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神様が死んだ日
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「はい、相楽から」
心がぽっきりと折れて以来、毎朝強行突破で挨拶に行くのはやめたものの、やっぱり明に会えないのは精神衛生上よくなかったので廊下の角からこっそり明の登校を見守るのが最近のおれの日課になった。
というわけで今日も廊下の向こうから歩いてくる明を今か今かと待っていたら、ぽすりと頭に軽い感触。見上げたら横にはいつのまにか飛鳥先輩が立っていて、頭に乗せられたのは捨てられているはずの弁当箱だった。入学した時からずっと使ってる愛用の弁当箱だから、もちろんおれはこいつと卒業まで添い遂げるつもりではあった。けど、これはあの日明にって置いて行った時点で中身も見ずにそのままゴミ箱にぶち込まれるんだろうなって覚悟していたはずで。それがまさかおれの手に返ってくるなんて。
「しかもきれいに洗ってある…」
ぱかりと蓋を開けた先の光景に目を瞬いた。
「…これ、食べてくれたと思いますか」
「食わないならそのまま捨てるような奴だろあいつは」
「ははっ、まじでそれ」
共通認識でそれなのやばいだろって感じだけど、おれ以外の人もそういうならそうだってことにしておこう。ポジティブな方が生きるのは楽だ、思い込めば人生はハッピー。安堵のようなくすぐったいような感情が腹の底から込み上げてきて叫び出したい衝動をどうにか喉の奥に押しやった。
お前がおれの作った弁当を食べてくれたかもって、もしそれが真実じゃなかったとしても、そう思うだけで今のおれはこんなに幸せなんだって明に言ってやりたかった。それくらいおれは明のことが好きだ。世界は今日も明を中心に回っている。
羽宮に言ったらいつもの如くドン引きされそうなことを思いながら弁当箱を大切に抱えた時、廊下の向こうがざわめき出した。
見なくてもわかる。
どこにいたって混ざり合えなくて、誰から見ても特別だからこんなにも世界から浮いてしまう。
その他大勢になりたかった明は今日も望まない視線に晒されて不機嫌に顔を歪めていた。
そんな怒んなよって昔は隣で笑えたのに、今はおれもお前の顔が一目見たいだけの群衆の一部だ。
アイドルにガチ恋するファンの子ってこんな気持ちなのかな。たまにこっちに近づいてきてくれるから期待するけど、どんなに手を伸ばしたって客席からじゃステージには届かない。
おれの手も、今の明には届かない。
「よし、本日の明を摂取したのでおれは教室に帰ります!」
「清春、昼は?」
「あー、今日はいいです。また今度」
「今日も、だろ。まあいい、今日水やりの日だろ?裏庭で待ってるから終わったら来い。じゃあまた」
「え!ちょっと先輩、」
まだ返事してないのに。
飛鳥先輩はひらりと優雅に手を振って行ってしまった。あの人たまに俺様なんだよな、おれの意見ガン無視、ゴーイングマイウェイが過ぎる。
*
一日の授業を終えて下駄箱で靴を履き替えてから、花壇のある別棟へと向かう。
基本移動教室でしか使うことのない別棟は放課後になると人も少ない。喧騒は遠ざかって別の世界に迷い込んだように静かだ。それが好きだって言う人もいるだろうし、嫌いな人もいるだろう。ちなみにおれは後者だ。静かすぎると落ち着かない、人の声は適度にあった方がいい。もちろん明は当たり前に静かな空間が好きだ。騒がしいのも他人の存在も全部嫌いだったから。
おれは明とふたりなら沈黙だって心地よかったけど。
「ぶぉわっ…!?」
相も変わらず思考が明に侵されたところで唐突に頭を冷やされた。物理的に。これでも毎朝軽くセットはしてる髪型が一瞬でぺたんこのずぶ濡れである。なにこれ雨?おれの上だけ局所的な大雨が降ったのかな、多分きっとそうだなって現実逃避しようとしたところで上からクスクスと笑い声が降ってくる。
「ばあーか!平凡のくせに生徒会の皆様に近づくからこうなるんだよ!身の程を知れよ下民が」
見上げたら2階の窓から顔を出した女顔の美少年と目が合って酷いことを言われた。
「下民って…」
その手に持ってるバケツをひっくり返したわけか。こういう場合って雑巾を絞った後の臭くて汚い水をかけられることが多いけど、幸いおれに降ってきたのは至って普通の綺麗な水だった。まあそうか、金持ち学園の生徒は自分たちで掃除なんてしないし。
そんなことを考えている間に美少年はやるだけやって満足したのかフンッと鼻を鳴らして気位の高いお姫様のように去って行った。
「強烈だな…」
実はこんな嫌がらせは今に始まったことじゃない。
中学の頃、明の隣にいた頃は大変だった。しょっちゅう物が無くなって靴箱には果し状を入れられて、机の上には菊の花。おれ自身に対する物理的な害がなかったのは明にバレないようにする為だろう。明がおれを大切にしてることはちゃんとわかってるうえで、それでも隣にいる平凡な男が許せないのだ。
まあ地道な嫌がらせだろうと気づいた後の明はとんでもなくブチギレて、おれの代わりにしっかり報復してたけど。どうなったのかなんて怖くて聞けなかった。
明と離れた後は当然のようにそんな嫌がらせもなくなってきてはいたんだけど、それがここ最近学園内の高嶺の花、憧れの君集団の生徒会に近づいてしまったせいで復活してきている。
とはいえ、靴箱に呪いの手紙、机の中にはゴミが詰められてるぐらいでそんなに大したことはない。
水をかけられたのは、意外と人生初だったけど。
今が冬じゃなくてよかったなあ、と我ながら呑気なことを思いながら歩き出そうとした時。
「っ!めい…!?」
視線の先、別棟に続く渡り廊下に明がいた。
なにを考えてるのかわからない冷めた瞳がおれを見つめている。
さっきまでは綺麗な水でよかったとか思ってたくせに、途端にずぶ濡れな自分が恥ずかしくなった。
好きな人の前ではいつだって格好つけていたいに決まってる。
「えと、珍しいな!こんなとこで会うなんて」
ぽたり、ぽたり。
額に張り付いた前髪の先から滴が落ちて頬に当たる。
「あはは、もしかしてさっきの見てた?今時こんなマンガみたいな嫌がらせされるんだな、おれビックリしちゃった」
いや~、はは、は。
明が何も言わないからおれの乾いた愛想笑いだけが虚しく響いていた。なにこれ。ガン無視なのはいつものことだけどなんでまだこっちを見てるんだ。すごい凝視されてる、目逸らしちゃいけないのかなって勝手に圧を感じるくらいには見られてる。
落ち着かなくてぎゅっと握り込んだ手の平に僅かに爪が食い込んだ。
こんなとこでおれに会っちゃって、最悪って思ってる?イラついてる?
不思議と睨みつけられてはいないけど、不快には思われてるだろう。
(それでも、)
うれしい、なんて思ってしまうおれはやっぱりどうしようもない。
明の瞳におれが映ってて、なんなら今はおれしか映ってないっていうその奇跡に胸が震えた。
たったそれだけで空も飛べるくらいにしあわせだった。
「めい!弁当箱、ありがとう」
なかったことにしようとしてたはずなのに。
せっかくの機会だし、なんて調子に乗ってついそんなことを言った。
弁当食べてくれたの?おいしかった?ってさすがにそれを聞く勇気はなくて、ただ。ずっとずっと明のために作り続けてきた甘い卵焼きが、少しは報われたのかもって思ったらおれはそれだけでうれしかったから。ありがとうって言いたかった。
おれの言葉に明はほんの少し驚いたように目を見開いた。それから、一瞬なにかに耐えるように顔を歪ませて、結局何も言わないままに歩いて行ってしまった。どうせなら声も聴きたかったな、なんて思いつつ数日ぶりに明に会えて視界にも入れたんだから幸せなことには変わり無い。
だから、
昔の明だったらおれを助けてくれたのに。
なんて、バカなことを考えるのはやめろ。
もう夢の中でしか、明には会えないんだから。
「は!?お前それ、どうした」
ハンカチなんて持ち歩いてるわけもないし、6月下旬の今は特に寒いってこともなかったからびしょ濡れのまま「お揃いだね~」なんて花壇の花に水をあげて飛鳥先輩の元まで向かったところ、第一声がこれである。
「あはは、なんか局所的な雨に降られて…?でも大丈夫です、寒くないし」
「お前……その笑って誤魔化そうとするのやめろ、ムカつく」
「いてっ」
ため息をついた飛鳥先輩にデコピンをされた。
じんわりと痛む額を手で押さえると、飛鳥先輩はおれを見ながら満足そうな顔をする。え、なに意地悪。
「ほら、痛いならそういう顔をしろ」
「…え?」
「我慢したって痛いものは痛いんだから」
「なに言って、」
我慢なんて、そんなのしてない。痛いのは嫌いだから、痛かったら痛いってちゃんと言う。なのに、どうしてこんな叱られた子どもみたいな気持ちになるんだろう。たぶん、飛鳥先輩がそんな目でおれを見るからだった。
おれのことが心配でしょうがない、みたいな。
そう思い至った瞬間、笑うなって怒られたばかりなのにおれはつい笑ってしまった。
だってうれしくて。
「飛鳥先輩、やさしいね」
明はさっきおれになにも言ってくれなかったのに、飛鳥先輩はおれの為にそんな顔をしてくれるんだ。心配されるのはうれしい、まるで大切にされているみたいで。
へらへら笑うおれを見て「そういう話じゃないだろ」って呆れたように飛鳥先輩がおれの手を引いた。
「とりあえず着替えだ。談話室に行くぞ」
飛鳥先輩は意外と面倒見がいい。
ガシガシと雑な手つきでドライヤーをされながら、手持ち無沙汰なおれはそんなことを思った。
服を着替えて適当にタオルで髪を拭いただけの状態で戻ったら「まだ濡れてるからそこに座れ」と言われて今がある。
「清春、お前まさか風呂上がりもドライヤーしないのか?」
「いやしますよ。たまに」
「毎日するものだろ普通は、風邪引くぞ」
「テレビ見てたらいつのまにか乾いてるんですもん」
「だらしないなお前」
「豪快って言ってください」
胸を張って言うと、馬鹿には付き合えないなと今日何度目かのため息をつかれてしまった。
「はい終わり」
「お~ありがとうございます」
ぽんぽん、と終了の合図なのかなんなのか。おれの頭に軽く触れた後、飛鳥先輩は壁からコンセントを抜いてドライヤーを片し始める。その背中が酷く優しく見えた。実際、先輩はさっきからずっとおれに優しい。
「…明に言われたんです、昔」
思ったことがすぐ口からこぼれ落ちてしまうのは、多分おれの悪い癖だった。
「きよはいつも笑ってるから、そういうところが好きなんだって」
ずっと忘れられない、火傷のようにおれの胸に刻み込まれた言葉。夕暮れに染まる教室で、机に頬杖をついた明が美しく目を細めて笑った。無邪気な子どもが一番の宝物を自慢するかのようなその表情に、おれはあの瞬間息の仕方も忘れるほど惹きつけられていた。
きっと勘違いだし、宝物だなんておこがましいにも程があるけど。
まあ中学の頃の話だ。
「だからおれ、笑うのが癖になっちゃって。全部嫌われても、なにか一つくらい明が好きだって言ってくれたおれでいたかったから」
ずっと笑っていれば、いつかまた、明はおれのことを見てくれるかもしれない。
そんなのはほんの一ミリだ。
あの頃明が好きだって言ってくれたおれを嘘にしたくなかっただけ。明がおれを好きって言ってくれたこと、嘘にしたくなかっただけ。
一人で勝手に決めた、約束のような誓いのような何か。
「でも全然、無理はしてないです。だから大丈夫!」
おれ的とびきりの笑顔でそう言ったのに飛鳥先輩はまたしてもおれの額にデコピンをかました。
「いだあっ!?」
「なんでかお前の大丈夫は大丈夫に聞こえないんだけど」
「ええー?そんなん言われても」
心配性というか理不尽というか。
「…じゃあ、もし痛い時は飛鳥先輩に痛いって言いに行きます!そんでまたいーっぱい優しくしてもらって、甘やかしてもらおうかな」
「図々しいやつだな」
「はあ!?飛鳥先輩が言うから…!」
「嘘だよ。いつでも来い、その方が心配しなくて済む」
そう言って口の端を引き上げてカッコよく笑った飛鳥先輩がいつも通りおれの頭をぐしゃぐしゃにした。
うわ、なにそれ。
「っ、イケメンすぎる!!ずるっっ!!」
「なんだよ、確かに俺はイケメンだけど」
「うぜー!!おれには明がいるんで口説かないでもらっていいですか!?うっかりキュンとしちゃったじゃないですか!」
「なんだ浮気か?」
「ちっげーわ!!おれは初恋を貫くタイプです~!」
「重いもんな、清春」
「一途って言ってください!」
なんかおれ、最後にはいつも飛鳥先輩に振り回されてる気がする。
心がぽっきりと折れて以来、毎朝強行突破で挨拶に行くのはやめたものの、やっぱり明に会えないのは精神衛生上よくなかったので廊下の角からこっそり明の登校を見守るのが最近のおれの日課になった。
というわけで今日も廊下の向こうから歩いてくる明を今か今かと待っていたら、ぽすりと頭に軽い感触。見上げたら横にはいつのまにか飛鳥先輩が立っていて、頭に乗せられたのは捨てられているはずの弁当箱だった。入学した時からずっと使ってる愛用の弁当箱だから、もちろんおれはこいつと卒業まで添い遂げるつもりではあった。けど、これはあの日明にって置いて行った時点で中身も見ずにそのままゴミ箱にぶち込まれるんだろうなって覚悟していたはずで。それがまさかおれの手に返ってくるなんて。
「しかもきれいに洗ってある…」
ぱかりと蓋を開けた先の光景に目を瞬いた。
「…これ、食べてくれたと思いますか」
「食わないならそのまま捨てるような奴だろあいつは」
「ははっ、まじでそれ」
共通認識でそれなのやばいだろって感じだけど、おれ以外の人もそういうならそうだってことにしておこう。ポジティブな方が生きるのは楽だ、思い込めば人生はハッピー。安堵のようなくすぐったいような感情が腹の底から込み上げてきて叫び出したい衝動をどうにか喉の奥に押しやった。
お前がおれの作った弁当を食べてくれたかもって、もしそれが真実じゃなかったとしても、そう思うだけで今のおれはこんなに幸せなんだって明に言ってやりたかった。それくらいおれは明のことが好きだ。世界は今日も明を中心に回っている。
羽宮に言ったらいつもの如くドン引きされそうなことを思いながら弁当箱を大切に抱えた時、廊下の向こうがざわめき出した。
見なくてもわかる。
どこにいたって混ざり合えなくて、誰から見ても特別だからこんなにも世界から浮いてしまう。
その他大勢になりたかった明は今日も望まない視線に晒されて不機嫌に顔を歪めていた。
そんな怒んなよって昔は隣で笑えたのに、今はおれもお前の顔が一目見たいだけの群衆の一部だ。
アイドルにガチ恋するファンの子ってこんな気持ちなのかな。たまにこっちに近づいてきてくれるから期待するけど、どんなに手を伸ばしたって客席からじゃステージには届かない。
おれの手も、今の明には届かない。
「よし、本日の明を摂取したのでおれは教室に帰ります!」
「清春、昼は?」
「あー、今日はいいです。また今度」
「今日も、だろ。まあいい、今日水やりの日だろ?裏庭で待ってるから終わったら来い。じゃあまた」
「え!ちょっと先輩、」
まだ返事してないのに。
飛鳥先輩はひらりと優雅に手を振って行ってしまった。あの人たまに俺様なんだよな、おれの意見ガン無視、ゴーイングマイウェイが過ぎる。
*
一日の授業を終えて下駄箱で靴を履き替えてから、花壇のある別棟へと向かう。
基本移動教室でしか使うことのない別棟は放課後になると人も少ない。喧騒は遠ざかって別の世界に迷い込んだように静かだ。それが好きだって言う人もいるだろうし、嫌いな人もいるだろう。ちなみにおれは後者だ。静かすぎると落ち着かない、人の声は適度にあった方がいい。もちろん明は当たり前に静かな空間が好きだ。騒がしいのも他人の存在も全部嫌いだったから。
おれは明とふたりなら沈黙だって心地よかったけど。
「ぶぉわっ…!?」
相も変わらず思考が明に侵されたところで唐突に頭を冷やされた。物理的に。これでも毎朝軽くセットはしてる髪型が一瞬でぺたんこのずぶ濡れである。なにこれ雨?おれの上だけ局所的な大雨が降ったのかな、多分きっとそうだなって現実逃避しようとしたところで上からクスクスと笑い声が降ってくる。
「ばあーか!平凡のくせに生徒会の皆様に近づくからこうなるんだよ!身の程を知れよ下民が」
見上げたら2階の窓から顔を出した女顔の美少年と目が合って酷いことを言われた。
「下民って…」
その手に持ってるバケツをひっくり返したわけか。こういう場合って雑巾を絞った後の臭くて汚い水をかけられることが多いけど、幸いおれに降ってきたのは至って普通の綺麗な水だった。まあそうか、金持ち学園の生徒は自分たちで掃除なんてしないし。
そんなことを考えている間に美少年はやるだけやって満足したのかフンッと鼻を鳴らして気位の高いお姫様のように去って行った。
「強烈だな…」
実はこんな嫌がらせは今に始まったことじゃない。
中学の頃、明の隣にいた頃は大変だった。しょっちゅう物が無くなって靴箱には果し状を入れられて、机の上には菊の花。おれ自身に対する物理的な害がなかったのは明にバレないようにする為だろう。明がおれを大切にしてることはちゃんとわかってるうえで、それでも隣にいる平凡な男が許せないのだ。
まあ地道な嫌がらせだろうと気づいた後の明はとんでもなくブチギレて、おれの代わりにしっかり報復してたけど。どうなったのかなんて怖くて聞けなかった。
明と離れた後は当然のようにそんな嫌がらせもなくなってきてはいたんだけど、それがここ最近学園内の高嶺の花、憧れの君集団の生徒会に近づいてしまったせいで復活してきている。
とはいえ、靴箱に呪いの手紙、机の中にはゴミが詰められてるぐらいでそんなに大したことはない。
水をかけられたのは、意外と人生初だったけど。
今が冬じゃなくてよかったなあ、と我ながら呑気なことを思いながら歩き出そうとした時。
「っ!めい…!?」
視線の先、別棟に続く渡り廊下に明がいた。
なにを考えてるのかわからない冷めた瞳がおれを見つめている。
さっきまでは綺麗な水でよかったとか思ってたくせに、途端にずぶ濡れな自分が恥ずかしくなった。
好きな人の前ではいつだって格好つけていたいに決まってる。
「えと、珍しいな!こんなとこで会うなんて」
ぽたり、ぽたり。
額に張り付いた前髪の先から滴が落ちて頬に当たる。
「あはは、もしかしてさっきの見てた?今時こんなマンガみたいな嫌がらせされるんだな、おれビックリしちゃった」
いや~、はは、は。
明が何も言わないからおれの乾いた愛想笑いだけが虚しく響いていた。なにこれ。ガン無視なのはいつものことだけどなんでまだこっちを見てるんだ。すごい凝視されてる、目逸らしちゃいけないのかなって勝手に圧を感じるくらいには見られてる。
落ち着かなくてぎゅっと握り込んだ手の平に僅かに爪が食い込んだ。
こんなとこでおれに会っちゃって、最悪って思ってる?イラついてる?
不思議と睨みつけられてはいないけど、不快には思われてるだろう。
(それでも、)
うれしい、なんて思ってしまうおれはやっぱりどうしようもない。
明の瞳におれが映ってて、なんなら今はおれしか映ってないっていうその奇跡に胸が震えた。
たったそれだけで空も飛べるくらいにしあわせだった。
「めい!弁当箱、ありがとう」
なかったことにしようとしてたはずなのに。
せっかくの機会だし、なんて調子に乗ってついそんなことを言った。
弁当食べてくれたの?おいしかった?ってさすがにそれを聞く勇気はなくて、ただ。ずっとずっと明のために作り続けてきた甘い卵焼きが、少しは報われたのかもって思ったらおれはそれだけでうれしかったから。ありがとうって言いたかった。
おれの言葉に明はほんの少し驚いたように目を見開いた。それから、一瞬なにかに耐えるように顔を歪ませて、結局何も言わないままに歩いて行ってしまった。どうせなら声も聴きたかったな、なんて思いつつ数日ぶりに明に会えて視界にも入れたんだから幸せなことには変わり無い。
だから、
昔の明だったらおれを助けてくれたのに。
なんて、バカなことを考えるのはやめろ。
もう夢の中でしか、明には会えないんだから。
「は!?お前それ、どうした」
ハンカチなんて持ち歩いてるわけもないし、6月下旬の今は特に寒いってこともなかったからびしょ濡れのまま「お揃いだね~」なんて花壇の花に水をあげて飛鳥先輩の元まで向かったところ、第一声がこれである。
「あはは、なんか局所的な雨に降られて…?でも大丈夫です、寒くないし」
「お前……その笑って誤魔化そうとするのやめろ、ムカつく」
「いてっ」
ため息をついた飛鳥先輩にデコピンをされた。
じんわりと痛む額を手で押さえると、飛鳥先輩はおれを見ながら満足そうな顔をする。え、なに意地悪。
「ほら、痛いならそういう顔をしろ」
「…え?」
「我慢したって痛いものは痛いんだから」
「なに言って、」
我慢なんて、そんなのしてない。痛いのは嫌いだから、痛かったら痛いってちゃんと言う。なのに、どうしてこんな叱られた子どもみたいな気持ちになるんだろう。たぶん、飛鳥先輩がそんな目でおれを見るからだった。
おれのことが心配でしょうがない、みたいな。
そう思い至った瞬間、笑うなって怒られたばかりなのにおれはつい笑ってしまった。
だってうれしくて。
「飛鳥先輩、やさしいね」
明はさっきおれになにも言ってくれなかったのに、飛鳥先輩はおれの為にそんな顔をしてくれるんだ。心配されるのはうれしい、まるで大切にされているみたいで。
へらへら笑うおれを見て「そういう話じゃないだろ」って呆れたように飛鳥先輩がおれの手を引いた。
「とりあえず着替えだ。談話室に行くぞ」
飛鳥先輩は意外と面倒見がいい。
ガシガシと雑な手つきでドライヤーをされながら、手持ち無沙汰なおれはそんなことを思った。
服を着替えて適当にタオルで髪を拭いただけの状態で戻ったら「まだ濡れてるからそこに座れ」と言われて今がある。
「清春、お前まさか風呂上がりもドライヤーしないのか?」
「いやしますよ。たまに」
「毎日するものだろ普通は、風邪引くぞ」
「テレビ見てたらいつのまにか乾いてるんですもん」
「だらしないなお前」
「豪快って言ってください」
胸を張って言うと、馬鹿には付き合えないなと今日何度目かのため息をつかれてしまった。
「はい終わり」
「お~ありがとうございます」
ぽんぽん、と終了の合図なのかなんなのか。おれの頭に軽く触れた後、飛鳥先輩は壁からコンセントを抜いてドライヤーを片し始める。その背中が酷く優しく見えた。実際、先輩はさっきからずっとおれに優しい。
「…明に言われたんです、昔」
思ったことがすぐ口からこぼれ落ちてしまうのは、多分おれの悪い癖だった。
「きよはいつも笑ってるから、そういうところが好きなんだって」
ずっと忘れられない、火傷のようにおれの胸に刻み込まれた言葉。夕暮れに染まる教室で、机に頬杖をついた明が美しく目を細めて笑った。無邪気な子どもが一番の宝物を自慢するかのようなその表情に、おれはあの瞬間息の仕方も忘れるほど惹きつけられていた。
きっと勘違いだし、宝物だなんておこがましいにも程があるけど。
まあ中学の頃の話だ。
「だからおれ、笑うのが癖になっちゃって。全部嫌われても、なにか一つくらい明が好きだって言ってくれたおれでいたかったから」
ずっと笑っていれば、いつかまた、明はおれのことを見てくれるかもしれない。
そんなのはほんの一ミリだ。
あの頃明が好きだって言ってくれたおれを嘘にしたくなかっただけ。明がおれを好きって言ってくれたこと、嘘にしたくなかっただけ。
一人で勝手に決めた、約束のような誓いのような何か。
「でも全然、無理はしてないです。だから大丈夫!」
おれ的とびきりの笑顔でそう言ったのに飛鳥先輩はまたしてもおれの額にデコピンをかました。
「いだあっ!?」
「なんでかお前の大丈夫は大丈夫に聞こえないんだけど」
「ええー?そんなん言われても」
心配性というか理不尽というか。
「…じゃあ、もし痛い時は飛鳥先輩に痛いって言いに行きます!そんでまたいーっぱい優しくしてもらって、甘やかしてもらおうかな」
「図々しいやつだな」
「はあ!?飛鳥先輩が言うから…!」
「嘘だよ。いつでも来い、その方が心配しなくて済む」
そう言って口の端を引き上げてカッコよく笑った飛鳥先輩がいつも通りおれの頭をぐしゃぐしゃにした。
うわ、なにそれ。
「っ、イケメンすぎる!!ずるっっ!!」
「なんだよ、確かに俺はイケメンだけど」
「うぜー!!おれには明がいるんで口説かないでもらっていいですか!?うっかりキュンとしちゃったじゃないですか!」
「なんだ浮気か?」
「ちっげーわ!!おれは初恋を貫くタイプです~!」
「重いもんな、清春」
「一途って言ってください!」
なんかおれ、最後にはいつも飛鳥先輩に振り回されてる気がする。
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