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以津真天の待ち人
参
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「麻、麻! 列進んでるよ」
肩を強くゆすられてふと我に返った。きょろきょろと辺りを見回すと、お盆を持った詩子が心配そうに私を見ている。
そうだ、今は食堂で順番待ちをしていたんだった。ひとつ欠伸を噛み殺しながら「ありがとう」と詩子に伝える。
今日から授業が始まって、今はお昼休み。詩子と食堂へ来ていた。
「先に席を取っておくね」
先に頼んだものを受け取った詩子がそう言う。わかった、と頷いて詩子を見送った。
昨日は遅くまで社を手伝っていたため、あまりよく眠れていなかった。それが影響して、今日は朝からずっとうとうとしている。またぼんやりとしていると、後から「ちょっと」と肩を叩かれた。
「列、進んでるんですけど」
「え、あ、ごめんなさいっ」
慌てて前に進んでから振り返る。
黒髪を下ろしたきりっとした目の女の子がうんざりしたように私を見ている。どこかで見たことのある顔に首を捻っていると、食堂のおばさんが私のトレーに頼んだカレーライスを置いた。直ぐにその子のトレーにもきつねうどんを置く。
そしてあっと声をあげた。
「篠……!」
いつも顔を合わせるときは後ろでひとつに結っていたから気が付かなかった。お正月には一緒に授与所で働いた妖狐の篠だ。たしかに三門さんからは同い年だと聞いていた。
「名前で呼ばないで。そして一生関わらないで」
私を睨みつけた篠はスタスタと去っていった。ポカンとしながらその背中を見送る。
篠は妖狐だ。妖は普通夜に活動する。それなのに昼間に活動しても大丈夫なのだろうか。
背中が見えなくなって、やがて私も詩子を探しに動き出した。
「今朝からずっと眠そうだったね。何かあった?」
席に着いた私に、詩子は唐揚げを頬張りながらそう言う。申し訳なさに苦笑いを浮かべながら昨日の出来事を簡単に話した。
ひな人形の一件があって、私の特別な力を目の当たりにした詩子には、神社の事情を話せるところだけ話した。妖の存在や言霊の力、始めは信じてもらえないだろうと思っていたのだけれど、詩子は「何それかっこいい!」と目を輝かせたのだ。
「そんなことが……大変だったね」
「まだ家に帰ってない妖もいるの。皆不安なんだ」
「私にもできることがあったら言ってね」
ぐっと握りこぶしをつくった詩子に、「頼もしい」と笑った。
「そう言えば、同じ学年に妖がいるの」
声を潜めた私に、詩子は目を丸くしながら「えっ」と声をあげた。
「誰!? だって麻と賀茂くん以外は、みんなほとんど顔見知りだよ?」
「篠って知ってる?」
「葛葉さん!? 小学校一緒だった! 中学からは学区が変わって違ったけど、一度同じクラスになったことあるよ。黒髪が奇麗な子でしょ?」
えええ、と仰け反った詩子。きょろきょろと辺りを見回して篠のことを探しているようだが、見つけられなかったようで顔を戻す。
「知らなかった。でも、それって私が聞いても良かったの?」
「あ……どうなんだろ」
詩子は呆れたように肩を竦めると、笑いながら私の額を人差し指で弾いた。
「あ、ねえ見て。賀茂くん。さっそく女の子に囲まれてるよ」
私からちらりと視線を動かした詩子は、ふたつ後のテーブルを示す。振り返って首を伸ばす。
両隣にも向かいの席にも女の子が座って、完全に囲まれている賀茂くんがいた。女の子たちは一生懸命何かを話しかけているようだけれど、一切表情を変えずぴくりとも眉も動かさない賀茂くんは、もくもくと昼食を取っていた。
「やっぱり嫌い。感じ悪いんだから」
唇を尖らせた詩子に苦笑いを浮かべる。昨日のことがあって、賀茂くんをすっかり嫌ってしまったらしい。
たしかにクールな感じだし、話しかけにくそうな雰囲気はあるなあ、とみていると、ふと賀茂くんが顔をあげた。ばっちり目が合って、賀茂くんはじっと私の顔を見つめる。勘違いかと思って周りを見回すも、賀茂くんの視線はやはり私に向けられている。
胸が何だかざわめいた。
「また睨んでる。ほんと嫌な人!」
ふん、と鼻を鳴らした詩子。視線を感じながらも体の向きを戻した。
そして放課後、帰ってきて着替えると、私はすぐに社務所へ向かった。三門さんがお札を書いているところだった。私が入ってきたことに気が付くと、手を止めて顔をあげ「おかえり」と微笑んだ。
「学校どうだった?」
「楽しかったです。あ、篠がいてびっくりしました!」
三門さんの前に座りながら、興奮気味にそう言う。
「あれ、僕言ってなかった?」
首を傾げた三門さんに苦笑いを浮かべた。
「一北には、妖狐と雪童子が入学したはずだよ」
「雪童子……?」
「雪でできた妖怪。小さい頃に一度両親が揃って挨拶に来てくれたんだけど、そういえばそれきり会ってないなあ」
三門さんは懐かしそうに目を細めた。
まさか篠以外にも妖がいたとは思わなくてびっくりした。でも、妖とひとが一緒に生きているおもてら町なら、これからもきっとそう言うことがあるのだろう。そう思うと、なんだかちょっとだけワクワクした。
「さて、ババがもう少ししたら来てくれるはずだから、泊まっていった妖たちのご飯の用意、手伝ってあげてね」
「はい、わかりました」
うん、と満足げに頷いた三門さんは筆を握り直した。
昨日もババと御飯の用意をしたので、要領は分かっている。先に準備を進めておこうかな、と腰を浮かせたその時だった。
「おい三門! 開けろ!」
表でみくりがそう叫んだ。
私と三門さんは顔を見合わせる。そして急いで立ち上がって社務所の外に出ると、扉の前にみくりとふくりが立っていた。
「客が来ているよ」
ふくりが目をそう言って目を細める。心なしか声に棘があった。
「誰だって?」
「いけ好かない奴だ」
みくりのその一言で察することができた。昨日のあの大きな呪を使った誰かが、また裏山に来ているんだ。三門さんの纏う空気が一瞬にして鋭いものになった。思わず私までも息を飲む。
「確かなんだね?」
「このみくりを疑うか?」
いつもなら和やかな雰囲気で軽口を叩き合うところだが、三門さんは一つ頷くと社務所の扉を閉じた。
「案内して」
二匹は返事をするまでもなく背を向けて駆け出す。
私は社に残るようにと言われるかと思っていたが、三門さんは何も言わずに二人を追いかける。一瞬どうしようかと迷い、私も走り出した。
本殿の裏へ回り、そこから鎮守の森を横切る。
無言で走る三門さんの目は、恐いほどに鋭かった。やがて裏の鳥居の頭が見えてきた。朽ちかけた少し小さな鳥居は妖たちがくぐるために建てられたもの。その下にしゃがみ込む人影があった。
足を止めた三門さんの横に並び、膝に手を付いて息を整える。そして顔をあげた瞬間、はっと息を飲んだ。
見慣れた黒い学ランと、その襟に輝く桃の花が描かれた青い校章。それは学年ごとに色が違って、私たちの学年は青だ。彼は立ち上がって私たちを見上げると、涼しげな切れ目をすっと細めた。
「賀茂くん……」
無意識にその名前を呟く。彼は私を一瞥するなり、面倒くさそうに息を吐いた。
「知り合い?」
三門さんは賀茂くんから目を話すことなく静かに尋ねた。
「お、同じ学年のひとです。一北の……」
三門さんはゆっくりと彼に歩み寄った。
「そこは妖たちが通る裏の鳥居だ。君に用はないはずだよ」
聞いたことがないほどの棘のある警戒した声だった。三門さんはいつもの柔らかい笑みを浮かべることなく、賀茂くんをじっと見据えている。賀茂くんは眉間に皺を寄せた。
「魑魅が出たと報告があがっている。それを調べに来た」
「ここはユマツヅミさまが見守っている土地、賀茂家の人間は関係ないはずだ」
「魑魅はこちらの管轄だ。適切な措置と報告があげられていないのは、なんと言い訳をするつもりだ」
「それと無差別に妖を祓うのは話が違う。妖ならば、罪のない命を奪っていいと?」
三門さんの握りしめた拳が怒りで震えている。一触即発の空気に息を飲む。
なんとなく、どういう状況なのかは理解することができた。
賀茂くんと三門さんは同じ立場ではあるけれど、賀茂くんは妖の敵で、そしてあの呪を放った張本人なんだ。
「罪のない命? 笑わせるな」
一瞬、その目に深い憎しみの色が映った気がした。鼻で笑った賀茂くんは、吐き捨てるよう。そして、ふと視線を下げた。手を伸ばして何かを拾い上げる。手の中に握られているものに、私は「あ……」と声を漏らした。
すねこすりのお手玉だ。ケヤキと兄弟たちが寂しくないように、同じ場所へ向かえるようにと願いを込めて作った。冬休みが終わる前に、裏の鳥居の足元にそっと置いてきたのだ。
「この社は前々から妖に偏り過ぎているという話も聞いている。”本庁”が知ったら何と言うだろうね」
握りつぶされたそれに、思わず「やめてっ!」と大声で叫んだ。三門さんが驚いたように目を丸くして振り返る。
「た、大切なものなの。そんな風に触らないでっ」
心臓がばくばくと大きく波打って、声が震えそうになった。唇をきゅっと結んで、私を睨みつける賀茂くんをまっすぐと見つめ返す。
顔を顰めた賀茂くんはひとつ舌打ちをすると、すねこすりのお手玉をその場に投げ落とす。お手玉は落ち葉にカサリと紛れ込んだ。
「僕は本部からこの町を一任された。だから、僕は僕の仕事を全うするつもりだ」
何の感情も感じられないほど淡々とそう言い、そして彼は去っていった。
しばらく沈黙が流れる。鎮守の森の木々たちが、そんな私たちを心配するようにざわざわと音を立てて揺れていた。
足元で「麻、麻」と名前が呼ばれて視線を向ける。ふくりがすねこすりのお手玉を咥えていた。少し形が歪んでしまったお手玉をそっと両手で受け取る。鳥居の下まで歩み寄りその場にしゃがむと、他のお手玉に寄り添うように並べ直す。すると無性に悲しくなった。
ケヤキと兄弟たちのために作ったお手玉をぞんざいに扱われたこと、彼が妖を祓う呪を唱えたこと、妖を憎んでることも。どうしてそんなことをしたんだろう。
ふくりが心配そうに私を見上げている。
「ねえ、ふくり。賀茂くんって何者なの……?」
ふくりはすっと目を細める。その時、ぽんと肩に手が乗せられた。顔をあげると、三門さんが困ったように眉を下げて微笑んでいる。
「それは僕が話すよ。みくりたちは先に戻ってて」
気づかわし気に私を見上げたふくりは、みくりとともに社へむかって駆け出した。三門さんが私の隣にしゃがみ込む。
「お手玉、ここに置いていたんだね」
一つ取り上げて土の汚れを払い落とすと、また寄り添わせるようにもとに戻す。三門さんは静かに目を閉じて手を合わせた。その横顔にぽつりぽつりと漏らす。
「……妖のこと、あんなに嫌う人がいたなんて、思ってなくて。悪い事もしてないのに祓うだなんて、そんなこと」
言葉に詰まると、三門さんは「うん。そうだね」と寂しそうに笑う。
「彼は僕たちとは違って、妖やひとを導く立場じゃないんだ。吉凶を占い災厄を祓う────祓い屋って呼ぶひともいるけれど、正式には“陰陽師”と呼ばれる存在。“賀茂家”その中でも有名な一族なんだ」
三門さんがいつか行っていた『僕らは陰陽師とは違うからね』という言葉を思い出す。違いはこういうことだったんだ。
「小さい頃から辛いこともずっと耐えてきて、妖を恨んでしまう気持ちも分かる。でも、だからと言って妖だからと言うだけでみんな祓ってしまうのは絶対に間違ってる」
真剣な目をした三門さんは、真っ直ぐと前を見たままそう言う。
そうだ。社へ逃げてきた妖たちは、皆心優しい妖たちだ。神社も裏山もひとも、皆大切にしてくれている。まだ短いけれど、彼らと関わってそれは十分に伝わってきた。そんな彼らを、妖だという理由で傷つけるなんて、絶対にあっちゃいけない。
三門さんは立ち上がると私に手を差しだした。その手を借りて私も立ち上がる。
「何とかしないといけないね」
「わ、私も手伝います」
真っ直ぐと目を見て答えると、三門さんは「ありがとね」といつも通りの笑みを浮かべた。
肩を強くゆすられてふと我に返った。きょろきょろと辺りを見回すと、お盆を持った詩子が心配そうに私を見ている。
そうだ、今は食堂で順番待ちをしていたんだった。ひとつ欠伸を噛み殺しながら「ありがとう」と詩子に伝える。
今日から授業が始まって、今はお昼休み。詩子と食堂へ来ていた。
「先に席を取っておくね」
先に頼んだものを受け取った詩子がそう言う。わかった、と頷いて詩子を見送った。
昨日は遅くまで社を手伝っていたため、あまりよく眠れていなかった。それが影響して、今日は朝からずっとうとうとしている。またぼんやりとしていると、後から「ちょっと」と肩を叩かれた。
「列、進んでるんですけど」
「え、あ、ごめんなさいっ」
慌てて前に進んでから振り返る。
黒髪を下ろしたきりっとした目の女の子がうんざりしたように私を見ている。どこかで見たことのある顔に首を捻っていると、食堂のおばさんが私のトレーに頼んだカレーライスを置いた。直ぐにその子のトレーにもきつねうどんを置く。
そしてあっと声をあげた。
「篠……!」
いつも顔を合わせるときは後ろでひとつに結っていたから気が付かなかった。お正月には一緒に授与所で働いた妖狐の篠だ。たしかに三門さんからは同い年だと聞いていた。
「名前で呼ばないで。そして一生関わらないで」
私を睨みつけた篠はスタスタと去っていった。ポカンとしながらその背中を見送る。
篠は妖狐だ。妖は普通夜に活動する。それなのに昼間に活動しても大丈夫なのだろうか。
背中が見えなくなって、やがて私も詩子を探しに動き出した。
「今朝からずっと眠そうだったね。何かあった?」
席に着いた私に、詩子は唐揚げを頬張りながらそう言う。申し訳なさに苦笑いを浮かべながら昨日の出来事を簡単に話した。
ひな人形の一件があって、私の特別な力を目の当たりにした詩子には、神社の事情を話せるところだけ話した。妖の存在や言霊の力、始めは信じてもらえないだろうと思っていたのだけれど、詩子は「何それかっこいい!」と目を輝かせたのだ。
「そんなことが……大変だったね」
「まだ家に帰ってない妖もいるの。皆不安なんだ」
「私にもできることがあったら言ってね」
ぐっと握りこぶしをつくった詩子に、「頼もしい」と笑った。
「そう言えば、同じ学年に妖がいるの」
声を潜めた私に、詩子は目を丸くしながら「えっ」と声をあげた。
「誰!? だって麻と賀茂くん以外は、みんなほとんど顔見知りだよ?」
「篠って知ってる?」
「葛葉さん!? 小学校一緒だった! 中学からは学区が変わって違ったけど、一度同じクラスになったことあるよ。黒髪が奇麗な子でしょ?」
えええ、と仰け反った詩子。きょろきょろと辺りを見回して篠のことを探しているようだが、見つけられなかったようで顔を戻す。
「知らなかった。でも、それって私が聞いても良かったの?」
「あ……どうなんだろ」
詩子は呆れたように肩を竦めると、笑いながら私の額を人差し指で弾いた。
「あ、ねえ見て。賀茂くん。さっそく女の子に囲まれてるよ」
私からちらりと視線を動かした詩子は、ふたつ後のテーブルを示す。振り返って首を伸ばす。
両隣にも向かいの席にも女の子が座って、完全に囲まれている賀茂くんがいた。女の子たちは一生懸命何かを話しかけているようだけれど、一切表情を変えずぴくりとも眉も動かさない賀茂くんは、もくもくと昼食を取っていた。
「やっぱり嫌い。感じ悪いんだから」
唇を尖らせた詩子に苦笑いを浮かべる。昨日のことがあって、賀茂くんをすっかり嫌ってしまったらしい。
たしかにクールな感じだし、話しかけにくそうな雰囲気はあるなあ、とみていると、ふと賀茂くんが顔をあげた。ばっちり目が合って、賀茂くんはじっと私の顔を見つめる。勘違いかと思って周りを見回すも、賀茂くんの視線はやはり私に向けられている。
胸が何だかざわめいた。
「また睨んでる。ほんと嫌な人!」
ふん、と鼻を鳴らした詩子。視線を感じながらも体の向きを戻した。
そして放課後、帰ってきて着替えると、私はすぐに社務所へ向かった。三門さんがお札を書いているところだった。私が入ってきたことに気が付くと、手を止めて顔をあげ「おかえり」と微笑んだ。
「学校どうだった?」
「楽しかったです。あ、篠がいてびっくりしました!」
三門さんの前に座りながら、興奮気味にそう言う。
「あれ、僕言ってなかった?」
首を傾げた三門さんに苦笑いを浮かべた。
「一北には、妖狐と雪童子が入学したはずだよ」
「雪童子……?」
「雪でできた妖怪。小さい頃に一度両親が揃って挨拶に来てくれたんだけど、そういえばそれきり会ってないなあ」
三門さんは懐かしそうに目を細めた。
まさか篠以外にも妖がいたとは思わなくてびっくりした。でも、妖とひとが一緒に生きているおもてら町なら、これからもきっとそう言うことがあるのだろう。そう思うと、なんだかちょっとだけワクワクした。
「さて、ババがもう少ししたら来てくれるはずだから、泊まっていった妖たちのご飯の用意、手伝ってあげてね」
「はい、わかりました」
うん、と満足げに頷いた三門さんは筆を握り直した。
昨日もババと御飯の用意をしたので、要領は分かっている。先に準備を進めておこうかな、と腰を浮かせたその時だった。
「おい三門! 開けろ!」
表でみくりがそう叫んだ。
私と三門さんは顔を見合わせる。そして急いで立ち上がって社務所の外に出ると、扉の前にみくりとふくりが立っていた。
「客が来ているよ」
ふくりが目をそう言って目を細める。心なしか声に棘があった。
「誰だって?」
「いけ好かない奴だ」
みくりのその一言で察することができた。昨日のあの大きな呪を使った誰かが、また裏山に来ているんだ。三門さんの纏う空気が一瞬にして鋭いものになった。思わず私までも息を飲む。
「確かなんだね?」
「このみくりを疑うか?」
いつもなら和やかな雰囲気で軽口を叩き合うところだが、三門さんは一つ頷くと社務所の扉を閉じた。
「案内して」
二匹は返事をするまでもなく背を向けて駆け出す。
私は社に残るようにと言われるかと思っていたが、三門さんは何も言わずに二人を追いかける。一瞬どうしようかと迷い、私も走り出した。
本殿の裏へ回り、そこから鎮守の森を横切る。
無言で走る三門さんの目は、恐いほどに鋭かった。やがて裏の鳥居の頭が見えてきた。朽ちかけた少し小さな鳥居は妖たちがくぐるために建てられたもの。その下にしゃがみ込む人影があった。
足を止めた三門さんの横に並び、膝に手を付いて息を整える。そして顔をあげた瞬間、はっと息を飲んだ。
見慣れた黒い学ランと、その襟に輝く桃の花が描かれた青い校章。それは学年ごとに色が違って、私たちの学年は青だ。彼は立ち上がって私たちを見上げると、涼しげな切れ目をすっと細めた。
「賀茂くん……」
無意識にその名前を呟く。彼は私を一瞥するなり、面倒くさそうに息を吐いた。
「知り合い?」
三門さんは賀茂くんから目を話すことなく静かに尋ねた。
「お、同じ学年のひとです。一北の……」
三門さんはゆっくりと彼に歩み寄った。
「そこは妖たちが通る裏の鳥居だ。君に用はないはずだよ」
聞いたことがないほどの棘のある警戒した声だった。三門さんはいつもの柔らかい笑みを浮かべることなく、賀茂くんをじっと見据えている。賀茂くんは眉間に皺を寄せた。
「魑魅が出たと報告があがっている。それを調べに来た」
「ここはユマツヅミさまが見守っている土地、賀茂家の人間は関係ないはずだ」
「魑魅はこちらの管轄だ。適切な措置と報告があげられていないのは、なんと言い訳をするつもりだ」
「それと無差別に妖を祓うのは話が違う。妖ならば、罪のない命を奪っていいと?」
三門さんの握りしめた拳が怒りで震えている。一触即発の空気に息を飲む。
なんとなく、どういう状況なのかは理解することができた。
賀茂くんと三門さんは同じ立場ではあるけれど、賀茂くんは妖の敵で、そしてあの呪を放った張本人なんだ。
「罪のない命? 笑わせるな」
一瞬、その目に深い憎しみの色が映った気がした。鼻で笑った賀茂くんは、吐き捨てるよう。そして、ふと視線を下げた。手を伸ばして何かを拾い上げる。手の中に握られているものに、私は「あ……」と声を漏らした。
すねこすりのお手玉だ。ケヤキと兄弟たちが寂しくないように、同じ場所へ向かえるようにと願いを込めて作った。冬休みが終わる前に、裏の鳥居の足元にそっと置いてきたのだ。
「この社は前々から妖に偏り過ぎているという話も聞いている。”本庁”が知ったら何と言うだろうね」
握りつぶされたそれに、思わず「やめてっ!」と大声で叫んだ。三門さんが驚いたように目を丸くして振り返る。
「た、大切なものなの。そんな風に触らないでっ」
心臓がばくばくと大きく波打って、声が震えそうになった。唇をきゅっと結んで、私を睨みつける賀茂くんをまっすぐと見つめ返す。
顔を顰めた賀茂くんはひとつ舌打ちをすると、すねこすりのお手玉をその場に投げ落とす。お手玉は落ち葉にカサリと紛れ込んだ。
「僕は本部からこの町を一任された。だから、僕は僕の仕事を全うするつもりだ」
何の感情も感じられないほど淡々とそう言い、そして彼は去っていった。
しばらく沈黙が流れる。鎮守の森の木々たちが、そんな私たちを心配するようにざわざわと音を立てて揺れていた。
足元で「麻、麻」と名前が呼ばれて視線を向ける。ふくりがすねこすりのお手玉を咥えていた。少し形が歪んでしまったお手玉をそっと両手で受け取る。鳥居の下まで歩み寄りその場にしゃがむと、他のお手玉に寄り添うように並べ直す。すると無性に悲しくなった。
ケヤキと兄弟たちのために作ったお手玉をぞんざいに扱われたこと、彼が妖を祓う呪を唱えたこと、妖を憎んでることも。どうしてそんなことをしたんだろう。
ふくりが心配そうに私を見上げている。
「ねえ、ふくり。賀茂くんって何者なの……?」
ふくりはすっと目を細める。その時、ぽんと肩に手が乗せられた。顔をあげると、三門さんが困ったように眉を下げて微笑んでいる。
「それは僕が話すよ。みくりたちは先に戻ってて」
気づかわし気に私を見上げたふくりは、みくりとともに社へむかって駆け出した。三門さんが私の隣にしゃがみ込む。
「お手玉、ここに置いていたんだね」
一つ取り上げて土の汚れを払い落とすと、また寄り添わせるようにもとに戻す。三門さんは静かに目を閉じて手を合わせた。その横顔にぽつりぽつりと漏らす。
「……妖のこと、あんなに嫌う人がいたなんて、思ってなくて。悪い事もしてないのに祓うだなんて、そんなこと」
言葉に詰まると、三門さんは「うん。そうだね」と寂しそうに笑う。
「彼は僕たちとは違って、妖やひとを導く立場じゃないんだ。吉凶を占い災厄を祓う────祓い屋って呼ぶひともいるけれど、正式には“陰陽師”と呼ばれる存在。“賀茂家”その中でも有名な一族なんだ」
三門さんがいつか行っていた『僕らは陰陽師とは違うからね』という言葉を思い出す。違いはこういうことだったんだ。
「小さい頃から辛いこともずっと耐えてきて、妖を恨んでしまう気持ちも分かる。でも、だからと言って妖だからと言うだけでみんな祓ってしまうのは絶対に間違ってる」
真剣な目をした三門さんは、真っ直ぐと前を見たままそう言う。
そうだ。社へ逃げてきた妖たちは、皆心優しい妖たちだ。神社も裏山もひとも、皆大切にしてくれている。まだ短いけれど、彼らと関わってそれは十分に伝わってきた。そんな彼らを、妖だという理由で傷つけるなんて、絶対にあっちゃいけない。
三門さんは立ち上がると私に手を差しだした。その手を借りて私も立ち上がる。
「何とかしないといけないね」
「わ、私も手伝います」
真っ直ぐと目を見て答えると、三門さんは「ありがとね」といつも通りの笑みを浮かべた。
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