言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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違えた道

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「おはよ、久しぶり」


結局夏休みは一度も顔を合わせる事がなかった薫との再会は、二学期が始まる始業祭の日の朝だった。

宙一や嬉々と合流して朝食のお膳を受け取り広間へ入ると、先に来ていた薫がまるで昨日も会っていたような調子でこちらに手を振った。


「薫!」


ずっとどこか物憂げな顔をしていた宙一が表情を明るくして駆け寄った。


「お前いつ帰ってきたんだよ!」

「今朝だよ。禄輪のおっさんと稽古してたら前日の車に乗り遅れちゃってさ」


いつものように薫の背中から飛びついて首にプロレス技をかける。その衝撃で味噌汁を制服にこぼした薫は宙一の顔面を鷲掴みにして引き剥がした。


「あははっ、いつもの薫だ~……って、違ぇ! この薄情者! なんで俺には手紙返してくれねぇんだよ!?」

「ドラクエの進捗具合書かれた手紙になんて返事すればいいのさ」

「凄いねぇとか宙一くんは天才だねぇとか色々あっただろ!」

「あはは、自画自賛キモ」


コノヤロー!と暴れる宙一の顔はどこか嬉しそうで、いつもの賑やかさが少しずつ戻ってきている気がした。

二学期が始まって変わったことと言えば自分たちのクラス担任の後任がやっと決まった事くらいで、相変わらず授業は頻繁に休講になり、薫も実技の授業には参加させてもらえなかった。

でも少しずつ沈んでいた空気が浮上し始めていたある日、放課後に薫が担任から呼び出された。

宙一の部屋で映画を見る約束をしていたので「ごめん、先始めてて」と言った薫は、担任の後に続いて教室から出ていく。用意だけ整えて宙一の部屋で薫が来るのを待っていると一時間ほど遅れて薫がやって来た。


「おー、遅かったな薫。今度は何やったんだよ? 罰則何ヶ月?」


靴を脱ぎながら薫が呆れたように息を吐いた。


「何かやらかして説教で呼び出されたって決めつけないでよね」

「それ以外に何があんだよ~」

「宙一と一緒にするなっての。いいからほら、始めよう。今日何観るの?」

「アースウォーメンの4!」


じゃーん、とパッケージを見せた宙一。


「終わったら起こして」

「宙一、勉強机使っていい?」

「帰る」


座布団を枕にして横になった薫、本棚から教科書を抜き取って勉強机に向かう自分、そそくさと立ち上がった嬉々。

宙一は頬をひきつらせた。


「寝ようとするな勉強しようとするな帰るなーッ!」


眉を釣りあげた宙一に、三人顔を見合せてケラケラと笑う。


「許さねぇ! 4で勘弁してやろうと思ったけどやっぱ1から4まで全部観る!」

「流石にそれは……」

「うるせぇ! 黙って付き合えーッ!」

「おい双子この阿呆を沈めろ」


シーズン1のDVDをプレイヤーに差し込もうとする宙一を羽交い締めにして抑え込む。その隙に薫が手から抜き取って「今日は4だけにしようね~」とプレイヤーに挿入する。

再生ボタンを押せば配給会社のイントロムービーが流れ出す。

まだ文句を言う宙一の口に嬉々が大福を押し込んで半強制的に黙らせた。

途中で夕食休憩を挟んでから宙一のオススメをもう一本観て、夜も深まった丑三つ時にお開きになった。


「嬉々、女子棟帰る時に自販機の前通るでしょ。ついでに缶捨てて」

「はぁ……やっと寝れる。宙一のオススメ本当につまんないんだけど」

「無駄な時間を過ごした私たちに心から謝罪してくれ」


テーブルの上に散乱するお菓子のゴミを纏めながら、各々に伸びをして立ち上がる。

宙一はと言うと、どこにそんなシーンがあったのかバスタオルに顔を埋めながらしくしくと泣いている。


「ちょっと。宙一も片付け手伝いなよ」

「もう暫くこの感動に浸らせてくれよ……」

「どこにそんなに感動するポイントがあったのさ」

「お前は血も涙もないのか!?」


また言い争いを始めた宙一と薫に呆れながら、最後にゴミ袋をキュッと縛った。


「薫、部屋戻るよ」

「あ、うん。その前に一個いい? みんな、聞いて欲しいんだけど」


妙な言い方に首を傾げた。

出ていこうとしていた嬉々が足を止めて振り返った。なんだよ改まって、と宙一も怪訝な顔をする。


「俺、明日から暫く学校休むことになった」


目を瞬かせた。

ハッと息を飲んだ宙一が深刻な顔で薫に詰め寄る。


「もしかして、とんでもない事しでかして停学とか? だから今日担任に呼び出されてたのか……?」

「違うよ、お前じゃないんだから」

「あははっ、だよなぁ……って今なんつった!」

「あーもう、宙一うるさい。ちょっと黙って」


ったく、なんだよ、と不服そうな顔をした宙一は膝に頬杖をついた。


「学校休むってどういうこと? 暫くって期間は決まってないってこと?」


眉根を寄せて詰め寄ると、薫は表情を変えずにひとつ頷いた。


「今日担任から言われたんだ、俺に空亡修祓の任務が来たんだって。だから明日から他の神職と一緒に向かう事になった。期間は分かんないけど、呼ばれたら学校よりもそっちを優先しなきゃいけないって」

「……は?」


あまりにも理解し難い言葉に、やっと出たのはそんな言葉だった。


「神社本庁が薫へ空亡の修祓の任務へ行くよう指示が出たということか」


珍しく嬉々が自分から口を開いた。

そういうこと、と薫が頷く。

何を言ってるんだ薫は。そういうこと? 何一つ全く理解できない。空亡の修祓? 薫が?


「……おかしいよね。神社本庁から任務が降りてくる神職は18歳以上か、高等部を卒業した学生だよ。薫はいつ高等部卒業したの」

「卒業はしてないけど、今回は仕方ないんだって」

「仕方ない? まだ学生の、階級だって直階の、いち高校生が、空亡の修祓に向かわされることが仕方ないことなのか?」


手に力が入った。握る手のひらに爪が食い込む。


「人手が足りてないんだって。動ける学生はこれからどんどん声がかかるみたい」

「でも、だったらなんで薫なんだよッ!」


声を荒らげた自分に驚いたのか、薫が目を見開いて自分を見ている。落ち着けよ、と宙一が戸惑いながら自分の肩を引っ張った。

沢山の神職が対峙して次々と怪我を負って帰ってきている、帰らぬ人となった神職もいた。そんな妖の修祓になぜ薫が選ばれる?

これまで散々薫の力を恐れていたくせに。その力を使わせないように薫の行動を制限していたくせに。薫のことを虐げてきたのは敬遠してきたのは本庁の人間だ。

それなのに何故今となって、薫の力を必要とする?


「断りなよ。本庁からの任務は選択権があっただろ。自分の力量に合わない任務は、断ってもいいことになってるはずだよ」

「そうだけど、もう行くって返事したんだ」


その言葉にカッと頭に血が上る。

勢いのまま薫の胸ぐらを掴むと、薫はバランスを崩してそのまま後ろに尻もちを着いた。薫の上に馬乗りになる。


「何勝手なことしてんの!? どれだけ危険なことなのかお前は分かってないんだよッ!」

「分かってる。分かってるから、引き受けた」


自分とは反対に薫はとても落ち着いていた。真っ直ぐ自分を見上げる視線に、思わずたじろぎそうになる。でも負けじと睨み返した。


「正直ずっと自分の力は何の役にも立たないと思ってたんだ。でもさ、覚えてる? 中二の職場体験。あの日、初めて自分の力で他の人を助けられるんだって知って、俺嬉しかったんだ。もちろん芽たちの助けがあって事だったのは分かってるけど」

「じゃあ他の場所でその力を使えばいいだろ!? 何でその場が空亡の修祓になるんだよッ!」


奥歯を噛み締めた。

薫がまるで何もかも受け入れたようなとても優しい顔をしたからだ。


「俺、この場所が好きだよ。ここが俺の居場所なんだって初めて思えたんだ」

「だったら、ずっとここにいなよ……ッ」

「だからこそ、この場所を守るために行きたい」


あまりにも真剣な目に言葉が出てこない。唇を噛み締める。


「斎賀先生、結構好きだったんだ。いちいち煩いし拳骨は痛いし、ゴリラみたいな顔してるけど。だからさ、斎賀先生のためにも、お前らが同じ道を辿らないようにするためにも、行くって決めた。"友達"だから」


薫が胸ぐらを掴む自分の腕を掴んだ。「相談しなくてごめんね」と昔みたいに困った顔をして笑う。

胸ぐらを揺すった。何度も揺すった、その度に薫が「うん」と相槌を打つ。


「友達なら、事後報告じゃなくて事前に相談するもんだろ馬鹿」


宙一が目元を真っ赤にしてそう言った。

「そうなの? こっちは友達初心者なもんでさ」なんてしれっと答えて、顔を梅干しみたいにぐしゃぐしゃにして堪える宙一を見て笑った。


「いつ出るんだ」


嬉々が静かにそう尋ねる。


「明日の昼には発つよ」

「そうかせいぜい下痢にならないといいな」

「ちょっと、俺のこと呪う気満々じゃん。長旅になるから勘弁してよ」


くすくすと笑った薫に嬉々は俯いた。指が白くなる程握り締められた喜々の拳に、薫も気付いていた。

薫が自分の肩を押した。もうとっくに力なんて入れていなくて、すとんと薫の上から降りる。体を起こした薫はトンと自分の胸を叩いた。


「なんて顔してんの、別に死にに行くわけじゃないんだから」


薫が笑う。

自分は一体どんな顔をしているんだろうか。


「もう何処も安全な場所なんてないんだって。だからさ、宙一と嬉々のこと頼むね」


もう一度自分の胸を叩いた薫に項垂れる。

後ろにいたはずの薫が気が付けば横に並び、そして今日ついに、手が届かないほど先に行ってしまったような気がした。

どろり、胸の奥に少しづつ何かが広がっている。





鎮守の森の秋の色が深まった頃、本庁の置かれているまねきの社には前線の戦況が次々と入ってきた。

噂好きの学生間でその情報は瞬く間に広がって、尋ねずとも現状がかなり厳しい状況に置かれているのが分かった。


「ヤバいヤバいヤバいッ!」


昼休み明けの次の授業が休講になって、「この後どうする?」なんて嬉々と話していると、トイレに行っていた宙一が多分洗った後拭っていないびしょ濡れの手を振り回しながら教室へ飛び込んできた。

膝に手を着いて肩で息をする宙一に苦い顔をする。


「ちょっと。洗ったのは偉いけどせめて水気飛ばすくらいのこと出来なかったの? 雫飛んできたんだけど」

「お前の顔面で拭いてやろうか」

「それどころじゃないんだって! ほだかの社が襲撃されたって!」


勢いよく立ち上がれば椅子が後ろに激しい音を立てて倒れた。

ほだかの社、禄輪が管轄する社だ。


「禄輪さんは……!?」

「それが丁度別の任務で社を離れてたタイミングらしくて、今確認しに戻ってるって」


良かったという言葉が舌の付け根まででかかって、かぶりを振って飲み込んだ。禄輪は無事でも社は無事では済んでいないはずだし、ほだかの社は住み込みの神職も多い。

ここまで噂が流れてくるということはそれほど規模が大きいということだ。

それでも、自分の近しい人が無事だったということだけでも事実として分かって安堵する。机の上に手をついて深く息を吐いた。

宙一は不安げに眉を顰める。


「……薫、大丈夫かな」

「無事に決まってるでしょ」


間髪入れずに発した言葉は思ったよりも尖っていて冷たい。鈍感な宙一ですら直ぐにそれを察して「ごめん、馬鹿なこと言ったな」と直ぐに謝罪を口にする。

明らかに宙一のその言葉は薫の安否を心から案じるもので、善意が滲んだ結果だとは分かっている。

こんな事でへそを曲げるなんて馬鹿げているとは分かっていても、直ぐにその謝罪を受け入れるのが難しかった。

申し訳なさそうに顔色を伺う宙一の視線から逃れるように、「頭冷やしてくる」と断りを入れて教室を出た。


学舎から出てまねきの社へ続く石階段を降りる。

季節は十一月に入り、鎮守の森はどこもかしこも色鮮やかで社頭のあちこちが銀杏臭い。毎年この時期になると宙一がどこからかこっそり七輪を盗んできて、拾い集めた銀杏を皆で炒って食べていた。

でも……今年は出来そうにないな。

地面に転がる銀杏を蹴飛ばし、階段の途中に腰を下ろした。


薫が神修をはなれてもうふた月経った。

元々ケータイ電話は持っていなかったし、これから各地を転々とすることになると聞いていたので手紙も出せない。連絡を取る手段がなく、今がどういう状況なのか何一つ分からなかった。

連絡が無いのは元気なショーコだよ、と宙一が気を使うように自分の背中を何度も叩いた。

宙一の言う通りだ。毎日色んな情報が本庁には届いている。それこそ薫がいるのは最前線で、前線なら情報は途切れることは無いはずだ。

それでもまねきの社で見かける神職が明らかに少なくなり、座学の科目担当の先生が変わり、頻繁に行われるようになった神葬祭の参加が義務ではなくなったり、そういう変化を目の当たりにしているとどうしても胸が騒ぐ。


「芽!」


名前を呼ばれて振り返れば、階段の上から宙一と嬉々がこちらを見下ろしていた。

小走りで階段をおりてくると二人は隣に座った。

気まずい沈黙が流れた。宙一は何か言いたげな顔をして視線をさ迷わせる。


「……銀杏食う?」


最終的に選ばれた台詞はそれだったらしく、思わずぷっと吹き出した。安心したように宙一が顔をほころばせる。


「ちょっと多めに炒ってさ、薫の分も作っとこうぜ」

「帰ってくるよりも先に腐っちゃうかもよ」

「そんときゃまた作ればいいじゃん!」


ほら立てよ、と宙一に背中を叩かれた。

嬉々が無言で手を差し出したので、有難くその手を掴ませてもらって弾みをつけて立ち上がる。


「宙一。さっきはごめん」

「いいって。俺もお前が重度のブラコンだった事忘れてたのが悪かったし」

「そうだよね。結局宙一が全部悪い」

「ブラコンは否定せんのかい」


事実だし、と笑って一歩踏み出す。三人横に並んで階段を駆け下りた。

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