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小さな違和感
弐
しおりを挟む「ねぇー! なんか変だと思わない?」
漢方薬学の授業、種類の違う薬草を五種類集めてくるという課題が出た私たちは鎮守の森にいた。
図鑑を片手に首を捻っていた私は、遠くから来光くんがそう叫んだ声で顔を上げる。
「何がだよ~」
クラスの中で一番最初に課題を終わらせた慶賀くんは木の枝の付け根に寝転びながら聞き返す。
来光くんは額の汗を拭ってふぅと息を吐いた。
「学校の雰囲気だよ。風邪が流行り始めてからもう二週間近く立ってるのに、治るどころかどんどん病人が増えてるんだよ?」
「去年インフルが流行った時もそんな感じだったじゃん」
「そうだけどさー」
それでも腑に落ちないのか、雑草をぷちぷちとちぎりながら険しい顔をした。
確かに、ただ風邪なら一週間もすれば良くなるのが普通だ。学校内で流行っているのもインフルエンザなんかの流行性の病気ではないと医務室の陶護先生が言っていた。
ただの風邪にしては長引いているし症状も感染力も強い気がする。
「豊楽センセーはどう思うー?」
一番太い木の木陰のしたで日傘に麦わら帽子、アームカバーを付けて休んでいた豊楽先生が顔を上げる。
滝のような汗をかいていて、今にも溶けてしまいそうだ。先生の場合、比喩ではなくて本当に溶けかけているんだけれど。
「え? 何だって?」
豊楽先生はうちわで仰ぎながら聞き返した。
「だからー、学校内で流行ってる風邪のこと!」
「ああ、その事か。校医の陶護先生は風邪だって言ってだろう」
「でもただの風邪の症状じゃないですよね?」
「確かになぁ。俺が処方した薬も効いてないみたいだし」
ふー、と息を吐いた豊楽先生は立ち上がると私に向かって手招きをする。首を傾げながら歩み寄ると、先生は自分の足元の草を指さした。
あ、と図鑑のページをめくればそれは薬草で、ようやく最後の一種類を集めることが出来た。ちょうどその時授業の終わりを知らせる鐘が響き渡る。昼休みの時間だ。
「近々陶護先生から問診を頼まれていたから、風邪以外の病気の線もあたってみるよ。ただの風邪にしろそうじゃないにしろ、気を付けることに越したことはないから、お前たちもしっかり予防するんだぞ」
はーい、と声を揃えて返事をして、集めた薬草を提出する。
その時、乾いた咳が聞こえて振り向くと、恵衣くんが苦しそうに眉をひそめて咳き込んでいた。
「恵衣くん、大丈夫?」
「……ほっとけ」
思っていた通りの返事が帰ってきて、彼はそそくさと歩いていく。
それを見ていた来光くんが「あんなやつほっとけばいいのに」と私の代わりに顔を顰めた。
「でもよー…病気じゃなかったらかなり不味くねぇか?」
教室に戻る道すがらで、泰紀くんがぽつりとそう言う。
「おいおい泰紀~。高熱が出て声が出ないなんて、病気以外ならそんなの誰かから呪われたか何かしかねーぞ!」
あはは、と笑った慶賀くんはやがて自分の言葉を理解して「え……?」と真顔になった。
呪われた、その言葉にみんなが目を見開く。
「呪いを……かけられたのか?」
「いやでも……だってここ神修だぞ? 最強の結界が施されてるんだぞ?」
「でもよ、考えてみろよ。神職がいちばん大切な声が揃いも揃って出なくなるなんて、かなりまずい状況だろ。そんなこと、普通起きるか?」
それは、と慶賀くんは言葉を詰まらせた。
急に心の隅で僅かに感じていた胸騒ぎが大きくなる気配がした。
呪い、でもそんなまさか。
「ちょっとちょっと! みんなストップ!」
パンパンッ、と来光くんが顔の前で手を叩いた。話し合いに熱中していた二人が顔を上げる。
「ストッパーの嘉正がいないとすぐ熱くなるんだから」
やれやれと肩を竦めた来光くん。そう言われてハッと我に返った。
私たちの悪い癖だ。また"こうだ"と決めつけて、問題に首を突っ込もうとしていた。あれほど強烈な平手打ちを食らって怒られても、まだ同じことをしようとしている。
深く反省したばかりのはずなのに。
二人はバツが悪そうに首を縮めて下唇を突き出した。
「暴走しようとしたのは俺らが悪かったけどさー、お前だって気になるだろ?」
「そりゃ……友達がああなってるんだから心配に決まってるだろ」
そうだね、と相槌を打つ。
「とりあえず今の話、豊楽先生に伝えとこうぜ。呪いの線もあるかもって────」
「一年の割にはなかなかの推察力だな志々尾慶賀」
無機質な第三者の声に私たちは弾けるように振り返った。振り向いた瞬間、私たちはその場に凍りつくように固まった。
「き……嬉々、先生……」
不揃いの髪の隙間から蛇のように鋭い光のともさない瞳が私たちを射抜いた。
「構わん続けろ」
冷たい目が私たちを見下ろし白い唇は僅かに弧を描く。
「ななな何でもないですっ!!」
いち早く泰紀くんの後ろに隠れた慶賀くんは震える声でそう叫ぶ。私達も顔を見合わせると赤べこのように何度も頷いた。
「呪いがどうしたお前たちは呪いの話をしていたのではなかったか何の呪いについて話していたんだ」
してませんしてませんしてません、と泣きそうになりながら全否定した慶賀くん。私たちはまたコクコクと何度も頷く。
冷ややかな目と目があって、唾を飲み込んだ。まるでナイフを突きつけられているような気分だ。背筋をつうっと汗が流れる。
「今度は生きながらえれるかどうか見ものだな」
嬉々先生はそれだけ言い残すと音もなくその場を去っていった。みんなは金縛りが解けたように「ぶはっ」と息を吐いた。
「な、な、なんだよあいついきなり現れたぞ!?」
「どう見ても嬉々って顔じゃねーよ!! 見たかよあの蛇みたいな凶悪な顔!?」
「僕もう無理立てない怖い帰りたい!!」
三人は堪えていたものを吐き出すように早口でそう叫ぶ。
私も「びっくりしたー……」と肺の空気を全部吐き出しながら呟く。バクバクうるさい心臓を服の上から抑えた。
「どう見てもあいつが全て犯人だろ……」
顔を顰めた泰紀くん。
「僕もそう思うけど、鳥居の一件の時だって違ったじゃん。決めつけるのは良くないよ」
「分かってるけどさー」
よろよろと立ち上がったみんなが歩き出した。
それにしても、嬉々先生の言葉が引っかかる。
"一年の割にはなかなかの推察力だな"
来光くんの言う通り、何でも決めつけるのは良くないと分かってはいるけれど、いちいち胸の片隅に引っかかる。
「巫寿ー? チャイム鳴っちゃうぞー!」
「あっ……今行く!」
先を歩く背中を慌てて追いかけた。
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