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神修へ
参
しおりを挟む「────……ん」
目を覚ましたその先には真っ白い天井があった。薄緑色のカーテンと消毒用のアルコールの匂い、背中にあたる少し硬いベッド。
ここは、どこだろう。
「あ、起きた?」
そんな声とともに鼻先にバッと誰かの顔が現れて悲鳴を上げた。
「うわ、びっくりした。おどかさないでよ、も~」
そう言って笑ったその男性は、脱力するようにベッドに腰を降ろした。
思わず身を固くするも、「あはは」と気の抜けた笑い方をするその人に、すぐに警戒心は薄まる。
白衣に、学校の紋章だと教わった桃の花の白い紋様が入っている紫の袴という服装から、学校の人なのだとわかった。
「おーい、聞いてる?」
夜空のいちばん深いところを切り取ったような目が私の瞳を覗き込む。
それと同じ色の髪は、古典の授業で「濡烏色」というのを習ったけれど、まさにこういう色なのだろうと思った。長いまつ毛に縁どられ悪戯っぽく輝き、すっと通った鼻筋に、薄い唇。
どこを見ても欠点がない整った顔立ちの人だった。
「巫寿ね、神職奉仕報告祭の祝詞奏上でぶっ倒れたんだよ。霊力切れだろうね。食って寝ればすぐ戻るから。もうすっかり夜だけど、お腹すいた?」
「あの、えっと、あなたは?」
「あれ、禄輪のおっさんから聞いてない?」
禄輪さんのことをよく知ったような口振りで呼ぶ。そこでピンと来た。
「もしかして、神々廻先生ですか?」
「ピンポーン、大当たり。禄輪の愛弟子の、神々廻薫先生です」
いぇい、とピースサインでウィンクを決めた神々廻先生に思わず苦笑いを浮かべる。
「薫先生でいいよ。この界隈はみんな下の名前で呼ぶから」
「あ、それ……凄く不思議だったんです。車でここに来た時、嘉正くんや慶賀くんも、下の名前で呼んでって」
「お、早速お友達が出来たんだねえ。宜しい宜しい」
なんだか会話のテンポが噛み合わず、苦笑いを浮べる。
「とりあえず寮に戻ろうか。立てる? 抱っこしようか?」
「だ、大丈夫ですっ 」
差し出された手を慌ててとって立ち上がると、薫先生は「あはは」と楽しげに笑った。
建物の外に出ると石灯籠の灯りが鮮明になるほど夜は深まっていた。街灯みたいな人工的なあかりはなく、知らない場所もあって妙に落ち着かない。
ソワソワしながら薫先生の後ろを歩く。
「禄輪のおっさんから手紙を受け取ってね。"一恍と泉寿の娘が見つかった。入学準備を進めてくれ"って。いやあ、長男の祝寿のことは何となく知ってたんだよ。中退して神職にはならなかった珍しいタイプだからさ」
頭の後ろで腕を組んで、呑気な声でそういった。
え? と首を傾げる。
「中退? それに禄輪さんは、お兄ちゃんも神職だって……」
「祝寿は初等部を卒業してからは、中等部は一般の学校へ行ったみたいだよ。だから、本庁からの仕事は受けてないから、フリーランスに近いのかな。本業は一般企業で働くサラリーマン。依頼があった時だけ、神職の仕事をこなす、みたいな」
「どうして……」
「それは、巫寿が今日になるまで、妖やこの世界のことを知らなかったことに起因すると思うけどね」
私が、妖やこの世界を知らなかったことが起因……?
よく分からなくて訪ねようとしたが「今日はここまで。着いたよ」と先に制された。
薫先生が指さす方を見ると、自分の寮にいつの間にか戻ってきていた。玄関口には嘉正くんや慶賀くんの姿があった。
きょろきょろと当たりを見回していたが、私を見つけると大きく手を振った。
「おっ! お迎え来てんじゃん。じゃあ俺はここまでね」
ぽんと私の頭に手を置いた薫先生はぐりぐりと撫で回す。思わず首を縮めて目を閉じた。
「あ、そうそう。さっきの質問だけど。この界隈の人達が苗字ではなくの名前で呼ぶ理由。二つあるよ」
ぱっと手が離れて瞑っていた目をゆっくり開ける。
「この界隈は一族の血の繋がりが広くて深いから、苗字が同じ奴が多いんだよね。ひとつはそういう理由」
「もうひとつは……?」
「もうひとつは────宿題にします! 自分なり考えてくるように」
え? と戸惑いの声をあげると、薫先生は「あはは、俺先生っぽいことしてる」と楽しげに笑いながら来た道を戻り始める。
「巫寿ー!」
慶賀くんに呼ばれて、しぶしぶ歩き出した。
部屋に戻る前に嘉正くんたちに連れてこられたのは、厨房のような場所だった。
「────はい、巫寿のお膳。給食係の人帰っちゃったから、温め直しては貰えないんだけど」
「大丈夫、取っといてくれてありがとう」
「基本的には何時でも御飯は出してくれるけど、あまりにも遅くなると帰っちゃうから気をつけて」
そう言って漆塗りの4本足がついたお膳を受け取る。
ちょっと高い料亭とかで出てきそうなお膳だけど、メニューは至ってシンプルで一汁三菜が守られた健康的なものだった。
厨房と続く隣の座敷が、言わば食堂のようなものらしい。朝昼晩とみんながここで一斉にご飯を食べるのだとか。
適当な場所に三人で腰を下ろす。
「それにしてもびっくりした~。巫寿、報告祭の途中で急に倒れるんだもん。禊祓詞で霊力尽きる人初めて見た!」
「こら、慶賀。言い方」
会話の流れで多分あまり良いことは言われていないのだろうと思ったけれど、いまいちよく分からなくて尋ねてみた。
「その霊力っていうのは……」
「運動するには体力が必要でしょ。俺たちが持ってる力を操るために必要なのが霊力、またの名を言霊の力。目には見えないけれど、血液みたいに体の中を流れていて、使えば減るし、休めば戻る。体力と同じように、持ち合わせる量は人それぞれなんだよ」
霊力、と復唱してみる。自分の手のひらをじっと見つめる。
手首には青い血管が浮んでいて、同じように霊力がながれているんだろうかと想像する。
「祝詞を読むと、霊力が俺達の言葉に乗って言霊になるんだぜ」
なるほど、それで「言葉を操る」ことが出来るんだ。
「祝詞の種類や語彙の多さによって霊力の消耗も変わってくるんだけど、報告祭で唱えた禊祓詞はほんっとに超簡単な祝詞なんぜ? 走る前の準備体操みたいな!」
とういことは、わたしは準備体操の時点で倒れてしまったということ……?
置き換えるとつまり、私は走り出す前の屈伸運動ですら耐えられないほど力がないということだ。
「大丈夫だよ、霊力は増やすことができるから。僕らだって子供の頃から、増やす訓練をしてここまで来たんだし。何も知らなかった巫寿は仕方がないよ」
嘉正くんはそう言って励ましてくれたくれたけれど、なんだか情けない気持ちで顔を上げることが出来ない。
「ばか慶賀。お前のせいだぞ」
「うえ!? なんで俺のせい!?」
嘉正くんがじろりと慶賀くんを睨んだので、慌てて「本当のことだから」と仲裁する。
いたたまれない気持ちになりながら、小鉢のひじきをもそもそと食べた。
「それにしても、今年の報告祭は驚きの連発だったよな~」
「そうだな。まさかあの禰宜が帰ってこられたなんて」
「それにあの完全浄化も!」
興奮気味にそう話す二人についていけなくて首を傾げる。どうやら私が気を失ったあと、何かがあったらしい。
「その、ネギっていうのは……?」
「神修は学校だけれど、俺たちは隣接してる社に奉仕する神職という形だって来る時に話したでしょ? その社が"まねきの社"って言うんだけれど、その"まねきの社"の3番目に偉い人が禰宜という役職の人なんだ」
「招きの社?」
「招き猫の招きじゃなくて、"学ぶ起点"と書いて学起神社。社の名前はひらがな表記が鉄則!」
なるほど、と相槌を打つ。
禰宜というのは役職名で、社の3番目に偉い人のこと。
覚えることが沢山あって大変だ。
「禰宜って人は、どうして今までまねきの社にいなかったの? 社で働く人なんだよね?」
そう言うと、二人は途端に少し困ったような険しい顔をする。
「空亡戦のことは知ってる?」
低い声でそう尋ねられて、「少しだけなら」と答える。
「禰宜は本来、別の社の宮司だったんだ。けれど空亡戦で社が潰れてしまって。彼はとても力の強い人だから、社の再興をする間もなく、空亡戦で破られた鬼門の修復をするために長い間鬼脈に遣わされていたんだ」
「まねきの社の禰宜っていうのは、とっても名誉のある役職なんだぜ。けどあの人が禰宜になったのは、そんな綺麗な話じゃない。自分の社を捨てさせて無理やり鬼脈に遣わせられて……その代わりにまねきの社の禰宜にしてやるだなんて、そんなのあんまりだろッ!?」
カッとなった慶賀くんがいきり立ったその時、嘉正くんが咄嗟に抑えた。落ち着け、と諭されて慶賀くんは唇をきゅっと結ぶ。
空亡戦は12年前のこと。ということはその禰宜は12年間もの間こちらの世界に帰って来れなかったということだ。
両親のいなかった12年間を思い出した。私にはお兄ちゃんがいたけれど、心の奥底にはずっと隠しきれない寂しさがあった。その人は、私以上に孤独を感じていたに違いない。
「でも、無事に戻ってこられたんだ。これからは社の再興にも取り組めると思うよ」
「そう、なんだ」
明るい声でそういった嘉正くんに、ホッと息を吐く。
「それで、もうひとつの完全浄化っていうのは?」
「ああ、それはね。巫寿が倒れた直後、とても強い言霊が働いてね。先生たちが調べたら、奏上されたのは禊祓詞ではあったんだけれど、敷地内の全てに作用するほど広域で、大祓詞に並ぶくらい効果のあるものだったんだ」
「それこそ、完全浄化してしまうくらいにな!」
気を取り直した慶賀くんが横からそう付け足す。
大祓詞がどんなに凄いものかが分からないけれど、ようは普段の効力よりも数倍もの力が働いたということらしい。
「禰宜がやったんじゃなかって噂もあるみたい」
「ぜーったいそうだって! あんなこと出来るの、ほかに誰かいると思う?」
すっごいよねえ!と興奮気味にそう言った慶賀くん。自分の事のように誇らしげで、とても尊敬しているんだなと分かった。
二人は私が夕飯を食べ終わるまで一緒にいてくれて、共用スペースで別れる際には明日は一緒に登校しようと誘ってくれた。
まだまだ分からないことだらけ。知らない場所で知り合いもいない。不安しか無かった行き道も、二人のおかげで心強かった。知り合ってまもない私に、親切にしてくれる二人の存在はとても頼もしかった。
部屋に戻ってると、事前に私物をまとめて送ったダンボールからパジャマを引っ張り出した。着替えながら襖に畳んで置いてある布団を引っ張り出して敷く。
体は思っていた以上に疲れていたらしく、直ぐに瞼は落ちた。
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