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空亡戦
弐
しおりを挟む朝ご飯を食べた後、なんとなくやる気が起きなくて部屋の中でダラダラと過ごしていた。
宿題も残っているし授業の予習だってしないといけない。みんなは禄輪さんに特訓をつけてもらっているらしいし、みんなよりも劣っている私は率先して教えてもらわないといけないはずなのに。
漫画を読んだりうたた寝をしたり過ごしていると、気がつけば窓の外は真っ暗になっていた。
のっそりと起き上がって手櫛で髪を梳く。時計を見上げると夜の10時を過ぎていた。一日中ゴロゴロしていただけだけど、お腹がきゅうっと鳴る。
晩御飯、まだ出してくれるかな。
ふう、とため息をついてベッドから降りたその時。
コンコン、と何かが叩かれる音がした。ドアがノックされたのかと思って開けてみるも、そこには誰もいなかった。
もう一度、こんこんと何かが叩く音。
後ろから聞こえたような気がして振り返る。反対側にあるのはカーテンを敷いた窓だけだ。
まさか、ね……。
だって私の部屋は学生寮の2階だ。きっと窓の外の楠の枝が当たったか、鳥がガラスを突いたんだろう。
恐る恐る歩み寄り、シャッとカーテンを開いた。
「……えっ!」
窓の外の楠の枝に、慶賀くんと泰紀くん、それに嘉正くんの姿があった。
慌てて窓を開け身を乗り出す。
「やっほー巫寿! いい月夜だね!」
「みんなどうしたの……! そんなところ登ったら危なよ!」
「大丈夫大丈夫、慣れてるから」
はは、と笑った嘉正くん。
慣れてるって……。
「それよりも、ちょっと今から抜け出さない? 今日は週末だから、出店が出てるよ。先週誘おうとしたんだけど、巫寿疲れて寝ちゃってたから」
「出店? 学校に出店がくるの?」
「そうそう。楽しいよ!」
「でも、もうすぐ子の刻だよね……?」
学生は23時が就寝時間になっていて、全ての電気が夜間灯になり玄関の鍵が閉まる。だから23時以降は学生は外に出れないし、出てはいけない規則になっている。
「ダイジョーブ! バレないようにすぐに帰ってこればいいよ!」
「ほら巫寿! 手伸ばせ!」
身を乗り出した泰紀くんが私に手を差し出す。
少し躊躇って、窓に足をかけてその手を掴む。泰紀くんが「よっ」とその手を強く引けば、ふわりと体が浮いた。
ばさりと葉っぱが揺れて枝の一番太いところに着地する。バクバクとうるさい心臓を服の上から押さえる。顔を上げると「ひひっ」とみんなが悪戯っぽく笑った。
その時、カラカラと窓が開いた。一階の真ん中あたりは寮監の部屋だ。
下を見下ろした慶賀くんが目を見開いて「しーっ」とジェスチャーする。みんなで身を寄せ合って木の幹のそばに隠れるように寄りかかる。
30秒くらいして窓が閉まる音がした。シャッとカーテンまで閉められる音がして、ほっと息を吐き出す。
みんなで顔を合わせてくすくすと笑う。
泰紀くんの手を借りて木から降りれば、あたりを警戒した様子の来光くん何かを胸の前に抱えて身を縮めながら駆け寄ってくる。
「みんなひどいよ! 僕だけ見張り役で残して隠れるなんて! 寮監にバレるところだったんだから!」
「ごめんごめん。でも結局見つからなかった訳だし、気にすんな!」
「この場合「気にすんな」って言っていいのは僕なんですけど!?」
どうどう、と宥められて来光くんは地団駄を踏む。
「来光、それ配って!」
「本当に僕、知らないからね? もしまたバレても、今度こそ僕は知らないフリするから!」
なんの話かわからずに首を傾げていると、来光くんは胸に抱えていた紙袋を地面に置いた。
はい巫寿、と手渡されてのは狐面に小花が散りばめられた朱色の着物だった。お面をひっくり返すと、内側に繋げ字で文章が書かれている。
「これは……?」
「身に着ければ景色に溶け込むように祝詞を書いてあるよ。本当は、授力をこんな使い方したくないけどね」
はあ、とため息をこぼす来光くん。
授力────過去を見る去見の明、千里もの先を見る遠見の明、書いた文字に力を宿す書宿の明。稀に神職のなかには、このような言霊の力以外に二つ目の力を持つ者がいると禄輪さんから聞いた。
そして空亡はこの授力をもつ神職を狙って、その力を奪おうとした。
「来光くんは授力を持ってるの?」
「うん。書宿の明をね。そんなに強いものじゃないけど」
私も、と言いかけて禄輪さんの言葉をはっと思い出す。
『決して口外してはいけない』確かにそう言っていた。不思議そうに首を傾げたみんなに、なんでもないよと首を振る。
「とりあえず、これを被ってその着物を肩に羽織っとけば、ぜーったいに誰にもバレずに遊べるから!」
自慢げにそういった慶賀くんに、「僕が作ったお面なんだけど!」と来光くんは頬を膨らませた。
来光くん手製の狐面を頭に被り誰かが着古した着物を肩に羽織って、私たちは寮をこっそりと抜け出した。
社頭をめざしながら歩いていると、遠くから風に乗って和太鼓や笛の音色が聞こえてきた。社頭の方からだ。ぼんやりとオレンジ色の灯りが点々と灯っている。
「おっ、始まってる!」
面を軽く持ち上げてそう言った慶賀くんが駆け出す。
「あ!ずるいぞ慶賀!」
泰紀くんもその背中を追いかけ走り出した。
「何があるの?」
「土曜日と日曜日の夜は、妖たちがまねきの社の社頭に出店を出すんだよ。でも僕はあんまり好きじゃないな。ゲテモノが多いし……」
「そう? 俺は結構すきだけどな。夜の社が、現世の妖たちにとっては唯一の交流の場だからね、毎日出店を出すことを許可している社も少ないけれどあるみたい。ほら、この前「皇神の歴史」の授業で習った結眞津々実尊が御祭神のゆいもりの社とか」
「妖が、沢山いるの?」
言葉に出して尋ねた瞬間、寒気がしたような気がして体がぶるりと震える。思わず両腕を抱きしめた。
「巫寿、まだ本物の妖を見たことがないもんね。普通は神社実習がある三月にしか会わないし。やっぱり怖い?」
そうじゃないの、と小さく首を振る。
「その、ここに来る前に……魑魅に襲われたことがあって」
今思い出すだけでも心臓がバクバクとうるさい。
割れたガラス、荒れた部屋、首を絞める得体の知れない何か、殺意。
二人は歩みを止めて目を見開いた。
「魑魅に……襲われたの? 力を持っている神職でさえ苦戦する妖だよっ!」
「よく無事だったね……。助かって本当に良かった」
「禄輪さんが助けてくれたの。来てくれなかったら、きっと多分今頃」
その先はおぞましくて口に出すのも憚られた。
「その時のこと思い出してしまうの。どうしても、あの日のことが頭の中でちらついて」
「────向いてない、お前」
嘉正くんでも来光くんでもない、第三者の声。
「え?」と皆して振り向けば、少し離れたところに恵生くんが立っていた。
「ここは神職を育てるための学校だ。ろくに言霊の力も扱えず妖を厭い授業も邪魔をする割に、なんの努力もしない。迷惑だ」
冷たい目が私を真っ直ぐに見ている。居心地の悪い視線に俯いた。
「ちょ、ちょっと恵生くん! いくら何でも言い過ぎだよッ」
「そうだね。今のはちょっと言い過ぎだと思う。それに恵生が知らないところで、巫寿はとても努力をしているよ。神職は人にも妖にも平等で正しくあるべき存在だ。なのに頭ごなしに否定するのは、見習いという立場だったとしても良くないよね」
咄嗟に庇ってくれた来光くんと、冷静に間に入った嘉正くん。
庇われる自分も、何も言い返せない自分も情けない。
恵生くんの言うことはその通りだから。
「じゃあなぜ、影で努力しているはずなのに、入学初日から何も変わってないんだ? それは、そいつが神職になる意思がないから、何も変わらないんだろう」
「そいつじゃない、巫寿だよ」
直ぐにそう言い返したのはやっぱり嘉正くんだった。
恵生くんは顔を顰めて私を睨む。
「……やる気がないなら出て行ってくれ。神修はただ学ぶためだけの学校じゃない」
そうとだけ言って踵を返し、あかりの灯る社頭の方へ歩き出した。
重い沈黙が流れる。間違いなく私のせいだった。
「────寮、戻ろうか。やっぱり、門限破って外に出るのは良くないよね」
戻る理由を私のせいにしなかった嘉正くんの心遣いは直ぐに気が付いた。
「俺と来光で、先行った二人のこと手分けして探してくるよ。巫寿は先に戻って木の下で待ってて」
振り向いて来た道を見る。
明かりのない真っ暗な道のり。来る時はみんなで歩いたから何ともなかったけれど、一人で歩くのは心細かった。
社頭の怪しげなオレンジ色明かりと、真っ暗な道を交互に見る。
「私も一緒に居ていい……?」
「でも、僕ら社頭の方まで行くよ?」
一人で戻る方が心細かった。
こんなだから恵生くんにああ言われてしまうんだ。自分でも分かっているはずなのに、臆病で弱い自分が直ぐに出てきてしまう。
「分かった。巫寿は俺の服の裾を掴んで、下を向いてなよ。俺の弟も怖がりだから、いつもそうしてるんだ」
そう言って微笑んだ嘉正くん。「はい」と私の手首を掴んで自分の裾を握らせた。
「仕方ないよ。巫寿はまだこの世界に来て間もないんだから。怖い思いも沢山して、苦手になってしまうのも無理もない」
オレンジ色の明かりを目指して、私たちは歩き始めた。
「僕もグロい妖とかはまだ、「うわっ」て思っちゃうな。急に出てきたら、多分しっぽ巻いて逃げちゃうね」
「あはは、確かに。俺も髪の毛が長い妖はギョってなる」
「……ふたりでも、苦手な妖がいるの?」
当たり前じゃん、とふたりはケラケラ笑う。
「自分と違う姿の生き物に恐怖を抱くのは当たり前のことだよ。それが悪だなんて誰も思わない」
嘉正くんの言葉に付け加えるようにして「一部を除いて」と来光くんが苦い顔をする。
「僕、恵生くん苦手だな。いつもツンケンしてるし協調性ないし。中等部からずっとあんな感じなんだよ」
「こら来光。呪が強い言葉は口にしちゃいけない」
「そうだけどさ」
「恵生も来光も、言いたいことは分かるよ」
「僕には分からないね」
ふん、と鼻を鳴らした来光くん。
嘉正くんは私と目を合わすと困ったように肩を竦めた。
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