あやかし神社へようお参りです。

三坂しほ

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付喪神の子守り

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 二十日前────。

 ふと耳に越天楽の笛の音色が届き顔をあげた。教科書から掛け時計に視線を移すと、夜の十一時を指している。すっかり固まった首を回しながら一つ伸びをした。


 「麻ちゃん、入るよ」


 そう声がかけられて慌てて姿勢を正し返事をする。障子がゆっくりと開いて、お盆を持った三門さんが現れた。


 「勉強お疲れさま、夜食持ってきたよ」

 「ありがとうございます」


 勉強机に使っている机をいそいそと片付ける。机の上に置かれた皿には小さな俵おにぎりが三つ並んでいた。


 「根を詰めすぎるのもよくないよ。しっかり眠らないと、頭の中が整理されないからね」

 「はい。きりの良い所で休みます」


 私の返事に三門さんは満足げに微笑んだ。


 昨日から、私は三門さんの家でまたお世話になっている。

 本来ならば今は三学期で学校へ通わなければいけないのだけれど、受験生である中学三年生は、三月からほとんど自由登校になっている。と言うのも、私の通う中学校では私立高校を目指す人が大半で、二月半ばの時点で進学が確定しているからだ。

 一日中自習時間になるため、学校へ行っても家で勉強しても大差はない。だから、こちらの公立高校を受験することに決めた私は、受験日である三月十一日まで三門さんの家で勉強することにしたのだ。

 おしぼりで手を拭いて、「いただきます」と手を合わせてからおにぎりに手を伸ばす。丁度小腹が空いて集中が途切れ始めていたのでありがたかった。

 もぐもぐと口を動かしていると、三門さんがじっとこちらを見ているのに気が付いた。なんだか気まずくて、視線を彷徨わせる。


 「……ねえ、麻ちゃん」

 「は、はい!」


 唐突に名前が呼ばれて、勢いよくおにぎりを飲み込んでしまった。胸をとんとんと叩きながら「何ですか」と尋ねる。

 三門さんはとても険しい顔をして口を開く。


 「ほんとうに、こっちの高校で良かったの?」


 思わず苦笑いを浮かべた。

 こちらの高校に進学したいということを電話で伝えてから、何度か詳しく話し合ったが、三門さんは何度もその質問を繰り返した。

 進学すること自体には反対しているようなことは言われなかったけれど、もしかしたら本当は反対していたんじゃないかと少し不安に思っている。


 「三門さん……」

 「ああ、ごめん。ちょっと僕が心配性なだけなんだ。麻ちゃんがそう決めたんなら、応援するよ」


 苦笑いで頬を掻いた三門さんはそう言って立ち上がる。


 「それじゃあ、受験まであとちょっとだし、頑張ってね。でも無理はしないこと。その食器は流し台に置いといて、洗わなくてもいいからね」


 そしてもう一度「がんばってね」と握りこぶしを作って微笑むと、お盆を持って部屋から出て行った。

 すたんと閉まった障子をぼんやりと眺め、ひとつ溜息をこぼす。

 三門さん、本当はどう思っているんだろう。三門さんは優しい人だから、反対していても私の意思を尊重して口には出さないんだろう。それに、いざ面と向かって聞いた時に「反対だ」と言われてしまうのが怖くて、あと一歩を踏み出せないでいる。

 自分の情けなさに、もう一度深い溜息を零した。

 その時、ガタガタガタッ────と、突然窓ガラスが激しく揺れて悲鳴を上げて飛び上がった。弾けるように振り返ると、鍵の閉められた窓ガラスに人影が写っている。磨りガラスになっているため、誰なのかは分からない。また激しく窓が鳴る。どうやら無理やり窓を開けようとしているらしい。

 恐怖に声も出なくなって、震える膝で畳の上を這って箪笥の陰に隠れた。


 「ああっ、なんであかないんだよ! そもそも、三門が普通に入れていてくれれば……『邪魔するから駄目』とか言いやがって。んなことしないし!」


 窓の外の誰かが悪態を吐く声が聞こえる。聞き覚えのある声と出てきた三門さんの名前に、恐怖はすっとなくなる。恐る恐る箪笥の陰から這い出て、窓の方を見る。


 「くそー……麻のやつ、どこにいるんだよ」


 もう一度聞こえたその声に、「あっ」と声をあげた。急いで窓に駆け寄って鍵を外す。勢いよく窓を開けると、外にいたそのひとは驚いたように私を見上げた。


 「葵!」

 「うおっ、びっくりした、脅かすなよ! いるんなら早く出て来いよな!」

 「そ、それは私のセリフだよ! 突然窓が揺れるから、心臓が口から飛び出るかと思った」


 まだばくばくと波打つ心臓を服の上から押さえつけ、何度か深く深呼吸をする。その間に窓をよじ登った葵は、私の部屋に侵入した。

 乱れた着物の裾を叩き付けるようにして直した葵は、その場にどしんと腰を下ろす。


 「麻も座れよ! お、この握り飯食ってもいいか?」


 私の返事を聞く前に手を伸ばした葵。


 「いいよ……」


 私の部屋なんだけどな、と苦笑いを浮かべながら窓を閉めると、葵の前に座った。

 皿の上に合った残りのふたつを平らげた葵は満足すに指を舐める。


 「美味かったぞ、麻が作ったのか?」

 「三門さんだよ。それで、どうしたの?」

 「あっ、そうだよ! 握り飯食いに来たわけじゃないんだった!」


 はっと我に返った葵は、途端不機嫌な顔を作って腕を組んだ。


 「私は怒ってるんだぞ」

 「え、どうして?」

 「どうしてって! 麻、お前昨日のうちにここへ来ていたんだろう? 何で知らせなかったんだよっ」


 ふん、と鼻息荒くそう言った葵に「あ……」と呟く。

 すっかり忘れていた。葵とは何度かの手紙のやり取りで、帰ってきたら一番に知らせるって約束していたんだった。


 「妖の便りで知ったんだぞ、悲しかったっ」

 「そ、それは謝る、ごめんね。勉強で忙しくて」

 「勉強だぁ?」


 葵は机の上に広げていた教科書を一瞥して、うげっと顔を顰めた。


 「春からここに住むために必要なの」

 「……は!? 麻、お前ここに住むのか!?」


 目を輝かせた葵が身を乗り出す。近い近いと彼女の肩を押し返し、苦笑いを浮かべる。「高校に合格したらだよ」と付け足した。

 葵はみるみるうちに笑顔になった。


 「コウコウに合格したら、春からここに住むんだな、それは本当なんだな!?」

 「本当だよ。だから勉強しなきゃいけないの」

 「分かった。それじゃあ私が教えてやる! さっさとそこに座れ!」


 私の肩をぐいぐいとおして机の前に座らせた葵。物珍しそうに教科書をぺらぺらとめくっていく。私は苦笑いを浮かべた。


 「葵、気持ちは嬉しいけど遠慮するよ」


 そもそも妖である葵とは常識から違うのに、ひとの勉強を教えれるはずがない。

 傷付けないようにそれをどう説明するか考えていると、


 「おっ、こいつペルリじゃないのか? でっかい船四隻で日本に来た親父だろ。小さい頃父ちゃんと見に行ったぞ」


 葵はそう言いながら、教科書に載っている一枚の写真を指さした。江戸時代のページだ。黒船来航の説明が書かれてあり、マシュー・ペリーの写真が載っている。

 慌てて自分のノートを開いた。先生の余談を確かそこに記してあったはずだ。
 『ペリーの来航当時の文書には「彼理(ぺるり)」と記されていた。』確かにそう書いてある。


 「ああ、これより前なら、ババに聞くといいんじゃないか? 京のほうなら、ろくろ首が詳しいだろ」


 よし行くぞ、と私の手を引いて立ち上がらせた葵に、呆気にとられながらついていく。


 「葵……一体何歳なの?」

 「さあ? んなの、いちいち覚えてない」


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