神様が死んだ日

おつきさま。

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神様が死んだ日

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「目の前に自分の求めていたものが現れた時、人はどうなると思う?」
「知りませんよ」
「俺はな、自分がもっと正常に機能しなくなると思っていたんだ。でも人間は案外取り繕えるものらしい。自分でも驚くほど俺は冷静に振る舞えていた。いつも通り威厳のある生徒会長の振りをしつつも、内心は狂喜乱舞の大発狂萌え祭りフィーバーだった…」

この人の頭は大丈夫なのだろうか、と隣で憐れむおれの視線にも気付かず、大事件の捜査会議かというような真剣さで顎の下で手を組み語っていた飛鳥先輩が勢い良くベンチから立ち上がった。

「そう、何故なら!!」

演説ばりに声を張るのでその叫びは小さな裏庭によく響いた。

「リアル深鈴くん、もとい相楽の特大ギャップを目の当たりにしたからだ…!ありがとう清春、おめでとう清春」
「うん、とりあえず拝むのやめてもらっていいですか」

おれの眼前で合わせられた手をぺしりとはたき落としてこれ以上ないってくらいに冷めた目で見つめてやると、飛鳥先輩は心外そうな顔をしてみせた。

「逆に清春、お前はなんでそんな冷静なんだよ。大好きな相楽がお前をお姫様抱っこして保健室まで運んだんだぞ?いいか、お姫様抱っこだ。もっと喜べよ」
「はあ?そんなの…」

ぐ、と握りしめた手に力が入る。
おれが冷静だって?んなバカな。

「そんなの、死ぬほど嬉しいに決まってんでしょうが…!!」

今度はおれの声が校舎の壁に反響した。
住宅街なら間違いなく近所迷惑になるところだ。

「明が、あの明がおれをお姫様抱っこって…!夢じゃんそんなの!それが!現実!?無理なんですけどぉおお~~っ!!飛鳥先輩、おれ絶対今日死ぬよね一生分の幸運昨日使い果たしてるよね。ここがおれの人生のハイライト。でもいいや、だっておれ今最高に幸せだから!」

だばだばと感動の涙を流すおれに飛鳥先輩がスッとハンカチを差し出してくれる。
それをありがたく受け取って遠慮なく目元の水をぐしぐしと拭う。
今朝目を覚まして羽宮に事の経緯を聞いてから、おれの意識はずっと空の上へと舞い上がったまま一向に戻って来ない。昼の弁当を人質に、羽宮におれをお姫様抱っこして保健室に運ぶ明の再現を五回はやらせた。気を失ってなかったら発生してないイベントだけど、なにを呑気に気絶なんかしてやがると過去の自分にキレたくなる。人生で一番大切なイベントと言っても過言じゃないのに!

「想像以上の不仲さに俺も無理かもなと少し諦めかけたが、ここに来て希望が見えてきたな。心底お前の事を嫌っていれば、俺か羽宮に預けてさっさと帰るだろうし。このままいけば仲直りも夢じゃないだろ」
「…うーん、どうですかね。明って、根は優しいから。実際放っておけなかっただけだとは思うんですけど」
「なんだ急に弱気だな」

そりゃ、まあ。
明がおれを運んでくれた事実を喜ぶのと、昔みたいに戻れるかもって期待するのはまた別の話である。

『なんでそんなこと思うんだろうな。
お前はきよじゃないのに』

おれの心にぶっ刺さったままの言葉。
明にとってどうやらおれは幼なじみのきよではないらしい。あの頃のおれはあの頃のまま、明の思い出の中でしか生きていないのだろう。
だとしたら、そこには許しなんてない。
いやそもそも自分が許されるだなんて思ってはないんだけど。

「期待した分だけ後で痛い目を見るのは自分なんで」
「清春……お前ってそんな現実見るタイプだっけ」
「飛鳥先輩よりも明のことを知ってるってだけです」
「なんだマウントか?」
「バレました?ところで、明日のお昼明にお弁当作って持って行こうかなって思うんですけど、どう思います?昨日のお礼に」

期待なんてしないとは言いつつ。最近ほんの少し緩んできたおれへの対応に、「もしかしたら」なんて淡い気持ちが芽生えてしまうのも嘘じゃない。
不可抗力的場面が多いけど、ガン無視がデフォの明が罵倒混じりだとしてもおれと会話をして、目を合わせてくれる。なんて奇跡。
もう少しって欲張ってみたら、どこまで許されるのか知りたかった。

「おお、珍しく積極的だな。持ってけ持ってけ」
「せっかく明にお弁当を渡す大義名分を得たので!今度こそ捨てられるかもしれないけど、渡すだけ渡してみようかなあって」
「次はお弁当作戦ってことか。じゃあ明日の昼は久しぶりに一緒に食えるな」
「あれー?もしかして飛鳥先輩、おれと一緒に食べるのうれしいんですかー?」
「もちろん。お前は俺のかわいい後輩でもあり大切な友人でもあるからな」
「うぐっ」

ふざけて聞いたらとんでもないストレートが飛んできた。この人たらしめ。

「ほんとそういうとこですよ!」
「なに怒ってんだよ。あ、それはそれとして。お前を閉じ込めた犯人は今捜索中だから、もう少し待ってくれ」
「え、わざわざ探してくれてるんですか!?」
「当たり前だろう。学園の秩序を守るのは生徒会の役目だ。なにより、俺のかわいい後輩に手を出したんだ。きちんと礼はしてやらないと」

にこりと笑うその顔は今日も変わらず綺麗で、やけに恐ろしかった。
おれが思うより何倍も、飛鳥先輩はおれのことを大切にしてくれているらしい。
その事実に胸の奥がくすぐったくなる。

「頼りにしてますね、先輩」





「え、朝から揚げ物?」
「おはよ、うん唐揚げ。明の好きな食べ物ランキング堂々第一位!」
「ラッキー、おこぼれいただきまーす」
「あ、おい!つまみ食いすんな」
「んま」

視界の端で派手な金色が揺れる。
ぽすりとおれの左肩に顎を乗せてきて、もういっこと抜かした羽宮はまたしても揚げたての唐揚げを奪い去って行った。いつものことである。羽宮楓という男は、とにかくおれが料理をするそばから我慢できずにつまみ食いをしていく大変お行儀の悪い子なのだった。

「明の為に作ってるんですけど?」
「オレの弁当にもなるじゃん」
「そうだけどさ」
「てかなに、そんな仲良くなれたん?これ捨てられて終わりじゃないの」
「楓ちゃん!君にはデリカシーとか思いやりとかそういう大切なものが一切ないね?!」
「うん、清春だけ特別だよ」
「うれっしくねえ~~!!」

こいつの弁当だけ唐揚げじゃなくてサラダ詰め込んでやろうかな。何を隠そう羽宮は野菜が嫌いだった。

「いいか羽宮、お前の命はおれの掌の上だ」
「あいたたた、遅れてやってきた中二病痛すぎる」
「ちげーわ!」

もうダメだ。まじでこいつとは会話にならん。
時間もないし早く弁当を仕上げなければ。

「ってことでお前邪魔」
「あだっ」

肩に乗る頭を叩き落として弁当箱に唐揚げを詰めていく。羽宮なんかに構ってる暇はない。

「早く着替えて来いよ、お前いつもヘアセット長いんだから」
「ういー。…あ、そうだ瀬尾」
「なに」
「今日の髪型、なにがいい?」

洗面所に向かったはずの羽宮がひょっこりと顔を覗かせてそう言った。なんでか知らないけど羽宮はたまにこうやっておれにリクエストを求めてくる。多分自分で考えるのがめんどくさいんだろうな日替わりなんてやめればいいのにと思いながら、適当に思いついた髪型を口にした。




「…っ、く、だめだしぬ、むり…ぶふっ」
「おいお前いつまで笑ってんの、殺すよ」
「だっておまえ、それ、」
「瀬尾が言ったんだろ。ツインテールって」
「言った、けど…ぶはっ」

そう、今おれの前に立っている羽宮の本日の髪型
はツインテール。何を隠そうおれのリクエストだった。まじで適当に答えたのにまさかほんとにやるなんて。あ、ダメだ笑いすぎて腹筋つりそう。
頭の上で二つに結ばれた髪の毛は長さが足りないのか普通の女の子のそれと比べてやけにピョコンと元気に跳ねている。羽宮が動くたびにそれが一緒にピョコピョコ跳ねるのだから死ぬしかない。

「なんか似合ってるしまじでむり…っ、」
「かわいいだろ、自分が怖いわ」
「うんっ、かわ、かわぃいっ…っひぃ」

おれもお前が怖いわ、と言いたくてももう何も喋れない、息できない。

「っはー、まじでおれしんじゃう」
「死んどけ。バカは置いてこーっと」
「待って待って、ごめんって楓ちゃん」

玄関へと向かう羽宮を追いかけようとして、相変わらずピョコピョコと跳ねるその後ろ姿のかわいさにおれは死んだ。










一時間目から体育とかいう最悪の時間割を終えて教室に戻る途中、ふと視界の端に入った人物におれは足を止めた。

「どしたん」
「いや、ちょっと。ごめん羽宮、先行ってて」
「りー」

教室とは別方向だけど仕方ない。
意外と早足で歩いて行く背中を急いで追いかけて呼び止める。

「佐久間くん!」
「え?」

あれ、キヨくんだ。って振り向いた先のおれを見て不思議そうな顔をした後に佐久間くんが笑った。
相変わらず天使みたいな笑顔だ。
あまりに綺麗に笑うから、もしかしておれのこと好きなのかなってキモい勘違いをしてしまいそうだった。きっと佐久間くんは普通に笑っただけなのに、それがあまりに特別で、まるで自分が彼にとっての特別なのかと思えてしまうような。
顔が良すぎるって大変だ。こんなのストーカー量産スマイルだろ、と現在進行形で明のストーカーであるおれは思った。

「それ、半分持つよ」

佐久間くんの両腕に積まれた何十冊もの分厚い地図帳、多分クラス全員分とか。授業で使ったものを片しに行くところなんだろう。あまりに多いからつい追いかけてきただけで、おれは決して佐久間くんのストーカーじゃない。
言葉の通り半分貰い受けようと手を伸ばしたら、ひょいとそれを避けられてしまった。

「え、なんで」
「いいよ、持てるから」
「前見えづらそうだし危ないよ重いでしょ」
「別に重くないから、大丈夫」
「でも持つよ、この量二人で分けた方がいいから」
「…なに?俺が一人で持てないとでも思ってる?」

なにが悪かったのかわからないけど、基本人当たりがいいはずの佐久間くんがとても鋭い声を出した。不快そうにおれを見る顔にはさっきまでの天使の面影はない。うーん、と少し戸惑いながら正直に答える。

「全然。だって佐久間くん余裕そうだし、すごいねめっちゃ力あるじゃん。普段筋トレとかしてんの?」
「…へ、」

佐久間くんは線が細い、そしてどちらかといえば女顔である。だからパッと見か弱そうに見えたりするんだけど、よく見たら肩とか腕とかしっかりしてるし、今だってこの大量の地図帳を持ちながら全く腕を震わせることなく平然とおれと会話している。
佐久間くんて意外と細マッチョなんだな。

「でも、佐久間くんが力持ちなのと、見るからに重いもの持ってる人を見過ごすのは全然別の話だから。なんか後味悪いっていうか。あの時おれ無視しちゃったなあって後から気にしたくないし。佐久間くんの為じゃなくて、おれの為なの!」

だから半分ちょうだい。

伸ばした手を今度は避けられなかったので、積まれた地図帳を半分もらう。

「おっっっも…!」

途端にずしり、と腰にまでくるような重量感に思わず悲鳴が漏れた。え、まじで言ってる??

「ちょ、佐久間くんなんでこれ持てんのやば」
「え、全然よゆー。なんなら片手でもいけそう」
「あはっ、まじかよ、佐久間くんめっちゃかっけえじゃん!」

あまりの男前発言に笑いをこぼすと、佐久間くんがきょとりと目を瞬いて、それから。

「ぶっ、あはははっ!ごめんね俺、勘違いして嫌な態度取っちゃった。助かるよありがとう、資料室までお願いしていい?」

目尻に涙を溜めて豪快に笑った後に、重いから早く行こっかと言って佐久間くんが歩き出す。
佐久間くんはさっきも言ってた通り重さなんて全く感じていないらしいので、その発言はきっとぷるぷると小刻みに震えるおれの腕を気遣ってくれたのだろう。おかしいな、おれは手伝いに来たはずなのに。まるで役に立てていない。

「キヨくんてさ、面白いね」
「え、なにが?」
「全部。あーあ、やられた。もっと違う場面で、何も知らずに出会ってたら、俺キヨくんに惚れちゃってたなあ」
「うえ!?な、なに急に。ていうか、その、佐久間くんには明がいるでしょ」

二人は付き合ってるんじゃないかって、そんな噂は明と一緒に歩いている姿を見たら真実なのかもしれないって思ったから。ここで肯定されたら、うんって頷かれたら、おれは死んじゃうくせに、答えを知りたくてそんな試すような聞き方をしてしまった。

「…そう見える?」

だけど佐久間くんは、うんとも違うとも言わずにただ意味ありげに笑ってみせた。まるでおれの方が佐久間くんに試されてるみたいに、反応を伺われてるような気がする。わかんないって返したおれにそっかって言って終わり。
なんかおれ、聞いちゃいけないことでも聞いた、のか?





「ゔあー、やっと着いた!」
「ありがとう、重かったでしょ。腕大丈夫そう?めっちゃ震えてるけど」
「全然よゆー!っておれも佐久間くんみたいに言いたいけど全然むり」

ようやく辿り着いた資料室の机に地図帳を置くと、重みから解放された腕がじんわりと痛んだ。
隣にいる佐久間くんはこんなに涼しい顔をしてるのに、おれも筋トレとかした方がいいかも。
なんて項垂れるおれを見て佐久間くんがふっと微笑んだ。ただそれだけでこんなにも美しいものかと、意識の端で思う。

「キヨくんって優しいよね、それにすごく普通」
「なにその急な悪口!」
「褒めてるよ、相楽の気持ちがわかった」
「え?」
「ねえ、キヨくんは相楽のことが好きなの?」
「っ、なに言って、そんなわけないじゃん」

思いがけない問いかけに一瞬言葉が詰まったけど、ちゃんと否定できた。はずだった。

「馬鹿だなぁ。明がいるでしょ、って自分で言ってきたくせに、自分で傷ついたような顔すんだもん。わかるよ」
「ちが、」
「いいこと教えてあげる、さっきの答え。俺と相楽は付き合ってない」

見透かすような瞳が嫌で、いつのまにか俯いていた顔をついあげてしまった。
だから、薄い茶色の瞳とまともに目が合っちゃって、

「でもあいつには、特別な人ならいる」

続いた言葉に受けた衝撃も、おれの気持ちも、今度こそ誤魔化しようがないくらい佐久間くんにはバレているだろう。

「それが誰かは教えてあげないけど。あいつの気持ちを俺が勝手に言うのは良くないから。でもきっとそのうちわかるよ」

だから、ごめんね。そんな顔しないで。

って、殊更にやさしい声でそう言って、相楽くんの細くて綺麗な指先がおれの目元にやわく触れた。
「泣かないでよ」ってまだ落ちてない涙を拭われて、なんとなく目の前の相楽くんの瞳を見つめたら、がらり、と唐突に扉の開く音がした。

「…なに、してんの」

聞こえた声に驚いたのと、佐久間くんが「相楽」
って呼んだのは多分同時だった。
扉を背に立っているおれからは明の姿までは見えない。いつもなら一も二もなく振り向いて、追いかけて、その瞳におれを映してもらうことに必死になるのに。なんでか今は明の方を見れなかった。

「おい佐久間、てめえ俺のも持ってけよ。なに置いて行ってんだよ」
「お前が寝てるのが悪いんじゃん。なんで俺がわざわざお前の分まで回収しに行ってやらないといけないの」
「は?仕事しろよ」
「してるだろこうして。持って行ってほしいならちゃんと教卓に置けばいい」
「うざ」

近づいてくる足音に変に緊張する。
明に会いたくなかった。気安さを感じる佐久間くんとの会話を聞いていたくなかった。
どうしてこんなに、苦しいんだろう。

「てか、なんでお前がこいつといんの」
「キヨくんが半分持ってくれたんだよ」
「へー、あっそ」

自分から聞いたくせに全く興味のない返事をして、机に積まれた地図帳の上に自分のものを置いた明がこっちを振り向いた。

「てかさ、」

ぐ、と眉間に皺が寄せられて、あのいつもの目に睨み付けられる。

「ーー離れろよ」

ゴミを見るような冷めた瞳。
すっかり慣れたはずのそれがやけに痛く思えたのは、おれの目の前で明が佐久間くんの腕を引いたから。


そのまま強引に扉の方に向かっていくものだから、佐久間くんが慌てたように「ちょ、おい相楽!ごめんキヨくん!ありがとうね!」と言い残していく。それに軽く手を振って応えながら、おれはさっき佐久間くんが言った「そのうちわかるよ」という言葉を思い出していた。
そのうちなんていらなかったのに、こんなにすぐにわかってしまった。

ねえ明、そんなに佐久間くんがおれといるのが、おれに触れたのが許せなかった?

独占欲の滲む行動を見せつけられて、そうさせた想いを悟ってしまって、心臓がぎゅうぎゅうと痛む。
いつかおれはあっち側にいたはずで、告白なんてものともせずにさっさと振っておれとの下校の方がよっぽど大切であるかのように笑う幼なじみに恋をしたのに。
そうか、おれはもうこっち側の人間になったのか。
相手にもされないで、好きで好きでしょうがない想いを持て余したまま虚しく置き去られる。別の誰かに向かうその背中を目の前で見せられて、おれはあの時明が振った名前も知らない同級生の気持ちが今さらわかったような気がした。


特別な、人。
ああなんて、ずるくて、羨ましくて、届かない響き。


なにがしたいの、と前に明に聞かれた時。
どうせ全部叶わないから、期待なんてしないし明になにをどうして欲しいなんて何もない。
ただおれが、明を諦められないだけってそう思ってた。
蓋を開けてみたらこのザマだ。
おれが本当に望んでいたこと、明を諦められない理由なんて多分最初から一つしかなかった。

「っ、…」

ぱたり、と今度はもう拭ってくれる指はないから涙は簡単に落ちてしまった。
望みなんて、欲しいものなんて一つしかないのに、その一つが一番叶わない。




予鈴のチャイムが鳴る。
早く教室に戻らないといけない。
あと三つ授業を頑張れば昼休みで、今日は明の為に唐揚げのお弁当を作ったんだから。
それを渡して、この間はありがとうってちゃんと言って。
受け取ってもらえなくても、捨てられても、そんなのわかってたことだからそれでもいいって。


思えなかったら、おれはどうしたらいいんだろう。










「よ、よし。じゃあ行ってくる!」
「ぶはっ、緊張しててウケる」
「ウケんな!羽宮のバーカ!!」
「声でか」

昼休み。
巾着袋に入れたお弁当箱を二つ持って、一旦深呼吸してから決意を固める。
本当は逃げそうになったけど、せっかく作ったし、なんとなくこのままじゃいけないような気もした。

「あ、瀬尾」
「なんだよ」
「捨てられそうになったら持って帰って来いよ。オレが代わりに食べてやるから」
「羽宮……いいこと言うじゃん、ツインテールのくせに。ぶふっ!」
「よーし、今すぐゴミ箱ぶち込んでやるからかせ」
「うそうそごめん!そうする!いってきまーす!」

なんだかんだ優しい羽宮の言葉にちょっと心が軽くなった。だからもしダメだったとしても、捨てられても、きっとおれは大丈夫。






談話室に入ると珍しく明の方が先に来ていた。
いつもの席に座って、その隣にはいつも通り佐久間くんがいてにこにこと手を振ってくるのでおれも同じように振り返す。

「ああ、やばい。緊張して吐きそう。飛鳥先輩どうしよう、いつ渡そう」
「今行け、早くしないと学食注文されるぞ」
「確かに…!」

いやでもまだ心の準備が、と葛藤していたら「そういえば」と隣の飛鳥先輩が呟いた。

「お前を閉じ込めた犯人見つけたから」
「え、マジすか。はや」
「学園の至る所にある防犯カメラを駆使してな。ちょうどこの後」

と何かを言いかけたところで背後のドアが開いて、誰かが入ってくる気配がした。
千代田先輩かなと思いながら振り返ると、見たことのない屈強な男が入ってきて、「連れてきました」と飛鳥先輩に向かって一礼する。そのままこっちには来ないでドアの横に立つ男を不思議に思っていると、男の後に続いてもう一人部屋に入ってくる人物がいた。


艶を放つ黒髪と、少女のような顔立ちに華奢な体。
先に入ってきた男とはあまりにも対照的なその姿に息を呑む。
いつでもうっすらと微笑みを浮かべる顔は、おれを目にした瞬間わかりやすく綻んだ。


「あ、瀬尾くん」
「…っ、たか、みね」


なんで、どうして、お前がここにいるんだ。


高峯伊月。
そこにいたのは、中学の時におれを脅して明に近付こうとしたクラスメイトだった。
おれから明を奪った男。




「知り合いか?清春」
「っあ、えと、はい」

肩に置かれた手にハッとする。

「こいつがお前のことを倉庫に閉じ込めた犯人だ。直接謝罪させようと思って連れてきた」

高峯が。
だからあの時、おれを閉じ込めた奴の声に聞き覚えがあるような気がしたのか。
でも、なんで今さら。

「相楽も無関係じゃない、こっちに来るか?」

飛鳥先輩の言葉に恐る恐る明の方を見ると、おれと同じように驚いた顔で高峯のことを見ていた。
明は興味のないことはすぐに忘れるけど、さすがに覚えてるらしい。

「久しぶり、相楽くん」
「お前、」

にっこりと笑いながらまるで友達のように気安く話しかける高峯が恐ろしかった。

「簡単に口を開くな高峯。お前が今日ここで口を開いていいのは謝罪を口にする時だけだ」
「西園寺会長。…確かにそうですね。僕は瀬尾くんに謝らなければいけないです」

なんでだろう、ものすごく嫌な予感がした。

「ごめんね瀬尾くん、僕失敗しちゃって」
「なに、を」
「相楽くんと仲良くなれるように一緒に考えたのに、これじゃあダメだよね。でも僕、瀬尾くんのこと応援してあげたくて精一杯やったんだよ。だって瀬尾くん、相楽くんのこと」
「っやめろ…!!」

気付いたら叫んでいた。
だってそれだけはバレるわけにいかなかった。
それだけを知られないために、おれはあの時お前の言うことを聞いて、今もまだ明の誤解を解かずにいるのだから。
でも間違えたってすぐに気付いた。
これじゃあ、高峯の言ってることが本当で、都合の悪いことを言わせないように遮ったみたいだ。

「あ、ちが、違う…おれは、」

違うよ、明。ほんとうに、おれは。
言いたいことがぐちゃぐちゃで喉の奥に絡まってうまく言葉が出てこない。
立ち上がった明がなにも言わずにおれの方に歩いてくる。
そうして酷く冷めた瞳と目があった瞬間、弁解の余地もなくぶん殴られた。

「清春っ!」

大袈裟でもなく体はふっ飛ばされて、おれの手を離れた弁当箱も一緒にガシャンと床に落ちた。
ああ最悪、色々考えて綺麗に詰めたのに。

「…お前、まじでいい加減にしろよ。また俺を騙したわけ?」

倒れ込んだ上から胸ぐらを強く掴むまれて首が締まる。
ほらやっぱり、勘違いされてる。

「っ、ちがう、めい、おれ何も知らないっ」
「何が違うんだよ、お前の言葉なんかもう信じねーよ。ははっ、今度はいくら?最近やけに俺の周りウロついてるなって思ってたけど、そういうことだったんだ」
「違うって!聞いてよ、めい」
「っ、ふざけんなよ…!!何回人を馬鹿にしたら気が済むんだよ!早く消えろって言ったよな?俺はもう、お前の顔なんて見たくねえんだよっ!!」

明が叫ぶ。
その声がとても苦しそうで、おれは。

「…っなにがしたいんだよ、お前」
「おれ、は、」

ずっと、諦められなくて。
うざがられて、嫌われて、痛い目にあっても、それでも追いかけて。
全部自己満足で、願ったってなにも叶わないし、もう戻れないってわかってた。
でもさ、ほんとうはおれ、


「めいの、特別になりたい…っ、」


ただそれだけって言うにはあまりに贅沢で、望みのない願いだった。





「は、あ?」

胸ぐらを掴まれていた手から力が抜けて、途端に呼吸が楽になる。
入り込む酸素に咳き込むおれを余所に、驚いたように目を見張る明が次の瞬間ふっと糸が切れたように笑った。

「……特別って、ははっ。まじでありえない、お前」

懐かしささえ覚えるような、やわらかくて苦しげな瞳がおれを見つめる。

「きよは、特別だったよ。今だって。
でももう、きよは死んだから。
もうどこにもいない。お前のせいだよ、全部」

おれは明を傷つけた。
わかってたはずなのに、本当は多分何もわかってなかった。

「きよ。ねえ、」

微かに震えた唇は、笑おうとして上手くいかなかったようだった。おれはただ、それを眺めている。

「俺の気持ちがお前にわかる?世界で一番大切な幼馴染に、裏切られたんだよ。お前が望むなら、お前が欲しがるなら、俺はなんだってあげたのに。なんだってしてやれるのに。金なんていくらでも渡すし、ゲームなんていくつでも買ってやるのに。なのに、お前はあんなゴミに頼って、まんまと俺を売って!裏切ったんだよ!っ、俺を…!!」

ぱた、ぱた。
さっきまでずっと膜を張っていて、ついに耐えきれずに溢れた滴が明のきれいな瞳から落ちて、雨のようにおれの頬へと降ってくる。
ああ明、お前が泣くところなんておれは初めて見た気がするんだ。おれはどれだけ、お前のことを傷つけていたんだろう。
頬を濡らすそれが悲しくて、明の言葉が痛くて痛くてたまらなくて、そんな資格もないのに気付けばおれも明と一緒に泣いていた。

「ごめん、ごめん明、ごめんなさっ、…」
「なんで、お前も泣くんだよ。っ、意味わかんねえ」

だって明を傷つけたから。
明にこの気持ちがバレるくらいなら、一度だけ明を傷つける方がマシだなんて。そんなバカなことを考えた自分が許せなかったから。
一度だけじゃない、おれはこんなにも長い間、明のことを傷つけていたのに。



自分が最低すぎて、死にたくなった。









「おかえりー、早くね?ってなに、めっちゃボロボロだけど」
「…ただいま。ちなみに弁当もぐちゃぐちゃ」

あの後、飛鳥先輩と佐久間くんが仲裁に入ってくれて一旦その場は解散になった。
何も悪くない飛鳥先輩が謝りながら殴られたおれの頬をどうにかしようとしてくれたのを断って、そのまま帰ってきた。なんの贖罪にもならないけど、明がおれのせいで今も苦しんでいるならおれも少しは痛いままでいた方がいいと思った。
一番の元凶である高峯は「二人とも大丈夫?」なんて思いやりに溢れた友達のふりをしていて、相変わらず演技が上手いしおれのことを突き落とすのも上手いなと最早感心した。
まだお昼を食べてないから仕方なく自分の分の弁当は食べることにするけど、明に渡すはずだったもう一つの弁当は帰ったら捨てようと決める。

「え、なにしてんの」
「なにが?相楽に渡せなかったらオレがもらうって言ってたじゃん」
「いや、こんな状態だしこれはいいって」
「だめーもったいないでーす」

なんでもないような顔をした羽宮が巾着袋からもう一つの弁当箱を取り出して食べ始める。

「お前自分の分食ったでしょ」
「うん。大丈夫、オレ食おうと思えばいくらでも食えるから」
「そういう問題じゃなくて」
「なに?お前の弁当美味いからいいじゃん」
「羽宮……おまえいいやつかよぉ」

いつも通りの態度も、さりげない優しさも、弱ったおれには効果抜群で。うっかり刺激された涙腺のせいで世界があっという間に潤み始める。

「なーにを今さら当たり前のことを言ってんのかにゃ?きよちゃんは」
「うゔっ、かにゃってキモイからやめろよお~っ、ずびっ」
「ハイハイ、それ言える元気あんなら大丈夫そーですね。心配して損した」
「全然大丈夫じゃない!もっと心配しろっ!」
「すげーね、それ中々聞かないセリフだけど。ジャイアンなん?」

羽宮とくだらない言い合いをしてたら、自分の心が少し軽くなったのがわかった。
なんだかんだそばにいてくれるこいつの存在に、おれはいつも救われている。








大好きな幼なじみに嫌われても、殴られても、おれの世界が絶望に満ち溢れていたとしても。
やるべきことはやらなければいけない、ので。
放課後おれはいつものように花壇の花に水をあげに来ていた。

「元気になーれ」

花にかけたはずの言葉が自分に帰ってきて突き刺さる。どの口が言ってんだって感じで居た堪れない。
おれの心とは裏腹によく晴れた青空もなんだか憎らしくて、思わず溜め息が出てしまう。

「どうしたの?溜め息なんかついて」

突然聞こえた自分以外の声にビクリと肩が揺れた。
声のした方を向くと、相も変わらず薄い微笑みを浮かべた高峯が真っ直ぐにおれを見つめていた。

「…来ると思ってた」
「あ、そうなんだ」
「あんなことしたからにはまた何か目的があって近付いてきたんだろ。今度はなんの用?って言っても、おれはもうお前の言うことなんかきかないけど」
「ふーん。じゃあ相楽くんに言ってもいいの?君が相楽くんのこと好きだって」

本当に、おれはバカだ。
あの時おれは選択を間違えたのだ。
二年前、同じことを言われたあの日。
明に気持ちがバレることなんて恐れずに、嫌われることなんて気にせずに、首を横に振ればよかった。
明のことが本当に大切ならおれはそうするべきだったのに。くだらない自己保身に走って、明のことを傷つけた。

「言えば?今さらなにを言ったって変わらないし。好きにすればいいよ」

だからせめて、今度はもう間違えない。
おれはもう、明に後ろめたいことはしない。
強い意志で高峯を見返すと、目の前の微笑みがゆっくりと解けて崩れていく。

「…あーあ、ほんっとウザイ。なんなのお前、今も昔もあの人の周りをウロついて。目障りなんだよね。お前みたいなのがあの人のそばにいて許されると思ってるわけ?格が違うの、釣り合わないの、あの人は神様に選ばれた特別な人なの、神聖で貴いお方なの。お前みたいな何の取り柄もない平凡な奴が近くにいたらあの人の美しさが穢れるんだよ!」
「たか、みね…」
「やっと、引き離せたと思ったのに。失敗なんてダメ。僕があの人を助けて差し上げなきゃいけないのに」
「なに言って…っ、」

ぶつぶつと俯いて口早に何かを呟いていた高峯の目がおれの方に向けられた。
その、どろどろと歪んだ眼差しに思わず息を呑むと、瞬きの間にいつもの微笑みを浮かべ直した高峯が「またね瀬尾くん」とひらりと手を振って去って行った。
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性に関する診察・治療を行う病院。 小学生から高校生まで、性に関する悩みを抱えた様々な青少年に対して、外来での診察・治療及び、入院での治療を行なっています。 ※性的描写あり。 ※患者・医師ともに全員男性です。 ※主人公の患者は中学一年生設定。 ※結末未定。できるだけリクエスト等には対応してい期待と考えているため、ぜひコメントお願いします。

親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール

雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け 《あらすじ》 4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。 そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。 平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。

多分前世から続いているふたりの追いかけっこ

雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け 《あらすじ》 高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。 桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。 蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。

美形な幼馴染のヤンデレ過ぎる執着愛

月夜の晩に
BL
愛が過ぎてヤンデレになった攻めくんの話。 ※ホラーです

俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ

雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。 浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。 攻め:浅宮(16) 高校二年生。ビジュアル最強男。 どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。 受け:三倉(16) 高校二年生。平凡。 自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた

やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。 俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。 独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。 好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け ムーンライトノベルズにも掲載しています。

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