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奇妙な鳥居
参
しおりを挟むその日、不思議な夢を見た。
私は今よりももっと綺麗で、新しい畳の匂いがするかむくらの社を歩いていた。
左手には誰かの手の温もりを感じる。その日手を繋いで歩いているらしい。顔を覗き込もうとしても、その人の顔はモヤがかかったようにぼんやりと白くなっている。
何が何だかよく分からないまま、かむくらの社の廊下を歩く。
するとひとつの部屋に差し掛かった時、誰かの話し声が聞こえた。綺麗な障子が貼られたその部屋は扉が少しだけ空いていて、何となくそこをのぞき込む。
────泉ちゃん。ごめんなさい。ごめんなさい、私はどうしたら。
誰かが泣いている。
橙色の着物を着た女の人だった。肩までの長さの短い黒髪に、白い肌。頬は朱墨のようにあかく染まって、夜空をすくったような瞳。とても綺麗な人だった。
その女の人は、誰かに縋り付くようにして泣いていた。相手も女の人だった。背中を向けているので、顔は分からない。
────宮さま、宮さま。どうか心を安らかに。お身体に障ります。
────ああ、泉ちゃん。私本当に。
まるで懺悔するように、何かから怯えるように、その女の人は顔を埋めて泣いていた。
────宮さま、何が貴殿をそこまで追い詰めるのですか。
「宮さま」と呼ばれた彼女の肩を抱き起こした女の人の顔が、少しだけ見えた。
長いまつ毛に優しげな伏せ目、薄い唇に小さな鼻。「宮さま」と同じくらいに、とても綺麗な人だった。
────やめて、お願い泉ちゃん。貴女だけは、私の名前を呼んで。昔みたいに、どうか 。
酷く傷ついた顔をした彼女は、必死にそう訴える。
「泉ちゃん」と呼ばれた女の人は、困ったように微笑んだ。
────……志よう。志よう、私を見て。大丈夫だから。
志よう、とはきっと彼女の名前なのだろう。
名前を呼ばれた途端、赤ん坊のように安らかな安心した顔をした。
────私を嫌いにならないで。どうか私を許して。
お願い、そう言い志ようさんは「泉ちゃん」の手を固く握った。
そんな志ようさんを、彼女は優しく抱きしめる。
────どうして私が志ようを嫌いになるの。昔から変わらず、私は貴女の一番の親友よ。
綺麗な横顔。
私はその人を知っている気がする。
そうだ、その人は。
「────……お母さん」
自分のそんなつぶやきと共に目が覚めた。見慣れた白い天井と薄緑色のカーテン。
カーテンの向こうでカシャンと椅子がゆるれ音がして、数秒後にカーテンが開いた。
「巫寿さん? 目が覚めたんですね」
この学校では珍しく、白衣ではなく白衣《はくい》を身につけた男性。
猫っ毛の髪に少しあどけない顔立ちの、人懐っこい笑みを浮かべるその人は、この学校の学校医である八色陶護先生だ。
「陶護先生……」
「起きれますか? 他に痛むところは?」
4月から定期的に保健室にお世話になっていて、すっかり顔なじみになった。
ぼんやりする頭で、おでこがじんじん痛むのに気がついた。前髪の上からそっと触れると、熱を持って腫れている。顔をひきつらせると、陶護先生が手を伸ばして前髪をめくる。
「倒れた時にぶつけたんでしょうね。血は出ていないので、氷で冷やして様子を見ましょうか。気分が悪かったりは?」
「えっと……ないです」
「良かったです。それにしても、今回は中々に長く眠ってましたね」
氷を用意しながら、陶護先生はそう言う。
「丸々三日間、眠っていたんですよ」
「三日も……」
どうりで頭がずっとぼんやりして、体が重い。休みの日に眠りすぎた感覚と似ている。
はい、と手ぬぐいが巻かれた氷を渡される。
「泉寿さんの夢を見ていたんですか?」
「え?」
「そう呟いていましたよ、さっき」
そうだ、あの夢。
夢で見たかむくらの社にいた二人の女の人、そのうちの一人は私のお母さんだった。家族写真で写っている姿よりかは少し若かった。
お母さんはどうしてかむくらの社に居たんだろう? なぜ、「志よう」と呼ばれていた女の人はあんなにも泣いていたんだろう。
あの二人は、なんの話しをしていたんだろう。
分からないことだらけで、でも頭の中はまだぼんやりしていた。
「巫寿さん、あの人に連絡したので、僕は一旦席を外しますね」
「あ、はい」
私が頷いたのを確認した陶護先生は、保健室の入口とは反対方向の別の窓に歩み寄る。
そして、窓を開けると窓枠に足をかけた。
「あの人が帰った頃に戻りますので、僕が戻るまではここで休んでいてください。それから、少しお話しましょう」
「はい、陶護先生」
それじゃあ、と言いかけたその時。
「巫寿~? 元気にしてる?」
ガラガラ、と保健室の扉が開いた。
入口に立つ人の姿を見た瞬間、「ヒイッ」とまるで化け物にでも遭遇したかのような声を上げた陶護先生。
「あれ、陶護じゃん。そんなところで何してんの?」
流れるように懐から人形を取り出して放り投げると、人形はポンと音を立てて大きくなり、窓から逃げようとする陶護先生を容易く捕まえた。
「や、やめっ、はな、はな、離してくださいッ!」
「人のこと化け物みたいな目で見てその態度は酷くない?」
「や、やめろっ、離せ! この人でなしッ」
「あはは、すごい言われようなんだけど」
必死の形相で逃げようとする陶護先生を、式神がピザ回しでもするかのようにクルクルと回し始める。
うわあああ、と陶護先生の悲鳴が響き渡った。
「薫先生……! やめてください、陶護先生が死にそうですっ」
「おいおい、巫寿。俺じゃなくて人形がやってるんだよ」
「操ってるのは薫先生ですから……!」
もー、と肩を竦めた薫先生はため息を吐いて片手を横にひゅっと振る。すると人形はまたポンと音を立てると、元の一枚の紙に戻った。
その紙の上にどしん、と尻もちをついた陶護先生は涙目で薫先生を睨みつける。
「だから僕は貴方が嫌いなんですっ」
「嫌よ嫌よも好きのうち、って言うもんな。照れんなって。あははっ」
「~~っ!」
顔を真っ赤にして怒りを顕にする陶護先生が立ち上がる。
「連絡した通り、巫寿さんは先程目を覚ましました! 額に打撲の腫れがあること以外は、いつも通りの症状ですっ!」
「そう、じゃあ陶護は出てって」
あっさりとそう言って手をひらひらさせた薫先生に、陶護先生はワナワナと肩を震わしながら保健室を出ていった。
「……薫先生」
「なに? だってあいつ、いじりがいがあって面白いんだもん」
「だから嫌がられるんですよ……」
苦笑いでそう言った。
陶護先生と薫先生は年が二個違いで、薫先生が先輩にあたる。先生たちが学生だった頃、中高と寮が隣同士だったらしく、それはそれはよく「仲良くしていた」のだとか。
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「可愛いんだよ~、陶護って。昔っからどんだけいじめても泣きながら着いてくんの。それが面白くて尚更いじめちゃうんだけどさ」
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「あ、はい。大丈夫です。他のみんなは……?」
「全員瘴気に当てられてくたばってるけど、今日明日一日しっかり眠ればころっと元気になるよ」
よかった、と息を吐く。
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