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妖狐の願い
肆
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*
────母さん、母さん。
暗闇の中に小さな男の子がひとり、蹲って泣いていた。
切なげな声が何度も何度も母親を呼んでいる。母親の姿を探し求めて泣いている。
お母さん、いなくなったの?
いなくなったの。
じゃあ、お姉ちゃんと探そうか。だから泣かないで、大丈夫。
そう言って手を差し出せば、男の子の小さな手がそっと握り返してきた。
「ただいま、母さん」
壮年の男性が玄関の戸を開けて中へ入る。地板の腰掛け靴を脱いでいれば、奥から割烹着姿の年老いた女性が小走りで駆け寄ってくる。
「おかえり時生。お使いありがとう」
「ああ、もう母さんってば。走らなくてもいいから」
男性が慌てて立ち上がりそう嗜め、母親の両肩に手を乗せる。母親は嬉しそうに微笑むと、男性の腕にそっと自分の手を重ねる。
「どうしたの?」
「ふふふ、なんだか夢みたいね」
「何だよそれ」
くすくすと笑いながら母親を縁側に連れて行き、座るように促した。見上げる母親にそっと微笑む。
「お茶入れてくるよ。駅の方の商店街に『菊寿』って、和菓子屋さんがあるだろう? そこのパイナップル大福を買ったんだ。一緒に食べよう」
ええそうね、一緒に。
噛み締めるように呟き、少し名残惜しそうに手を離した。
「母さん、もうそろそろ中へ入りなよ。体が冷えてしまうよ」
夕食後、縁側に腰を下ろし夜空を見上げていた女性は、そう言われて振り返る。声をかけた男性は呆れた風に肩を竦め、すっかり冷えてしまったその肩にそっと羽織をかけた。
女性は嬉しそう微笑むと、隣に座るように促す。
「体に障るから、ちょっとだけだよ」
溜息を零しながらそう言って、隣に腰を下ろす。ふたりは会話をすることもなく、静かに寄り添いながら空を見上げていた。
「時生が三歳の頃に、一緒にこうして星を数えたの、覚えているかしら」
「そんなに昔のことなんて、覚えていないよ」
「それもそうよね」
くすくすと楽しげに笑う母親に、男性は目を弓なりにした。夜空を指さし「ひとつ、ふたつ」と数えてみる。
どれを数えたかなんてすぐに忘れてしまうけれど、この時間が続くのならばずっと数えていたい。
ふと胸の中にそんな感情が生まれ、はと我に返る。
「時生。さっき言ったこと、覚えてる?」
「調味料の消費期限が切れそうって、言ってたこと?」
「そうじゃなくって、夢みたいって言ったこと」
ひとつ頷いた男性。女性は空を見上げ、そして静かに目を閉じる。閉じた瞼のふちから、まるで流れ星のようにすうっと雫が流れて落ちていく。
「……時生がこの家を出て行ったとき、私、ひどい言い方をしてしまったでしょう? だから、もう帰ってこないんじゃないかって」
うん、と頷くのが精一杯だった。
「十年近く連絡も何もなくって、自業自得だって分かっていたんだけれど、心配で心配で。眠れなかった」
「……悪いのは連絡を寄こさなかった僕だ。母さんは、何も悪くないよ」
「じゃあ、時生も何も悪くない」
男性は喉の奥がきゅうっと締まって、目頭が熱くなっていくのを感じた。
「もう一度、こうして時生が返ってきてくれて、一緒に食卓を囲むことができて、こうして星を見上げることができて。本当に夢みたい。ありがとう」
男性はひどく顔を顰めた。堪えきれなかった嗚咽が、涙と共に零れる。
「ごめん、なさい。ごめん、ごめん……っ。僕のせいなんだ、僕が、僕が全部奪ったっ」
「あらあら、まあ。急にどうしたの」
皺だらけの小さな手が重ねられ、その温かさにもっと涙腺が緩む。重ねられたその手を、離すものかと強く握りしめる。
「大人になっても、まだまだ泣き虫さんね」
ただただ「ごめんなさい」を繰り返す男性に、母親は困ったようにそう言った。
*
「────ちゃん、麻ちゃん」
肩をゆすられる感覚がしてはっと目を開けると、三門さんの顔が目の前にあった。二三度目を瞬かせて、頬が濡れているのに気が付く。
「起きれる?」と差し出された手を取り状態を起こすと、肩から毛布が滑り落ちる。見慣れた風景がそこにあった。
どうやら、居間で眠っていたらしい。
「顔、拭きな」
差し出されたタオルに手を伸ばすも、宙を掴み膝の上に落ちた。三門さんはタオルを両手に持ち直すと、私の頬をそっと包み込む。
「起こしてごめんね。大丈夫?」
次第に頭がはっきりしていき、「はい」とひとつ頷いた。
やっぱり私は夢を見ていた。それも、時生さんの記憶が語られた夢だ。
「また妖の夢を見てしまったんだね」
困ったように眉を下げて微笑んだ三門さんに、私は慌てて首を横に振る。
「あの、違うんです。三田さんの」
「三田さん?」
怪訝な顔を浮かべた三門さんに、私は深く頷く。
「三田時生さんの、夢を見ました」
三門さんは目を見開いた。
何かおかしなことでも言ったのだろうか、と首を傾げる。
「時生さんの話を誰かから聞いたのかい?」
「え? いえ、誰にも……」
困惑気味にそう言えば、三門さんはとても険しい顔を浮かべて腕を組んだ。
誰かから話を聞いたことはなかったはずだし、聞くまでもなく私は時生さんと出会って話をしている。
「麻ちゃん、どんな夢を見たのか教えて」
少し戸惑いながらも口を開く。
私が見た夢は、何か良くないこととつながっているのだろうか。
「始めは小さな男の子が泣いていて、それから、時生さんと典子さんが一緒に暮らしている夢で……」
ぽつりぽつりと話し始めた私に、真剣な顔で相槌を打つ三門さん。
すべてを話し終えたとき、三門さんの口から述べられたのはとんでもない事実だった。
あれから自室でもう一度眠り、目覚めたときには太陽が高い位置にあった。
慌てて巫女装束に着替えて居間をのぞいてみると、テーブルの上にはラップされたお昼ご飯と置手紙がある。手紙には、私の体への気遣いとゆっくりお昼ご飯を食べるようにということ、それから『葦を刈ってきます』ということが記されていた。
テーブルの前に腰を下ろし、手を合わせながら首を捻る。
葦を刈ってきますってどういう意味だろう、ボランティアか何かだろうか。まあ、何であれ三門さんは外出中ということだ。
私にできることをしておこう、と決めて急いでご飯をかきこんだ。
箒を持って外へ出た。一度本殿に立ち寄ってユマツヅミさまに挨拶をしてから、社頭を端から掃いていく。
ぬかるんだ地面に小さな足跡を見つけ、ふと頬が緩んだ。犬の足跡に似ているが、少し爪の長いこの足跡はすねこすりの足跡だ。昨日はあのあと、鬼の子どもがすねこすりを囲っていた柵を倒してしまい大騒ぎになったのだ。幸い社の外へは出て行かなかったもののみんな何度も転ばされ、ババに至っては腰を痛めてしまったのだ。
わざとではなかったみたいで注意だけで済んだけれど、もしわざとだったなら『お母さんより怖い三門さん』が見れたのだろうか。
そんなことを考えて小さく噴き出す。
昨日の名残を見つけながら掃き掃除に精を出していると、社へ続く階段を上ってくるたくさんの足音が聞こえた。
「あと少し、頑張れ」「たくっ、階段長すぎるだろ!」「三門くん、エスカレーターつけてよ」なんて声も聞こえてくる。
暫くすると、大きな草の束を抱えた人たちがぞろぞろと参道を歩いてきた。その一番後ろには、ほかの人たちの量よりも二倍はありそうな草を肩に担ぐ三門さんの姿がある。
箒を胸の前で握ったまま駆け寄る。
「お、麻ちゃん。起きてたんだね、掃除ありがとう」
にこりと微笑んだ三門さんに、私は小さく首を振る。
手伝いますと手を差し出せば、明らかに他の人よりも少ない量を渡した三門さん。
「丁度良かった、これから茅の輪作りなんだ。手伝ってほしいな」
「ちのわ……?」
「そう。この草で、人が通れるくらいの大きな輪っかを作るんだ。三十一日に行う『年越の大祓』という神事で、皆で茅の輪をくぐるんだよ」
へえ、と目を丸くしながら頷く。
今までは大晦日の日に神社へ行ったことがなかったので、そう言った神事があることを知らなかった。
「茅の輪をくぐることで邪悪な穢れを祓い、災難を予防するんだ」
そう言った三門さんは「あ」と声をあげて走り出す。恰幅の良いおじさんたちによって、大きな輪っか状になった鉄パイプか運ばれてくるところだった。
「ご苦労様です。そのまま本殿の前に運んでください」
「はいよ。にしても三門、茅の輪つったら縁起モンなのに『アシ』を使っていいのか?」
少し揶揄うような口調でそう笑ったおじさんに、三門さんは肩を竦める。
「神事に使えば、アシが転じてヨシになるんですよ。さあ皆さん、よろしくお願いしますね」
おー、と元気な声があちこちから上がった。
「上の方の葉っぱを数枚残して、後は全部取り除いてね。長さは二尺に揃えて」
「えっと、二尺ってどれくらいですか?」
「六十センチくらい、かな」
「六十センチ……これくらいでしょうか」
「多分?」
草を両手に持ち三門さんと顔を見合わせる。ふたりしてぷっと小さく噴き出した。
毎年適当なんだ、三門さんは肩を竦める。
「三門ちゃん、こっちは終わったわよ~」
おばあさんたちが手を振って知らせる。
「ありがとうございます。じゃあ、一旦お昼休憩にしましょうか。村松さんから稲荷コロッケの差し入れをもらってますよ」
やったあ、とみんなが歓声を上げた。
軍手の草をぱんぱんと払った三門さんが立ち上がる。「手伝います」と私も立ち上がった。
社務所に戻って全員分のお茶を淹れ、冷蔵庫の中に入っていた稲荷コロッケを温め直す。お皿に盛りつける三門さんは、残ったふたつだけはタッパーに取ると、それを紙袋の中へ入れた。
「これをたべたら、出発しようか」
「……はい」
眉間に皺を寄せて頷けば、三門さんは申し訳なさそうに目を伏せて私の頭に手を置いた。
紙袋と盛り付けた皿をもって外に出れば、皆は本殿前の段差に座って談笑していた。
「あっ、やっと帰ってきた!」
「三門ちゃん遅いわよ~」
肩を竦めた三門さんは「はいはい」と笑いながら歩み寄っていく。
ここに座って! と促されて、おばあさんたちの隣に腰掛けた。
「村松さんのところの稲荷コロッケ、大好きなのよねえ」
「私もなの~。最近は菊寿のパイナップル大福もお気に入りなのよ~」
まるで女子高生みたいな会話に、思わず微笑んでしまう。この町の人たちは元気で明るい人が多いなとつくづく感じさせられる。
「麻ちゃんどうしたの? 全然食べていないじゃない!」
「若いんだからしっかり食べないと!」
ほらほら、と取り皿に山盛りに乗せた稲荷コロッケを渡されて目を白黒させる。「あら、足りない?」と首を傾げるおばあさんに、慌てて首を振り手を付ける。
満足げに笑ったおばあさんは、また楽しそうに会話を再開した。
もぐもぐと口を動かしながら空を見上げ、目を細めた。
詳しい説明もなく「三門さんの遠縁の子」という情報だけで、突然現れた私を受け入れ歓迎してくれたこの町の人たち。最初の頃はまともに声すら出せなかった私を、気味悪がったり詮索することもなく接してくれた。そんなこの町の人たちや穏やかに流れる時間が、私にとってはとても心地良い。
「僕たち、少しだけ席を外しますね」
稲荷コロッケを食べ終えると、三門さんはぽんと膝を叩く。
「あら、ふたりしてどこ行くの?」
「三田さんのお見舞いです。開門祭の時、体調を崩されたみたいで」
納得したように頷いたおばあさんたちは、途端悲しそうに顔を曇らせる。
「息子さんがあんなことになってから、よく体調を崩しているみたいね」
「最近はおかしなことも言うようになったって、ヘルパーさんが言ってたわよ」
私たちは顔を見合わせる。ひとつ頷いた三門さんは「それじゃあ行ってきます」と告げ立ち上がった。
紙袋を片手に石階段を降りていく。最後の一段で足を止めると、まだ階段の途中にいる私を見上げた。
「さっき教えたおまじない、覚えてる?」
真剣な目をしっかりと見つめながらふとつ深く頷いた。
────母さん、母さん。
暗闇の中に小さな男の子がひとり、蹲って泣いていた。
切なげな声が何度も何度も母親を呼んでいる。母親の姿を探し求めて泣いている。
お母さん、いなくなったの?
いなくなったの。
じゃあ、お姉ちゃんと探そうか。だから泣かないで、大丈夫。
そう言って手を差し出せば、男の子の小さな手がそっと握り返してきた。
「ただいま、母さん」
壮年の男性が玄関の戸を開けて中へ入る。地板の腰掛け靴を脱いでいれば、奥から割烹着姿の年老いた女性が小走りで駆け寄ってくる。
「おかえり時生。お使いありがとう」
「ああ、もう母さんってば。走らなくてもいいから」
男性が慌てて立ち上がりそう嗜め、母親の両肩に手を乗せる。母親は嬉しそうに微笑むと、男性の腕にそっと自分の手を重ねる。
「どうしたの?」
「ふふふ、なんだか夢みたいね」
「何だよそれ」
くすくすと笑いながら母親を縁側に連れて行き、座るように促した。見上げる母親にそっと微笑む。
「お茶入れてくるよ。駅の方の商店街に『菊寿』って、和菓子屋さんがあるだろう? そこのパイナップル大福を買ったんだ。一緒に食べよう」
ええそうね、一緒に。
噛み締めるように呟き、少し名残惜しそうに手を離した。
「母さん、もうそろそろ中へ入りなよ。体が冷えてしまうよ」
夕食後、縁側に腰を下ろし夜空を見上げていた女性は、そう言われて振り返る。声をかけた男性は呆れた風に肩を竦め、すっかり冷えてしまったその肩にそっと羽織をかけた。
女性は嬉しそう微笑むと、隣に座るように促す。
「体に障るから、ちょっとだけだよ」
溜息を零しながらそう言って、隣に腰を下ろす。ふたりは会話をすることもなく、静かに寄り添いながら空を見上げていた。
「時生が三歳の頃に、一緒にこうして星を数えたの、覚えているかしら」
「そんなに昔のことなんて、覚えていないよ」
「それもそうよね」
くすくすと楽しげに笑う母親に、男性は目を弓なりにした。夜空を指さし「ひとつ、ふたつ」と数えてみる。
どれを数えたかなんてすぐに忘れてしまうけれど、この時間が続くのならばずっと数えていたい。
ふと胸の中にそんな感情が生まれ、はと我に返る。
「時生。さっき言ったこと、覚えてる?」
「調味料の消費期限が切れそうって、言ってたこと?」
「そうじゃなくって、夢みたいって言ったこと」
ひとつ頷いた男性。女性は空を見上げ、そして静かに目を閉じる。閉じた瞼のふちから、まるで流れ星のようにすうっと雫が流れて落ちていく。
「……時生がこの家を出て行ったとき、私、ひどい言い方をしてしまったでしょう? だから、もう帰ってこないんじゃないかって」
うん、と頷くのが精一杯だった。
「十年近く連絡も何もなくって、自業自得だって分かっていたんだけれど、心配で心配で。眠れなかった」
「……悪いのは連絡を寄こさなかった僕だ。母さんは、何も悪くないよ」
「じゃあ、時生も何も悪くない」
男性は喉の奥がきゅうっと締まって、目頭が熱くなっていくのを感じた。
「もう一度、こうして時生が返ってきてくれて、一緒に食卓を囲むことができて、こうして星を見上げることができて。本当に夢みたい。ありがとう」
男性はひどく顔を顰めた。堪えきれなかった嗚咽が、涙と共に零れる。
「ごめん、なさい。ごめん、ごめん……っ。僕のせいなんだ、僕が、僕が全部奪ったっ」
「あらあら、まあ。急にどうしたの」
皺だらけの小さな手が重ねられ、その温かさにもっと涙腺が緩む。重ねられたその手を、離すものかと強く握りしめる。
「大人になっても、まだまだ泣き虫さんね」
ただただ「ごめんなさい」を繰り返す男性に、母親は困ったようにそう言った。
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「────ちゃん、麻ちゃん」
肩をゆすられる感覚がしてはっと目を開けると、三門さんの顔が目の前にあった。二三度目を瞬かせて、頬が濡れているのに気が付く。
「起きれる?」と差し出された手を取り状態を起こすと、肩から毛布が滑り落ちる。見慣れた風景がそこにあった。
どうやら、居間で眠っていたらしい。
「顔、拭きな」
差し出されたタオルに手を伸ばすも、宙を掴み膝の上に落ちた。三門さんはタオルを両手に持ち直すと、私の頬をそっと包み込む。
「起こしてごめんね。大丈夫?」
次第に頭がはっきりしていき、「はい」とひとつ頷いた。
やっぱり私は夢を見ていた。それも、時生さんの記憶が語られた夢だ。
「また妖の夢を見てしまったんだね」
困ったように眉を下げて微笑んだ三門さんに、私は慌てて首を横に振る。
「あの、違うんです。三田さんの」
「三田さん?」
怪訝な顔を浮かべた三門さんに、私は深く頷く。
「三田時生さんの、夢を見ました」
三門さんは目を見開いた。
何かおかしなことでも言ったのだろうか、と首を傾げる。
「時生さんの話を誰かから聞いたのかい?」
「え? いえ、誰にも……」
困惑気味にそう言えば、三門さんはとても険しい顔を浮かべて腕を組んだ。
誰かから話を聞いたことはなかったはずだし、聞くまでもなく私は時生さんと出会って話をしている。
「麻ちゃん、どんな夢を見たのか教えて」
少し戸惑いながらも口を開く。
私が見た夢は、何か良くないこととつながっているのだろうか。
「始めは小さな男の子が泣いていて、それから、時生さんと典子さんが一緒に暮らしている夢で……」
ぽつりぽつりと話し始めた私に、真剣な顔で相槌を打つ三門さん。
すべてを話し終えたとき、三門さんの口から述べられたのはとんでもない事実だった。
あれから自室でもう一度眠り、目覚めたときには太陽が高い位置にあった。
慌てて巫女装束に着替えて居間をのぞいてみると、テーブルの上にはラップされたお昼ご飯と置手紙がある。手紙には、私の体への気遣いとゆっくりお昼ご飯を食べるようにということ、それから『葦を刈ってきます』ということが記されていた。
テーブルの前に腰を下ろし、手を合わせながら首を捻る。
葦を刈ってきますってどういう意味だろう、ボランティアか何かだろうか。まあ、何であれ三門さんは外出中ということだ。
私にできることをしておこう、と決めて急いでご飯をかきこんだ。
箒を持って外へ出た。一度本殿に立ち寄ってユマツヅミさまに挨拶をしてから、社頭を端から掃いていく。
ぬかるんだ地面に小さな足跡を見つけ、ふと頬が緩んだ。犬の足跡に似ているが、少し爪の長いこの足跡はすねこすりの足跡だ。昨日はあのあと、鬼の子どもがすねこすりを囲っていた柵を倒してしまい大騒ぎになったのだ。幸い社の外へは出て行かなかったもののみんな何度も転ばされ、ババに至っては腰を痛めてしまったのだ。
わざとではなかったみたいで注意だけで済んだけれど、もしわざとだったなら『お母さんより怖い三門さん』が見れたのだろうか。
そんなことを考えて小さく噴き出す。
昨日の名残を見つけながら掃き掃除に精を出していると、社へ続く階段を上ってくるたくさんの足音が聞こえた。
「あと少し、頑張れ」「たくっ、階段長すぎるだろ!」「三門くん、エスカレーターつけてよ」なんて声も聞こえてくる。
暫くすると、大きな草の束を抱えた人たちがぞろぞろと参道を歩いてきた。その一番後ろには、ほかの人たちの量よりも二倍はありそうな草を肩に担ぐ三門さんの姿がある。
箒を胸の前で握ったまま駆け寄る。
「お、麻ちゃん。起きてたんだね、掃除ありがとう」
にこりと微笑んだ三門さんに、私は小さく首を振る。
手伝いますと手を差し出せば、明らかに他の人よりも少ない量を渡した三門さん。
「丁度良かった、これから茅の輪作りなんだ。手伝ってほしいな」
「ちのわ……?」
「そう。この草で、人が通れるくらいの大きな輪っかを作るんだ。三十一日に行う『年越の大祓』という神事で、皆で茅の輪をくぐるんだよ」
へえ、と目を丸くしながら頷く。
今までは大晦日の日に神社へ行ったことがなかったので、そう言った神事があることを知らなかった。
「茅の輪をくぐることで邪悪な穢れを祓い、災難を予防するんだ」
そう言った三門さんは「あ」と声をあげて走り出す。恰幅の良いおじさんたちによって、大きな輪っか状になった鉄パイプか運ばれてくるところだった。
「ご苦労様です。そのまま本殿の前に運んでください」
「はいよ。にしても三門、茅の輪つったら縁起モンなのに『アシ』を使っていいのか?」
少し揶揄うような口調でそう笑ったおじさんに、三門さんは肩を竦める。
「神事に使えば、アシが転じてヨシになるんですよ。さあ皆さん、よろしくお願いしますね」
おー、と元気な声があちこちから上がった。
「上の方の葉っぱを数枚残して、後は全部取り除いてね。長さは二尺に揃えて」
「えっと、二尺ってどれくらいですか?」
「六十センチくらい、かな」
「六十センチ……これくらいでしょうか」
「多分?」
草を両手に持ち三門さんと顔を見合わせる。ふたりしてぷっと小さく噴き出した。
毎年適当なんだ、三門さんは肩を竦める。
「三門ちゃん、こっちは終わったわよ~」
おばあさんたちが手を振って知らせる。
「ありがとうございます。じゃあ、一旦お昼休憩にしましょうか。村松さんから稲荷コロッケの差し入れをもらってますよ」
やったあ、とみんなが歓声を上げた。
軍手の草をぱんぱんと払った三門さんが立ち上がる。「手伝います」と私も立ち上がった。
社務所に戻って全員分のお茶を淹れ、冷蔵庫の中に入っていた稲荷コロッケを温め直す。お皿に盛りつける三門さんは、残ったふたつだけはタッパーに取ると、それを紙袋の中へ入れた。
「これをたべたら、出発しようか」
「……はい」
眉間に皺を寄せて頷けば、三門さんは申し訳なさそうに目を伏せて私の頭に手を置いた。
紙袋と盛り付けた皿をもって外に出れば、皆は本殿前の段差に座って談笑していた。
「あっ、やっと帰ってきた!」
「三門ちゃん遅いわよ~」
肩を竦めた三門さんは「はいはい」と笑いながら歩み寄っていく。
ここに座って! と促されて、おばあさんたちの隣に腰掛けた。
「村松さんのところの稲荷コロッケ、大好きなのよねえ」
「私もなの~。最近は菊寿のパイナップル大福もお気に入りなのよ~」
まるで女子高生みたいな会話に、思わず微笑んでしまう。この町の人たちは元気で明るい人が多いなとつくづく感じさせられる。
「麻ちゃんどうしたの? 全然食べていないじゃない!」
「若いんだからしっかり食べないと!」
ほらほら、と取り皿に山盛りに乗せた稲荷コロッケを渡されて目を白黒させる。「あら、足りない?」と首を傾げるおばあさんに、慌てて首を振り手を付ける。
満足げに笑ったおばあさんは、また楽しそうに会話を再開した。
もぐもぐと口を動かしながら空を見上げ、目を細めた。
詳しい説明もなく「三門さんの遠縁の子」という情報だけで、突然現れた私を受け入れ歓迎してくれたこの町の人たち。最初の頃はまともに声すら出せなかった私を、気味悪がったり詮索することもなく接してくれた。そんなこの町の人たちや穏やかに流れる時間が、私にとってはとても心地良い。
「僕たち、少しだけ席を外しますね」
稲荷コロッケを食べ終えると、三門さんはぽんと膝を叩く。
「あら、ふたりしてどこ行くの?」
「三田さんのお見舞いです。開門祭の時、体調を崩されたみたいで」
納得したように頷いたおばあさんたちは、途端悲しそうに顔を曇らせる。
「息子さんがあんなことになってから、よく体調を崩しているみたいね」
「最近はおかしなことも言うようになったって、ヘルパーさんが言ってたわよ」
私たちは顔を見合わせる。ひとつ頷いた三門さんは「それじゃあ行ってきます」と告げ立ち上がった。
紙袋を片手に石階段を降りていく。最後の一段で足を止めると、まだ階段の途中にいる私を見上げた。
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もう、全部どうでもよく感じた。
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