言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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祈りと願いと

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「なぁ巫寿、ちょっといいか?」


今日は朝から調薬室で、亀世さんと慶賀くん指導のもと解熱剤の量産に勤しんでいた。

できた薬は漢方薬学の豊楽先生にチェックしてもらってから医務室に送られる。

これまで咳止めや頭痛薬などいろいろな漢方薬を作って豊楽先生に渡してきたけれど、先生はそれを咎めることなく黙認してくれている。

桂皮と芍薬を天秤ばかりではかっていると名前を呼ばれた。

手を止めて顔を上げると奥のテーブルにいた亀世さんが「ちょっと来てくれ」と手招きする。


「恵衣くん、ちょっと抜けるね。ここまで量り終わってる」


同じテーブルで作業していた恵衣くんにそう声をかけると、彼はちらりと私の手元を見ると返事も反応もなく黙々と作業を進める。

夜中に厨房で会って以来、恵衣くんは私と目を合わせるどころかスマホを使って会話をする事すらしてくれなくなった。

他のみんなにもそんな様子だけれど、自分はとりわけ露骨に避けられている気がする。余計に嫌われちゃったのかな、とちょっとだけ落ち込んだけど、そもそも初めから嫌われているし今更だろう。

断りを入れて立ち上がり、亀世さんのテーブルに歩み寄る。


「ちょっとこれ、見てくれ」


そう言って差し出されたのは観月祭の前に図書室で会った時、私に見せてくれたノートだ。患者の症状や容態が詳しく記録されている。


「えっと……」

「嬉々先生のノートと相違がないか、もう一度見てくれないか?」

「嬉々先生の?」

「ああ。先生も正体は突き止められていないが、調べてはいたんだろう? 先生が気が付いていて、私達が見落としているものがないか確認して欲しい」


なるほど、と頷いた。

嬉々先生が犯人ではないと分かった今、嬉々先生の研究ノートは貴重な資料だ。

照らし合わせることで何か新しい気付きがあるかもしれない。


「まぁ座れ」


そう言われて亀世さんの前に座ると、すっとノートが差し出された。

患者の症状や体温の推移が時間の経過と共に詳しく記されている亀世さんのそのノートは、正直言えば嬉々先生のものよりも詳しい。

風邪に似た自覚症状、連日の高熱、食欲不振、どれも嬉々先生のノートに書かれていたことと同じだ。


「どうだ?」


そう問われて申し訳なく思いながらも小さく首を振る。


「嬉々先生のノートにも全く同じことが書かれていました。正直、亀世さんのこのノートの方が詳しいくらいです」

「やはりそうか……」


ふぅ、と息を吐いた亀世さんは険しい顔で頭を抱える。

そんな様子に申し訳なくて、もう一度ノートを見返した。しかしやはりヒントになるようなものは何も無さそうだ。

嬉々先生のノートには────被呪者の症状、連日の高熱、嘔吐、食欲不振、失声……。

失声?


「あっ」

「何か思い出したか!?」


ガタッと音を立てて身を乗り出した亀世さんに、若干身を引いて苦笑いを浮べる。


「あの、もしかしたら全然関係ないかもしれないんですけど……」

「構わん続けろ!」


そう言われて、もう一度あの研究室で見たノートのことを思い出した。


「下線が引いてあったんです。"失声"の症状のところに」

「下線?」

「あ、こういう感じで……ピーッと」


亀世さんのノートにある"失声"の文字を指でなぞった。


「失声、失声……?」


亀世さんは顎に手を当ててその場をウロウロしながら何度も同じ言葉を繰り返す。そしてバッと顔を上げると、私たちを見回した。


「お前ら、文殿に行くぞ! 声に関する妖怪憑物怪異呪い……片っ端から洗い出せ!」


文殿へ移動した私達は亀世さんの言葉に従い、"声"に関する資料を片っ端から探した。

声に関する妖怪や憑物の数は思ったよりも少なくて、私が調べて出てきたのは山彦やまびこやうわん、あとはギリシア神話に出てくる海の怪物セイレーンくらいしか見つけ出せなかった。

これと病気の症状が関連するとは思えないけれど、一旦付箋を付けて亀世さんの所へ持っていく。

みんなが集めた資料の真ん中に座り込んで読み耽る亀世さんは、これまで以上に真剣な眼差しで文字を追っていた。


「なぁ巫寿、川赤子って関係あると思うか?」


泰紀くんがポリポリと頬を掻きながら私に本を差し出す。


「確か、赤ん坊の泣き声で人を誘き寄せて川に落とす妖怪だよね?」

「ああ。これも一応"声"には関連するけど、どうなんだ?」

「分かんない……でも亀世さんは全部もって来いって言ってたし、渡してみようよ」

「だな。サンキュ」


泰紀くんが持ってきた本を、資料の山に重ねようとしたその時だった。

突然亀世さんが弾けるように立ち上がって、資料の山が音を立てて崩れた。


「うわっ、おい亀世! 何やってんだよ!」


鶴吉さんが悲鳴をあげるも一切耳には入らないのか、亀世さんは一冊の本を片手にずんずんと大股で歩き出す。

その先にいたのは────恵衣くんだ。

背後から恵衣くんの肩をガッと掴んだ亀世さん。驚いた恵衣くんが振り返る。据わった目をした亀世さんが詰め寄った。


「脱げ」


声には出ていないけれど、間違いなく恵衣くんの口が「は?」と動いた。

その場で固まってしまった恵衣くんにチッと舌打ちした亀世さんは、彼のシャツに手をかけた。


「か、亀世パイセン!? こんな公共の場で……キャッ」

「ふざけてる場合か慶賀! 亀世を止めろ! 恵衣が襲われる!」


鶴吉さんのその声で、みんながわっと亀世さんに駆け寄る。


「寄るな!」


亀世さんの一喝でみんなは戸惑うように動きを止める。


「襲わんから脱がすぞ」


言い切る前に恵衣くんのシャツを脱がせた亀世さんは、恵衣くんのちょうどおへその上辺りにグッと顔を寄せた。

みんなはごくりと唾を飲み込みその行方を見守る。


「────あった、これだ」


静かにそう言った亀世さんは、適当に恵衣くんにシャツを着せると私たちの方へ振り返った。

「一連の騒動の原因は……応声虫おうせいちゅうだ」




────寄生虫みたいに人間の体内に寄生する怪虫だ。風邪みたいな症状が数十日続いた後、腹に出来物ができる。その出来物が次第に口のような形になってそいつの声を奪い、代わりに罵詈雑言を発する妖だとされている。

文殿で恵衣くんのお腹にできた小さな出来物を指さしながら、亀世さんはそう言った。

────こいつは人の悪の部分に漬け込んでくる怪虫だ。だからここからは予想だが、元々言祝ぎが強い神職に寄生したせいで、その一番最後の症状が出ずに風邪の症状と失声が目立っていたんだろう。


直ぐに調薬室に戻った私達は、ありとあらゆる薬を煎じた。寄生した応声虫を体から追い出すには薬を煎じる方法しかないらしい。

色々と煎じた薬の中で虫下しの薬が一番効果があると分かった。飲んだ数十分後にトイレへ駆け込んだ恵衣くんが、帰ってくるなり「声、戻りました」と驚いた顔で言ったからだ。

その日のうちに私たちは医務室へ駆け込んだ。もちろん入った瞬間に陶護先生に叱られたけれど、必死に自分たちで調べたことの全てを伝えた。

初めは半信半疑だった陶護先生も声の戻った恵衣くんを診察して、試す価値はあるかもしれないと唸る。

そこからはあっという間で、神職さまや先生たちが集められて症状が比較的軽い自室療養の生徒数人に投薬の治療が始まった。

豊楽先生曰く、薬の効果がはっきりしている訳では無いので、直ぐに全ての生徒に投薬することは出来ないのだとか。

それでも二三日して効果がハッキリすれば、直ぐに全ての生徒が治療を始めることが出来るらしい。

医務室は人で溢れかえり、事情聴取が終わった私たちは外へ追い出された。恵衣くんは経過観察のために、今日から数日入院になるらしい。

医務室から追い出される直前に、豊楽先生が私たちに向かって「お手柄だったな」と笑った。

寮への帰路に着いたのは、月が頭の上に登る真夜中の事だった。


「……つっかれた~!」


寮へ続く石階段を登りながら、慶賀くんは大きく伸びをした。長い一日だったね、と私も伸びながら相槌を打つ。


「やっと嘉正たちは助かるんだよな!」

「恵衣にも薬の効果があったんだし、きっと皆直ぐに良くなるって!」

「ならこれで一件落着だな」


久しぶりにみんなが心から笑って騒ぐ姿を見た気がした。私も満面の笑みで「そうだね」と相槌を打つ。

これで全部終わるんだ、やっと日常に戻る。嘉正くんも瑞祥さんもみんな元気になる。

嘉正が帰ってきたら俺が進んだ分の勉強教えてやるんだ、と得意げに鼻を鳴らした慶賀くんの言葉を遮るように「いや」と亀世さんが口を開いた。

皆は不思議そうな顔で、一番後ろを歩いていた亀世さんを振り返る。


「まだ終わりじゃない」


え? と皆は困惑したようにお互いの顔を見合せた。

終わりじゃないって、一体どういう……。


「応声虫は本来、群棲するような怪虫じゃない。ましてここは"まねきの社"だ。その程度の虫は結界で弾かれるはずなんだ」

「つまり……?」


今度は鶴吉さんが口を開く。


「間違いなく誰かが応声虫の卵を持ち込んだってこったな。それは恐らく、神修の中のどこかで巣を作っている。そこを叩かない限り、同じ事が繰り返されるだろうな」


巣、という言葉にみんながごくりと唾を飲み込んだ。

神修は初等部から専科まで含めて14学年あり、生徒数はだいたい130人ほど。今応声虫に寄生されている生徒はそのうちの六割ほど、80人くらいだ。

という事は応声虫は少なくともそれだけこの学校にいて、それが入るだけの大きさの巣があるということ。

図鑑で見た応声虫の大きさは、蚯蚓くらいの大きさだった。

想像するだけで背筋がぞっとして鳥肌が立つ。


「そ、それ早く先生たちに知らせた方がいいんじゃ!」


慶賀くんが青い顔で身を乗り出すも、亀世さんと鶴吉さんはひとつ頷く。


「そうだな。まあ私達が伝えなくても、あと一時間もすれば神職さまの誰かが気が付くだろう」

「なんだよ、なら別にいいじゃねぇか」


泰紀くんのその言葉に、亀世さんは目を細めて笑った。

そして同じ表情の鶴吉さんと視線を合わせると、これまでに見たこともないほどの悪い顔をして「ひひひっ」と声を上げる。


「悔しくないか? 折角私たちで正体を突き止めたってのに、早々と退場させられて」

「俺達は手柄を横取りされたんだぞ、お前ら。そんなん夜も眠れねぇだろ」

「まさか……」

「そのまさかだ。この期に及んで"疲れたからパス"なんて言う奴はいないよな?」


皆の目が一層輝く。


「────ヤるぞ、私達で!」


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