上 下
71 / 221
出会い

しおりを挟む



「……どこここ」


まだ幼さの残る面持ちの小柄な少年────神々廻ししべくゆるは眉根を潜めて、辺りを見回した。

目の前にはさらさら流れる小川に朱色の反橋、鯉と亀が泳ぐ小池があって、手入れされた松の木がその場所を囲い隠すように植えられた庭園だった。

"大鳥居を過ぎて道なりに進み、もう一度鳥居をくぐったら学舎が見える。迷うことはないさ"

送り出された時にそう言われたが、学舎どころか二つ目の鳥居すらまだ見つけていない。


辺りを見回した薫は一つため息を吐くとその場に座り込んだ。

手頃な石ころを拾い上げて川に向かって放り投げる。音を立てて落ちたそれをぼんやり眺めた。

────このまま行かず隠れてたら、退学とかになったりしないかな。

忌々しげに己がみにつけるダサい制服を見下ろしてもう一度ため息をつく。

生まれてこの方"学校"というものに通ってこなかったし、そもそもそれ自体に興味がなかった。生きていくために必要なことは全てオッサン・・・・が教えてくれたし、その生活にも不満はなかった。

今さら同年代がいる環境に入って学ぶことなんて何がある?

自分がこの学校へ編入するために色々と奔走してくれたらしいが、こっちからすればありがた迷惑だ。

膝の上で頬杖を付いて川面の反射を眺めた。

もうどうでもいい。きっとどこに行こうと、俺の処遇は変わらない。期待するのは止めた。望みを抱くことも。

自分が生まれ落ちる前から、そうなるように定められた運命なのだから。




────1991年、秋。

都心から車で一時間半の山の麓にある小さな町に少し寂れたアーケード街があった。

そのほとんどは錆びたシャッターが降りて看板は雨と砂埃で薄汚れている。日に焼けた張り紙が風に煽られてぱたぱたと音を立てていた。

なんとか営業している店も昔なじみの客ばかりで夕暮れ前には早々に店を閉めているらしい。だから夕飯時になると、そこを歩くのは野良猫か乾いた落ち葉だけになるのだとか。


「なんだ、ここも閉まってるじゃん」


ただでさえよそ者は浮いてしまうこの街で、神職であることを示す白衣はくえに紫色の袴を身につけた和装の青年は顎に手を当てて唸り声を上げる。

たまたま下校中だった部活帰りらしき女子高生二人組が、その一風変わった男の後ろ姿をちらちらと気にしながら通り過ぎる。


視線に気がついた青年は振り返って微笑んだ。「わっイケメン!」「芸能人かな!?」女子高生達は頬を赤らめて手を振る。

気前よく手を振り返した青年────神々廻ししべ隆永りゅうえいは「どうしたものかねぇ」と歩き出した。


今日は仕事の依頼でここへ来ていた。

本来ならばわざわざ隆永が出向くほどのことではなかったが、今日はたまたま社務所内が騒がしく、かかってきた電話を珍しく隆永が対応し、そして今日はどうしてもこの時間に外に出ていたかったので「ああ、では私が赴きます」と二つ返事で答えた。

今はその帰りで、山の近くまで来たなら蕎麦を食って帰らねばと思い立って、依頼客にいくつか美味い蕎麦屋を教えてもらった。

残念ながら最後の一軒も営業を終えて暖簾を下ろしていたのだけれど。


ブーッブーッとマナーモードにしていた携帯がなって、ぱかりと開ける。画面には【扇屋おうぎや 真言まこと禰宜頭《ねぎがしら》】の文字があり、げっと顔をしかめる。

見なかったことにして着信を取り消すと、また鬼のように電話がかかってくる。隆永は仕方なく通話ボタンを押した。


『隆永権宮司ごんぐうじ! 今どちらですか!?』

「──っ、そんなに叫ばなくても聞こえてるっての」

『私の質問に答えてください! 今どちらですか!?』

「えっとー、あきる野市」

『はぁ!? なんでそんな所にいるんですか!?』


教えてもらった蕎麦屋は全滅だったので、とりあえず営業している飯屋を探すことにした。

電話先でギャンギャンと騒ぐ真言に小指で耳を塞ぎながら隆永は歩き出す。


『もしかして帳簿のいちばん新しい欄に書いてある依頼に行ったんですか!?』

「そうそう。帳簿付けないと巫女頭が怒るから、今回はちゃんと書いたはずだけど?」

『誰が担当したのか名前が抜けてたら、意味無いでしょう!? というか何ですか"怪虫駆除"って。貴方がわざわざ行く案件ではありません! 聞いてます!?』


いつもの説教が始まって、「はいはい、聞いてます聞いてます」と聞き流しながら一軒の小さな店の前まで来た。暖簾と手入れされた看板が出ている、ということはここはまだ営業中らしい。

古めかしい二階建ての木造建築に瓦屋根、磨りガラスの扉の向こうから甘い餡子の匂いが漂ってくる。

看板は達筆な文字で「菓瑞」と書かれていた。

なるほど、嘉瑞かずいを文字ったのか。めでたいしるし、という意味の言葉だ。なかなかいいセンスだな、と顎を摩った。


どうやら和菓子屋のようだ。

甘いものはそこまで好きでは無いし空きっ腹に和菓子か、とも思ったが他に空いている店は無さそうだ。腹の虫を鳴らしながら二時間半も電車に揺られるのもなと思い、店の扉に歩み寄った。


『権宮司! ちゃんと聞いてください! それで今日は何時にお戻りになるんですか!?』

「聞いてるって、多分三時間後くらいになるかな」

『三時間後!? お相手のお嬢さまはもう十分かそこらで着くって連絡ありましたよ! どうするんですか!』

「それは宮司が勝手に用意した席でしょ。俺は嫌だって言ったし。そもそもまだ嫁さん貰う気はないってあのタヌキジジィ────宮司に言っといて」


宮司、隆永の父親がいつもは険しい顔ばかりする癖にその日はやけに機嫌の良い顔で一枚の写真を見せてきた。

夕飯の席で、嫌な予感を感じてその写真を視界に入れないようにテレビに目をやると、顔の前に突き出された。


『勘弁してよ親父……』


箸を置いた隆永は鮮やかな朱色の振袖を身にまとった少女が映る写真をちらりと見て顔を顰めた。


『見合いの話が来てる。宜家の分家のお嬢さんだ、お前もあったことあるだろ。再来年から専科にあがるらしい』

『再来年から専科って……まだ十六か七じゃん。幼女趣味はないんだけど』

『相手は十代でも、お前はもう二十七だ。神々廻家長男としてそろそろ身を固めて後継を産ませろ』


一昨年に隆永が御祭神より天啓を受けて、次の宮司に選ばれてからというもの何度も何度も繰り返されていた会話だ。

神々廻家長男として家庭をもて、子供を産ませろ、可能ならば良家の子女と。父親を起点にその声は大きくなり、やがて神々廻家の長男が嫁を探しているという話は全ての社に広がって行った。

隆永さんうちの娘なんだけど、とことある事に親たちから年頃の娘を紹介される。

紹介されるまでもなく皆見知った顔だった。学生時代の同級生後輩先輩その他諸々。皆幼少期から長い時間ともに過ごして妹のように可愛がり、姉のように慕っていた友人だ。

それこそ互いがおねしょをして尻を叩かれる所なんて光景まで見てきた、それ以上の赤っ恥だって数え切れないほど共有している。

そんな人たちを今更"女"として見られるわけがなかった。

のらりくらりとやり過ごしていたが、ついに見合いの席が設けられることになってしまったのだ。

相手は神事や集会で集った時に、何度か面倒を見たことがある妹のひとりだ。

あれやこれやと断る言い訳を試みたが意味はなく、とうとう当日になりこうして仕事という理由をつけて見合いの席から逃げ出したのだ。


『相手のお嬢さまに何と申し上げればいいのか……こっちの身にもなって下さい!』

「"ごめん君のことは妹にしか思えない"って伝えといて」


からから、と立て付けの悪い扉を開けた瞬間、和三盆と餡子の甘い匂いがふわりと頬を撫でた。

ショーウィンドウに頬杖を着いて退屈そうに落書きをしていた店員が慌ててぱっと顔を上げる。


『そんなこと言えるわけないでしょう!? 大体貴方は小さい頃から……』


隆永は大きく目を見開きながら携帯を耳から話した。権宮司!?と叫ぶ声が遠くなる。


「いらっしゃいませ」


去年の春先に初めて訪れたかむくらの社の梅の花のようだった。積もる雪の中に凛と咲く梅の花は息を飲むほどに可憐で美しかったことをよく覚えている。

その梅の花が、この寂れたアーケード街の潰れかけの和菓子屋でぱっと咲いた。

春の陽だまりの温もりをふわりと感じる。


頭のてっぺんからつま先まで雷に打たれたような衝撃が走った。自分が次の宮司に選ばれた一昨年の夏も、天啓を受けた時はこんな感じがした。だからこれは天啓なのだと思った。

固まる隆永を心配したのか、彼女は不安げな顔でショーウィンドウを回って出てきた。

隆永を見上げながら首を傾げる。三角巾から零れたショートカットの黒髪がさらりと耳にかかった。ほのかに桜の香りがする。

大きな瞳が隆永を見上げた。桜色の唇が「あの、大丈夫ですか?」と鈴のような愛らしい声を紡ぐ。

隆永は気がつけば手を伸ばし、彼女の両手を掴んだ。


「……え? あの、お客さま?」


彼女の瞳が驚きと困惑で揺れる。

隆永は構わず続けた。



「────俺と結婚してください」


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

あやかしも未来も視えませんが。

猫宮乾
キャラ文芸
【本編完結済み】【第五章(番外)更新中】時は大正五十年。高圓寺家の妾の子である時生は、本妻とその息子に苛め抜かれて育つ。元々高圓寺家は見鬼や先見の力を持つ者が多いのだが、時生はそれも持たない。そしてついに家から追い出され、野垂れ死にしかけていたところ、通りかかった帝国軍人の礼瀬偲が助けてくれた。話を聞いた礼瀬は、丁度子守りをしてくれる者を探しているという。時生は、礼瀬の息子・澪の面倒を見ることを条件に礼瀬の家で暮らすこととなる。軍において、あやかし対策部隊の副隊長をしている礼瀬はとても多忙で、特に近年は西洋から入ってくるあやかしの対策が大変だと零している。※架空の大正×あやかし(+ちょっとだけ子育て)のお話です。キャラ文芸大賞で奨励賞を頂戴しました。応援して下さった皆様、本当にありがとうございました!

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

白鬼

藤田 秋
キャラ文芸
 ホームレスになった少女、千真(ちさな)が野宿場所に選んだのは、とある寂れた神社。しかし、夜の神社には既に危険な先客が居座っていた。化け物に襲われた千真の前に現れたのは、神職の衣装を身に纏った白き鬼だった――。  普通の人間、普通じゃない人間、半分妖怪、生粋の妖怪、神様はみんなお友達?  田舎町の端っこで繰り広げられる、巫女さんと神主さんの(頭の)ユルいグダグダな魑魅魍魎ライフ、開幕!  草食系どころか最早キャベツ野郎×鈍感なアホの子。  少年は正体を隠し、少女を守る。そして、少女は当然のように正体に気付かない。  二人の主人公が織り成す、王道を走りたかったけど横道に逸れるなんちゃってあやかし奇譚。  コメディとシリアスの温度差にご注意を。  他サイト様でも掲載中です。

処理中です...