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木霊の探しもの
肆
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────おお、涙が止まったか。お前は強い子だなあ。褒美に兄弟の所まで、肩車で送ってあげよう。
どこからともなく、ケヤキの優しい声が聞こえる。
兄さま大好き。兄さまぼくも。兄さま。
誰だろう、幼い声もたくさん聞こえる。ケヤキのことを兄さまと呼ぶ声だ。
何も見えない暗闇の中で、心地よい包み込むような温かさと、思わず笑みが零れそうな優しい雰囲気が伝わってくる。
ケヤキと誰が一緒にいるのだろうか。この優しい記憶は、ケヤキの記憶なのだろうか。ケヤキは昔も、転んで泣いた兄弟をそうやってあやしていたのだろうか。
ずるずると引きずりこまれるような強い感覚に、私はゆっくりと身を委ねた。
「お前の名前はケヤキ。今日からケヤキと名乗りなさい」
苔むした木々が鬱蒼と茂る森の奥に、ふたつの影があった。
ひとつは六十くらいの老いた男。白衣に紫色の八藤丸の文様が薄く入った袴を身に着けている。そしてもうひとつは、今と全く変わらない容姿をしたケヤキだった。
彼らの後ろには、紙垂がかけられた雄々しく屹立する樹木がある。ケヤキの髪が靡くように、木の葉も風に揺れていた。
「はい。泰助さま」
老いた男は、その場に跪き恭しく頭を下げたケヤキの肩に手を乗せて頷く。そして深く息を吐いた。
「君に名を与えることをあいつに話したんだ。とても悔しがってね、『今すぐ俺にも寄こせ』と喚くんだ」
やれやれと肩を竦めた男に、ケヤキは小さく吹き出して立ち上がる。
「はは、あやつは私と同じ年に生まれました、なにかと競いたくなるのでしょう。しかし、まあ、あやつが先に名を貰っていたら、私も同じように喚いていたのかもしれませんな」
「なんだ、お前もか」
ひどく疲れたように息を吐きだした男に、ケヤキは声をあげて笑う。
その時、彼らの近くの茂みが音を立てた。ケヤキと同じ色の瞳をした小さな子どもらが恐る恐ると顔を出す。
「兄さま、お話は終わりましたか」
「もう側へ寄っても構いませんか」
ケヤキは男が一つ頷いたのを確認してから子どもらに向かって手招きをする。わあっと嬉しそうに声が上がり、何人もの子どもがケヤキの周りに駆け寄ってくる。
ケヤキの足にしがみつく子供らを見て、男はおかしそうに声をあげて笑った。
「おお、おお。これはまた。一体今は何人いるんだ?」
「二十年前に一番下の兄弟が生まれて、今は三十七人です」
「相変わらず、木霊の一家は大家族だなあ」
男は側にいた子どもの頭をガシガシと撫でる。困ったように眉を下げて「兄さまぁ……」と助けを求める兄弟に、ケヤキはまたおかしそうに笑う。
「いいかい、ケヤキ」
手を止めた男がはケヤキに向き直る。
「幼い兄弟たちの面倒をよく見ておやり。守ってあげるんだよ」
ケヤキは姿勢を正して、決意のこもった目で男を見つめ深く頷いた。
日が沈み月が昇り、雨が降り風が吹き、そして何度も季節が廻って新しい命も芽生えた。
「兄さま、僕にも見せて」
「僕も抱っこしていい?」
「小さいね、可愛いね」
布に包まる小さな兄弟を一目見ようと、ケヤキの弟たちは周りを駆け回る。ケヤキは腕に抱く小さな兄弟を起こさないように、静かにその場にしゃがみ込んだ。人差し指を唇にあてて、片目を瞑る。弟たちも目を輝かせながら「しーっ」とそれをまねした。
「兄弟はまだ芽吹いたばかりで、とても小さいのだ。みんなで見守ってあげましょうな」
うんうん、と頷く兄弟たちに、ケヤキは目じりを下げる。
腕の中で眠る小さな兄弟の手をそっと握れば、たしかに同じぬくもりを感じることができる。
「可愛いね」
「あ、起きた!」
「目の色は兄さまに似ているね」
「笑ってる。ねえねえ、いま笑ったよ」
はやく大きくなってね。一緒に遊ぼうね。かけっこ教えてあげるからね。
再びまどろみ始めた小さな兄弟に、必死に話しかける兄弟たちの頭をひとりひとりそっと撫でた。
「兄さま、この森にたくさんの人間が遊びに来ています」
「嬉しいね、ワクワクするね」
「お友達になれるかな」
────ああ、きっとなれるよ。人間は木と生きる生き物だ。
「兄さま。嫌な音が聞こえます」
「怖いよ、何の音?」
「ぼくこれ嫌い」
────大丈夫、兄さまが側にいる。必ず兄さまが兄弟を守る。
「兄さま、兄弟が怪我をしたの」
「どうすればいい?」
「たすけて、兄弟が泣いてるよ」
────どうして。
「兄さま、兄弟の木が半分に」
「呼んでも返事をしないの」
────どうして。
「兄さま。痛い、苦しい。たすけて」
────どうして兄弟が。
「にい、さま。にんげんなんか、きらい。だいきらいだ」
可愛い兄弟たちが苦しんでいるのに、私は何をしているのだ。泰助さまに、兄弟にたちに、「必ず守る」と誓ったはずなのに。
兄弟が変わり果てた姿になっていくのを、何もせずにただ見ていただけだなんて。何よりも私のことを慕い信じてくたあの子たちを、見捨ててしまうだなんて。
愛らしい笑みを見せてくれた顔も、私の手を握った小さな掌も、憎悪に穢されもう姿形も分からない。自我をなくし暴れまわり、周りのモノすべてを飲み込んでしまう。
愛い子たち、変わり果ててしまった私の兄弟たち。
兄弟はもう私のことを忘れてしまった。言葉も届かない。
だから私がこの手で、私たち兄弟が生を受けた土へ、彼らを還そう。今もなお苦しみの中で憎悪と悲しみで身を滅ぼさんとする兄弟を、この手で楽にしてやるのだ。
もう前のようには戻れない。愛したものすべてを傷つける姿になってしまった今、兄さまが兄弟にしてやれるのはそれしか残されていないのだ。
────おお、涙が止まったか。お前は強い子だなあ。褒美に兄弟の所まで、肩車で送ってあげよう。
どこからともなく、ケヤキの優しい声が聞こえる。
兄さま大好き。兄さまぼくも。兄さま。
誰だろう、幼い声もたくさん聞こえる。ケヤキのことを兄さまと呼ぶ声だ。
何も見えない暗闇の中で、心地よい包み込むような温かさと、思わず笑みが零れそうな優しい雰囲気が伝わってくる。
ケヤキと誰が一緒にいるのだろうか。この優しい記憶は、ケヤキの記憶なのだろうか。ケヤキは昔も、転んで泣いた兄弟をそうやってあやしていたのだろうか。
ずるずると引きずりこまれるような強い感覚に、私はゆっくりと身を委ねた。
「お前の名前はケヤキ。今日からケヤキと名乗りなさい」
苔むした木々が鬱蒼と茂る森の奥に、ふたつの影があった。
ひとつは六十くらいの老いた男。白衣に紫色の八藤丸の文様が薄く入った袴を身に着けている。そしてもうひとつは、今と全く変わらない容姿をしたケヤキだった。
彼らの後ろには、紙垂がかけられた雄々しく屹立する樹木がある。ケヤキの髪が靡くように、木の葉も風に揺れていた。
「はい。泰助さま」
老いた男は、その場に跪き恭しく頭を下げたケヤキの肩に手を乗せて頷く。そして深く息を吐いた。
「君に名を与えることをあいつに話したんだ。とても悔しがってね、『今すぐ俺にも寄こせ』と喚くんだ」
やれやれと肩を竦めた男に、ケヤキは小さく吹き出して立ち上がる。
「はは、あやつは私と同じ年に生まれました、なにかと競いたくなるのでしょう。しかし、まあ、あやつが先に名を貰っていたら、私も同じように喚いていたのかもしれませんな」
「なんだ、お前もか」
ひどく疲れたように息を吐きだした男に、ケヤキは声をあげて笑う。
その時、彼らの近くの茂みが音を立てた。ケヤキと同じ色の瞳をした小さな子どもらが恐る恐ると顔を出す。
「兄さま、お話は終わりましたか」
「もう側へ寄っても構いませんか」
ケヤキは男が一つ頷いたのを確認してから子どもらに向かって手招きをする。わあっと嬉しそうに声が上がり、何人もの子どもがケヤキの周りに駆け寄ってくる。
ケヤキの足にしがみつく子供らを見て、男はおかしそうに声をあげて笑った。
「おお、おお。これはまた。一体今は何人いるんだ?」
「二十年前に一番下の兄弟が生まれて、今は三十七人です」
「相変わらず、木霊の一家は大家族だなあ」
男は側にいた子どもの頭をガシガシと撫でる。困ったように眉を下げて「兄さまぁ……」と助けを求める兄弟に、ケヤキはまたおかしそうに笑う。
「いいかい、ケヤキ」
手を止めた男がはケヤキに向き直る。
「幼い兄弟たちの面倒をよく見ておやり。守ってあげるんだよ」
ケヤキは姿勢を正して、決意のこもった目で男を見つめ深く頷いた。
日が沈み月が昇り、雨が降り風が吹き、そして何度も季節が廻って新しい命も芽生えた。
「兄さま、僕にも見せて」
「僕も抱っこしていい?」
「小さいね、可愛いね」
布に包まる小さな兄弟を一目見ようと、ケヤキの弟たちは周りを駆け回る。ケヤキは腕に抱く小さな兄弟を起こさないように、静かにその場にしゃがみ込んだ。人差し指を唇にあてて、片目を瞑る。弟たちも目を輝かせながら「しーっ」とそれをまねした。
「兄弟はまだ芽吹いたばかりで、とても小さいのだ。みんなで見守ってあげましょうな」
うんうん、と頷く兄弟たちに、ケヤキは目じりを下げる。
腕の中で眠る小さな兄弟の手をそっと握れば、たしかに同じぬくもりを感じることができる。
「可愛いね」
「あ、起きた!」
「目の色は兄さまに似ているね」
「笑ってる。ねえねえ、いま笑ったよ」
はやく大きくなってね。一緒に遊ぼうね。かけっこ教えてあげるからね。
再びまどろみ始めた小さな兄弟に、必死に話しかける兄弟たちの頭をひとりひとりそっと撫でた。
「兄さま、この森にたくさんの人間が遊びに来ています」
「嬉しいね、ワクワクするね」
「お友達になれるかな」
────ああ、きっとなれるよ。人間は木と生きる生き物だ。
「兄さま。嫌な音が聞こえます」
「怖いよ、何の音?」
「ぼくこれ嫌い」
────大丈夫、兄さまが側にいる。必ず兄さまが兄弟を守る。
「兄さま、兄弟が怪我をしたの」
「どうすればいい?」
「たすけて、兄弟が泣いてるよ」
────どうして。
「兄さま、兄弟の木が半分に」
「呼んでも返事をしないの」
────どうして。
「兄さま。痛い、苦しい。たすけて」
────どうして兄弟が。
「にい、さま。にんげんなんか、きらい。だいきらいだ」
可愛い兄弟たちが苦しんでいるのに、私は何をしているのだ。泰助さまに、兄弟にたちに、「必ず守る」と誓ったはずなのに。
兄弟が変わり果てた姿になっていくのを、何もせずにただ見ていただけだなんて。何よりも私のことを慕い信じてくたあの子たちを、見捨ててしまうだなんて。
愛らしい笑みを見せてくれた顔も、私の手を握った小さな掌も、憎悪に穢されもう姿形も分からない。自我をなくし暴れまわり、周りのモノすべてを飲み込んでしまう。
愛い子たち、変わり果ててしまった私の兄弟たち。
兄弟はもう私のことを忘れてしまった。言葉も届かない。
だから私がこの手で、私たち兄弟が生を受けた土へ、彼らを還そう。今もなお苦しみの中で憎悪と悲しみで身を滅ぼさんとする兄弟を、この手で楽にしてやるのだ。
もう前のようには戻れない。愛したものすべてを傷つける姿になってしまった今、兄さまが兄弟にしてやれるのはそれしか残されていないのだ。
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