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別れ
参
しおりを挟む激しい爆発音がした後、隆永は幸に薫を任せて離れを飛び出した。社頭を全速力で横切っていると同じく騒動に気がついた神職の何人かが外に出てくる。
「全ての建物を調べるんだ! 一人で動かず、巫女は禰宜以上の神職と行動!」
端的に伝えたその指示に最初のうちは戸惑っていた神職たちも表情を引き締め方々にかけ出す。
自分も本殿へ、と駆け出したその時、社務所から飛び出してきた真言が己の名前を叫ぶように呼んだ。
「隆永宮司! お待ちください!」
「この緊急事態に何、端的に話して」
転がるように走ってきた真言は隆永の前で止まって膝に手を着いて息を吐いた。
「芽さまが母屋にいらっしゃいません……!」
隆永は目を見開いた。
「ちょうど私も母屋にいて、爆発音の後すぐに芽さまのお部屋へ駆けつけたのですがいらっしゃらず……!」
「芽の部屋以外は」
「母屋と社務所にはいらっしゃいませんでしたっ!」
眉間に皺を寄せた。
本殿、拝殿、社務所に宝物殿……社頭にある建物は全て神職が中へ入って捜索している。指示を出して五分は過ぎた。あれだけの大きな音なら、聞こえる場所にいたならば芽は驚いて出てくるはずだ。
となれば離れか鎮守の森か。
「真言、あと数人連れて離れに。芽が見つからなければ、鎮守の森に入れ」
「承知しました……!」
すぐに近くにいた神職二人を呼び止めた真言が離の方へ走り出す。
もう一度本殿へ向かおうと一歩踏み出したその時、隆永ははっと振り返った。母屋と離れの間にある稽古場には、まだ誰も向かっていない。
勢いよく土を蹴りあげ走り出した。
稽古場の扉を開けた瞬間、まるで中へ入ることを拒むかのような豪風が自分の体を押し出した。咄嗟に扉を掴んで飛ばされそうになったところを間一髪で逃れる。
風と吹き付ける雨でもつれそうになる足を必死に踏ん張り中へ入る。
「何だこれ……!?」
そこに広がっていた景色は、轟く雷鳴を纏ったどす黒い雲だった。まるで竜巻の中にでもいるような光景だ、激しく吹きつける雨風は立っているのもやっとで、力を抜けばいつでも吹き飛ばされるほど強い。
顔を腕で覆って一歩、また一歩と前に進む。すると風が吹き付ける轟音の中から、悲鳴に近い泣き声が聞こえた。
「芽!? そこにいるのか!?」
数秒遅れて「お父さんっ……!」と芽の声が聞こえた。
聞こえた声の位置を頼りに前に進む。やがて人の気配を感じて手を差し出せば、小さな手が縋るようにその手を握った。その手を強く引き寄せて胸に抱く。
「何やってるんだ!」
「薫が、薫がぁっ……!」
泣きじゃくりながら必死に渦の中心を指さす芽に、隆永は息を飲んだ。
「中心に、薫がいるのか!?」
くしゃりと顔を歪めて、芽は何度も頷く。
下唇を噛み締めた隆永は渦の中心に背を向けて出入口へ向かって歩き出す。芽を抱きかかえた状態で上手くバランスが取れずにその場に膝を付いた。
驚いた芽が悲鳴をあげて己にしがみつく。
クソ、と心の中で悪態をつき吹き荒れる部屋の中を睨んだ。
恐らくこれは人為的に発生した雨雲だ。雨雲を生む祝詞は幾つかある、恐らく降雨を願う祈雨祝詞を奏上したんだろう。
ただ目の前のそれはかなり威力が強い、正しく効果が現れれば一時間ほどしとしとと雨が降って止むはずだ。
何故こんなことに、と顔を顰めハッと気がつく。
「これは、薫がやったのか!?」
芽はくしゃりと顔を歪めてひとつ頷いた。
自分のいない所で祝詞を奏上するなとあれほど言ったはずなのに、今更そんな事を思ってもどうにもならない。
「隆永さん!?」
戸口から自分の名前を呼ぶ声が聞こえて隆永は弾けるように振り返った。激しい雨風に顔を顰めた幸が稽古場の扉の前に立っている。
「幸!? 駄目だ、離れに戻って!」
「薫が離れにいないの! 真言さんが、芽もいないって探しに来て……!」
芽を抱え直した隆永が壁に手を着いて歩み寄る。
「芽!? なんでこんな所に……!」
「お母さんっ」
隆永の腕の中から両手を差し出した芽を抱きしめる。頭からつま先までびしょ濡れで、同じ姿の隆永に戸惑う。
「薫は……っ」
幸の問いかけに隆永は険しい顔で稽古場のの中を睨んだ。幸は息を飲んだ。
薫は、あの中にいるんだ。
「幸、離れに戻って真言を呼んできてッ! それでそのまま離れで待ってて、ここは危なすぎる!」
「でもそれじゃ薫が……っ」
「力のある神職数人がかりで抑え込むか、薫自身で止めるしかないんだ! でも薫はそれができない、ならそうするしかないんだ!」
声を荒らげた隆永に幸は眉を寄せて唇を一文字に結ぶ。
轟音の中で小さな声が聞こえてきた気がした。助けて、怖いよ、そう訴える声が聞こえてくる。
薫が泣いている。怖くて怖くて、助けを求めて泣いている。
きっと隆永さんに似た目には沢山の涙を溜めて、私に似た鼻を真っ赤にして、涙でぐちゃぐちゃになった顔で泣いている。
抱きしめていた芽を隆永の後ろに下ろした。風に煽られた芽が慌てて隆永の腰にしがみつく。隆永が目を見開いてふりかえった。
「幸!? 何を────」
全て聞き終える前に、勢いよく駆け出した。
一瞬でも気を緩めれば吹き飛ばされそうなほど激しい暴風雨だ。息をすることもままならず、突き刺すように降る雨のせいでろくに目も開けられない。
肌に雨風が触れると同時に、体の中から蝕んでいくような痛みと嘔吐しそうな時の不快感に似た感覚を身体中に感じる。気を緩めれた瞬間に意識を失ってしまいそうだ。
これがただの雨風では無いことが分かった。
腕で顔を覆って一歩一歩と前へ踏み出す。
隆永が自分の名前を叫ぶようにして呼んだ。その声もやがて轟音に掻き消される。
やがて床にうずくまる小さな背中を見つけた。
恐怖で身を固くして可哀想な程に震えるその背中に手を伸ばす。細くて小さな腕を掴んで引き寄せると力の限り抱きしめた。
「お母、さん……?」
泣きそうな声が自分を呼ぶ。
「大丈夫、大丈夫よ。落ち着いて、何も怖くないよ」
双子が小さかった頃、寝付く前に子守唄を歌ってあげていた時の声で耳元にそう囁く。
何度か繰り返していうちに、薫の強ばっていた体から力が抜けて自分に寄りかかる。不安と恐怖に染まった瞳が自分を見上げた。
「薫、"止まれ"って言うの、そうしたら全部収まるから。できるよね? たかくてまるくてやさしい声よ」
たかくてまるくてやさしい声、いつも出かける前に薫に伝えていた言葉だ。
「でも、僕……」
「薫ならできる。なんにも怖くない。お母さんが付いてるから」
視線を泳がせた薫は、やがて自分を見上げて小さく頷く。褒める代わりに力いっぱい抱きしめた。
たかくまるくてやさしい声、薫が何度かそうつぶやく。
そして幸の肩口に顔を埋めて叫んだ。
「────止まれッ!」
一瞬にして風が凪いだ事よりも、自分の体に起こった異変に目を見開いた。
大きく心臓がはねたかと思うと、まるでリズムを忘れてしまったかのように心臓の拍動の間隔が狂い始める。拍動が弱まっていくのを感じると同時に身体中が震え出した。
薫が恐る恐る離れて行った。遠のいていく小さな背中に伸ばした手は宙を掴み、そのまま床に倒れ込んだ。
「お母さんっ、お母さん……!」
「お母さんッ!!」
聞こえてるよ、ここにいるよ。そう返事をしたいのに瞼も口も開かない。
あれほど感じていた痛みも不快感も寒さも感じない。手足の感覚もなかった。耳だけがはっきりと音を拾っていて、隆永も芽も薫も泣きじゃくっているのがわかった。
芽、薫。そこにいるのかな。力一杯抱きしめてその頬を摩ってあげたいのに、できそうにないの。ごめんね。その涙を拭って、大丈夫よと抱きしめてあげたいのに、体が言うことを聞かない。
ただとても疲れていた、眠る少し前と同じように意識がぼんやりしている。
「お母さんっ……ごめんなさい!」
「お母さん起きてよぉ……!」
あらまぁそんなに泣いて。二人とも、泣いてばっかりじゃダメよ。涙で目の前が曇ったら、進める道も上手く進めないんだから。
辛くてもぐっと耐え忍んでいれば、いつかきっと心から笑える日が来るんだから。
二人にはどんな未来が待っているんだろうね。どんな大人になるのかな。
どんな大人になってと良い。ただ自分らしく生きてさえくれれば。そしてたくさんの友達や家族や大切な人たちに囲まれて、毎日を笑顔で過ごしてさえくれたらそれでいい。
どうか二人の未来に、たくさんの芽生えと良い風が吹きますように。
幸、幸。すぐ側で隆永が叫ぶように呼んでいる。
「幸、頼む、一緒に生きるって約束したろ……っ」
そうね、隆永さん。
そんな約束もしたね。確かあれは芽と薫が産まれる前に、今みたいに声を震わせて私に言ってくれた言葉だったね。
心の中でプロポーズみたいね、なんて思いながら笑ってたんだよ。
「頑張れ、幸、絶対助けるからっ……!」
二人を産むことを決めた時、それも約束してくれたね。隆永さんは言葉通り、私を助けてくれた。
そのおかげであんなに小さかった二人が、もうすぐ十歳になるんだよ。
遠くなる意識の中で聞いた二人の産声を私はきっと忘れない。あんなにも幸せに満ちた瞬間があるということを、隆永さんがいたからこそ知ることが出来た。
普通の出会いではなかったし普通の人生でもなかったけれど、普通じゃなかったからこそ私はずっと幸せだった。
「幸、幸……っ、愛してる……ずっと愛してるっ!」
何よ小っ恥ずかしい。子供たちの前でやめてよね。でも、うん。私を選んでくれて、私を見つけ出してくれてありがとう。
私も愛してる。ずっとずっと、愛してる。
みんなの未来にどうか、たくさんの幸がありますように。
2004年、芽、薫齢九ツ。
神々廻幸、他界。享年三十七。
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