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一章

第5話

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「ふわあぁぁ……」
「デカイあくびする時は下を向け下を。だらし無い顔しやがって」
「あ、薫おはよぉ」

 私が大欠伸をしていると登校してきた薫が声をかけてきた。

「また徹夜でゲームでもしてたのか?」
「ううん、昨日は駅に行って彼女に会ってたの。でも会話に華咲かせてたら終電逃しちゃって……歩いて帰ったんだけど家に着いた時にはもう二時とかでさ、ふぁぁ眠い」
「マジで会いに行ったのかよ、その子も災難だな」

 薫は私の前の席に座るとカバンを机に放った。

「てか彼女彼女って、名前は知らないのか?」
「うん、教えてくれなかった」
「それ、話に華咲かせてねぇじゃん」

 グサッ! 薫のツッコミはいつも鋭く、的確に急所を突いてくる。

「そもそも強姦しかけてくるようなヤバイ女と会話なんてできないだろうに、その子はよくタマと話ができるな」
「そうなんだよねぇ……なんで彼女私にあんな優しくしてくれるんだろ」

 今思い返してもやはり不思議だ。彼女が親切ないい子だと言ってしまえばそれまでなんだけど。

「実は生き別れの姉妹だったりしてな」

 薫は笑いながらそんな冗談を言う。私も「まさかぁ」と笑って流す。

「わかった。あの子もきっと私に惚れてるんだよ。だけどシャイだからその気持ちは伝えられず素っ気なくなってしまう……そうだよ! あの子私と話す時たまに不自然に目を背けるようなそんな顔をする時がある!」
「それただ単に嫌がってるだけだと思うぞ」
「はぁ分かってないね薫は。私たちは今甘酸っぱぁ~い恋をしているんだよ。初恋同士、両思いの二人は最初はぎこちなく、だけどある出来事をキッカケに距離が近づいて……うっはー!」

 これから起こるであろう切なく、だけど誰もが笑顔になれるようなそんなハートフルなラブストーリーを頭の中で思い描く。そんな私の様子を道端に落ちているゴミを見るような目で一瞥する薫。

「その出来事ってなんだよ」
「んー? 強姦?」
「……」

 薫は何も言わずに前を向いてしまった。その背中から漂うのは「話しかけるなアホが感染る」と言わんばかりの拒絶。ひどい。

「んんっ……」

 一度体を伸ばしてリラックス。まだ朝のホームルームには時間があるので少しでも睡眠を取ろうと私は机に突っ伏した。
 周りの雑音が机を通って私の鼓膜に直接振動として響き渡る。昨日のテレビの話とか、彼氏にフラれただとか色んな会話が聞こえてくるけど、だんだんと意識が薄まっていくにつれそんな話も頭に入らなくなってくる。
 ああ、きたきた。心地の良い眠気。これが来たら後は身を任せるだけだ。私はそのまま深い眠りへと……。

「お、おいお前それ!」
「なんだなんだ何が起きたんだ!?」
「ウエエエェェェ!? あ、私のおぎかわわわわわわく、くんがががががが」 

 つこうとしたんだけど、何やら教室が一気にざわつき始めて、少し目が覚めてしまう。はぁ……まったく失敗した、こうなると中々眠れないんだよね。

 私は騒がしいクラスメイトたちに理不尽な悪態をつきつつもう一度目を瞑る。

「あ、おはよう荻川……は!? お前、なんだその格好!」
「おう明日原。俺、変……かな」
「変も何も、それじゃ変態だぞ!」

 会話が私のすぐ頭上で繰り広げられる。ううん……うるさい。

「おいタマ! お前昨日何言ったんだ!」

 瞬間、私の頭を何者かが引っ叩いた。容赦のないその威力は確認するまでもない、薫だ。私は顔を上げて。

「いったあ! なにすんのー!」
「なにすんのーじゃねえ! お前昨日荻川に何か変なこと言ったんだろ!」
「え? 荻川くん?」

 どうして荻川くんの話になるんだろう。少し疑問に思いつつ私は薫の隣に立っていた見慣れない”女の子”に視線が移る。

「あれ? その子は誰?」

 私がそう聞くと薫は頭を抱え、その子は素敵な笑顔でこう、答えた。

「おはよう、安藤。えぇっと、俺。荻川だよ、荻川有希」
「……は?」

 思考停止。

 荻川有希? 昨日、私に告白してきたあの男の子? うん、大丈夫。名前は覚えてるし顔も覚えてる。だけど目の前にいるの子は私の記憶とは違って、長くフワフワのウェーブがかかった綺麗な髪。フリルが多くて少し主張が激しいと評判な我が校の女子制服を見事に着こなしている女の子。

「これで、さ。その……安藤、俺のこと好きになってくれるかな……」

 荻川(?)くんは照れ臭そうに頰を指で掻いている。

「あー、ごめん。あれ? あなたは荻川くんなの? でも、私の知ってる荻川くんは男の子だったはずなんだけど。もしかして変なクスリを黒ずくめの男に飲まされたとか?」
「クスリ? 飲んでないけど。ほら、昨日安藤言ったじゃないか『荻川くんが女の子だったら好きになってたかもしれない』って。それから俺、ずっと考えて、ようやく答えを見つけたんだ!」
「その答えがこれ、と。そういうわけだ」

 話を聞いていた薫が呆れ果てたような顔で私達。主に私を見てそう呟いた。

「ああ! どうだ安藤! 俺女の子じゃないか!? 制服も姉ちゃんに土下座して必死の思いで借りた! それ以来ずっとゴミを見るような目で見られているが安藤の為ならそれくらいどうってことはない! ウィッグだって、駅前の専門店までいって一番高いやつ買ってきたんだぜ! もう今月のバイト代全部消えたけど安藤の為ならそれくらいどうってことはない! 化粧だって——」
「荻川! もういい! もういいんだ荻川! それ以上はお前の築き上げてきたものが壊れてしまう! いやもう手遅れかもしれんが!」
「明日原、止めないでくれ。俺は本気なんだ。これが俺の選んだ道、望んだ未来なんだ」
「荻、川……」
「ありがとう、明日原。心配してくれて。だけど、大丈夫だ。俺に未練はない、過去は振り返らない。後は前を向いて突き進むだけだ、例えどんな障害が待ち受けていようと、俺が好きな安藤のために……!」
「馬鹿、ヤロウ……」

 涙を浮かべ噛み締めるように声を漏らす薫を、悟りを開いたような真っ直ぐな眼差しで見つめる荻川くん。なにこれ。

「タマぁ!」
「ぴゃいっ!?」

 薫のいつものハスキーな声からは想像もできない大きな怒号が私の耳元で轟き渡る。

「お前、こんな……こんな荻川を見て何も思わないのか!」
「ええっ!? 薫どうしちゃったの!?」
「安藤、こいつはな……思い人の為なら、愛する女の為ならばと己の沽券を全てかなぐり捨てて何もかもを捧げたんだ。そんな、そんな荻川を見て……お前は!」
「明日原」

 荻川くんが薫の肩に手を乗せて首を振る。

「なぁ、安藤。こんな俺だけど……好きになってくれるか?」

 射抜くような視線。迷いは捨て、妥協も無し。どんな運命だろうと受け止めると。荻川くんからはそんな迫力さえ感じられる。

「えぇっと……」

 何と返すのが正解なのか。私は口を噤みつつ、荻川くんの事を足先から頭までじっくりと見た。

「ちょっと……甘い、かな」

 荻川くんは私の言葉に首をかしげる。

「まずムダ毛処理が甘い。多分剃刀か何かで剃ったんだとは思うけど、それじゃあ毛穴が丸見えだしやるなら脱毛にしないと」

 スカートから生えた荻川くんの足を見て指摘する。

「あとは立ち振る舞い。女の子はそんな歩き方しないし肘ももう少し締めた方がいいよ。外見だけ女の子になってもダメだよ、荻川くん。荻川くんは……心が女の子になりきれていない!」

 ビシィッ! と指を荻川くんに突きつける。電撃に撃たれたように荻川くんは体を震わせた後、一歩後退る。そして項垂れ、拳を握りしめて歯を食いしばっていた。とても、悔しそうに、哀しそうに。
 少し言いすぎたのかもしれない。今のは正直に言うのではなく、社交辞令的なお世辞を述べてこの場をやり過ごすのが懸命だったかも。私がそんなことを考えてると荻川くんは。

「……分かってたんだ。男が女になるなんて一朝一夕じゃ絶対に無理なんだって」

 それでも荻川くんはクシャクシャの顔を上げて、そのまま天井を見つめ呟くように小さな声を漏らした。

「だけど、俺はこの姿を安藤に見て欲しかった。例え上部だけの義務的な感想を貰ったとしても、安藤に見て欲しかったんだ。でも、安藤はそれをせず、ありのままの気持ちを俺に伝えてくれた。それはさ、本当に俺を見てくれてたってことだよな。適当に流すでもなく、お世辞を言う訳でもなく。素直な感想を俺に言ってくれた。俺はそれが、すげぇ……嬉しくて」

 荻川くんの目からは熱い涙が溢れて、地面に落ちていく。肩を震わせ、ありとあらゆる感情を必死に堪えているのがわかる。

「はは、ごめんな……こんな姿見せて。俺、出直してくるよ。いつか安藤に女と認めてもらえるように」

 それだけいうと荻川くんは真っ赤な目を擦り、袖で鼻を拭う。

「じゃあな、安藤。俺立派な女になるよ」
「え、あ、うん……頑張って」

 ただ一言。それでも私なりに頑張って捻り出した言葉だ。だって、こんな真剣に私を思ってくれている変わり果てた姿の荻川くんに、なんて声をかけたらいいか分かるはずもないのだから。

「明日原も、見ててくれよな。俺の生き様を」

 去り際、荻川くんは薫にそう声をかける。すると薫は。

「……」

 何も言わずに、拳を突き出していた。荻川くんはそれに応えるように拳を突き出し、そして重ねた。まるでもう言葉はいらないとそんな風に。
 荻川くんが教室を後にして、訪れる静寂。何が起きたのか、はたまた今までのは全部ジョークなのか。頭の整理をしているのは私だけではなくクラスメイトも同様のようだ。

「おい荻川ァ! なんだその格好は!」
「げぇ! 武内先生!違うんですこれは!」
「ええい黙れ! 話は教務室でみっちり聞かせてもらうからな!」
「そ、そんなぁ~!」

 まもなくしてそんな会話が廊下から聞こえてきたのは、言うまでもない。
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