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観月祭
参
しおりを挟むコンコン、と控え室の扉が軽くノックされて「はい!」と返事をしながら小走りで駆け寄る。
着替えるために閉めていた鍵を回して扉を引くと、まだ衣装姿のままの聖仁さんが立っていた。
「お疲れ様。もしかして出るところだった?」
「お疲れ様です。はい、ちょうど着替え終わって」
「良かった、ナイスタイミング」
ナイスタイミング? どういう事だろう?
これ、と顔の前まで手を持ち上げた聖仁さん。その手が持っていたものに思わず「あっ」と歓喜の声を上げた。
「富宇先生からの差し入れ。ご褒美のアイス」
「わっ、ありがとうございます……!」
差し出されたそれを受け取った。
「寮だと他の子たちがずるいって文句言うと思うから、戻る前に食べて行きな。池のそばは片付け終わってるし、涼しいからオススメだよ」
「ふふ、確かに。そうしますね。聖仁さんは?」
「俺まだちょっと用事があるから、気にせず先に戻って」
はい、とひとつ頷く。
「本当に今日はありがとう、ゆっくり休んで」そう言って目を細めた聖仁さんは私の肩をぽんと叩くと歩いて行った。
本庁の庁舎へ衣装を返しに行ってまた庭園に戻ってきた。川沿いの客席は片付けられていたけれど、反橋の上には月を楽しむ人達がまだちらほらといた。
門限外の外出を許可されているとはいえ制服姿は目立つ。人目を避けるために、庭園から屋外演習場へ繋がる階段に向かった。
そこを使うのは学生くらいだし、先生や神職さまに見咎められることもないだろう。
月を見上げながらのんびりと川沿いを歩いていると、丁度私が向かっていた階段の前に人影を見つけた。
誰だろう、と首を傾げながら目をこらす。私と同じ松葉色の制服、切れ長の目に不機嫌そうな口の男の子とそっくりな顔をした男の人。
「恵衣くんと……お父さん?」
本庁の役人を示す黒いスーツに恵衣くんそっくりな横顔は、間違いなく彼のお父さんだろう。
何か話し込んでいるようで、恵衣くんとは大して仲が言い訳でもないから近付きにくい。
別の場所にしようかな、とくるりと背を向けたその時。
パンッ────と乾いた音が響いた。
反射的に振り向けば、激しく首が横に振れた恵衣くんとパッと目が合った。彼は一層険しい顔をして、首が触れた方とは反対の頬を抑える。
「なぜお前はそう何も出来ないんだ。出来損ないは出来損ないなりに努力をしろ、何度言えばわかる」
氷のナイフのようだ。
その声はただ平坦としていて少しの温もりも感じず氷のよう。言祝ぎもなければ呪も感じない。
ひたすら鋭く攻撃的で胸が痛くなる。
「だから神主にも選ばれず、同級生が奉納舞に選ばれる中お前は選ばれないんだ。情けない、何故兄さんが出来ていたことがお前は出来ないんだ」
「申し訳、ありません」
「謝罪など求めていない。目に見える成果を出せ。これ以上落胆させるな」
「……はい。父さん」
頭を下げた恵衣くんを見下ろしたお父さんは踵を返して歩き出す。私の横を通り過ぎる際に目が合ったが、何も言わずに通り過ぎた。
お父さんの背中が見えなくなって、私と恵衣くんの間には重い沈黙が流れた。
ち、と舌打ちをした彼は忌々しげに私の事を睨みつける。その唇の端が切れて、血が滲んでいた。
「……あの、血が」
「お前には関係ない」
「でも、」
「何なんだよ、馬鹿にしてんのかよ! 俺が殴られてんの見て満足か!? ざまあみろ、情けないって思ってんだろ!?」
怒鳴り声と、思ってもみなかった言葉にたじろいだ。
ここに居合わせたのは偶然だし、話を聞いてしまったのも成り行き。それに聞いてはいたけど何の話かは分からなかったし、分かったからと言って馬鹿にしたりはしない。
ふつふつとした怒りが湧き上がり、むっとしながら顔を上げて言い返した。
「な、なんでそうなるの……! そんなこと少しも思ってないよ!」
「だったらとっとと行けよッ! 関わんなつってんだろ!」
恵衣くんは手の甲で乱暴に唇の端を拭う。直ぐには止まらないのかまた血が滲み始めて顎を伝う。
痛みがあるのか顔を顰めた。
「あ……そんな風にしたら、広がっちゃ────」
咄嗟にポケットに入れたハンカチを差し出して歩み寄る。
「しつこいんだよッ!」
差し出したハンカチは振り払われた。土の上にぱさりと堕ちる。振り払う時に当たった恵衣くん爪が私の手の甲を引っ掻いた。
痛みは無いけれど赤い線が出来て、驚いて手を引っこめる。
「な……ッ!」
私以上にその傷に驚いていたのは恵衣くんだった。
「お、お望み通り……もう戻るからっ」
できる限り嫌味っぽく言って、胸の前で傷がついた手を抱き締めながら歩き出す。
ただ心配で差し出した好意も振り払われて、その上あの言い様だ。すごく腹は立ったけど、それ以上に何だかすごく泣きたい気分だ。
目頭が熱くなるのを感じながら、恵衣くんの隣を通り過ぎたその時、
「お、おい」
突然背後から二の腕を掴まれた。
「何……っ」
精一杯睨みつけるように振り向けば、これまでで一度も見たこともない顔をした恵衣くんが私を見下ろした。
「泣くほど痛むのか……?」
眉根を寄せた険しい顔だけれど、その表情はどちらかと言うと不安や動揺の色が濃い。忙しなく目を動かした後、伺うように私と視線を合わせた。
指摘されて、涙は堪えきれていなかった事に気が付いた。はっと頬に手を当てて濡れた目尻を袖で拭った。すん、と鼻を啜って恵衣くんを見上げる。
弱ったように首の後ろを摩った恵衣くんは「……来い」と小さな声で言うと、私の手首を掴んで歩き出す。
振り解けばすぐにでも離れそうなほどの力だったけど、大人しく手を引かれることにした。
社頭へ出るとそのまま手水舎へ向かった恵衣くん。着くなり自分のポケットの中から手ぬぐいを取り出して柄杓でばしゃりと濡らした。
「え、恵衣くん……?」
こちらには目もくれずもの黙々と手を進める。
最後に手ぬぐいを固く絞ると振り返って私の手首をもう一度掴んだ。蚯蚓脹れになった手の甲を見て顔をしかめると、絞った手ぬぐいを押し当てた。
元々痛みはなかったけれど、冷たさが心地よかった。
「あり、がとう」
ぎこちなくお礼を言えば、彼はより一層顔を顰めてふっと目線をそらす。
「……傷、付けるつもりはなかった」
いつもの平坦な声は、いつもよりも元気がない。
「……俺の過失だ」
苦虫を噛み潰したような表情でそう付け足す。
その表情と声色から、やっと彼がどういう意味でここまで私を連れてきたのかが何となく分かった。
「えっと……謝ってるんだよね?」
「どう見ても謝ってんだろっ!」
途端に威勢を戻した恵衣くん。
不本意そうに顔を真っ赤にした恵衣くんに、思わず小さく吹き出した。
それでやっと分かった。────恵衣くんって、すごく不器用な人なんだ。
目を吊り上がらせてぶつぶつと文句を呟きながらも、手当をする手つきは優しくて丁寧でどこか怖々していて。賢くて優秀で同級生に比べれば落ち着きがあって、なのに謝るのは下手くそで言葉足らずで。
何もかもが完璧な恵衣くんはずっと私たちとはどこか違う人なんだと思っていた。けれど、今日初めて、ちゃんと恵衣くんが同い年の男の子に見えた。
「……何笑ってんだよ。馬鹿にしてんのか」
「だからしてないってば」
ふふ、と反対の手の甲で口元を押えてそう言う。
「……変異種め」
苦い顔でそう呟いた恵衣くん。
今の恵衣くんの表情や言葉のニュアンスから、その言葉に悪意は無いのは分かった。きっと変なやつ、という意味で呟いた言葉なんだろう。
それにしても、言葉選びが下手くそすぎるよ……。そんな言い方じゃ他の誰かが聞いた時、勘違いして────。
「あっ……」
突然声を上げた私に、恵衣くんは訝しげな顔をした。
────僕が編入してきた初日に"お前は変異種なんだから、せめて俺の迷惑にはならないようにしてくれ"っていきなり言われてね。
少し前に広間で皆とご飯を食べていた時、来光くんが言った言葉だ。
もしかして、この時も今みたいに悪意なく言っていたのだとしたら……?
相変わらず不機嫌そうな顔で傷の様子を伺う恵衣くん。
この表情も、怒っているのではなくて普段からそういう顔だったとしたら……?
もしかしたら私は恵衣くんの事を、ずっと勘違いしていたのかもしれない。思い返せば入学してすぐの頃、嘉正くんは恵衣くんのことを「根はいい奴だよ」と言っていた。
いい人じゃなきゃ、こんなにも丁寧に怪我の手当をしてくれはしないだろう。
「……治癒の祝詞、奏上するか? 軽い傷は自然治癒させた方がいいらしいけど」
「あ……じゃあ大丈夫。ごめんね」
「悪くないのに謝るな。俺が惨めになる」
その言い方に、もう、と肩を竦めた。
丁寧に冷やしてもらったおかげで、蚯蚓脹れは引いて赤い線がうっすらとだけ残っていた二三日もすればすっかり綺麗に消えているだろう。
「それ、良かったのか」
手水舎で手ぬぐいをバシャバシャと洗いながら、恵衣くんが尋ねた。
それ?と首を傾げていると、振り返った恵衣くんが私の手元を指さす。
「あっ」
自分の手にはドロドロに溶けたアイスキャンディーが握られていた。
そういえば、アイスを食べれる場所を探していたんだった。
「大……丈夫。もう一回冷やせば、なんとか……」
「ならないだろ。それ」
「だよね……」
せっかく貰ったのものなのに。こうなるなら控え室で食べればよかった。
がっくりと肩を落としていると、頭の上から小さな笑い声が聞こえた。不思議に思って顔を上げると、恵衣くんが拳を口元に当ててくすくす笑っていた。
驚きのあまり目を見開いて固まる。恵衣くんの笑った顔を入学してから初めて見たからだ。
私の視線に気づいたのか直ぐにいつもの顔に戻った。
「戻る」
そうとだけ行ってくるりと背を向け階段を登り始めた恵衣くん。その背中はあっという間に見えなくなった。
「……あれ? 電気ついてる」
庭園から続く階段を登って寮に戻ってくると、消灯時間はとっくに過ぎているはずなのにどの部屋も灯りが着いていた。
基本的に消灯時間を過ぎても部屋の中にいれば寮監に怒られることは無いけれど、夜中の一時に近い時間に殆どの部屋の明かりがついているのは妙だ。
観月祭の日は毎年こうなのかな?
そんなことを思いながら下足場に入ると、広間の方からザワザワと話し声が聞こえた。
部屋の外に出てる生徒がいる……?
いつもなら寮監が直ぐに駆けつけるのに、どうしてだろう。
不思議に思いながら広間へ向かう。途中で何人かの生徒とすれ違った。皆血相を変えてなにか話し込んでいる。
広間の入口に慶賀くんたちを見つけた。
「みんな、こんな時間にどうしたの?」
「巫寿! やっと帰ってきた!」
私の姿を見つけるなり、三人はドタバタと走って詰め寄った。その勢いに思わず身を引いて目を瞬かせる。
「観月祭終わったんだよな!?」
「う、うん……ちょっと前に」
「てことは、平癒祈祷はちゃんとやったんだよな!?」
「平癒祈祷……? もちろんだよ、開式の儀の後で瑞雲宮司が祝詞奏上してたよ」
間違いなく平癒祈祷は行われたし、あの場にいた全員がそれを見届けていた。
なんなら、治病祈祷祝詞の効果もちゃんと出ている。あの祈祷のおかげで、私は足の裏の傷が治ったんだ。
「何でだよっ!」
突然声を荒らげ慶賀くんに驚いて肩を震わせた。
「おい慶賀! 巫寿に謝れ」
「でも、でも! お前は嘉正が心配じゃねぇのかよ!」
「でももクソもねぇ。それとこれとは別だろうが。巫寿にあたるのは筋違いだ。謝れ」
強い口調でそう言った泰紀くん。慶賀くんは視線をさまよわせた後「ごめん」と頭を下げた。
「悪ぃな巫寿。こいつ心配で気が立ってたんだよ」
「ぜ、全然大丈夫……! 驚いただけだし、悪気がないのはよく分かってるよ」
ぶんぶんと両手を顔の前で振って、気にしていないことをアピールする。
「……何があったの? どうしてみんな部屋から抜けだしてるの?」
私がそう尋ねた瞬間、皆は途端に目を伏せた。
その表情に何だか胸騒ぎがしてぎゅっと拳を握る。
「医務室に、入院してる学生の誰かが────心肺停止になったって」
は、と自分が息を飲んだ音が耳の真横で聞こえたように思えるくらい、はっきりと聞こえた。
ばくん、ばくん、と鼓動が波打つ事に大きくなっていく。
心肺、停止……? でもだって、平癒祈祷の神事は上手くいったんじゃ。病気の正体がわかったから祈祷が行われたんじゃなかったの……?
「嘉正くんは、瑞祥さんは……その生徒って誰なの……っ」
「分からない。先生たちも寮監もまだ戻ってきてないんだ。三年の先輩が少し前に様子見に行って、まだ帰ってきてない」
そんな、と零した声は情けないほどに震えていた。
嘉正くん、瑞祥さん……。
祈るように胸の前で両手を握った。
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