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夏休みと祟り
弐
しおりを挟む「ただいまー」
「おかえり、巫寿」
かチャリとドアを開けて中へ入れば、すかさず奥から返事が返って来た。台所からひょこりと顔を出したその人に笑みを浮かべる。
「玉じい、遅くなってごめんね。夕飯の準備、すぐ手伝う」
この人は、私とお兄ちゃんが住んでいるアパートの下の階の住人、津々楽玉嘉さんだ。玉じいと呼んでいる。
私がまだ小学生だった頃、お兄ちゃんの帰りが遅い日は玉じいの部屋で過ごさせてもらったり、晩御飯をご馳走になったりと、兄妹そろってとてもお世話になっている人だ。
「それよりも早く手を洗って、そいつの相手をしてやれ」
「そいつ?」
首を傾げながら靴を脱ぐと、居間の襖がすっと開いた。廊下に出てきた人に「あっ」と声を上げる。
「禄輪さん!」
彫りの深い顔立ちで肩より少し上くらいまで伸びた波打つ長髪に優しげな垂れ目。あごひげに隠れた薄い唇がすっと弧を描いた。
「おかえり巫寿。もう逢魔ヶ刻だぞ、もう少し早く帰ってきなさい」
パタパタと駆け寄りながら、ごめんなさいと肩を竦め舌を出す。
「どうして禄輪さんがここに? 玉じいと知り合いなんですか?」
「ああ、そんなところだ」
へえ、と目を丸くする。
「巫寿、ちょっと手伝ってくれ」
「あ、はーい!」
禄輪さんに断りを入れて台所へ入ると大きなお鍋やカットされたお野菜、美味しそうな牛肉が用意されていた。
「わっ、すき焼き?」
「ああ、コンロと鍋運んでくれ」
「はーい」
いそいそと夕飯の支度に取り掛かった。
「玉じいが、日本神社本庁の本部長……!」
驚きのあまり、からんと手のひらからお箸が滑り落ちた。
「"元"だがな。巫寿、行儀悪いぞ」
指摘されて慌てて箸を拾い上げた。
それでもまだ落ち着かなくて、はあと間抜けな声を上げる。
日本神社本庁は、全国各地にいる言霊の力を持つ神職を統括する組織だ。全ての神職は本庁に加盟しており、私も神修へ進学するのと同時に加盟した。
その本部長と言えば、全神職のトップに君臨する人ということになる。
まさかこんな身近に神職が、しかも本庁の元トップがいたなんて信じられない。
「あ、もしかして私が帰ってきた時に何も聞かなかったのって、全部知ってたからなの……?」
「ああ。ある程度は禄輪から話を聞いていたからな」
なんともない顔で白菜を咀嚼する玉じいに、肺の空気を全て吐き出す勢いでため息をついた。
だから帰ってきた時、あんなにもあっさりした反応だったんだ。
ろくな説明もないまま神修へ進学して、長い間連絡も出来ないままでいた。帰りの車の中で玉じいになんて説明すればいいんだろうと頭を抱えていたけれど、玉じいは帰ってきた私を問いただすことも無く、いつも通り「おかえり」と迎え入れてくれた。
学校は楽しいかとは聞かれたけれどそれ以上深追いしてくることはなく、拍子抜けしたのはつい最近のことだ。
でも玉じいが禄輪さんと知り合いだったなら、その反応も納得だ。
「私も初めてここへ来た時は驚いたんだ、引退されてから十二年間、一切お姿を見せなかった玉嘉さまの気配がしたんでね」
「まあ、隠居してからは誰にも所在を知らせていなかったからな」
しれっとそう言う玉じいに、禄輪さんは小さく笑った。
その様子から二人が親しい仲なのだと分かる。
「玉嘉さまは私の師匠だったんだ」
「さま、はやめろ。師匠じゃなくて、ただの教師と生徒だろう」
顔を顰めた玉じい。
ええっと目を見開いた。
「禄輪さんの先生だったの……!」
「ああ、稽古はいつも私が泣くまでぼこぼこにされたもんだ」
禄輪さんが泣くまで!?
想像できなくてあんぐりと口を開く。さっきから衝撃事実の連発で開いた目と口が塞がらない。
「あんなもん、まだまだ生ぬるいぞ」
「相変わらずなようで」
「やかましいわ」
ふ、と玉じいが笑みを浮かべる。
その表情を見た禄輪さんは少し驚いた顔をした。
「だいぶ表情が柔らかくなられたんですね」
玉じいは私の小皿にお肉を取り分けながら、目を細めた。
「前線から離れて悩み事もなくなって、可愛い孫もできたんだ。鬼でいる必要もなだろう」
玉じいは伸ばした手で優しく私の頭を撫でる。
禄輪さんも柔らかい表情で「そうですね」と頷いた。
夕飯を食べ終え少し談笑すると、禄輪さんは「そろそろ帰るよ」と立ち上がった。残してきた仕事がまだ沢山あるらしい。
「補習があるだろうからあと一週間程度しかここにおれんと思うが、くれぐれも用心して過ごしなさい。何かあったら直ぐに知らせるんだよ」
玄関で靴を履きながら禄輪さんは念を押す。
さっきからこればっかりだ。
分かってます、と苦笑いで頷けば疑うようにじろりと私を見る。
「逢魔ヶ刻の前には帰宅すること、私が渡した札に破損がないか毎日確認すること、異変があれば直ぐに連絡すること、特に男と二人では遊ばないこと」
「禄輪さん、祝寿お兄ちゃんみたい」
禄輪さんはため息をついて私のおでこを人差し指で弾いた。
「本当にわかってるのか?」
「分かってます。ちゃんと気をつけます。それに眞奉もいるし」
その言葉に応じるように、頭の中に「ええ」と女の人の声が響く。禄輪さんにも聞こえたのか、そこでやっとドアに手をかけた。
「また様子を見に来るから、その時に稽古をつけてあげよう」
「わっ、嬉しいです……!」
禄輪さんはひとつ頷くと「行ってくる」と目を弓なりにした。
禄輪さんを見送った後、食器の片付けをして私も玉じいに別れを告げた。
アパートの外階段を登って自分の部屋に帰ってくる。玄関の床を踏んだその瞬間、透き通る水の中に足を入れるようにひんやりとした感覚がした。
家の中は、朝の社頭のように澄んだ空気で溢れている。
後ろ手でドアを閉めてくるりと振り返る。ドアスコープの上に貼った厄除けの御札は禄輪さんが用意してくれたものだ。
「異常なし、と」
シワひとつない御札に手を合わせると、靴を脱いで中に上がった。
部屋の中はお兄ちゃんが暮らしていた頃と何一つ変わらない。玉じいがこまめに掃除をしてくれていたらしく、帰ってきた時もある程度は覚悟していたほこりっぽさがなかった。
唯一変わったことと言えば────。
ソファーの上にカバンを置いて、そのままリビングの窓とは反対側の壁に歩みよる。
そして胸の前で二度、柏手を打った。
「────此れ神床に坐ます 掛けまくも畏き天照大御神 産土大神等の大前を拝み奉りて 恐み恐みも白さく 大神等の廣き厚き御恵みを 辱み奉り……」
今までは気にしたことも無かったリビングに飾られた神棚に、手を合わせるようになった。
それと同時に「神棚拝詞」を奏上すれば、いっそう部屋の中の居心地の良さがぐんと増す気がした。
「……高き尊き神教のまにまに 直き正しき眞心もちて 誠の道に違ふことなく 負ひ持つ業に勵ましめ給ひ 家門高く 身健に 世のため人のために盡さしめ給へと 恐み恐みも白す────」
神棚の開け放たれた扉の奥から、暖かい風が吹いた気がした。
ほう、と息を吐いてひとつ礼をした。
その時、カバンの中に入れていたスマートフォンがブルブルとなって小走りで駆け寄る。
探り当てて画面を見れば修業祭の日の帰りの車で作った1年生のグループトークで、グループ通話が始まっていた。
「チーム出仕」と書かれたグループトークを軽く叩く。ぱっと画面が切り替わり、みんなの顔が写った。
『あっ、巫寿が入ってきたぞ』
『やっほー、巫寿! 一週間ぶり!』
『巫寿ちゃん、元気? 夏休み楽しんでる?』
みんなが一斉に話しかけてきて、慌ててカメラ機能をオンにした。
「みんな、久しぶり……! 私は元気だよ、夏休みも楽しんでる。みんなも元気そうで良かった」
手を振る慶賀くんに、はにかみながら振り返した。
神修では制服か寝間着姿しか見たことがないから、みんなの私服姿は新鮮だった。
そして背景はきっと各々の自宅なんだろう。勉強机や漫画が沢山飾られた本棚、何かのポスターが貼られていたり、なんだか面白い。
嘉正くんの背中からひょこっと顔を覗かせたのは、彼の弟の嘉明くんだ。久しぶり、と手を振れば恥ずかしそうに振り返してくれる。
あっち行ってろ、と嘉正くんに言われてしょんぼりしながら離れて行った。
そんなやり取りに思わず笑みがこぼれた。
『ごめん嘉明が。巫寿も実家?』
「そうだよ。あっ、さっきまで禄輪さんとご飯食べてたんだ」
『禄輪禰宜と!? ずるい、僕も呼んで欲しかった!』
『巫寿ばっかずるいぞ! そういう時は俺らも呼べよ!』
『そうだぞ、苦楽を共にしたチーム出仕なんだから!』
わいわい騒ぐみんなに「ごめん」と肩を竦めた。
それから話は変わって各々の夏休みの過ごし方を話し始める。
来光くん以外はみんな神社の息子だから、結局は家の手伝いをさせられて学校にいる時とあまり変わりがないらしい。
私も地元の友達と遊んだ話をしたところで、嘉正くんが『そういえば』と話を切り出した。
『そういえば、なんでグループ通話始めたんだ? 慶賀が始めたんだろ、なんか用があったんじゃないの』
『うお、忘れてた!』
なるほど、このグループ通話は慶賀くんが始めたのか。
他のみんなもなぜ始まったのか分かっていなかったらしい。
『あのさ、夏祭り行こうぜ!』
夏祭り?とみんなの声が重なった。
『そうそう、夏祭り! ちょうど今週の土日であるんだよ。俺らぶっ倒れたせいで開門祭は全然楽しめなかっただろ?』
開門祭は、社の創建日に合わせて一週間程度行われるお祭りだ。私たちの学舎がある"まねきの社"は毎年、六月の頭に行われている。
妖も人も楽しめるお祭りで、たくさんの屋台が並び旅芸人も来て演劇なんかも行われる。
まねきの社に伝わる神話を神職たちが舞う「神話舞」には、私も初日の午前の部だけ参加した。それ以降はあの事件のせいで気を失ってしまい、参加出来ていない。
目が覚めた日に、せっかく推薦してもらったのにやり遂げることが出来ず申し訳なさで胸がいっぱいになり、巫女舞の富宇先生や一緒に舞台に出た先輩、聖仁さんや瑞祥さんに泣きながら謝った記憶は新しい。
思い返せば本当に怒涛の日々を過ごしたんだな、と今となってしみじみ思う。
『普通の人の祭りなの?』
『おう! でもこっち側の社だし、あやかしとも交流が深いから面白いと思うぞ!』
『なるほど、こっち側の社なら親に出かける言い訳が出来そう』
『だろ? みんな適当に手伝いだとか経験積むためだとか言って集まろうぜ!』
トントン拍子に話が進む。
今年は補習もあるしお祭りには行けないかなと少し残念に思っていたので二つ返事で答えた。
『場所はどこ? 鬼脈で一回集まる?』
『僕、迎門の面を買う余裕がないから遠いと行けないかも』
『それなら大丈夫、みんなそんなに遠くないと思う』
慶賀くんはカメラの見えないところで何かをゴソゴソと漁る。
ジャーン、と効果音をつけて、画面いっぱいになにかのチラシを差し出した。
そこに書かれた文字に「あっ」と声を上げた。
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