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恵理ちゃんの家

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「俺ソファーで寝たかったー……」

「慶賀、いつまでそれ言ってんの」


次の日の朝、朝ごはんは玉じいの家でご馳走になり、私たちは恵理ちゃんの家をめざした。

よっぽどソファーに未練があるのか慶賀くんが名残惜しそうにそう言った。


「お泊まり……は厳しいけど、また遊びに来てね。私はいつでも大歓迎だよ」

「まじで!? やりぃ、遠慮なくそうする!」

「遠慮しろバカタレ」


嘉正くんにぱこんと後頭部を叩かれて、頬をふくらませる。

二人のやり取りにくすくすと笑った。



「あ、見えてきたよ。あれが私の家。ガッツリ日本家屋だけど、ガッカリしないでね」


恵理ちゃんは道の先にある平屋の一軒家を指さした。

ほんの数ヶ月前はよくお互いの家を行き来していたはずなのに、それがもう随分と昔のことのようだ。

慣れた手つきで鉄柵の内鍵を外した恵理ちゃんは「どうぞ」と私たちを招き入れる。

お邪魔します、と一歩足を踏み入れた途端家の奥からふわりと温かい風が流れてきたような気がした。私の頬を撫でて通り過ぎていくそれは春の草原を駆け抜ける風のように心地よく、ほうと目を細める。

恵理ちゃんの話していたこととはまるでちがって、息苦しさも嫌な感じも何一つない。

玄関の鍵を開けた恵理ちゃんに招かれて扉をくくると、空気が澄み切った朝の社頭のような清浄さを感じる。


「お、もしかしてちゃんと毎朝神棚に手を合わせてる?」


嘉正くんがすかさずそう尋ねれば、恵理ちゃんは目を丸くする。


「すごい、どうしてわかるの? 私はほんとに気が向いた時になんだけど、おばあちゃんは毎日お経みたいなの唱えてるよ」

「多分それはお経じゃなくて"神棚拝詞"だね。おばあちゃんが祝詞を奏上しているおかげで、神棚に御座す神様の力が十分に発揮されているんだよ。とても清浄な空間になってる」


へええ、とみんなが興味深げに頷く。

恵理ちゃんはまだしも、慶賀くんたちまでそんな様子で呆れたふうに息を吐く嘉正くん。


「少しの間お邪魔するから、手を合わせてもいい?」

「もちろんだよ、こっち」


案内された居間の窓と反対側の壁に小さな神棚があった。

私の家にあるものよりかは少し小ぶりだけれど、丁寧に手入れがされているのが分かる。

みんなで柏手を揃えて頭を下げる。しばらくお邪魔します、と挨拶をすれば微かに鈴の音色が聞こえたような気がした。

黒い手形が現れたという和室や妙な音がする台所、首が落ちたという日本人形を順番に見て回る。

一通り回って恵理ちゃんの部屋へ戻ってくる。よく冷えた麦茶を一口飲んで、みんなふぅと息を吐いた。


「どうだった……?」


緊張した面持ちで恵理ちゃんが私に尋ねる。


「えっと……あのね、私はまだ階位も持ってないし、学び始めてから数ヶ月しか経ってないから、あんまり真に受けないで欲しいんだけど」


うん、と恵理ちゃんが唾を飲み込んだ。


「何も感じないの」

「え?」

「悪い気配を感じないの。寧ろ嘉正くんが初めに言ったのと同じで、お社の中みたいな心地良さがあるんだ。だから、恵理ちゃんを疑っている訳じゃないんだけど、本当にそんな恐ろしいことが起きてるなんて信じられなくて」


申し訳なさで身を縮める。


「ごめん恵理ちゃん、俺も巫寿と同じ意見だ」


すかさずそう言った嘉正くんに続いて、僕も俺もと皆が申し訳なさそうに名乗り出る。

思わずほっと息を吐く。


「でも、恵理ちゃんの言う現象は間違いなく霊や妖が引き起こすものだと思う。もう少し、調べてもいいかな」

「むしろ私からお願いしたいくらいだよ。みんなごめんね、引き続きよろしくお願いします」


任せて、と慶賀くんは胸を叩いた。

それにしてもどういうことだろう?

恵理ちゃんから聞いた現象は間違いなく自然発生するような現象では無い。霊や妖、目には見えないものが引き起こす類の現象であることは間違い無いはずだ。

けれどこの家にはそれを引き起こすような悪いものを一切感じられない。むしろ、神棚に宿る神様との結び付きが強く心地よさを感じる。

恵理ちゃんがそんな嘘を言うはずがないし、この家は一体どうなってるの?

ぐるりと部屋を見回していると、とんとんと肩を叩かれる。振り返ると恵理ちゃんが小さく手を合わせていた。


「みんなに出すお菓子と飲み物、準備するから手伝ってもらっていい?」

「あ、うん。もちろんだよ」



助かると笑った恵理ちゃんとふたりで台所へ向かった。

これお願いと渡されたお菓子を大皿に盛り付けながら口を開く。


「ねえ恵理ちゃん。家の事以外で、最近変に思うこととか変わったことってある?」

「家の事以外?」


こぽこぽとコップに麦茶を注ぎながら恵理ちゃんは首を捻る。


「家の事以外で言ったら昨日話した通り、お父さんが怪我したり、お母さんがパートをクビになったり……あ、最近父方の叔母も一緒に暮らしてるんだけど、そうなったきっかけが離婚なの。……旦那さんが浮気してね。そういうのって関係ある?」

「どうだろう……。授業ではまだ習ってないだけなのかもだけれど、聞いたことは無いかな……? でも、おじさんの怪我は少し気になるね」


妖や幽霊が人にイタズラをして怪我を負わせるという話は聞いたことがある。

けれど仕事をクビになったり離婚させることまで出来るのだろうか?

その時、かちゃんと玄関の扉が開く音がした。買い物袋ががさがさ揺れる音がして、廊下が軋む音がする。


「はあ、ほんと暑い。恵理お母さんにも麦茶……あら? やだみこちゃんじゃない!」


台所に入ってきたのは恵理ちゃんのお母さんだった。

どさどさとテーブルに買い物袋を置いたおばさんは目を丸くして駆け寄るとぎゅっと私の両手を握った。


「恵理から話は聞いていたんだけど、こうして顔が見れてよかった。おばさんもずっと心配してたのよ」

「おばさん……ありがとうございます。色々大変だったけど、今はこのとおり元気です」


そうはにかんで肩をすくめると、おばさんは嬉しそうに何度も頷いた。

話し声を聞き付けた嘉正くんたちが、わらわらと台所へ顔を出す。


「こちらは恵理ちゃんのお母さま?」


嘉正くんの問いかけに目を剥いた恵理ちゃんが私を見る。苦笑いで頷いた。

分かるよその気持ち。


「そ、そう。お母さん、友達の嘉正くんに来光くん、それに慶賀くんと泰紀くん」

「初めまして。大勢でお邪魔して申し訳ありません。直ぐにお暇させてもらいます」


おばさんは「あらまあ」と頬を染めた。


「もう、先に言っといてよ恵理。気の利いたものなんてないわよ。みんな晩ご飯は?」

「みんな夕方には帰るから」

「そうなの? 遠慮しなくていいのよ。みんなさえ良ければ、おばさん張り切ってご馳走振舞っちゃうのに」


やめてよ、と恵理ちゃんが顔を赤くする。

そんなやり取りに、恵理ちゃんが私の家に泊まりに来た時はお兄ちゃんと同じやり取りをしていたなと思い出す。


「えっ、おばちゃん晩飯食ってっていーの!?」

「俺肉がいい!」


そう身を乗り出したふたりに、嘉正くんの手刀が落ちる。


「お前らは少し自重しろ」

「ふふ、お肉ね。じゃあ庭でバーベキューにしよっか!」


やったぁ!と喜ぶふたりに、嘉正くんは頭を抱える。


「恵理、みこちゃん、手伝ってもらっていい?」


ちらりとみんなの様子を見ると、「こっちは任せて」とばかりに胸を叩く。よろしくね、と小さく手を合わせて「はい!」と頷いた。


「────うわっ、灰飛んできた!」

「火ついてねぇんだから灰ぐらいでビビってんじゃねぇよ慶賀」

「お前わざとだな!? 許さんっ」


夕日が傾き始めた頃、私たちは庭でコンロの用意を始めた。

バーベキュー用の炭で遊び始めた慶賀くんと泰紀くん。人ん家で馬鹿やってんじゃないよ!と怒る来光くんに思わずくすくくと笑った。


「恵理ちゃん、巫寿。食材運ぶの手伝ってほしいって、呼んでたよ」


嘉正くんに呼ばれ「はーい」と返事をしながら縁側に上がる。

台所に向かう廊下を歩きながら嘉正くんが口を開いた。


「ふたりが食材の準備をしてくれている間に、もう一度家の中を確認してみたんだけどね」

「ど、どうだった?」

「うん、心当たりはいくつかあるんだけどまだ断定が出来ないんだ」


そう首を振った嘉正くんに、恵理ちゃんは不思議そうな顔をした。


「風邪をひいたのに、胃薬を飲んでも良くはならないでしょ? それと一緒なんだよ。憑き物ってその種類によって対応が変わってくるから、突き止めてからじゃないと太刀打ちできないんだ」


へえ、と恵理ちゃんは興味深そうに頷いた。

三人で台所に入ると、お皿に山盛りになった野菜やお肉が机の上に並べてあった。恵理ちゃんのお母さんが忙しいそうにパタパタと台所を駆け回っている。


「机の上にあるもの運び始めちゃって! お父さんがもう少しで帰ってくるから、帰ってきたら火を起こして始めちゃっていいからね。タエ子叔母さんは遅くなるから」


はーい、とみんなで声を揃えて両手にお皿を持つ。


「お母さん、おばあちゃんは? 今日遅くない?」


そういえば、恵理ちゃんは父方のおばあちゃんとも同居していたことを思い出す。


「おばあちゃん、今日からデイの帰りは病院に寄るから遅くなるの」

「えっ、どうして? どこか悪いの?」

「ほら、この前病院に行ってたでしょ。腎臓がだいぶ悪くなってるみたいで、これから透析に通わなくちゃ行けないのよ」


おばさんは、はあ、と片頬に手を当てて息を吐いた。

眉間に皺を寄せた恵理ちゃん。纏う空気が少しだけ鋭くなったのに気が付いた。


「ほら、せっかく入居できるホームも決まってたのに、介護等級?っていうのが上がっちゃったらしくて。また一から探し直しになのよ。どうしようかしらねぇ」

「心配するところって、そこなの? まずはおばあちゃんの心配でしょ?」

「やな言い方ねぇ。おばあちゃんの心配はしてるわよ。ただオトナはお金の事も心配しなくちゃいけないの」


居た堪れない空気が流れて、隣の嘉正くんと無言で目を合わせてひとつ頷く。

会話を邪魔しないように足音を忍ばせてそっと台所を出ていこうと歩き出した。


「そんなにお金が心配なら、おばあちゃんをわざわざホームへ入れなきゃいいじゃん!」

「恵理、いい加減にしなさいッ! 大人には大人の事情があるの!」

「じゃあおばあちゃんを追い出すってどんな事情なの!?」


二人の言い争いが加速して、堪らず間に入ろうと振り向いたその瞬間、ぐらりと足元が揺れて咄嗟に傍にあった食器棚に捕まった。

きゃあっ、と悲鳴をあげてバランスを崩した恵理ちゃんを咄嗟に支えた。嘉正くんもすかさずおばさんに駆け寄ってその背中を支える。

ぐらぐらと床が激しく揺れて家の柱が軋む。がちがちと音を立てる食器が不気味で唇をかみ締めた。

揺れは次第に小さくなって、数十秒もすれば何も無かったかのように静かになった。無意識に止めていた息を吐き出した。


「大きな地震……震源が近いのかしら」


おばさんが不安げにそう呟いた。

はっと嘉正くんを振り返る。目が合うなり、険しい顔で小さく首を振った。


「────変なところ見せてごめんね」


恵理ちゃんのお父さんが帰ってきて、炭に火がつくとバーベキューが始まった。

一通り楽しんだあと、休憩がてら縁側に座ってお茶を飲んでいると恵理ちゃんが申し訳なさそうに私の隣に座った。

慌てて首を振る。


「おばあちゃん、具合良くないんだね」

「最近、急にね。それでホームに入れなくなったから、お母さんたちはぴりぴりしてて。私は断固反対だからすぐ喧嘩になっちゃうの」


そうか、それでさっきのやり取り……。

昔から恵理ちゃんがおばあちゃんっ子だったのは良く印象に残っている。


「別にホームへ入ることが悪いことだとは思ってないの。ただ、まだおばあちゃんは自分のことだって自分でできるし、こんな無理やり追い出すような形なのに納得がいかなくて」

「おばあちゃんはなんて言ってるの?」

「……なんにも。ただ私たちが喧嘩すると、凄く悲しそうな顔をするの」


そっか、と相槌を打つ。悔しそうにきつく握られた恵理ちゃんの手なそっと触れる。

その時、玄関の方が騒がしくなって車が入ってくる音が聞こえた。


「叔母さんとおばあちゃんが帰ってきたみたい」


そう言って恵理ちゃんはぱっと立ち上がると玄関へ走っていく。楽しそうな声が遠くで聞こえて、やがて声は近づいてくる。

恵理ちゃんと一緒におばあちゃんが庭へ顔を出した。

私のことを覚えてくれていたのか、おばあちゃんは目が合うなり嬉しそうに微笑む。ぺこりと頭を下げると小さく手を振ってくれた。


「巫寿」


声をかけられて振り返る。皆がそこに立っていた。


「この家の憑き物が分かったよ」

「うん、間違いないと思う」


目を見開いて皆の顔を見た。

アイスを買いに行ってくる、という名目で家を抜け出した私たちはコンビニまでの道のりを並んで歩く。

太陽は半分ほど山に隠れて町中がオレンジ色の優しい光に包まれていた。


「それで、分かったんだよね……?」


恐る恐る尋ねた恵理ちゃんに、私たちはひとつ頷いた。


「恵理ちゃんの家に憑いてるのは、"オーサキ"って呼ばれる憑き物だ」

「オーサキ?」


恵理ちゃんは聞きなれない言葉に眉間に皺を寄せて聞き返す。


「どういう妖怪なの? そもそも憑き物って妖怪なの?」


恵理ちゃんが私の顔を見てそう尋ねる。

そうなると回答するのは私になり、えっとと言葉を選ぶふりをしながら習ったことを思い出す。


「憑き物って言うのは、人や土地、建物に乗り移って災いをなすと信じられている動物霊や生霊、死霊のことだよ。簡単に言えば幽霊ってことになるかな。だから妖ではないよ」

「じゃあウチに幽霊が取り憑いてるってこと……?」

「そういうこと、になるかな」


両腕を抱きしめた恵理ちゃんは顔を強ばらせる。

確かに家に幽霊がいると言われれば、誰だってそんな反応になる。妖に慣れてきた私ですら、幽霊と聞くとちょっと怖い。


「オーサキって言うのは奥武蔵に伝わるイタチににた憑き物のことなんだけど、地方によっては狐の姿って言われてる説もあってさ」

「良いオーサキが憑けばその家は富み、悪いオーサキが憑けば家に悪いことが起きたり住人に被害が出るんだよ」


慶賀くんと泰紀くんが代わる代わるに、どこか誇らしげに胸を張って説明する。

嬉々先生の「憑物呪法」の授業を毎回必死になって予習と復習した成果がしっかり実を結んでいるようだ。


「じゃあ、うちの場合……イタチの悪い幽霊が家に住みついて、あの怪奇現象を起こしてるってこと……?」


うん、と頷く。

恵理ちゃんは眉根を寄せて俯いた。


「あの────言おうか迷ったんだけど、こうなった以上恵理ちゃんは知っとくべきだと思うから、言わせてもらうね」


嘉正くんは歯切れの悪い言い方をして、ゆっくりと口を開いた。


「オーサキの被害は、家だけじゃないんだ」

「……え?」


恵理ちゃんの瞳が不安で揺れる。

憑き物に憑かれた家の特徴は、主に怪奇現象が起こるとされている。誰もいない部屋や空間から音が聞こえてくる所謂ラップ音や失せ物、窓やガラスになにかの影が映ったり、水周りの故障。

それは憑き物が居る家には起こりうる現象だけれど、その憑き物の種類によって怪奇現象の種類は異なってくる。

恵理ちゃんの家に居る"オーサキ"と呼ばれる憑き物も、他とは違う怪奇現象を起こす特性があると、授業で習った覚えがある。

それは────。


「家主の内蔵を喰らう────特性があるんだ」


ひ、と息を飲む声が聞こえた。

心当たりがあるらしく動揺が隠せないのか、恵理ちゃんは数歩後ろによろけて口元を抑えた。

咄嗟にその背中に手を添える。



「じゃあ、もしかして……おばあちゃんが急に腎臓が悪くなったのは────」



嘉正くんは険しい顔で頷いた。


「オーサキが憑いたせいかもしれない」

「そんなっ……」


恵理ちゃんとおばさんの会話を思い出した。

────ほら、この前病院に行ってたでしょ。腎臓がだいぶ悪くなってるみたいで、これから透析に通わなくちゃ行けないのよ。

もし恵理ちゃんのおばあちゃんが体調を崩したのが、"オーサキ"が憑いたせいなのだとしたら。



「ど、どうしようみこ……! おばあちゃんが、おばあちゃんが……っ」


私の服をきつく握ってぽろぽろと涙を零す恵理ちゃんの背中を撫でる。


「恵理ちゃん……」


顔を上げると皆と目が合った。力強くひとつ頷く。

泰紀くんがニカッと笑って恵理ちゃんの背中を叩いた。


「大丈夫、任せろ! そのために神職おれたちがいるんだ!」


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