言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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やりたい事

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薫先生の先導で私たちは建物の外に出た。私と泰紀くんで確認した裏口の祠までやってくると足を止めて振り返る。


「今みたいな条件の時にもう一つ確かめなきゃいけない事があるんだけど、それが"もう一柱ひとはしらの神様"の存在だ」

「もう一柱? でも御祭神さまは新しい病棟に移ってるだろ?」

「その通り。でも家に関する神様は御祭神だけとは限らないんだよ」


嘉正くんと慶賀くんがポケットからメモとペンを取り出してスラスラとメモを取り始める。

慌てて鞄の中を漁っていると、後で見せるねと来光くんに耳打ちされて小さく拝む。


「学校に戻って次の授業で詳しく説明するけど────例えば台所には火之迦具土神ひのかぐつちのかみ、窓には志那都比古神しなつひこのかみ、クローゼットには納戸神なんどがみ……他にも数え切れないくらい沢山神様がいらっしゃるわけね」

「そんなに家ん中いたら狭くね?」

「あはは、確かに。満員電車状態かもね」


けらけらと笑った薫先生は「こっち」と私たちを手招いた。

裏口から少し外れた人の手入れが行き届いて居ない草の生い茂る場所へ来ると、「これ見てみ」と薫先生は何かを指さす。

慶賀くんと泰紀くんは薫先生が指さした所に積もった落ち葉を払い落とす。


「あっ」


姿を現したそれには見覚えがあった。

それは蓋の被せられた直径1メートルのコンクリート出できた丸い円柱で、高さは私のくるぶしくらいまでしかないけれどそれが何か知っている。


「井戸ですか?」

「そ、大正解。よくわかったね、これが井戸だって。今どきの子供たちは、あんまり実物見た事ないでしょ」

「中学校に同じ形のがあって、先生が危ないから近付くなって」


学校の井戸は急拵えされた感じのトタン板が被せられていた。

昔悪ふざけしていた男の子が中に落ちて死んでしまい、夜な夜な助けを求めて壁によじ登っては落ちて水飛沫が上がる音がする────というのは真偽はさておき学校の七不思議のひとつとして有名だった。

みんなが物珍しそうに井戸をのぞき込む中で、泰紀くんだけが反応が薄い。


「泰紀くんは井戸見たことあるの?」

「んあ? ああ、前に言ったろ俺ん家の神社が山奥にあるって。水周りもそこまで整備されてないから、俺ん家も井戸で水汲んでたんだよな」


確か、電車もバスもないから皆原付の免許を取るって言ってたような。だとしたら泰紀くんの家はなかなか山の深いところにあるんだろう。

ぶっちゃけ学校の方が快適なんだよなぁ水洗便所だし、と何気なしに言ったその事に返す言葉もない。


「はい、薫先生! 井戸と神様は何が関係するんですか」

「いい質問。古来より日本では万物に神様が宿るとされてるよね。火や水みたいなとりわけ生活に強く結びつくものには力の強い神様が宿る。井戸はその良い一例だ」

「じゃあ井戸には水神が宿るってことですか?」

「そ。弥都波能売神みずはのめのかみ、めちゃめちゃ美人な女神様だよ」


美人、と聞いて分かりやすく反応した慶賀くんと泰紀くんに思わず苦笑いをうかべる。


「住んでる家を急に埋め立てられたら、君らでも怒るでしょ? だから、ここを埋め立てることのお許しをもらって、高天原にお帰りになってもらう神事……井戸埋立清祓いどうめたてきよめばらえを執り行うわけね。これ、毎年昇階位試験にでてるから」


最後の一言で慌ててメモを取り始めた二人は「薫先生頭からもう一回!」とヒィヒィ言いながらペンを動かす。


「というわけで、これから井戸埋立清祓をします。まだ習ってない祝詞だから、君らは祓詞だけ奏上したら後は後ろで見学ね」


薫先生が神事をするんだ。

思い返せば薫先生の祝詞を奏上する姿を見たのは、始業式の次の日に蛇神じゃしんの祟りを祓いに言った時以来だ。


「というわけで、まずは準備だね。神饌用の米、酒、塩、水と三宝代わりになるお皿、あと折りたたみのテーブルがあればいいかな。はい、集めてきて」

「えっ俺らが?」

「薫先生、ここの原因分かってたんじゃねぇのかよ!」

「事前に見に来た訳じゃないんだし、来る前に分かるんけないでしょ。ほらブゥブゥ文句言ってたらスーパー閉まるよ。あはは」


行った行った、と手を振る薫先生に横暴だ!と噛み付く慶賀くん。ほら行くよ、と嘉正くんに促されて悔しそうに歩き出した。


結局スーパーは閉まっていたので24時間営業のコンビニに入った。


「米なんて売ってねぇよ。チンするやつでいいかな?」

「そもそも俺らって未成年だから酒買えねぇし」

「薫先生に聞いたら、チンするやつやつでもいいって。酒は料理酒でも可って言ってる」

「なんか適当だね」

「……って誰かが言ったら"こういうのは気持ちなんだよ"って言えって」


嘉正くんは私と顔を合わせると苦笑いで肩をすくめる。

たまらずくすくすと笑った。


「あ、あと領収書も貰って来いって。経費で落とすらしい」

「なんだよ、薫先生のポケットマネーかと思ったのに」

薫先生からお財布を預かっていたので、チャンスとばかりに次々と自分たちのお菓子を放り込んでいた皆は少しつまらなさそうに「なーんだ」と零す。


「にしても薫先生の財布、ディオールだぜ」

「この黒いカード怖すぎて僕触れないんだけど」

「神職って階位ごとに給料変わるらしいよ。神修の教職ならプラスで貰うんだって。本庁の職員はそれ以上だって言うし」


ひええ、と皆は顔をひきつらせる。

唯一泰紀くんだけが瞳を輝かせて「具体的に月いくら!?」と身を乗り出した。

わいわいとそんな話をしながら必要なものを揃え、病院に戻る途中で事務員さんから折りたたみのテーブルと紙皿を数枚貰った。

帰ってくるとまねきの社の白い社紋が入った紫色の差袴さしこに深緑色の狩衣姿の薫先生がスマホゲームをしながら待っていた。


「お、やっと帰ってきた。ちょっと君達、何その荷物の量ウケるんだけど、あはは」

「お菓子でもお供えすれば神饌扱いになるだろ!」

「あはは、無駄な所で頭良いねぇ。ねね、金平糖ある?」


よっこらしょ、と立ち上がった薫先生。


「薫先生がちゃんとした装束なの久しぶりに見た気がする」

「失礼だなぁ。間違いでは無いけど」


薫先生はコンビニでチンしてもらったパックのお米をみてヒィヒィ言いながら笑う。

先生がそれでもいいって言ったのに。



井戸の前に簡易テーブルを広げてテキパキと神饌を広げていく。山盛りのお菓子にチンするご飯、料理酒。

ほんとにこれでいいのかと聞きたくなるけど、「こういうのは気持ちなんだよ」の言葉を思い出して無理やり納得させる。

用意が整ったところで、さっきの気の弱そうな事務員さんが「どうですか?」と様子を見に来た。


「ああいい所に。丁度これから神事になるんで、参加出来るスタッフは呼んできてもらっていいですか?」


珍しく余所行きの顔で話す薫先生に、皆は信じられないものを見たとでも言いたげな顔をする。


「し、神事ですか? それってプラスで料金かかりますか?」

「そうですね。後日請求が来るかと思います」

「院長からはあまり予算をかけないように言われてまして……その、当初の予定だったお祓いだけで何とかなりませんか?」


おどおどとそう申し出た事務員さんに薫先生は笑顔のまま答える。


「出来ますけど相手は神様なので、祓った場合とんでもない災いが降り掛かるかと。たとえば作業員が工事中に亡くなって訴えられた場合何百万の損害賠償を払うことになりますよ。数十万の神事で解決する方が安く済むかと思いますけどね」


損害賠償と聞いていっそう顔を青くした事務員さんは何度も額の汗を拭うととても困った顔をして「分かりました」と肩を落として答えた。


「夜勤帯なんで、手の空いたスタッフだけで大丈夫です」


心做しか丸くなった背中がなんだか可哀想だったけれど、"神の災い"を目の当たりにした私たちからすれば絶対に井戸埋立清祓は必要な神事だと言い切れる。

それにしても────。


「薫先生が普通の大人みたいに喋ってる……」

「あはは、シンプルに失礼なんだけど」


いつものように飄々とした薫先生に戻る。


「薫先生もよそ行きの顔とか出来たんですね」

「ねぇホントに君達失礼だね? センセイだって君らよりかは10年は長く生きてんだから、社会に適合する術くらい身に付けてるよ」

「今の感じからだと、まともな大人の姿の薫先生を想像できなくて」

「あはは、そろそろ課題増やすよ?」


げ、と顔を顰めた皆は分かりやすく「薫先生格好いい」「ステキ!ザ・オトナ!」「歩くアダルト!」なんて言って囃し立てる。

それで気分が良くなったのか、薫先生は満足気にうんうんと頷いた。

歩くアダルトでも良いんだ……。

十分後には十数人の病院のスタッフ達が旧病院前に集まった。祭壇の前に薫先生、その後ろに私たち、最後尾にスタッフ達がずらりと並ぶ。

こほん、と咳払いをした薫先生はまたよそ行きの顔になって首をめぐらせた。


「それでは、ただいまより井戸埋立清祓いどうめたてきよめばらえの儀を執り行います。皆様、ご静粛にお願いします」


ひそひそと話す声が止んで、虫の鳴き声が響いた。

井戸埋立清祓の流れはまず修祓、祓詞奏上と神主による大麻おおぬさ祓いが行われる。祓詞は私たちにもできるので、薫先生に合わせて奏上する。

祓詞を奏上する薫の声はやはり木琴の音色のような深みがあって美しい。それでいて芯があって、どんなに騒がしい場所でもよく通った。

自分の声もあんなふうに深く響けばいいんだけれど、と耳を済ませながら思う。


降神こうじんの儀、献饌けんせん、祝詞奏上、清祓きよめばらえの儀、玉串奉奠たまぐしほうてんと順調に進み、昇神詞しょうじんことばが奏上されると、全員の深い一礼で儀式は滞りなく終了した。

仕事だからという理由はあるにしろ、真面目に神主の仕事をこなす薫先生が珍しすぎて私たちは逆になんだか落ち着かなかったけれど。

わらわらと病院内へ戻っていくスタッフを横目に、薫先生は「よっこらしょ」と井戸の縁に腰掛ける。

神様が居なくなった場所だとしても不謹慎ではないかと思うのは絶対私だけじゃないはずだ。


「薫先生じじくさーい」

「そりゃ疲れるでしょ。普段はあんな真面目な仕事絶対に引き受けないしね。センセイは修祓しゅばつ専門なの。ほらチャカチャカ片付けて」


はーい、と皆は渋々と片付けに取り掛かる。

チンするご飯でおにぎりを作ろうと盛り上がる慶賀くん達に思わずくすくすと笑った。


「皆、俺着替えてくるから。片付けが終わったらもう一回病院の中見て回ってから、正門のとこ集合ね」

「えー、もう儀式済んだんだから見て回らなくてもいいだろ~」

「文句言わない。そのお菓子自腹にさせるよ?」


卑怯だ!と抗議の声を適当に聞き流した薫先生は手をヒラヒラさせながら新しい方の病棟へ消えていった。


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