が沢山出て実働出来ない状態なのだと言っていたから、班員が回復するか新しいメンバーが補充されるまでは呼び出されることは無いのだろう。

どこも神職が人手不足の今後者はなさそうなので、もう暫くは待機が続くはずだ。


「にしても最近静かだよなぁ。薫何か聞いてねぇの?」

「何も」

「じゃあ嵐の前の静けさだったりして~」


そう言うのは口に出した時にと言いかけたところで、教室の後ろの扉がガラリと勢いよく開いた。

みんな驚いて弾けるように振り返る。


「あっ、そらちーさんいた! いつもこの時間は反橋の下だから探しましたよ!」


高等部の松葉色の制服を着た小柄な少年だ。

上履きに入ったラインが青だったので高等部の一年生だろう。親しげに話しかけていた様子を見ると、宙一が所属する究極祝詞研究会の後輩だろうか。


「宙一お前後輩に"そらちー"って呼ばせてるの?」

「だってお前らが呼んでくれねぇんだもん。────寒いだろ、中入ってこいよ!」


失礼します!と人懐っこい笑みを浮かべた宙一の後輩はパタパタと走ってきた。


「わっ! そらちーさん髪切れるんですか!? すごーい! めっちゃ器用ですね!」

「だろう? そうだろう? もっと褒めていいんだぞ!」


鼻高々にガハガハと笑う宙一にため息をつく。


「俺も今度切ってください!」

「いいぞいいぞ、武田信玄、杉田玄白、正岡子規どれがいい?」

「強そうなので武田信玄カットで!」


いいのか後輩もれなく全部ハゲだぞ、嬉々の冷静な突っ込みに「ええ!?」と大袈裟に驚く。そして「酷いですよォ」と膨れた顔で宙一の背中をぽこぽこと叩く。


「宙一に用があったんじゃなかったの?」


話を戻すきっかけを与えれば、「あっ」と声を上げて手を止めた。


「そうなんです! そらちーさんへ伝言があって! 嬉々さんにも!」


嬉々が目を細めて後輩を見た。


「この後17時に神楽殿へ集合とのことです!」

「神楽殿? 何でだ?」

「知りません! でも俺ら一年も全員呼ばれてます!」


宙一だけなら心当たりは山ほどあるはずだが嬉々も一緒となれば話は変わってくる。お説教や罰則の類では無さそうだ。


「じゃ、お伝えしましたので俺はこれで!」

「おう! サンキューな!」


はい!と最後まで人懐っこい笑みを浮かべて教室から出ていった後輩を見送り、宙一はうーんと首を捻る。


「何だろ? 嬉々も一緒ならお説教の類ではなさそうだし」

「呼び出しがあってまず説教かどうか疑うくらい心当たりはあるんだね」

「そりゃまだ怒られてない案件が十三はあるからな」


説教ではないと判断したのか宙一は直ぐに悩むのをやめて手元の作業に集中し始めた。

その時、また後ろの扉がガラリと開く音がして言い忘れでもあったのだろうかと振り返ると、そこにあったのは禄輪の姿だった。

ほだかの社が襲撃されてから神修の非常勤講師を休んでいたので、禄輪と会うのはもっと久しぶりだった。


「禄輪さん!」

「皆久しぶりだな。真面目に勉強してたか?」


以前と変わらない笑みを浮かべて小さく手を挙げた禄輪。しかし心做しか顔は窶れたように見えて少し胸に不安が募る。

禄輪は首をめぐらせて、薫に向かって小さくて招きをした。無言で立ち上がった薫は「ちょっと行ってくる」と言い残して禄輪と共に教室を出ていく。


「禄輪先生どったのかな~」

「さぁ……薫だけ連れてったけど」

「まあ薫って禄輪先生の愛弟子だもんなぁ────っと、出来たよ嬉々」


バサバサとゴミ袋ケープを脱いだ嬉々。顎のラインで揃えられた髪を手櫛で撫で付け、「阿呆の割にはよくやった」と褒めているのか微妙なラインの賛辞を送る。


「急がねぇと。あと五分で17時だぞ!」

「ここ片付けとくから行っといでよ。終わったら俺先帰るね」

「わりぃ、頼んだ!」


ドタバタと教室を出ていった二人を見送り、嬉々が脱ぎ捨てたゴミ袋を拾い上げる。

教室を見渡した。大型ストーブの火がごうごうと燃える音だけが響く。がらんとした教室に何故か胸がざわついた。




「────は? 今、何て……」


結局薫たちは夕飯時になっても帰ってこなかった。先に夕飯と風呂を済ませて宿題に取り掛かっていると、20時を過ぎた頃に部屋のドアが叩かれた。

きっと薫か宙一だろうと思って「あいてまーす」とだけ返事をする。ドアが開いて誰かが入ってきた。足音が三人分あった。となると嬉々も一緒なのだろう。

計算問題が一区切りついてシャーペンを置いて振り返る。案の定薫たち三人が立っていた。薫も嬉々もいつも通りの表情で、宙一だけが二人の影でよく見えない。


「おかえり、結構遅かったね。……なんで全員棒立ち? あがらないの?」


ドアの前に突っ立った三人にそう促せば、皆はゴソゴソと靴を脱いでいつも通りの配置でテーブルを囲う。


「で、二人は何の話だったの? 薫も禄輪さんに呼ばれてたよね、どうだったの?」

「出発する日が決まった」


薫の言葉に一瞬息が止まって、それでも何とか「そう」と相槌を打つ。動揺がばれないように必死に声を張って「いつ?」と尋ねた。


「三日後。宙一と嬉々も」


ソライチトキキモ。

まるで知らない単語を初めて聞いた時のように、言葉と頭の中が繋がらず、ただその言葉を反復した。


「────は? 今、何て……」

「そのままだ。私とこの阿呆も三日後に発つ。大規模な掃討戦になるらしい。高等部の一年から三年まで動員されてる」


嬉々にしては珍しく噛み締めるように言葉を紡ぐ。揺らぎないその瞳を戸惑いながら見つめ返す。


「いやー、ビックリだよな! 俺自分で言うのもなんだけど阿呆じゃん? まさかこの俺まで必要とされるとは! もしくは宙一サマの真の力を見抜かれちゃった感じ?」


ずっと俯いていた宙一がぱっと顔を上げてケラケラと笑う。笑っているとは言い難いほど強ばったその笑みにかける言葉が見つからない。

どろり、どろり────斎賀先生の訃報を聞いた日も薫へ空亡戦の任務が来た日も、その時に感じた粘着質な重いそれは確実に胸の中に広がって侵食していく。

重い風邪を引いた時のように胸が重くて、喉がつっかえて上手く息が出来ない。

これは本庁の決定、いずれは学生が動員されると薫から聞いていた、宙一も嬉々も直階は取得していて、神職としての活動自体は神役諸法度でも認められている。

でも、だったら。

"お前の言祝ぎの力が強いのは、いざと言う時誰よりも先頭に立って守り導くためにあるんだよ。決して自惚れず、研鑽を重ねなさい"

幼い頃から耳にタコができるほど言い聞かされてきた言葉だった。

その言葉を疑う事なんて一度もなかった。自分の力が他者と違うのは理解していたし、当然の務めなのだと思っていた。

薫が呪の調整で苦労していたほどでは無いけれど、自分も苦しい稽古を積み重ねてきた。それがこの力を宿した自分の、当然の義務だと思っていたからだ。

何よりもその全てが弟を────薫を守るために繋がっていると思ったから。守り導くための力、そのために努力してきた。

ならばどうして、なぜ。

────俺だけがこうして何もしていない?


なりふり構わず乗り込んだ日本神社本庁の庁舎は、空亡が現れた頃から24時間体制になって21時を過ぎた時間でも沢山の神職が働いていた。

実家が由緒正しい社でその長男、成績優秀で類まれなる言祝ぎの持ち主、由緒と歴史が大好きな老人達が集まるそこで、自分の経歴が有効だったのか片手であしらわれることも無く直ぐに上層部へ通された。

薫の事を避けていた実家の神職達とよく似た古臭い顔の役員たちが、こんな時にもかかわらず笑顔で自分を招き入れる。


「何故ですか」


表情を変えずに淡々とただ一言そう尋ねれば、全て言わずとも伝わったらしく口々に御託を並べ始めた。

芽くんにはまねきの社の守りを固めてもらいたい、戦線が動き始めたら審神者さまの傍に付き添ってもらいたい、将来のために役員の仕事を見ておきなさい。

唇の隅に泡をつけて口早に語りかけるそれらはどれも反吐が出そうなほど綺麗事で塗り固められた身勝手だった。

自分以外にも神修に残されている先輩や後輩がいることをそこで知った。みんな優秀な学生で、3年の先輩には自分と同じ正階を取っている人もいた。

間違いなくそこらの神職よりも強い人たちばかりだ。

すぐに分かった。ああそうか。

仲間や友人が最前線で戦う中でこいつらは、ぬくぬくと結界に守られるこいつらは、我が身可愛さに保身に走ったのか。

どろり、胸の中の汚泥が広がる。



自分が力を培ってきたのはこいつらを守るためだったのか? 自分が従ってきたのは、こんな腐り切った者たちだったのか? 薫を虐げ、友人を危険な場所へ向かわせたのは、自分の保身しか頭にない奴らだったのか?

どろり、どろり。溢れ出る、侵食していく。どす黒くて醜い何かが。

揺らぐ、揺れる。指針にしてきたはずの自分の中の芯が。


「なんて顔してんだよ芽。ダイジョーブだって! 阿呆なのが幸いして後方支援になったし、危険な所には派遣されないんだって」

「私も後方支援だ」

「それにほら、前言っただろ。脳味噌詰まってない分、俺の能力は手足に全振りされてるんだって。やべぇと思ったら自慢のこの足でなりふり構わず逃げるからさ!」


へへ、と鼻を擦った宙一は拳を胸にとんとぶつけてきた。


「お前こそ、審神者さまの護衛っていう大役任されたんだろ? チビって逃げ出すなよォ」


任務の話を聞かされた日誰よりも動揺していた癖に、なぜ宙一はそんなにも明るく笑えるんだろうか。


「胡散臭い笑顔だな気持ち悪い」


嬉々が目を細めて笑った。指摘されるまで自覚はなかった。今自分がどんな顔をしているのか、よく分からない。


「芽、大丈夫?」


薫が不安げに自分の顔を覗き込んだ。大丈夫だよ、そう言いたいのに言葉が上手く出てこない。


「帰ってきたら、金平糖食べたくなるかも」


ちらりとこちらの様子を伺うようにそう呟く。

あはは、分かったよ。用意しとくよ。そう言うつもりだったのに、絞り出た言葉はただ「うん」と相槌を打つ返事だけだった。

薫は気遣うような視線を残したあと歩き出した。嬉々もじっと自分を見つめた後くるりと背を向け歩き出す。


「じゃ、ちょっくら行ってくらぁ。直ぐに帰ってくるからさ」


休み時間にトイレに行く時と同じように手をひらひらさせて宙一が歩き出し、やがてその背中は見えなくなった。


薫達が経ったあと、自分は言われた通り日中はかむくらの社で志ようの傍で過ごした。

外と隔絶されたその場所は、これから大きな戦いが起きるだなんて想像も出来ないほど穏やかで優しい空気が流れていた。

社の決まりで巫女以外の寝泊まりが禁じられているため、日が暮れる前には神修に帰る。授業は無いのでまた朝からかむくらの社へ向かう。そんな日々を繰り返していた。

そして四日目の夜。まるで数日前の静けさが嘘のようにまねきの社には激しい戦線の様子が各所の連絡係から伝わってきた。

本庁も混乱を極め、神修に残ることになった自分達学生の相手をしてくれる者などいるはずもなく、救護所になった校舎の一階で手当を手伝ったり、自分達で出来ることを探した。

しかし血の穢れを最も嫌うかむくらの社に出入りする自分はその手伝いですら許されず、ただ遠くから呆然と眺めることしか出来なかった。

己の手を見つめ、握りしめた。爪が手のひらに食い込む。

痛い。自分の無力さが、痛い。

分からない。この言祝ぎは何のためにあるのか、分からない。




程なくして宣言通り宙一は"直ぐ"に帰ってきた。

けれど帰ってきたのは、宙一の右手一本だけだった。

空亡側に準じた悪意ある妖に襲われ、何とか持って帰って来れたのはそれだけだったらしい。


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