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大切な人
弐
しおりを挟む「────お父さん? ただいま~」
店の方の入口から入れば、入った瞬間にわっと歓声が上がる。
「さっちゃんおかえり!」「お腹目立ってきたねー!」「やだもう幸せそうな顔しちゃって!」
昔から可愛がってくれた常連客の皆が自分の周りを取り囲む。幸は驚いて目を瞬かせた。
「わっ、皆どうしたの? 今日町内会か何かあったっけ?」
「何言ってるのよ! さっちゃんが帰ってくるって清志さんから聞いて、会いに来たのよ!」
ばしばしと背中を叩かれて、「嬉しい!」と顔をほころばせた。
清志が厨房から出てきた。「おう、おかえり」といつものように片手を上げて素っ気なく声をかけてくる。
「清志さん嬉しいのに喜んでる姿見せたくないから、素っ気なくしてるのよ」
耳元でこそりとそう教えられて小さく吹き出した。
「それにしてもあの隆ちゃんとね~」
「あんなにいい男に言い寄られたら、私でもコロッといっちゃうわよ!」
「誰があんたに言い寄るのよ!」
賑やかな常連客によって店の中に笑い声が溢れる。
なんだかほっと肩の力が抜けた。新生活は大変だったし、慣れないことも多かった。隆永がそばに居てくれるとはいえ、気の抜けない日々が続いていた。
ここで暮らしていた時と変わらない賑やかさに自然な笑みが浮かぶ。
「で、赤ちゃんはどう?」
「もう四ヶ月だって? そろそろ性別わかってくる頃ね~!」
「あ、そうなの。実はさっき病院行ってきて、教えてもらったんだけど────」
厨房の奥からガランガランとものを落とす音が聞こえて、転がるような足音と共に清志が顔を出した。
「ど、どっちだ……?」
そんな反応に思わずくすり笑った。
「双子ちゃん、しかも二人とも男の子!」
「ふ、双子? 男?」
「うん。もしかしたら片方には、この店継いで貰えるかもね」
しばらく目を見開いて固まっていた清志だが「そうか、そうか」と噛み締めるように呟くと顔を真っ赤にして厨房へ戻って行く。
清志さん、泣きそうなの堪えてるのよ、耳元でそう囁かれて私まで少し泣きそうになった。
「……なんだこれ」
店仕舞いをしたあと、二階の自宅へ戻ってきた清志はテーブルの上に並べられた色とりどりのお守りを見て怪訝な顔をした。
台所で夕飯の支度をしていた幸は「あ、それね」と声を上げる。
「常連さんたちからもらったの。みんなして同じこと考えてるんだよ、ほんとにねぇ」
そう言って肩をすくめる。
気休めだけどこれ貰って、と渡されたのは色んな神社の"安産祈願"のお守りだった。その中に詰まったたくさんの想いがとても嬉しかった。
急に無言になった清志を不思議に思った幸が台所から顔をのぞかせた。
「お父さん?」
「……あ、いや」
不自然に慌てて何かをポケットに隠したのが見えた。
「今なに隠したの」
「なんでもない」
「ウソ。見せて」
苦虫を噛み潰したような顔を浮かべて、清志はぶつぶつと何かを零しながらポケットの中のものを机の上に置いた。
色褪せ意図がほつれたピンク色のお守りだ。年季の入ったそれに首をかしげながら手に取った。
「母さんが、お前を産んだ時に握ってたやつだ」
その言葉に目を丸くする。
「お母さんの……」
「ああ」
幸に母親の記憶はほとんどない。元々体の弱い人だったけれど、自分を産んだ後体力が戻らずにその二年後に亡くなったと聞いている。
「体弱いくせに、雨の日も雪の日もそれ握って百日間、欠かさず近所の神社に参拝したんだ」
「そんなに……」
「そんなに、じゃないだろ。それが出来るほど、お前のことを想ってたんだ」
慣れないことを言ったせいか、清志は耳を赤くしてテーブルの上に無造作においてあった新聞に顔を埋めた。
「ありがとう……これ、もらうね」
「ああ」
肌身離さず持っていれば、守ってもらえるような気がした。
「そしにしても、あいつはどうした」
「あはは、お父さんのそれ久しぶりに聞いた。何度か電話したんだけど出ないから、多分お仕事立て込んでるんだと思う。今日は隆永さんも泊まるって言ってたし、一緒に晩酌出来ると思うよ」
晩酌ができる、と聞いて自分が帰ってきた時よりも嬉しそうな声で「そうか」と返事をした清志。
やれやれ、と息を吐いて立ち上がる。ポケットに貰ったお守りを大切にしまって台所に戻ると、携帯電話がブルブルと震えた。
隆永からの着信だった。
「はいはーい、幸です」
『幸ごめん! 真言のバカに携帯没収されて仕事終わるまで連絡取れなかった』
「そんな事だろうと思ったよ~。じゃあもうこっち来れる?」
『ああ、超特急で行くよ。お義父さんにもそう伝えて。で、それで、どうだった!』
あまりにも必死なのが声からも伝わってくる。
本当は顔を見て直接伝えたかったけれど、今答えなかったら向かう途中で事故でも起こしそうだ。
仕方ないなぁ、と笑った。
「男の子だよ」
『男!? なら将来はサッカー選手か野球選手か、俺に似ていい男になるだろうしモデルか俳優にもなれるなぁ……!』
「もー、だから気が早いってば。さらりと自惚れ発言してるし」
『ふふふ、いいじゃん。沢山こんな話をしよう』
そうだね、と目を細めて相槌を打つ。
『そろそろ名前考えないとね』
「ふふふ」
『幸? どうした?』
性別が分かっただけでこの騒ぎようじゃ、双子だって言ったらどんな反応をするんだろう。
驚きと喜びで、本殿の屋根まで登っちゃうんじゃないかな。
「あのね、隆永さん。落ち着いて聞いてね」
『え、何?』
「実はね……」
『何、どうしたの? 勿体ぶらないでよ』
幸はそっとお腹に手を当てた。
「実は、双子だったの。お腹の赤ちゃん」
本当!? 双子だったの!? 凄いよ幸どうしよう! 俺一気に二人のお父さんになるのか!
思い浮かべていたそんな言葉は、何一つ聞こえてこなかった。
耳鳴りがするほどの深い沈黙に、電波が途切れたか充電が無くなったのかと一瞬困惑したけれど、時刻を知らせる社の鐘の音が聞こえてきて、そうでは無いことが分かった。
「隆永さん? もしもし?」
電話の先で鐘が十九回鳴り響いた。
鐘の音で聞こえなくて黙っていたのかと思ったけれど、鳴り終わってからも隆永さんは一言も喋らなかった。
「隆永さん? 本当にどうし────」
ツー、ツー、と通話が途切れた音が聞こえた。目を瞬かせながら携帯の画面を見る。
どうしたんだろう、急に……。
首を捻りながら今の清志に声をかけた。
「お父さん、隆永さん仕事終わったって。もうすぐ来るんじゃないかな」
「そうか」
「なんかね、双子だって伝えた後に隆永さん急に黙りこくっちゃって……」
「嬉しすぎて言葉にならなかったんだろ。俺もお前の時そうだった」
優しい笑みを浮かべた清志に、「なるほど、そういう事か」と幸は納得する。
隆永さんの事だから、電話先でポロポロ泣いちゃったんだろう。こっちに着いたら笑ってやろう、と心に決めてポケットの上からお守りをそっと撫でた。
22時を過ぎた頃、幸はひとつ欠伸をして目を擦った。
「幸、疲れてるなら部屋で寝ろ」
「ん……でも隆永さん来るし」
「来たら起こしてやるから」
そうしようかな、とテーブルの上に置いていた携帯電話を開ける。
社から実家まで車で二時間ほどの距離。あの後直ぐに出発していたならもう着いていてもおかしくない時間だ。
運転中は通話できないだろうと思って、何時頃に着く?というメールだけ送信した。まだ返事は返ってきていない。部屋で寝てるけど着いたら起こしてね。そう書いたメールをもう一通送って清志に断りを入れて自分の部屋に向かった。
幸の部屋は結婚する前のままの状態にしてあった。けれどちゃんと掃除されていてベッドのカバーも新しいものにされている。
お父さん、ちゃんと掃除してくれてるんだ。
干したての匂いがする布団にゆっくりと倒れ込み深く息を吸った。懐かしい柔軟剤の匂いと、出ていくまでは気が付かなかった実家の匂いを胸いっぱいに吸い込んで静かに目を閉じた。
恐ろしい夢を見た。何かに追われている夢だった。
けれど振り返ってもそこには何もいなくて、前も後ろも右も左も果てしない暗闇が広がっているだけ。ただ耳を塞ぎたくなるほどの嫌な音が自分に纏わり付くようにどこまでも響く。
得体の知れないそれは、自分よりもお腹の中の子供を狙っているような気がした。
まるで沼に足を取られたかのように上手く歩けなくて、膝を着いた。するとまるで吸い込まれるに膝が地面に沈みこんでいく。
ぶわりと恐怖が全身を包み込み、喉の奥が震えた。
怖い、助けて。助けて隆永さん。
ズキン、と下腹部に鋭い痛みが走る。咄嗟に手を当ててそう心の中で叫んだその瞬間、バチッ────とまるで静電気を大きくしたような音がすぐ耳元で聞こえて、夢の奥底から意識がぐんと引っ張られる。
まだはっきりとしない意識の中で、それが夢であることとを理解する。
「……っ」
人の呻き声が聞こえて、ハッと我に返った。
急いで体を起こす。部屋の中は真っ暗で、手探りで携帯電話を探り当てて画面を開いた。画面の白い光で照らされた先に居た人物に、先は目を見開いた。
「隆永さん……!」
部屋の壁に背を預けて座り込んでいる。まるで強い力で壁まで吹き飛ばされたような格好だった。
「隆永さん、どうしたの! ねぇ大丈夫? なんでそんな、」
慌てて歩み寄ってその肩に触れようとしたその瞬間、夢の奥底で聞いた静電気が走るような音が自分の指先から鳴り響き、驚いて身を引いた。
「なに、これ……」
自分の周りを卵色の薄い膜が覆っていたのだ。もう一度隆永に触れようとすれば、その膜が白く光って手を弾き飛ばす。
「幸……何か持ってる?」
顔を上げずに低い声で静かにそう尋ねた隆永に戸惑う。
喧嘩しているときですらそんな声は出したことがないのに、まるで威圧するような声でそう問いかけた。
「持ってるって言われても、眠ってたし何も……あ」
スカートのポケットの膨らみに手を当てて思い出した。両側のポケットにみんなから貰ったお守りを入れたままにしていた。
「お守りが……」
「安産祈願か、なるほど。合点がいった」
息を吐いた隆永はぶつけたらしい背中をかばいながらゆっくりと立ち上がる。
何故か分からないけれど、体が咄嗟に後ずさる。
「それ、俺に渡して」
隆永は手を差し出した。感情の籠らない冷たい声、普段とは違いすぎる隆永に戸惑った。
ポケットの中に手をいれてぎゅっと握りしめる。
「……どうして?」
「それがあると、幸も長い事苦しむ事になる。俺に渡して、ベッドに横になって。すぐに済ませるから」
「待ってよ隆永さん、何の話……? 苦しむ? 済ませる? 分かるように説明して」
「終わったあとで全部話すよ。ほら、渡して」
詰め寄った隆永に、幸は咄嗟に腹を守るようにして体を抱きしめた。無意識に体がそう動いた。
「いい加減にしろ、幸」
怒りに満ちたその声に体が震えた。そしてその声が紐付く、夢の中で聞いた「嫌な音」に。
「なに……しようとしたの。────赤ちゃんに何しようとしたのッ!」
責めるようにそう叫ぶ。隆永を睨みつけた。やっと顔を上げた隆永が眉を下げて笑った。
「ごめんな、幸。こうするしかないんだ」
激しい破裂音と共に、隆永が幸の両肩を掴んだ。そのまま押し倒すようにベッドの上にねじ伏せられる。身体中が隆永を拒絶するかのように強い抵抗感を感じる。
「隆永さんッ! やめて、離して!」
「すぐ終わらせる、起きた時には全部忘れてるから」
「やだッ、隆永さん!」
鉄臭い臭いがした。ハッとしてお腹を見下ろすが何ともない。
もっと近い所から臭って、目だけを動かす。自分の腕を掴む隆永の手が火傷のように赤く爛れて流血していた。
「隆永さん血が……ッ」
何を言っても声が届かない。
隆永はすっと息を吸った。次の瞬間、紡ぎ出された言葉の羅列はまるで黒板を爪で引っ掻いた音のような不愉快さを感じた。全身が粟立ち息が出来ない。
今すぐにでも逃げ出したいほどの不快感が身体中に走った。電気が弾ける音が激しく耳元で響く。
「……ッ、隆永さん!」
渾身の力で手を振りほどき勢いのままにその頬を叩いた。隆永の言葉が途切れて力が緩まる。その隙を逃さず立ち上がって部屋の隅に逃げた。
「お父さんッ! お父さんッ!」
そう叫べば、居間で眠っていたのだろう清志が「な、なんだ?」と寝ぼけ眼で部屋へ転がり込んでくる。
幸は父親の背中に隠れ抱きついた。
「さ、幸……? 隆永、お前……」
状況は理解していないけれど、ただならぬ雰囲気は察したらしい。幸を守るように肩を抱きしめ、隆永を見据えた。
「話し合う気があるなら居間に来い」
「……話し合っても、多分理解して貰えないと思います」
「それは俺たちが判断する。でも、幸を泣かせるほどお前を追い詰めたその何かを、必ず一緒に背負ってやる」
隆永が泣いたのは、幸がプロポーズを受けいれた日以来だった。
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