言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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課外授業

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翌日の早朝、鎮守の森を抜けた鳥居の前にはもうすでに禄輪さんの姿があった。小走りで石階段を降りながら声をかける。


「禄輪さん、おはようございます」


私に気がついた禄輪さんが振り返った。


「おはよう巫寿」

「おまたせしてすみません」

「なんの。まだ5分前だ」


行こうか、と背中を押されてひとつ頷き歩き出した。


「課外授業、大変だったんだってな」

「……その話は、もう」


苦い顔でそういえば、禄輪さんはケラケラと笑った。

コンちゃんに捕まった2日目に、課外授業があまりにも大変でお兄ちゃんのお見舞いには行けないかもしれない、という旨の伝言を眞奉に伝えてもらったのだ。

慶賀くんたちとコンちゃんズとの死闘を禄輪さんに説明しながら、御神馬が待つ車に乗り込む。

連休の最終日だけあって、乗っている人は少なかった。


「薫から聞いたぞ。言祝ぎが安定してきたらしいな」

「あ、えっと……それはその、私の力ではなくて、眞奉と結びを作ったからなんです」

「騰蛇との呪誓じゅせいが切れた時、何となくそうだろうと思った。だがそれまでの巫寿の努力があったからこそ、操れるようになったんだ」


そう、なのかな。

眞奉のおかげなのが大きいのは自覚しているけれど、少しは自分の力でできるようになったと思ってもいいのかな。

「自分を誇っていい」といわれて、ちょっと泣きそうになった。


「父さん譲りの勤勉さだからな。巫寿は努力すればなんでも出来るようになるさ」


ゆるゆる緩む頬を隠すように膝に顔を隠した。



気まぐれな御神馬に連れられて、見知らぬ社の社頭に辿り着く。

そこから裏の鳥居を通って鬼脈を通り、ひと月前にも鬼脈を通るために訪れた地元の神社へ帰ってきた。

神社があることは知っていたけれど、神修へ出発するまでは一度も訪れたことがなかった。

社史の教科書にも載っていた「ゆいもりの社」。御祭神は結眞津々実尊ゆまつづみのみことで、社紋はクロガネモチの実と葉っぱ。

授業中の小テストに出たので、しっかり覚えている。


通る際は御祭神に手を合わせること、と言う禄輪さんの教えを守り、本殿に立ち寄り手を合わせる。

お昼時もあって参拝客が何人かいたので、社頭で見かけた神主さんには会釈だけして社を出た。



途中で禄輪さんがお見舞い用のお花を買ってくれて、二人で電車に乗った。

ほんの一ヶ月前までは当たり前の光景だった街の景色が今はなんだかちぐはぐな感じがする。


お兄ちゃんや玉じいと過ごした生まれ育った街なのに、今はもうそこに居場所がない気がした。

それがなんだか無性に悲しくてだんだん口数が減っていく私の肩を禄輪さんは黙って抱きしめた。



1ヶ月ぶりにお兄ちゃんの病室までを歩く。

病棟が集中治療室から一般病棟に変わったらしい。先導してくれる禄輪さんの背中を追いかけた。


お兄ちゃんの病室は六人部屋の窓際だった。柔らかい日差しが差し込む室内はとても心地よい。

締め切られた薄緑色のカーテンをそうっと開ける。


「お兄ちゃん……?」


お兄ちゃんは変わらず、ベッドの上で深い眠りについていた。

分かってはいたけれど、その姿に泣きたくなる。


禄輪さんに促されてベッドのそばに歩み寄った。

顔にあった酷い痣や切り傷は綺麗に治っていた。沢山繋がれていた管も今は点滴だけだった。


「全然お見舞いに来なくてごめんね」


そう言ってテーブルに花束を置く。花瓶にはまだ綺麗に咲いている季節の花が活けられていて、禄輪さんは約束通りこまめにお兄ちゃんの様子を見に来てくれていたらしい。

禄輪さんだって忙しいはずなのに。


「祝寿は若いからな、見える傷はすぐに治ったみたいだ。ただずっと意識だけが戻らないらしい」

「そう、なんですね」


お兄ちゃんの顔を見た。

まるでお昼寝をしているみたいに、安らかな寝顔だ。


「巫寿、大事な話がある」


真剣な顔をした禄輪さんに首を傾げる。

禄輪さんが目を伏せて、お兄ちゃんの頬を撫でた。


「……祝寿を襲ったのは、空亡の残穢を食った妖だ」


ばくん、ばくん、と心臓が耳の横にあるくらいうるさい。喉の奥が乾いて、両手がガタガタと震える。


「空亡の、残穢……?」

「ああ。本庁の人間が事故現場を調べたから、間違いないだろう」


言葉が出てこなかった。

私たち兄妹から両親を奪った空亡、そして次は私からお兄ちゃんを奪おうとした。

恐れなのか、怒りなのか、胸の中を激しい感情が渦巻いて言葉が出ない。


「花束、このままじゃ直ぐに枯れてしまうな」


私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた禄輪さんは、花瓶と花束を持ってそっと病室を出た。

ベッドのシーツを強く握る拳が小刻みに震えた。


どうして。どうして?

なぜ私はいつも何も出来ず守ってもらうことばかりなんだろう。なぜ私助けてもらってばかりなんだろう。

何も知らなくて弱くて臆病で。

奪われることばかりで、大切なものすら守れない。弱くて未熟で非力。



もしも両親のことをもっと知ろうとしていれば、お兄ちゃんのことを知ろうとしていれば、自分の力のことを知っていれば。

私が嘉正くんのようにたくさんの祝詞を知っていれば、少なくともお兄ちゃんはこうはならなかったはずだ。




もしも、もしも。

そんな想像ばかりして、後悔が胸の中に溢れる。


両肩に暖かい手が置かれて、顔を上げた。

禄輪さんが困ったように笑って私を見下ろす。


何も出来ない自分が一番もどかしかった。



病院の食堂でお昼を食べて、また席を外していた禄輪さんが戻ってきた。


「すまん巫寿、所用ができた。今から人に会うことになってしまったんだが、朝通ってきたゆいもりの社で待っていてもらえるか?」


浮かない顔を心配そうに禄輪さんが覗き込む。

小さく笑って「分かりました」と答える。



「申し訳ない。神主には伝えてある。車が出るのは20時だから、19時には戻るようにする」


そして禄輪さんとは病院の玄関でわかれた。

どうしよっかな、と空を見上げる。


まだお昼すぎ、禄輪さんが戻るのは19時だから随分と時間がある。

神社で待たせてもらうのも、何だか気が引ける。


家、帰ってみようかな。玉じいにも、事情をちゃんと話せずに家を出てしまったからきっと心配してるに違いない。

会って、元気にしていることを伝えたい。

この顔だと、余計に心配をかけそうだけれど。

家に帰ることに決めて、最寄り駅に向かって歩き出した。



連休の最終日だけあって、駅の近くにあるショッピングセンターの入口はどこも人で溢れていた。

人にぶつからないように身を小さくして歩く。信号待ちの人だかりに並んで小さくため息を吐いた。その時、


「椎名巫寿さん」


突然自分の名前を呼ばれて、俯いていた顔をぱっと上げる。


「はじめまして、椎名巫寿さん」


その声は自分の真隣から聞こえ弾けるように振り向く。

背の高い男の人だった。見上げるように顔を上げるとひとつの目と目が合う。ひとつしか目が合わなかったのは、その人が黒い眼帯で片目を隠していたからだ。

肩にかかるくらいの長い黒髪、長いまつ毛に縁取られた伏せ目がちな垂れ目、薄い唇。

とても整った顔立ちの人だった。


不思議なことにどこかで会ったことがあるような印象を受けた。

こんなにも整った顔立ちの人なら、絶対に忘れるはずがないのに。


「あの……ごめんなさい、お兄ちゃんのお知り合いですか?」

「はは、違う違う。俺たちは初対面だ。俺が一方的に巫寿ちゃんのことを知って居るだけ」


え、と身を引いた。

知り合いでもないのに何故一方的に私のことを知っているの?

不審さが募って一歩後ずさる。


「はは、そんなに警戒しないで。俺も神職だから」

「……あ、神職さまだったんですね。ごめんなさい」


相手が神職であることが分かって一気に警戒心が緩む。

ということは、禄輪さんか薫先生の知り合いなんだろう。


「神修に入学したんだってね。おめでとう」

「ありがとう、ございます……?」


見知らぬ人に入学祝いを言われるのは変な感じがしたけれど、とりあえず礼を言う。


「学校は楽しい?」

「えっと……はい。楽しいです」

「そうかそうか」


目を細めてうんうんと頷いたその人。

やはり変な感じがして、怪訝な顔で彼をみあげる。


「なるほど。うん、確かにそうだ」

「え?」


細い目が私を見下ろす。その人は笑っているはずなのに何故か背筋がゾッとした。

その奥の瞳が見えない。


次の瞬間、青信号を知らせる電子音が鳴り響いて、一気に人の塊が動き出す。強く背中を押されて、よろけて数歩前に出る。

人の流れに押されて、そのまま流されるように前に進む。


「あ、えっ、あの……!」



信号機の下に経つその人に慌てて声をかける。

彼は何も言わずに微笑みながら小さく手を挙げた。


「ええ……?」


押されるままに反対側の歩道へついた。慌てて振り返るも人の流れでよく見えない。やがて信号が点滅を始めて、引き返そうかと一歩踏み出したその時。



「また会おう」



耳元でそんな声がして、信号は赤にかわった。










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