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戦いのあとに
結
しおりを挟む「うわっ、これ誰の!? 腐ったバナナ出てきたんだけど!」
「あ、それ俺の! お見舞いで貰って取って置いたやつ、そんな所にあったんだ~」
「引き出しにしまう馬鹿がいるか!」
「なあ俺のパンツしらね? 何処にしまったっけ」
「このいちご柄のパンツ誰の?」
今朝から病室のベッドの上は賑やかな声で溢れていた。
カチャ、と病室の扉が開いて白衣の男の人が顔をのぞかせる。
「皆さん、退院の準備は進んでますか? 次の車が最終ですから、乗り遅れないでくださいよ」
「陶護先生、俺の靴下片っぽ見つからない~」
情けない声でそう助けを求める慶賀くんに、陶護先生はやれやれと肩を竦めた。
ここは学舎の中にある医務室の隣にある、処置室も兼ねた病室だ。私たちは約二ヶ月近くそろってここに入院していて、今日は念願の退院の日。
そして怒涛の一学期が終わった日だ。
「やぁやぁ皆。片付け進んでる?」
ひょこっと顔をのぞかせたその人に、私たちは「あっ」と声を上げた。
「薫先生!」
ひらひらと手を振りながら病室へ入ってきた薫先生は、よっこらしょと私のベッドに座った。
「薫先生、どうしたの? 終業祭、終わったんでしょ?」
カバンに荷物を詰め込みながら、慶賀くんが不思議そうに尋ねる。
「そそ、終業祭が終わったからさ、お楽しみのアレ持ってきたよ」
懐からしゅっと取り出して私たちの前に掲げた長方形の紙に、皆が「うげっ」と声を揃えた。
通知表、と書かれたその紙をぴらぴらと揺らしながら薫先生は「ひひ」といたずらに笑った。
「はい、名前順に取りに来るように」
ひとりひとりの名前を呼び始めた薫先生に、皆は肩を落としながら歩み寄る。はい巫寿、と差し出された通知表を受け取って恐る恐る開けた。
「げ」
みんなして顔を顰めれば、薫先生は楽しそうにケラケラと笑う。
見事に「1」と「2」がならぶ通知表は、過去に見た事がないほど最悪の成績だった。
でもこればっかりは仕方がない。だって私たちは、ひと月あまり眠り続けていたんだから────。
私たちが気を失ったあとのことは、目覚めて直ぐに薫先生から聞かされた。
まず私たちは一ヶ月もの間眠り続けていたらしい。大量の瘴気を体に取り込んだことにより、その穢れを浄化するため自分たちが保有する霊力を大量に消費したらしい。
霊力は言わば活動の源、エネルギーが枯渇していたせいで私たちは深い眠りについていたのだとか。
窓の外はジリジリと蝉が鳴き、いつの間にか夏が始まっていた。
そして、薫先生はその後、何があったのかも詳しく話してくれた。
私たちの連絡に気がついた薫先生と禄輪さんが駆けつけた時には、あの鳥居は来光くんの御札によってまたしっかりと封印されていたらしい。
溢れかえっていた瘴気も跡形もなく浄化され、ぼろぼろの状態の私たちだけが床に倒れていたのだとか。
『あの鳥居は、なんだったんですか?』
そう尋ねた私に、薫先生はひとつため息を吐いて答えた。
『もう気付いてるでしょ? あそこには、空亡の残穢が封じられていたんだ』
そう言われ、やはり方賢さんは空亡の残穢を取り込むために、あの封印を解こうとしていたのだと分かった。
信じたくない気持ちでいっぱいだった。
そしてあの場に嬉々先生がいたのは、嬉々先生があの場所を管理する神職の一人だった体ということが分かった。
私がかけた呪い、と言ったのは嬉々先生が侵入者を防ぐために鳥居にかけた呪い、という意味だったらしい。
『方賢さんは……?』
『生きてはいるよ』
良かった、と息を吐いたけれど、すぐに違和感を感じて聞き返す。
『巫寿たちと同じ状況だよ。あの人の場合取り込んだ瘴気は君たちより遥かに多い。もはや、その魂ごと呪われてしまったと言ってもいい。目が覚めることはないだろうし、目が覚めたとしてももう二度と陽の光を浴びることは無い』
それは体の自由が聞かなくて外に出ることが出来ないという意味では無いことくらい、私にでもすぐに分かった。
方賢さんの犯した罪はそれほど重いということだ。
可哀想だとは思わない、けれど自然と涙が溢れて止めることが出来なかった。
『関わるなって言ったのに。ほんとキミらはセンセイの言う事聞かないね』
薫先生はぽんぽんと私の頭を叩いた。
もしも方賢さんが恵まれた環境にいたら。
社の子供として生まれて、神職が周りにいて、初等部から神修に通えていたら、あんなにも深い憎悪に苦しめられずに済んだかもしれない。
似たような境遇だったからこそ方賢さんが抱えていた苦しみや辛さが理解できて、想わずにはいられなかった。
方賢さんは、私たちが彼をあえて役職をつけず「方賢さん」と呼んでいたことに腹を立てていた。でも私たちがそうしていたのは、方賢さんが他の神職さまたちよりも私たちに親しげに気安く接してくれたからだ。けれど、それが方賢さんの心が離れる原因になっていたんだ。
私たちが鳥居で気を失い薫先生たちが駆けつけている間、社頭ではとんでもない騒ぎだったらしい。
瘴気が溢れ出ていたのかと眉間に皺を寄せたが、どうやら違った。
『そうそう、あの時本殿に須賀真八司尊が降臨して、大騒ぎだったんだよ』
そこで合点がいく。あの圧倒的な気配は須賀真八司尊だったんだ。
あの時私がとっさに唱えたのは「神社拝詞」、御祭神さまに力を借りるための祈祷の祝詞だ。もしかするとその声を聞きいれて、あの場に現れてくれたのかもしれない。
その事を薫先生に話せば、薫先生はとても驚いた顔で私を見た。
『神がイチ神職のためだけに降臨することなんて滅多にない。というか無い、皆無。もし巫寿の奏上を聞き入れて現れたとすれば、それは前代未聞のとんでもないことだよ』
『そうなんですか?』
『平社員が社長に「ウチ来て~」って言って、社長が遊びに来るようなもんだよ』
俗っぽい例えだけれど分かりやすい。
思わず吹き出せば、薫先生は呆れたように肩を竦めた。
私たちが倒れたあとの話を聞いた後、次は私たちが見たことを話した。
初めは嬉々先生を疑っていたけれど、真犯人は方賢さんだったこと。力を手に入れたいあまりに、禁忌に触れてしまったこと。
『ほんとに馬鹿だよねぇ。階級に執着するのは、人間の愚かさの象徴だよ。そもそも方賢は、正階以上にはなれない。ましてや神職にすらなれないはずだったのに』
『どういうことですか?』
『神職諸法度のひとつ。神修への就学前に他者を呪殺した呪者は、明階未満の階級とする。また、権禰宜以上の神職としての奉仕を禁ずる……ってのがあるんだよ』
『でも、方賢さんは権禰宜として社に勤めてましたよね……?』
『成績は優秀だったんでしょ? 喧鵲禰宜頭の計らいだろうね』
その言葉に胸がきゅっと締め付けられる。
方賢さんは誰からも評価されない事に苦しめられていた。他よりも劣っていると思い込み、その悔しさがいつの間にか憎悪と化してしまった。
けれどもちゃんと方賢さんを見てくれていた人がいたんだ。評価してくれていた人がいた。
それに気が付けていたら、きっとこんなことにはならなかったはずなのに。
唇を結び俯いていると、『そういえば』と嘉正くんが声を上げた。
『方賢さんに空亡の残穢を取り込むように、唆したやつがいます』
薫先生の目付きが変わった。
『それは方賢が言ったの?』
『……たしか、そうでした。"あの人"って言ってましたけど。でもその人から、空亡の残穢のありかも聞いたみたいでした』
薫先生は難しい顔で何かを考え込んだ。
まるで鋭いナイフのような空気感にみんなが息を飲む。
『薫先生……?』
泰紀くんが恐る恐る名前を呼べば、パッと顔を上げてにっこり笑った。
『ごめんごめんご。なんでもない、こっちの話だよ。じゃあとりあえず、今日の聞きこみ調査はお終いね。キミらまだまだ呪われてるから、しっかり眠るんだよ。あはは、じゃあまた明日』
いつもの調子で軽やかに手を振ると、病室から出ていった薫先生。
あの一瞬の鋭い雰囲気は一体なんだろう、と考える間もなく病室に飛び込んできた鬼の形相の禄輪さんにより最強のゲンコツを頂戴した。
ひと月眠り続け、その後全回復するまでにひと月、合計二ヶ月間入院していた私たちは一学期の大半を欠席することになった。
それを考えると当たり前の成績だろう。
けれど今までに取ったことの無い成績でショックが隠しきれない。
嘉正くんに至ってはまるで魂を抜き取られたかのような顔で遠くを見つめている。来光くんは病室の済で膝を抱えてしくしくと涙を流し、慶賀くんと泰紀くんは「おっ、英語は去年よりも上がった!」と喜んでいる。
「あはは、分かりやすく落ち込んでるねぇ三人。でもさ、俺だって泣きたいよ? キミらが寝込んでたせいで奉納祭は学年最下位だったんだから」
奉納祭と言えば、毎年七月に行われる「体育祭」の代わりのようなものだったはず。
学年対抗で競われるもので、徒競走なんか以外にも形代を競わせたりするレースもある。
療養中だった私たちは出場できず、たった一人恵衣くんが出場し奮闘したけれど最下位だったらしい。
「出たかったなぁ、奉納祭。俺、形代レースの練習してたのに」
泰紀くんが残念そうにそう言ったので、薫先生はからからと笑った。
「そんな君たちに、もっと残念なお知らせ。二ヶ月間の遅れを取り戻すために、夏期補習が決定しました~、あはは」
えええー!? とみんなの声が揃った。
「本気で言ってんの!? これから夏休みだぜ!?」
「そんな成績取っといて、よく夏が来ると思ったねぇ」
ひゃひゃひゃ、と笑い転げる薫先生に、特に慶賀くんと泰紀くんが顔を真っ青にして絶句する。
「大丈夫、朝から晩までみっちり勉強すれば二ヶ月の遅れなんてすぐ取り戻せるよ」
そう言って薫先生は、一枚のプリントを私たちに配る。
『ワクワクッ!真夏の集中補習★ ~薫先生と愉快な仲間たち、真夏の大冒険!~』
タイトルにそう書かれたプリントには、2週間分の時間割が文字のごとく朝から晩までびっしりと書かれていた。
二ヶ月も休んでいたんだ、仕方ないっちゃ仕方ない。
みんな分かってはいるもののショックが大きいようで、力なくベッドに腰を下ろした。
「ほらほら、もうすぐご神馬さま出発しちゃうよ。初めの2週間は休みにしてやってるだけありがたいと思って、さっさと支度しな」
薫先生はそう言うと、ひらひらと手を振って病室を後にした。
くそおお、と叫びながらヤケクソに荷物を片付け始める慶賀くん。
思わずくすりと笑いながら、私も手を動かした。
それから一度自室に戻って、必要な荷物を纏め直した。またすぐに帰ってくると思うと、ボストンバッグ一個分の荷物量になった。
忘れ物はないかとタンスや引き出しを開け閉めして、三角形に折られた薬包紙を見つける。
「あ、これ。思い出し薬」
開門祭の前に、部活動見学をした際に漢方学部で作った漢方薬だ。一緒に貰った効能が書かれた紙には、期限が今日までだと書かれている。
「捨てるのは勿体ないし……飲んでみる?」
鞄の中に入れていたミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。薬包紙の口をちぎってさらさらと口に流し込む。
口の中に広がる苦味に顔を顰めながら、水で一気に流し込んだその瞬間。
まるで走馬灯のように、頭の中をたくさんの景色が過ぎ去った。
交差点で信号待ちをしている景色だ。
「はじめまして、椎名巫寿さん」
そう、あの時突然背後から声をかけられた。
背の高い男の人だった。見上げるように顔を上げるとひとつの目と目が合う。ひとつしか目が合わなかったのは、その人が黒い眼帯で片目を隠していたからだ。
肩にかかるくらいの長い黒髪、長いまつ毛に縁取られた伏せ目がちな垂れ目、薄い唇。
とても整った顔立ちの人。
自らを神職だと名乗るその人は、一言二言私と喋ると人混みに紛れて消えてしまった。
テレビが消えるようにその光景がパッと消えて我に返る。
なぜ今急にこんなことを思い出したんだろう。
頭の奥がまだぼんやりしている気がして軽く首を振る。しっかりしなきゃ、と頬を叩いた。
部屋をぐるりと見回して、最後に窓をしめ鍵をかけた。そしてボストンバッグを肩にかけると、部屋を飛び出した。
社頭から鳥居へ繋がる階段をかけ下りる。十段ほど降りたところで、景色が後ろへ流れるように過ぎ去っていき、気がつけば鳥居の下に立っていた。
「巫寿! もうすぐ出るって!」
鳥居の前には真っ白い毛並みの御神馬に軛を付けた車が止まっている。
その前で嘉正くんたち薫先生、禄輪さんが手を振って立っていた。みんなに小走りで駆け寄った。
「危なかったな巫寿! これ乗遅れたら、次は明日の便になっちまう所だったぜ!」
「間に合ってよかった、ちょっとバタバタしてて」
「早く乗ろうぜ」
「あ、先に行ってて。先生たちに挨拶してくる」
分かった、と頷いたみんなは先に車に乗り込んだ。
禄輪さんに駆け寄った。禄輪さんは目を弓なりに細めて私を見下ろした。
「忘れ物はないか?」
「はい。それに、すぐ戻ってくるし」
そう肩を竦めれば「確かにな」と禄輪さんは苦笑いを浮かべた。
「私は暫く神修に残ることになりそうだ。鬼脈から一人で帰れるか?」
「はい、大丈夫です。もう帰り道は覚えたんで」
禄輪さんは少し目を見開いて、すぐにとても優しい顔をして私の頭をぽんと叩いた。
「この数ヶ月で見違えたな」
四月の私を思い出す。禄輪さんの陰に隠れてびくびくしていたあの頃の私。
この数ヶ月で、本当に色んなことがあった。
お兄ちゃんが倒れ妖に襲われ、自分の出自を知り自分の力を知った。
そしてこの学校へ来て、嘉正くん、来光くん、慶賀くん、泰紀くん、たくさんの友達にも恵まれた。
はじめはただ川の流れに任せるようにこの学校へ進んだ。けれど今は違う。
誰かに守ってもらうだけじゃない。私を大切に思ってくれている人たちを守りたい。その人たちを守れるだけの強さが欲しい。強くなりたい。
そのためにこの学校で学びたい、そう強く思うようになったんだ。
「あの、禄輪さん」
「ん?」
「夏休み間もし時間があったら……稽古つけてください。私にも」
禄輪さんは目を瞬かせたあと「もちろんだ」と深く頷いて私の肩を強く叩いた。
ありがとうございます、そう笑ってひとつ頭を下げる。
今度は薫先生に向き直った。
ん? と首を傾げて私を見下ろす薫先生に、誰かの顔が重なる。言いかけていた言葉が出てこず、その顔を凝視した。
「どしたの巫寿。そんなにまじまじ見られたら照れちゃうんだけど、あはは」
そう言って目を細めた瞬間、ピッタリと重なった気がして「あ」と声を上げる。
「薫先生、兄弟いますよね?」
キン、と薫先生の纏う空気が張り詰めた気がした。
悪いことはしていないはずなのに、まるで喉にナイフを突きつけられているような雰囲気に息が止まる。
「……どうしてそう思った?」
声色は優しいはずなのに、背筋が凍るほどの冷たさを感じる。
ばくばくと心臓が激しく鼓動する。
「……この前、ゴールデンウィークの最後の日に、街の中で見かけて。薫先生に似た人に声をかけられて。眼帯をつけた」
震える声で必死に伝えれば、薫先生は僅かに目を見開いた。
薫先生はふっと鋭い雰囲気を収めると、先程とは正反対に気の抜けた顔で笑う。
思わずほっと息を吐いた。
「なるほどね。巫寿は芽に会ったんだね」
「め、ぐむ?」
「俺の双子の兄貴だよ、そっくりでしょ」
目元でイェイとピースサインをした薫先生。
「薫先生のお兄さんだったんですね」
「そうそう。で、どんな話したの?」
「特には……学校楽しい?とは聞かれましたけど」
そっかそっか、と薫先生はにこやかに頷く。
すると「巫寿」と人差し指で手招きして、私に耳を寄せるよう促す。不思議に思いながらも近寄った。
「芽のこと、他のみんなには黙っといてもらっていい? 激しめの喧嘩中だからあれこれ詮索されたくないんだよね」
思わずプッと吹き出した。
激しめの喧嘩って。
分かりました、と頷けば薫先生は安心したように息を吐いた。
「じゃ、気をつけて。また夏期補習の時にね」
「はい、さようなら」
手を振る先生たちに一つ頭を下げて車に乗り込めば、御神馬がブルブルと鳴き声を上げてゆっくり走り出す。
小さくなっていく鳥居を見つめながら、また戻ってくる日のことを思って胸を躍らせた。
*
「なるほどねぇ。なかなかやるじゃないか、巫寿ちゃん」
もうひとり、小さくなっていく車を見送る人影があった。
鎮守の森に生える太い桜の木の枝に腰掛け、車が走り去った方を目を細めてじっと見つめるその男。
トン、トン、と人差し指で幹を叩きながらそう独りごちた。
「あの男を嗾けるだけじゃ足りなかったか。いやいや、失敗失敗。俺もまだまだだね」
男はからからと笑うとすくりと立ち上がる。長い前髪が揺れて、黒い眼帯がのぞいた。
「さて、次はどうしたものか」
楽しげに口角を歪めた男は、ひらりと木を飛び下りる。
着地する陰はなく、一枚の葉がひらりとその場にただ舞い落ちた。
【第一部 終】
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