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以津真天の待ち人

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────かげぬいのことを思いだした。


かげぬいの記憶を見て、彼が待っている人はもうこの世にはいない人なのだと分かってから、その事実を伝えるべきなのかどうか悩んでいた。

たくさんのひとの亡骸を見て、胸に果てしない虚しさを抱えていたかげぬい。

永遠に続く夜のように思われた毎日を照らしたのがあの少女だった。そんなあの少女が、もうこの世にはいない人なのだと分かったらどう思うだろう。知らないまま少女を待ち続ける方が幸せなのだろうか────。

心地よいとは言い難い揺れに、だんだんと意識が覚醒していく。それと同時に頭の奥がずきんと痛み、思わず体に力が入る。


「起きたか」


耳の傍で淡々とした声が聞こえる。誰だろうと一瞬考えて一気に目がさえた。直ぐに状況を把握する。私は背負われていた。驚いて身じろぐと、


「暴れるな」


前を向いたまま表情を変えずにそう言ったのは賀茂くんだった。


「あ、歩ける。おろしてッ」

「耳元で喚くな」


私の要求はその一言でばっさりと切り捨てられた。


「どこに向かってるの」


返事の代わりに沈黙が返ってきた。腹立たしさが沸き上がるも、また頭の奥が痛んで口を噤んだ。

しばらく歩き続けた彼は、町の外れにある大きな一軒家の前で歩みを止めた。この町には珍しい洋風な外装で、アプローチには季節の花が揺れている。テレビで見るような外国のお金持ちのお屋敷みたいだった。

そしてどこからか桃の香りが漂っていた。


「歩けるか」


そう尋ねられ一つ頷く。


私を背中から降ろすと、賀茂くんは迷うことなくそこに足を踏み入れる。振り返ることなくすたすた歩いていく賀茂くんに、その場に取り残された私は「どうしよう」と思わず慌てる。

玄関扉に手をかけた賀茂くんが振り返った。


「何してる。早く来い」


そう言われて恐る恐る足を踏み入れた。

屋敷の外装と同じく、中も西洋風の造りだった。壁にはたくさんの絵が飾られていて、廊下にはすべて汚れのないワイン色のカーペットが敷き詰められている。品のあるアンティークの調度品は光がなくとも光りそうなほど手入れが行き届いていた。

向かいの廊下から、中年くらいのふくよかな女性が歩いて来た。エプロンで手を吹きながら、にこやかな笑みで歩み寄ってくる。


「おかえりなさいませ、忠敬さん。お客様でしょうか」


柔らかな物言いに警戒心が少し溶ける。私と目が合った女性はにっこりと笑みを浮かべて一つ頭を下げた。つられるように軽く頭を下げる。


「怪我人だ。手当の用意を」

「かしこまりました。お部屋でお待ちください、直ぐにお持ちいたします。……それと忠敬さん、お父さまがお見えです」


賀茂くんはワンテンポ遅れて「分かった」とだけ言った。眉間に少しだけ皺が寄っている。

部屋の一室に案内されて、ソファーに座るように目で促された。


「あの、ここは」

「……曾祖母の家。下宿している。あの場からはここが近かった」


無視されるかと思ったが、返事が返ってきて少しだけほっとする。

どうやら気を失い怪我をした私を手当てするためにここまで連れてきたらしい。というかそもそも、怪我の原因は賀茂くんだけれど。

そのことを思い出して、思わず拳に力が入った。


「ねえ、どうして何もしていない妖を祓おうとしたの。あの子は人を襲うような妖じゃない」


じろりと睨みつけられて、言葉に詰まった。賀茂くんは私に背を向けると、面倒くさそうに息を吐く。


「妖に善良などない。人に害をなす存在、それ以上も以下もない」

「人を襲わない妖だっている! 私たちと同じように、誰かを大切に思ったり心配したりする妖だっているんだよ」

「これ以上話しても無駄だ」

「無駄って何! ……分からず屋ッ」


賀茂くんが鋭い睨みを効かせて勢いよく振り返った。一瞬怯んでしまったが、逃げることなくその目を見つめ返す。

その時、部屋のドアがゆっくりと開き、壮年の男性が入ってきた。目元や雰囲気が賀茂くんによく似ていた。先ほどの女性が言っていた、賀茂くんのお父さんなのだろう。

冷え切った目だった。軽蔑するような居心地の悪い視線。私と賀茂くんを交互に見て、すっと目を細める。


「何を騒いでいる」

「……いえ、何も」


賀茂くんの声色が心なしか硬い。それを覚らせないようにか、顔は貼り付けたように無表情から動かない。


「久しぶりに尋ねてみればこの体たらく。くだらない者たちと騒ぐほどの暇がお前にあるのか。このような場所に使わされて、本家の恥だという認識は、お前にはないのか」


賀茂くんのお父さんの口から出てくるあまりにも淡々とした言葉に、少し戸惑いを覚える。

賀茂くんは口を閉ざしたまま、感情のない目を伏せた。

関係のない私でさえ耐えがたいほど息苦しい空間だった。なぜか自分のことのように付き刺さる。だったら賀茂くんは一体どんな思い何だろうか。お父さんは賀茂くんを本家の恥だといった。そんな風に言われて、傷つけられる言葉を向けられて、何も感じないはずがないのに。

その時、部屋の扉がもう一度開いた。先ほどの女性が頭を下げながら入ってきて扉を押さえる。少し遅れて、もうひとり誰かが入ってきた。

その女性とは直ぐに目が合ったが、不自然に目線が低かった。その人は車いすに乗っていた。白髪で、目尻の皺が優しい雰囲気を作る。


「お客様の前ではおよしなさいな」


凛とした明朗な声だった。記憶の隅が何だか騒ぐような感覚が一瞬して、直ぐに消えていく。

その女性は柔らかく微笑む。


「忠敬さん、お友達の手当てをしていらっしゃい」


賀茂くんは一度きゅっと唇を結んでから「はい、おおおばさま」と頭を下げて私の手首を掴んだ。すたすたと部屋を横切る。扉の前まで来て、私は咄嗟に振り返った。


「か、賀茂くんは凄いと思います……ッ」


勢いで出た言葉だった。

お父さんの目がわずかに見開かれる。車いすの女性はまるで好奇心旺盛な子どものように目を輝かせて微笑んでいた。

別の部屋に連れてこられた。すでに用意されていた救急箱のそばにあるソファーに座らせられる。


「……お前、ほんと何なの」


しばらくして、救急箱を弄る賀茂くんがぼそっとそう呟いた。え? と思わず聞き返すと、少し顔を顰めた賀茂くんが口を開く。


「俺に腹が立っているんだろ。なのに、なんであんなこと」


先ほどの事を言っているのだと察しがついた。

私自身もあの時はその場の勢いで行ってしまったところがあるので、何故と問われると答えるのがすこし難しかった。


「確かに腹は立っているけど、それとこれとは別かなって……。だって、賀茂くんを凄いと思っているのは本当────だと思うし」


それとこれとは別と言ったが、割り切れるほど時間は立っていなかったらしい。結局語尾がうやむやになってしまった。

賀茂くんは淡々と手を動かした。強く打った頭は少しだけ血が滲んでいた程度で、後はかすり傷だった。

最後にパタンと救急箱を閉じた賀茂くんは、目を伏せたまま口を開いた。


「……俺の術が当たったせいで怪我をさせたのは、悪かったと思ってる。でも、妖は祓うもの、それは何を言われようと変わらない。俺はその目的のためだけに、幼い頃から何もかも捨てて、この道だけを歩いて来た」


初めて見た、賀茂くんの感情のこもった目。強い信念を持った目だった。

私も、私や神社のことを慕ってくれる妖たちのことを信じたい。彼らはいい妖だ。それだけは譲れない。私がそう信じているように、賀茂くんは賀茂くんなりに信じるところがあるのだろう。

でも、それでも、賀茂くんにもそのことを理解してほしいと思うのは私のわがままなんだろうか。


「仕舞ってくる」


そう言って救急箱を抱えて立ち上がった賀茂くんは早足で扉に向かう。扉を開けると、丁度ドアノブに手を伸ばしていた車いすの女性の姿があった。

賀茂くんはドアを支えて彼女が中へ入ったことを確認すると、また早足で出て行った。


「ああ、いいの。座っていて」


女性を手伝おうと腰を浮かせるも、女性はすぐさまそれを制した。慣れた手つきでハンドルを回し私の前に来る。


「怪我の具合はどう?」

「あ、もう大丈夫です。そこまでひどくなかったみたいで」


良かった、と目じりを下げた女性に、自然と私も笑みが浮かぶ。

確か賀茂くんはこの人のことを「おおおばさま」と呼んでいた。ということは、この人は賀茂くんの曾祖母に当たる方なんだ。


「さっきは、忠敬のことを庇ってくれてありがとう」

「いや、そんな」


ほとんど勢いで言ったので、お礼を言われると少し居心地が悪かった。


「忠敬は、随分と苦労をしている子なの。誰からも褒めてもらえずに育って、感情を見せなくなってしまって。だから、あの子のあんなに嬉しそうな顔を見れて本当に嬉しいの」


そんなに嬉しそうな顔してたかな、と脳内の記憶に問い合わせてみるも、どの賀茂くんも等しく無表情だった。ひいおばあちゃんだから分かるところがあるのだろうか。

私の気まずさを感じ取ったのか、おばあさんは壁の絵を指さして「私が描いたのよ」と微笑む。


「全部、おばあさんが?」

「ええ、昔からそれだけが楽しみだったの」


凄い、と目を見開いて壁に飾られている絵を見回した。全て有名な画家が描いたものなのかと思っていたほど、美しい絵だった。風景画や人物画、不思議な図形が組み合わさった絵、レパートリーは数多く、どれも目を惹き付けられる不思議な魅力がある。


「素敵ですね」


そう言いながら、もう一度絵を見渡すと、ふと暖炉の上にある小さな額縁に入れられた絵に目が留まった。思わず立ち上がって、ゆっくりとその絵に歩み寄る。おばあさんは不思議そうな顔をして私の後ろを付いてきた。


「これ」


空を飛ぶ鳥の絵だった。黒い翼は日の光を浴びて七色に輝いている。長い尾は風を受けているのか枝垂桜のように柔らかな曲線を描いて揺らぐ。大きな目はまるで涙を浮かべているかのように輝いていた。


「……この絵は」

「それは、あら、いつ描いたものだったかしら。ずっとここにすんでいたわけではなかったの。数年前までは京都に住んでいたんだけれど、体を壊してからは養生も兼ねてここへ越してきて。……ああ、そうだ、懐かしい。それは若い頃に書いたものよ。一時こちらへ来ていて。そう、あの森の中で」


心臓がひとつ大きく波打った。おばあさんの顔に“少女”の顔が重なる。

もしかして、ひょっとして────。

バンッ────、と大きな音を立てて部屋の扉が開いた。弾けるように振り返り、目を見開く。


「三門さんっ!?」


かつてないほど険しい顔をした三門さんが肩で息をしながらそこに立っていた。三門さんはまっすぐ私のもとへ歩いてくると、その両手で私の頬に触れる。


「痛い所は」

「た、大したことはなかったので、平気です」


項垂れるようにして深く息を吐いた三門さん。「良かった」と呟いた声は少し震えていたような気がした。

すこし遅れて賀茂くんが部屋へ飛び込んできた。どうやら三門さんを追いかけてきたらしい。

三門さんは私の背を押して扉へ向かう。そしてあと数歩の所で歩みを止めて、少しだけ振り向き口を開く。


「────子どもであろうとも、人ひとり殺めることができるほどの力を持っていることを忘れないように」


空気が震えるほどの怒りに満ちた声だった。私まで息を飲んだ。賀茂くんは青い顔をして立っている。

三門さんは促すようにもう一度私の背を押した。

家の屋敷の前に車を止めていたらしく、三門さんは助手席へ私を促した。三門さんも運転席に乗り込むと、大きく息を吐きながらハンドルに突っ伏した。


「……社に飛び込んできた葵から話を聞いて、本当に心配したよ」


どうやら気を失う前に「社へ」と言ったのをちゃんと守ってくれたらしい。

ほっとするのと同時に、また心配をかけてしまったことに申し訳なさが募る。すみませんでした、と頭を下げると、三門さんは困ったように眉を下げながら私の頭に手を置いた。


「あの男の子の術が当たったって聞いたんだけれど、本当に何もないんだね?」

「はい、倒れた時に少し頭を打ったのと、かすり傷がいくつかなので」


もう一度深く息を吐いた三門さんは「良かった」と呟く。そしてふと顔をあげて不思議そうな顔を浮かべた。


「麻ちゃん、御守か何か持ってる?」

「御守、ですか?」


特に何も持っていないはずだけどな、と首を捻る。しばらく考え込んでいると、思い当たる節がひとつ浮かんで「あ」と声をあげた。

ティーシャツの首元から手を入れて、紐を掴んで引っ張り出す。社の宝物館にある御神刀の円禾丸から貰った切羽だった。ババに編んでもらった組紐にそれを通して普段から首に下げていたのだ。


「円禾丸の切羽か。なるほど、それが麻ちゃんを守ってくれたんだね」

「円禾丸が……」


三門さんは一つ頷いてから鍵を回しエンジンをかけた。車はゆっくりと動き出し、景色は徐々に後ろへ流れていく。


「術者の術は直接体に働きかけるんじゃなくて、体を巡っている霊力────簡単に言うと不思議な力に影響を与えるんだ。血液に似たようなものかな。だから力を持っていれば誰でも影響をうける。術が害を与えるものなら、人も妖も関係なく害を受けるんだ」


そういうものなんだ、とひとつ頷いて自分の掌を見つめる。だから葵をかばって、術が当たった時に、激しい衝撃を受けたのか。あれでも円禾丸が守ってくれていたんだから、葵が当たっていたら……。そう考えるととても恐ろしかった。


「今日は夜中の間ババに来てもらうからね。具合が悪くなったら知らせるんだよ」


とても優しい声に胸がじんわりと熱くなる。私はひとつ頷いた。

窓の外の景色をぼんやりと眺めながら思い出す。三門さんのあんなにも怒った声を聴いたのは初めてだった。纏う空気は鋭く、一言一言が鋭利な刃物のように鋭かった。

あんなに怒っていても一番に私のもとへ駆け寄ってくれた三門さん。こちらへ来てからも相変わらず心配ばかりかけてしまっている。

少しはひとりでちゃんとできるように頑張らなきゃ。

そう心に決めてきゅっと唇を結んだ。


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