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対峙
壱
しおりを挟むみんなで団結したあの日から、報告会がてら夕飯後に寮の横の池のほとりに集まっているけれど、何かが起きることも無く着々と日は過ぎて行った。
相変わらず方賢さんは呪いの被害を受けているけれど、私の出番が来ることも無く、来光くんが用意した厄除けの御札がかなり効果を発揮しているようだった。
このまま何も無いといいけど、と不安げに呟いた来光くんに「つまんねぇ」と唇をとがらせた慶賀くん。
もれなく嘉正くんに頭を叩かれたのは言うまでもない。
そうこうしている間に、開門祭まであと数日になった。
今日の昼休み練習は、神楽殿でまねきの社の神職たちと合同で練習したあと、衣装合わせになった。鏡の向こうに映る鮮やかな緋袴に、思わずほうと溜息をこぼした。
指でつまんで広げたり、鏡の前でくるりと回る。
「早抜けだな~」
隣で着替えていた瑞祥さんがにやりと笑いながらそう言う。
「早抜け?」
「ああ。巫女装束の緋袴は二年からだし、一年で緋袴を履ける学生なんて滅多に居ないんだ」
確か高校一年の学年末テストを合格すれば直階四級になり巫女志望の生徒は緋袴が受給されるはず。
なるほど、だから"早抜け"なんだ。
臍の上あたりで結んだ紐が蝶蝶結びがひらりと揺れる。その結び目の上からは白い縄上の紐がちらりと見えるのが可愛らしい。
髪飾りには丈長と呼ばれる銀の紙を雛菊の形に折ったものと、熨斗を身につけている。
これが思ったよりもしっかりした作りで、首が動かしにくい。
「似合ってるぜ~」
そう笑った瑞祥さんの頭の上には紫陽花の花の巫女簪がしゃなりと揺れる。
本巫女役の瑞祥さんは神話舞の中でも巫女舞を踊るので、巫女簪に千早と呼ばれる羽織を身につけた本物の巫女さながらの出で立ちだった。
「瑞祥さんこそとっても綺麗です……!」
「がははっ、そうだろうそうだろう!」
腕を組んで満足げに頷く瑞祥の背後から、ひょこっと顔を出したのは聖仁さんだった。
「本物の美人はガハガハ笑ったりしないけどね」
「わあっ、聖仁さん素敵です!」
「ありがとう。巫寿ちゃんもよく似合ってて可愛いよ」
白と薄紫色の水干に、黄緑色の薄い布を頭から被った姿は、まさに「源氏物語」の光源氏が蘇ったように儚くて美しい。
御祭神である須賀真八司尊にお仕えする少年神、
萬知鳴徳尊は美少年の姿でよく書かれているから、やっぱり聖仁さんにぴったりの役どころだ。
「今年も薄紫の水干がよく似合ってるぜ、聖仁」
にしし、と含み笑いした瑞祥さんに聖仁さんは苦い顔をした。
「毎年言ってるけど、この年でまた水干を着るとはね。そろそろ大人になりたいよ」
「まだ高等部を卒業しても専科が二年残ってるからな。ハタチまでは水干だろ!」
はあ、と肩を落とした聖仁さん。
聞けば、「水干」とよばれる和装は鎌倉から室町時代にかけて公武の元服前の子供の礼装として用いられていたのだとか。
確か初等部の松葉色の制服も水干をモデルに作られていたはずだ。
初等部の時からずっとこの役を任されていると聞いたから、初等部を卒業しても毎年一回は水干を着せられていたことになる。
聖仁さんからすれば、子供服を着せられている感覚と同じなのだろうか。
「丈や着心地に違和感がある方は今のうちに申し出てください! 明日からは衣装ありで稽古になります!」
まねきの社の本巫女、栗花落景福巫女頭がそう叫び、二人は「ちょっと行ってくる」と断りを入れて行ってしまった。
見納めとばかりに鏡の前でくるりと回ると、背中に視線を感じた。
はしゃいでいたのを誰かに見られていたのだと気が付き、慌てて身を縮め更衣室替わりのパーテーションの中へ逃げ込んだ。
「────どの社も昼は表の鳥居から表の社へ人間だけが、夜は裏の鳥居から裏の社へ妖のみが、と決められたその時間に決められた者しか社へ立ち入ることは出来ない……というのは四月に"社史"の先生から習っただろう。その縛りを解いて全ての生き物に社を解放するのが開門祭一日目の"開門の儀"。この神事は開門祭のほかに、夏越の祓、年越の大祓、歳旦祭で行なわれるもので────」
6時間目の「神職の作法と心得」の授業、開門祭も近いということで開門祭について習っていた。
必死にノートを取っていると、斜め後ろから「ぐごっ」といびきが聞こえた。みんなして振り返ると、その声のいびきの主はカバンを枕に気持ちよさそうに眠る慶賀くんだった。
ため息をついた先生が歩み寄ると、慶賀くんの頭を丸めた教科書でぱこんと叩いた。
「うわっ!」
文字通り飛び起きた慶賀くんに、嘉正くんと顔を見合せてくすくすと笑う。
「そんなに俺の声は心地いいか?」
眠気まなこできょろきょろ当たりを見回した慶賀くんはその一言にびくりと肩をふるわせる。
「あ、あの、それはもう大変心地よい言祝ぎで……」
「それはどうも」
へへへ、と笑った慶賀くんは「すみません」と頭を下げて座り直した。
「あ、そういえばお前ら。開門祭の一日目の開門の儀には強制出席だって、薫先生から聞いたぞ」
ふと思い出したように先生がそう言った。
その瞬間、えーっとみんなが嘆く声が教室に響く。
「開門の儀ってそんなに面倒なの?」
隣の席の嘉正くんに尋ねる。
「大変では無いけど、行われるのが裏の社が閉まる時刻……朝の四時か五時なんだよね」
なるほど、たしかにそれは「ええーっ」と言ってしまうのも無理はない。
普段学校がある日は7時起きだし、休みの日なんて昼まで寝ることもしょっちゅうある。起きられるかちょっと心配だ。
「はいはーい! 先生質問! 開門の儀ってのが行われてるのは知ってるけど、具体的に何するの?」
「いい質問だ。開門の儀で主に行われることはひとつ、裏と表の社を繋げるための神社拝詞を奏上する」
チョークを手に取った先生はカツカツと黒板に祝詞を書いていく。
────掛けまくも畏き 学起神社の大前を 拝み奉りて 恐み恐みも白さく 大神等の広き厚き御恵を 辱み奉り 高き尊き神教のまにまに 天皇を仰ぎ奉り 直き正しき眞心もちて 誠の道に違ふことなく 負ひ持つ業に励ましめ給ひ 家門高く身健に 世のため人のために尽さしめ給へと 恐み恐みも白す
他の祝詞に比べればそんなに長くは無さそうだ。
「巫寿さん、できる所までで良いから訳してみなさい」
名指しされて少しだけドキリとするも、ゆっくり立ち上がると小さく息を吐いてノートの文字を追った。
「えっと……言葉に出して申し上げますのも恐れ多いまねきの社の御前を拝し、謹んで申し上げます。神々の広く厚い御恵みを勿体無く思い、高く尊い神の教えの通り、天皇陛下を仰ぎ尊び、素直で正しい真心に依って、人の道を踏み外すことなく、目分たちが、従事する勤めに励むことが出来ます様に、また、家が栄え、家族も健康で世の為、人様の為に尽くさせて下さいませと、謹んで申し上げます────です」
恐る恐る顔を上げると、満足げな先生と目が合った。
「よく勉強してるな。素晴らしい」
そう言われホッと胸をなでおろし椅子に腰かけた。
自分でも驚くほどスラスラと訳すことができて、4月から必死になって自習してきたことが着実に身に付いてきているのだと実感する。
やったね、と嘉正くんが親指を立てて笑う。へへ、と肩を竦めてグーサインで返した。
「裏と表の鳥居を繋げるには御祭神須賀真八司尊にお頼み申し上げる必要がある。だから神職全員で「神社拝詞」を奏上するという訳だ」
チョークを黒板の溝に置いた先生は手についた粉を払いながら振り向く。
「当日までに意味を理解して練習しておくように」
はーい、と声を揃えると授業が終わる鐘が鳴り響いた。
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