3 / 17
神様が死んだ日
3
しおりを挟む
「せーお、頭大丈夫?」
「大丈夫。てかその聞き方なんか色々語弊生まれるからやめてくんない?」
「語弊ではないからいいんじゃない?」
「よし羽宮、お前今日弁当抜き」
「あーんキヨちゃんごめんってー!僕お弁当ないと死んじゃう」
「おえー」
今朝、飛鳥先輩に保健室まで運んでもらって、ついでに明とのあれこれを話したわけだが。
生粋のオタクである先輩はおれの心配よりも何よりも、過去の優しい優しい明の話を聞いてそのギャップに萌え転がっていた。
「清春、俺はなんとしても相楽のデレを見るという夢ができた。それを見るまで俺は卒業できない。だから絶対に相楽を落とせ」
と、清々しいほどの私利私欲。
俺の中の憧れの会長像がどんどん崩れていくことに悲しくなりながらも、包帯を巻いてくれたことには感謝している。
「羽宮。おれちょっと今日は別のとこで食べてくるからさ、弁当だけ渡すわ」
「え、オレ以外に友達がいないはずのキヨたんが何事???」
「はーっはっはっは!馬鹿め羽宮、おれはもう昨日までのおれじゃない。聞いて驚け、おれはあの生徒会長である西園寺飛鳥先輩と友達になったのである!ということで飛鳥先輩と飯食ってくるから」
「マジ!?お前どんな汚い手使ったんだよ」
「使ってねーわ!おら、弁当これな」
羽宮の机にいつもの弁当箱を置いてやって、自分の分を手に持ったおれは小走りで教室を出た。
曰く、生徒会役員には仕事をする執務室以外にも、役員が好きに使える専用の談話室があるらしい。
人混みが嫌いな明は学食は使わない、前に見に行った時教室にもいなかったし、じゃあ明は毎日どこで食べてるんだろうって実は気になってた。
それを今朝、会長が教えてくれたのだ。
談話室には特別に学食のメニューがデリバリーできるから、生徒会の人間は談話室でお昼を食べることが多い。
そして。
「執務室は役員以外立ち入り禁止になってるんだが、談話室だったら役員の許可があれば一般の生徒の出入りも許されてる。というわけで、清春の入室を俺が許可するから今日の昼は一緒に食べよう。ちなみに相楽は昼は必ず談話室に来る。どうだ?」
最っっっ高です会長!!!!
おれはマジで昨日白玉に導かれるままに会長と出会えた奇跡に感謝した。
生徒会万歳!会長万歳!
朝だけじゃなくてお昼の明まで見られるなんて、今日の星座占いでおれのみずがめ座は一位だったに違いない。
廊下は走っちゃいけません、なんてそんなもん知るかとばかりに生徒会室のある特別棟までおれは走った。だって昼休みなんて一瞬で終わっちゃう。明と過ごせる貴重な時間なんだから、一秒だって無駄にできない。
「飛鳥先輩!お待たせしました!」
渡り廊下を渡った先、特別棟の入り口で飛鳥先輩が待ってくれていた。ここから先の特別棟は各委員会の委員長やそれこそ生徒会役員の持つ専用のカードキーがないと入れないようになっている。
「いや、俺も今来たところだ。行こう」
なんかデートの待ち合わせみたいな会話だな、と思いながら飛鳥先輩の後に続く。
やたらと意匠の凝ったエレベーターに乗り込むと飛鳥先輩は迷いなく最上階の7階を押した。
エレベーターのドアが開かれた瞬間から伸びるふかふかのレッドカーペット。このワンフロア全てが生徒会のエリアらしい。
いくつかある扉のうち、一番手前の扉で立ち止まった飛鳥先輩が「ここが談話室だ」と言ってカードキーをかざす。
ピピっ、とここ数分の間で聞き慣れた電子音が鳴る。
やばい、この扉の向こうに明がいるのか。
緊張してきた。
「ふはっ、大丈夫だから、もっと肩の力抜けよ」
肩に手を回されてワシャリと髪を混ぜられた。
昨日も思ったけど飛鳥先輩は撫で方が雑だ。
扉の先に部屋があるかと思ったらそうではなくて、そこにあったのは高級ホテルのような玄関だった。
圧倒されつつ脱いだ靴を靴箱に入れて、やたらと履き心地のいいスリッパに履き替える。
部屋へと続くもう一枚のドアの先は、なんかもうただひたすらにすごかった。
元々うちの学園はどえらい金持ち学校だから寮も校舎も教室もどこぞの城と間違えるくらい立派な造りをしているわけだけど。
生徒会の談話室は例えるならタワマンの一室。
何回か遊びに行ったことのある明の家に似ている。
天井は首が痛くなるほどの吹き抜け、大理石の床の上には毛足の長いふかふかのカーペットが敷かれていて、ベッドにしても差し支えないぐらいの広々としたソファと何インチだよと突っ込みたくなるほどデカいテレビ。
そしてものすごく料理のしやすそうな広くて綺麗なキッチンまで備え付けられている。
「せ、先輩?これ全然談話室じゃなくない?タワマンじゃない?」
「ああ、確かに似てるかもな。まあ普通だろ」
普通じゃねーよ!!この金持ちめ!
あまりのロイヤル空間にビビりながらつい会長の腕にしがみつく。無理無理、だって今おれが頼れるのこの人しかいないもん。
「飛鳥お疲れー、ってあれ?なになになに、飛鳥が誰か連れてきてる!!」
弾んだ声と一緒にパタパタとスリッパの走る音が聞こえる。音のした方を振り向くと、派手な赤いメガネをかけた柔和なイケメンが不思議そうな顔でこっちを見ていた。
「え、きみ飛鳥の彼氏ー?」
「そうだ。小動物みたいでかわいいだろ」
いや全然違います、とおれが答える前に何故かこのアホ会長は認めやがった。なるほど真顔で嘘をつくタイプか、よくないな。そしておれは平均身長以上ある立派な男子高校生である、小動物感など一ミリもあるはずがない。
「誰が小動物だ!そしてなに息を吐くように嘘ついてくれちゃってるんですか?」
「気分だ」
「意味わかんねえ…!」
「あー、なんかよくわかんないけど彼氏ではないみたいだね?残念。ついに飛鳥にも春が来たかと思ったのに」
「安心しろ満、もうすぐ俺はリアル深鈴くんに会えるから」
「うんそれ全然安心できないんだよな」
ああ、なんか飛鳥先輩ってマジでこうなんだなあって、生徒会の人とのやり取りを見て痛感する。
なんかまだちょっと幻を疑ってた自分がいたけど、どうしようもないくらいこれがリアル。
「冗談はおいといて。満、こいつは清春だ。仲間というかなんというか、まあ昨日から友達になった」
「あ、えと、瀬尾清春です。よろしくお願いします!」
促すように軽く背中を押されて自己紹介をする。別に生徒会に入るわけでもないし何をよろしくするのかはよくわからないけど、とりあえずの挨拶としてぺこりと頭を下げておく。
「なんなんだその捨てられてる犬を拾ってきたみたいなテンションは。まあいいや、俺は千代田 満だよ。一応生徒会副会長、よろしくね」
にこりと笑った顔は朗らかで人当たりの良さが伝わってくる。きっといつもマイペースオタクな飛鳥先輩に振り回されてるんだろうなっていうのがこの数分のやり取りでわかってしまって、勝手に同情した。
「てか大丈夫?包帯、怪我したの?」
「ああ、これはちょっと頭打って腫れてるだけです。包帯ついてると大袈裟に見えちゃいますけど、全然大丈夫です」
「そっかー、お大事にね」
「えへへ、ありがとうございます」
保健室の先生にもこぶができてるだけだから安静にしてれば大丈夫って言われたけど、飛鳥先輩が念のためって包帯を巻いてくれたのだ。ありがたいけど、目立つしやっぱりちょっと恥ずかしい。
ていうかそんなことより!
「ねえ飛鳥先輩、明は?」
そう、明だ。おれの優先順位はいつ如何なる時も明が一番である。だからこんな場違い甚だしい場所にまで来たっていうのに、肝心の明がいない。
見たところこの部屋には千代田先輩しかいないみたいだった。
「ああ、そろそろ来る頃だろ」
なんて、噂をすればガチャリ。
ドアの開く音に振り返ると、見慣れたミルクティーが視界に入った。俯いていた顔が気怠そうにこっちを向いて、あまい紅茶色の瞳と視線がぶつかる。
何回見たって、その色彩に見惚れてしまう。
「…っ、」
めい、って。
いつもなら考えるよりも先に声に出るのに、その名前が喉の奥につっかえて音にならなかった。
美しいその顔が、おれを捉えた瞬間に不快そうに歪められたから。
そんなのはいつものことなんだけど、飛鳥先輩に昔話をしたせいかもしれない。
昔は、おれが名前を呼ぶだけでも嬉しそうに笑う明がいた。その落差を改めて思い知らされただけ。
「あ?なんでゴミがここにいんの」
「あ、朝の!え、包帯巻いてるじゃん大丈夫!?」
明の後ろから部屋に入ってきたのは佐久間くんだった。心配そうにおれの元まで来てくれて、その優しさがなんだか後ろめたかった。
本当に、当たり前のように一緒にいるんだな。おれ以外の誰のことも寄せ付けなかったあの明が。噂に聞くのと実際に見るのとじゃやっぱり違う、並んだ二人の姿が刺さって抜けない。
「っあ、うん、全然大丈夫。包帯がちょっと大袈裟なだけ」
あはは、ってつい愛想笑い。
だっておれ、明の隣にいられる佐久間くんに嫉妬してる。こんなに綺麗で優しい人に、佐久間くんも早く明に見捨てられればいいのに、なんて。
最低すぎて泣きそう、明の言う通りおれはゴミだ。
「相楽。清春は俺の友人としてここに呼んだんだ。口を慎めよ」
「はあ?まじで言ってんの?だったらやめといた方がいいですよ、そいつ平気で人を裏切るクズだし、クソきもいストーカー野郎だから」
「お前にとっての清春と俺にとっての清春は違うから問題ない」
「へえー。てか普通に俺が不快なんですけど、そいつの顔見るだけでイラつく。なにこれ嫌がらせ?」
ひいい、まじで殺されるんじゃないかってくらいの鋭さで明に睨まれている。
でも睨まれてるとはいえ明がおれを見てくれてると思うとうれしい。いつもおれの存在は明の中では抹消されてるから。ダメだ、おれってほんとキモいな。
「ちょ、ちょっと二人とも、なんだよどうした?相楽は一回落ち着けって。違うテーブルで食べればいいだろ?な?瀬尾くんは飛鳥の客だから、とりあえず相楽は変に口出すな」
「…チッ、わかりましたよ。会長、そのゴミ俺に近づけんなよ」
千代田先輩が間に入ってくれたおかげでなんとか落ち着いた。明は最後に忌々しそうにおれを睨みつけた後奥にあるテーブルへと歩いていく。
「あー、君大丈夫?って俺今日そればっか聞いちゃってるね」
そう声をかけてきたのは佐久間くんだった。
「いやいや!ほんと全然、大丈夫だよ」
「…そっか。相楽の幼なじみ、だよね?」
「え、うん。なんで、」
佐久間くんの純粋そうな澄んだ瞳が直視できなくて俯いてたら、突然そう言われた。
驚いてつい顔を上げると、何故だか少し言いにくそうな顔をした佐久間くんがいた。
おれと明の仲が良かったのなんて中二の頃の話だ。高二になった今、それを知ってるやつは多くない。
毎朝挨拶しに行っては明をブチギレさせてるから、〝相楽くんのストーカー〟っていうありがたくない共通認識ならあるけど。そのせいでおれは羽宮以外に友達がいないのである、悲しいほどの自業自得。
「相楽から前にちょっと聞いたことがあって。キヨくん、悪いことは言わないからあいつにはあんま近寄んない方がいいと思うよ。相楽、怖いから」
「…え?」
「とにかくそういうことで!あ、俺は佐久間忍ね。好きに呼んで」
にこり、と最後に綺麗な笑顔を見せた佐久間くんはそう言って明のいるテーブルへと去っていった。
なんだったんだ今の、ていうか、え、キヨくん?おれのこと??
「前途多難だな。清春、こっち」
混乱するおれを他所に飛鳥先輩はおれの腕を引いて近くのソファに座らせた。
「とりあえず食事にしよう。清春は、弁当か?」
「あ、はい。いつも自炊してて」
「そうか、えらいなお前。じゃあ俺は適当に日替わりでも頼むか、満は?」
「じゃあ俺もおんなじの。瀬尾くん俺も一緒にいい?お邪魔するねー」
「あ、こちらこそお邪魔してます!」
テーブルの上に置いてあったタブレットを会長が慣れた手つきで操作する。
へー、それで注文するんだ。って感心しながら眺めてたら会長が先に食べていいぞ、と言ってくれたけどさすがに先輩を差し置いて食べるのは気が引けたので丁重にお断りした。
「てかさっきの相楽やばかったけど、あれなんだったの」
千代田先輩が小声で言う。
明のいる席からおれ達のいる場所まではギリギリ話してる内容が聞こえるか聞こえないかぐらいの距離だ。明がまたブチギレないように気を使ってるんだろう。
「えっと、元々おれら幼なじみで、色々あって今はめちゃくちゃ嫌われてる、みたいな。お騒がせしてすみません」
「元は仲が良かったらしいけどな。俺はそこの関係を修復できるように協力中というわけだ」
「はー、なるほど?さっきの見る限り大変そうだね…でもそういうことなら、俺は応援してるよ瀬尾くん。頑張れ!」
バシバシと肩を叩いてくる千代田先輩は間違いなくいい人なんだけど、とても力が強かった。
普通に痛い。
それから数分で先輩達の料理が届いた。
目の前に並べられていくコース料理のようなメニューの数々に呆気に取られていると、運んできたシェフの人が一礼して去っていく。
「待たせたな清春、食べよう」
「ぅあ、はい!え、てか飛鳥先輩、この豪華な料理たちが並ぶテーブルにおれのみすぼらしい弁当出して大丈夫??侮辱罪じゃない?平気?」
「なにわけのわからないことを言ってるんだ。腹減ったから早くしろ」
「うぃす」
なんかよくわからない申し訳なさに襲われながらも弁当を取り出して、朝適当に作ったメインの野菜炒めを食べ始める。
両隣の人たちはナイフとフォークを使ってめちゃめちゃ高級そうなステーキを食べていて、その格差社会に涙が出そうになった。この部屋おれ以外の顔面偏差値もすごいことになってるしなんかもう足引っ張ってすみませんとしか言いようがない。
「清春、お前料理うまいな」
「えー?普通ですよ」
「卵焼き一切れ食べたい。この肉と交換でどうだ?」
「いやいやいやいや、こんなんいくらでもあげますって!その高級肉と交換する価値ないですから!」
「わざわざお前が作ったものに価値がないわけないだろ、等価交換だ」
いやどこのスパダリ彼氏?ってくらい完璧な受け答えだな。ちょっとキュンときちゃったんだけど!!
そうしておれのやっすい弁当箱には不釣り合いな高級肉が置かれて、代わりに今日も今日とて明好みに味付けした卵焼きが持っていかれた。
「!うまいな」
「え、おいしいですか!?よかったー!」
羽宮以外に手料理を食べさせたことがなかったから実はちょっと不安だった。
「清春のは甘い卵焼きなんだな」
「明が卵焼きは甘い方が好きなんです。だから練習して、まあ食べてもらえることはないかなーって感じですけど」
あははっておれからしたらもう一種の自虐ネタに近いんだけど、飛鳥先輩は一瞬眉根を寄せてそれからおれの髪をまたしてもぐしゃりと撫で回した。
あれ、なんか慰めてくれた?のか?
「先輩、頭撫でるの下手すぎません?」
「そうか?実家の犬はいつも喜ぶけどな」
「まさかの犬扱いだった!!」
「飛鳥と瀬尾くんまじで仲良いね~」
「え、そうですか?」
意外と会話は弾んで、ランチタイムは楽しく終わりを告げた。
明はなにを食べてるのかな、とか佐久間くんとなにを喋ってるんだろうとかおれの意識は常に明のいる方へ引っ張られていたわけだけど。
それからおれは週に何回か、飛鳥先輩に誘われるままに不釣り合いな弁当を持って談話室に行き一緒にご飯を食べるようになった。
その度に尋常じゃない眼力で明に睨みつけられるという、ここまでがセットである。
そんなある日のことだ。
今日も持参の弁当を食べ終わって、そろそろ教室に戻らなきゃなという時。
「相楽、教室に戻るなら清春も一緒に連れて行ってやってくれ」
と、飛鳥先輩が唐突な爆弾発言を落とした。
「…はあ?」
「ちょっ、ちょちょちょ、え!?飛鳥先輩急にどうしたの!?」
「俺はこれから急ぎの仕事がある。今日は俺以外の役員は相楽しかいないから、代わりに清春を頼んだ」
ぽん、と飛鳥先輩はおれの両肩に手を置いて明の方へと押し出した。
待て待て待て、心の準備ができてなさすぎる!!
え、明と二人でおれこの部屋から出ていくの!?幸せすぎるけどめっちゃ怖い!ほらもう明の顔ものすごいことになってる、今にもおれのこと殺しそうだよ。
「ふざけた事言うのやめてもらえます?こいつを出すくらいすぐに終わるだろ、自分で行けよ」
「いや無理だ。今すぐ書類に取りかからないと間に合わないぐらいやばい」
飛鳥先輩がなんでわざわざ明におれのことを頼むのかというと、エレベーターに乗るのにも特別棟を出るのにも専用のカードキーがいるからだ。
つまり一般生徒のおれは一人だと入ることもできないし出ることもできない。いつもは行きも帰りも飛鳥先輩が一緒にいるけど、今日はそれができないうえに千代田先輩も佐久間くんもいないから代わりを明に頼んでいる、という状況らしい。
けど、絶対嘘だよなあ。
飛鳥先輩はちっとも修復の兆しのないおれと明の関係をどうにかするために強硬手段に出たんだろう。
うう、だとしても急すぎる。なんで事前に計画を話してくれないんだ。
「そいつを連れてきたのはあんただろ。俺が送ってやる義理はないから」
「先週、提出期限ギリギリで終わりそうになかった書類手伝ってやっただろ。その借りを返す義理はあるよな?」
「……」
あ、明が葛藤してる。
ああ見えて受けた恩はきちんと返さないといけないっていう、義理堅さを持っている男なのだ。
子どもの頃、母さんが作ってくれたマフィンをお裾分けしたら、何倍の値段がするんだろうっていうほど高級なケーキを返してくれたこともある。
「…クソが。わかりましたよ」
「そうか助かる、ありがとう」
え、え、本気??明も本気?!ゴキブリよりも嫌ってるおれのことをあの明が素直に送ってくれるなんて信じられない。
「早く来いよカス、言っとくけどお前を送るわけじゃないから。帰る俺にお前が勝手に付いてくるだけな」
「う、うんわかった!」
なにこれ、夢?
「上手くやれよ清春。殴られて動けなかったら連絡しろ、迎えに行ってやるから」
「あすかせんぱい~~っ、まじでありがとうございます!」
小声でそんなやりとりをして、早速おれを置いて行こうとする明の背中を走って追いかけた。
てかおれ殴られる前提なのね、と思いつつ悲しいことに日頃の扱い的にその可能性は高かったりする。
閉まりかけのエレベーターになんとか滑り込んで息をつく。
ボタンはもう押してあるようで、ドアが閉まると一階に向けて静かに動き出した。
飛鳥先輩と乗ってる時はいつも一瞬なのに、まさかの明と二人きりっていう緊張感と空気の重さにいつもよりも時間の流れが遅く感じた。
変なの、明と二人なんて昔は当たり前だったのに。今はそれがこんなに特別で、明の隣にいることにこんなにも緊張してるおれがいる。なんでこうなっちゃったんだろうって、バカみたいに同じことを考える。今までだって飽きるほどに何回も考えてきたそれは、結局はおれが全部悪いよなって、変わり映えのない答えに行き着いて終わり。
せっかく飛鳥先輩が機会を作ってくれたんだから、なにか話さなきゃってそう思うのに、こんな時に限ってなにも言葉が出てこない。どうしようどうしようって内心焦りまくってたら、明の方が先に口を開いた。
「お前さ、なにがしたいの」
まさか明の方からおれに声をかけてくるなんて、そんなことがあると思わなくて言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「会長まで使って近付いてきてさ、どういうつもり?毎朝毎朝鬱陶しいし。あんなことしておいてまだ顔出せるのすごい神経だよね」
いつもはすぐ怒鳴るくせに、ありえないくらい罵ってくるくせに。
なのに、今この瞬間の明はすごく静かだ。
真冬の湖みたいに静かで、澄んでいて、冷たい。
言葉遣いは全然汚くなくて、なんなら語尾がちょっとやさしくて、喋り方だけだったら昔の明みたいだった。
「おれは…」
何か言わなきゃいけないと思うのに、何を言えばいいのかわからなかった。
どういうつもり?って、そんなのおれにもわかんない。できるなら前みたいに話したいし、一緒にいたいけどもう全部叶わない。
だから明になにをどうして欲しいとか、そういうわけじゃなかった。
ただおれが、明を諦められないだけだ。
「俺、お前のこと大っ嫌い。はやく消えて」
随分と久しぶりに、おれを睨みつけない瞳と目が合った。
きれいだな、って場違いな感想を抱く。
そうして、こんなに近い距離で明の瞳を見ることができるのは今日が最後なのかもしれないって、唐突にそんなことを思う。
エレベーターのドアが開いて当たり前のようにおれを置いていく背中を追いかける。
特別棟を出るためのドアもカードキーがないと通れないから。
ピピッ、と軽い電子音が鳴って、それで。
ああおれ、これでもう明と一緒にはいられないんだって思ったら、考えるよりも先に明の名前を呼んでしまった。
まあそれでも目の前の背中は立ち止まってなんてくれなくて、変わらない歩幅で歩いて行ってしまうから。
「っ、ごめん明!ごめんなッ…!」
なんのごめんだよって、叫んだおれ自身が思ったんだから、明もきっと思っただろう。
色々だよ、おれは明にいろんなことを謝らなきゃいけない。だからなにかを言おうとしたらそんな言葉しか出てこなかった。
飄々と歩く背中はやっぱりおれの方を振り返りはしなかった。
次の日、おれは初めて明におはようを言いにいかなかった。
「大丈夫。てかその聞き方なんか色々語弊生まれるからやめてくんない?」
「語弊ではないからいいんじゃない?」
「よし羽宮、お前今日弁当抜き」
「あーんキヨちゃんごめんってー!僕お弁当ないと死んじゃう」
「おえー」
今朝、飛鳥先輩に保健室まで運んでもらって、ついでに明とのあれこれを話したわけだが。
生粋のオタクである先輩はおれの心配よりも何よりも、過去の優しい優しい明の話を聞いてそのギャップに萌え転がっていた。
「清春、俺はなんとしても相楽のデレを見るという夢ができた。それを見るまで俺は卒業できない。だから絶対に相楽を落とせ」
と、清々しいほどの私利私欲。
俺の中の憧れの会長像がどんどん崩れていくことに悲しくなりながらも、包帯を巻いてくれたことには感謝している。
「羽宮。おれちょっと今日は別のとこで食べてくるからさ、弁当だけ渡すわ」
「え、オレ以外に友達がいないはずのキヨたんが何事???」
「はーっはっはっは!馬鹿め羽宮、おれはもう昨日までのおれじゃない。聞いて驚け、おれはあの生徒会長である西園寺飛鳥先輩と友達になったのである!ということで飛鳥先輩と飯食ってくるから」
「マジ!?お前どんな汚い手使ったんだよ」
「使ってねーわ!おら、弁当これな」
羽宮の机にいつもの弁当箱を置いてやって、自分の分を手に持ったおれは小走りで教室を出た。
曰く、生徒会役員には仕事をする執務室以外にも、役員が好きに使える専用の談話室があるらしい。
人混みが嫌いな明は学食は使わない、前に見に行った時教室にもいなかったし、じゃあ明は毎日どこで食べてるんだろうって実は気になってた。
それを今朝、会長が教えてくれたのだ。
談話室には特別に学食のメニューがデリバリーできるから、生徒会の人間は談話室でお昼を食べることが多い。
そして。
「執務室は役員以外立ち入り禁止になってるんだが、談話室だったら役員の許可があれば一般の生徒の出入りも許されてる。というわけで、清春の入室を俺が許可するから今日の昼は一緒に食べよう。ちなみに相楽は昼は必ず談話室に来る。どうだ?」
最っっっ高です会長!!!!
おれはマジで昨日白玉に導かれるままに会長と出会えた奇跡に感謝した。
生徒会万歳!会長万歳!
朝だけじゃなくてお昼の明まで見られるなんて、今日の星座占いでおれのみずがめ座は一位だったに違いない。
廊下は走っちゃいけません、なんてそんなもん知るかとばかりに生徒会室のある特別棟までおれは走った。だって昼休みなんて一瞬で終わっちゃう。明と過ごせる貴重な時間なんだから、一秒だって無駄にできない。
「飛鳥先輩!お待たせしました!」
渡り廊下を渡った先、特別棟の入り口で飛鳥先輩が待ってくれていた。ここから先の特別棟は各委員会の委員長やそれこそ生徒会役員の持つ専用のカードキーがないと入れないようになっている。
「いや、俺も今来たところだ。行こう」
なんかデートの待ち合わせみたいな会話だな、と思いながら飛鳥先輩の後に続く。
やたらと意匠の凝ったエレベーターに乗り込むと飛鳥先輩は迷いなく最上階の7階を押した。
エレベーターのドアが開かれた瞬間から伸びるふかふかのレッドカーペット。このワンフロア全てが生徒会のエリアらしい。
いくつかある扉のうち、一番手前の扉で立ち止まった飛鳥先輩が「ここが談話室だ」と言ってカードキーをかざす。
ピピっ、とここ数分の間で聞き慣れた電子音が鳴る。
やばい、この扉の向こうに明がいるのか。
緊張してきた。
「ふはっ、大丈夫だから、もっと肩の力抜けよ」
肩に手を回されてワシャリと髪を混ぜられた。
昨日も思ったけど飛鳥先輩は撫で方が雑だ。
扉の先に部屋があるかと思ったらそうではなくて、そこにあったのは高級ホテルのような玄関だった。
圧倒されつつ脱いだ靴を靴箱に入れて、やたらと履き心地のいいスリッパに履き替える。
部屋へと続くもう一枚のドアの先は、なんかもうただひたすらにすごかった。
元々うちの学園はどえらい金持ち学校だから寮も校舎も教室もどこぞの城と間違えるくらい立派な造りをしているわけだけど。
生徒会の談話室は例えるならタワマンの一室。
何回か遊びに行ったことのある明の家に似ている。
天井は首が痛くなるほどの吹き抜け、大理石の床の上には毛足の長いふかふかのカーペットが敷かれていて、ベッドにしても差し支えないぐらいの広々としたソファと何インチだよと突っ込みたくなるほどデカいテレビ。
そしてものすごく料理のしやすそうな広くて綺麗なキッチンまで備え付けられている。
「せ、先輩?これ全然談話室じゃなくない?タワマンじゃない?」
「ああ、確かに似てるかもな。まあ普通だろ」
普通じゃねーよ!!この金持ちめ!
あまりのロイヤル空間にビビりながらつい会長の腕にしがみつく。無理無理、だって今おれが頼れるのこの人しかいないもん。
「飛鳥お疲れー、ってあれ?なになになに、飛鳥が誰か連れてきてる!!」
弾んだ声と一緒にパタパタとスリッパの走る音が聞こえる。音のした方を振り向くと、派手な赤いメガネをかけた柔和なイケメンが不思議そうな顔でこっちを見ていた。
「え、きみ飛鳥の彼氏ー?」
「そうだ。小動物みたいでかわいいだろ」
いや全然違います、とおれが答える前に何故かこのアホ会長は認めやがった。なるほど真顔で嘘をつくタイプか、よくないな。そしておれは平均身長以上ある立派な男子高校生である、小動物感など一ミリもあるはずがない。
「誰が小動物だ!そしてなに息を吐くように嘘ついてくれちゃってるんですか?」
「気分だ」
「意味わかんねえ…!」
「あー、なんかよくわかんないけど彼氏ではないみたいだね?残念。ついに飛鳥にも春が来たかと思ったのに」
「安心しろ満、もうすぐ俺はリアル深鈴くんに会えるから」
「うんそれ全然安心できないんだよな」
ああ、なんか飛鳥先輩ってマジでこうなんだなあって、生徒会の人とのやり取りを見て痛感する。
なんかまだちょっと幻を疑ってた自分がいたけど、どうしようもないくらいこれがリアル。
「冗談はおいといて。満、こいつは清春だ。仲間というかなんというか、まあ昨日から友達になった」
「あ、えと、瀬尾清春です。よろしくお願いします!」
促すように軽く背中を押されて自己紹介をする。別に生徒会に入るわけでもないし何をよろしくするのかはよくわからないけど、とりあえずの挨拶としてぺこりと頭を下げておく。
「なんなんだその捨てられてる犬を拾ってきたみたいなテンションは。まあいいや、俺は千代田 満だよ。一応生徒会副会長、よろしくね」
にこりと笑った顔は朗らかで人当たりの良さが伝わってくる。きっといつもマイペースオタクな飛鳥先輩に振り回されてるんだろうなっていうのがこの数分のやり取りでわかってしまって、勝手に同情した。
「てか大丈夫?包帯、怪我したの?」
「ああ、これはちょっと頭打って腫れてるだけです。包帯ついてると大袈裟に見えちゃいますけど、全然大丈夫です」
「そっかー、お大事にね」
「えへへ、ありがとうございます」
保健室の先生にもこぶができてるだけだから安静にしてれば大丈夫って言われたけど、飛鳥先輩が念のためって包帯を巻いてくれたのだ。ありがたいけど、目立つしやっぱりちょっと恥ずかしい。
ていうかそんなことより!
「ねえ飛鳥先輩、明は?」
そう、明だ。おれの優先順位はいつ如何なる時も明が一番である。だからこんな場違い甚だしい場所にまで来たっていうのに、肝心の明がいない。
見たところこの部屋には千代田先輩しかいないみたいだった。
「ああ、そろそろ来る頃だろ」
なんて、噂をすればガチャリ。
ドアの開く音に振り返ると、見慣れたミルクティーが視界に入った。俯いていた顔が気怠そうにこっちを向いて、あまい紅茶色の瞳と視線がぶつかる。
何回見たって、その色彩に見惚れてしまう。
「…っ、」
めい、って。
いつもなら考えるよりも先に声に出るのに、その名前が喉の奥につっかえて音にならなかった。
美しいその顔が、おれを捉えた瞬間に不快そうに歪められたから。
そんなのはいつものことなんだけど、飛鳥先輩に昔話をしたせいかもしれない。
昔は、おれが名前を呼ぶだけでも嬉しそうに笑う明がいた。その落差を改めて思い知らされただけ。
「あ?なんでゴミがここにいんの」
「あ、朝の!え、包帯巻いてるじゃん大丈夫!?」
明の後ろから部屋に入ってきたのは佐久間くんだった。心配そうにおれの元まで来てくれて、その優しさがなんだか後ろめたかった。
本当に、当たり前のように一緒にいるんだな。おれ以外の誰のことも寄せ付けなかったあの明が。噂に聞くのと実際に見るのとじゃやっぱり違う、並んだ二人の姿が刺さって抜けない。
「っあ、うん、全然大丈夫。包帯がちょっと大袈裟なだけ」
あはは、ってつい愛想笑い。
だっておれ、明の隣にいられる佐久間くんに嫉妬してる。こんなに綺麗で優しい人に、佐久間くんも早く明に見捨てられればいいのに、なんて。
最低すぎて泣きそう、明の言う通りおれはゴミだ。
「相楽。清春は俺の友人としてここに呼んだんだ。口を慎めよ」
「はあ?まじで言ってんの?だったらやめといた方がいいですよ、そいつ平気で人を裏切るクズだし、クソきもいストーカー野郎だから」
「お前にとっての清春と俺にとっての清春は違うから問題ない」
「へえー。てか普通に俺が不快なんですけど、そいつの顔見るだけでイラつく。なにこれ嫌がらせ?」
ひいい、まじで殺されるんじゃないかってくらいの鋭さで明に睨まれている。
でも睨まれてるとはいえ明がおれを見てくれてると思うとうれしい。いつもおれの存在は明の中では抹消されてるから。ダメだ、おれってほんとキモいな。
「ちょ、ちょっと二人とも、なんだよどうした?相楽は一回落ち着けって。違うテーブルで食べればいいだろ?な?瀬尾くんは飛鳥の客だから、とりあえず相楽は変に口出すな」
「…チッ、わかりましたよ。会長、そのゴミ俺に近づけんなよ」
千代田先輩が間に入ってくれたおかげでなんとか落ち着いた。明は最後に忌々しそうにおれを睨みつけた後奥にあるテーブルへと歩いていく。
「あー、君大丈夫?って俺今日そればっか聞いちゃってるね」
そう声をかけてきたのは佐久間くんだった。
「いやいや!ほんと全然、大丈夫だよ」
「…そっか。相楽の幼なじみ、だよね?」
「え、うん。なんで、」
佐久間くんの純粋そうな澄んだ瞳が直視できなくて俯いてたら、突然そう言われた。
驚いてつい顔を上げると、何故だか少し言いにくそうな顔をした佐久間くんがいた。
おれと明の仲が良かったのなんて中二の頃の話だ。高二になった今、それを知ってるやつは多くない。
毎朝挨拶しに行っては明をブチギレさせてるから、〝相楽くんのストーカー〟っていうありがたくない共通認識ならあるけど。そのせいでおれは羽宮以外に友達がいないのである、悲しいほどの自業自得。
「相楽から前にちょっと聞いたことがあって。キヨくん、悪いことは言わないからあいつにはあんま近寄んない方がいいと思うよ。相楽、怖いから」
「…え?」
「とにかくそういうことで!あ、俺は佐久間忍ね。好きに呼んで」
にこり、と最後に綺麗な笑顔を見せた佐久間くんはそう言って明のいるテーブルへと去っていった。
なんだったんだ今の、ていうか、え、キヨくん?おれのこと??
「前途多難だな。清春、こっち」
混乱するおれを他所に飛鳥先輩はおれの腕を引いて近くのソファに座らせた。
「とりあえず食事にしよう。清春は、弁当か?」
「あ、はい。いつも自炊してて」
「そうか、えらいなお前。じゃあ俺は適当に日替わりでも頼むか、満は?」
「じゃあ俺もおんなじの。瀬尾くん俺も一緒にいい?お邪魔するねー」
「あ、こちらこそお邪魔してます!」
テーブルの上に置いてあったタブレットを会長が慣れた手つきで操作する。
へー、それで注文するんだ。って感心しながら眺めてたら会長が先に食べていいぞ、と言ってくれたけどさすがに先輩を差し置いて食べるのは気が引けたので丁重にお断りした。
「てかさっきの相楽やばかったけど、あれなんだったの」
千代田先輩が小声で言う。
明のいる席からおれ達のいる場所まではギリギリ話してる内容が聞こえるか聞こえないかぐらいの距離だ。明がまたブチギレないように気を使ってるんだろう。
「えっと、元々おれら幼なじみで、色々あって今はめちゃくちゃ嫌われてる、みたいな。お騒がせしてすみません」
「元は仲が良かったらしいけどな。俺はそこの関係を修復できるように協力中というわけだ」
「はー、なるほど?さっきの見る限り大変そうだね…でもそういうことなら、俺は応援してるよ瀬尾くん。頑張れ!」
バシバシと肩を叩いてくる千代田先輩は間違いなくいい人なんだけど、とても力が強かった。
普通に痛い。
それから数分で先輩達の料理が届いた。
目の前に並べられていくコース料理のようなメニューの数々に呆気に取られていると、運んできたシェフの人が一礼して去っていく。
「待たせたな清春、食べよう」
「ぅあ、はい!え、てか飛鳥先輩、この豪華な料理たちが並ぶテーブルにおれのみすぼらしい弁当出して大丈夫??侮辱罪じゃない?平気?」
「なにわけのわからないことを言ってるんだ。腹減ったから早くしろ」
「うぃす」
なんかよくわからない申し訳なさに襲われながらも弁当を取り出して、朝適当に作ったメインの野菜炒めを食べ始める。
両隣の人たちはナイフとフォークを使ってめちゃめちゃ高級そうなステーキを食べていて、その格差社会に涙が出そうになった。この部屋おれ以外の顔面偏差値もすごいことになってるしなんかもう足引っ張ってすみませんとしか言いようがない。
「清春、お前料理うまいな」
「えー?普通ですよ」
「卵焼き一切れ食べたい。この肉と交換でどうだ?」
「いやいやいやいや、こんなんいくらでもあげますって!その高級肉と交換する価値ないですから!」
「わざわざお前が作ったものに価値がないわけないだろ、等価交換だ」
いやどこのスパダリ彼氏?ってくらい完璧な受け答えだな。ちょっとキュンときちゃったんだけど!!
そうしておれのやっすい弁当箱には不釣り合いな高級肉が置かれて、代わりに今日も今日とて明好みに味付けした卵焼きが持っていかれた。
「!うまいな」
「え、おいしいですか!?よかったー!」
羽宮以外に手料理を食べさせたことがなかったから実はちょっと不安だった。
「清春のは甘い卵焼きなんだな」
「明が卵焼きは甘い方が好きなんです。だから練習して、まあ食べてもらえることはないかなーって感じですけど」
あははっておれからしたらもう一種の自虐ネタに近いんだけど、飛鳥先輩は一瞬眉根を寄せてそれからおれの髪をまたしてもぐしゃりと撫で回した。
あれ、なんか慰めてくれた?のか?
「先輩、頭撫でるの下手すぎません?」
「そうか?実家の犬はいつも喜ぶけどな」
「まさかの犬扱いだった!!」
「飛鳥と瀬尾くんまじで仲良いね~」
「え、そうですか?」
意外と会話は弾んで、ランチタイムは楽しく終わりを告げた。
明はなにを食べてるのかな、とか佐久間くんとなにを喋ってるんだろうとかおれの意識は常に明のいる方へ引っ張られていたわけだけど。
それからおれは週に何回か、飛鳥先輩に誘われるままに不釣り合いな弁当を持って談話室に行き一緒にご飯を食べるようになった。
その度に尋常じゃない眼力で明に睨みつけられるという、ここまでがセットである。
そんなある日のことだ。
今日も持参の弁当を食べ終わって、そろそろ教室に戻らなきゃなという時。
「相楽、教室に戻るなら清春も一緒に連れて行ってやってくれ」
と、飛鳥先輩が唐突な爆弾発言を落とした。
「…はあ?」
「ちょっ、ちょちょちょ、え!?飛鳥先輩急にどうしたの!?」
「俺はこれから急ぎの仕事がある。今日は俺以外の役員は相楽しかいないから、代わりに清春を頼んだ」
ぽん、と飛鳥先輩はおれの両肩に手を置いて明の方へと押し出した。
待て待て待て、心の準備ができてなさすぎる!!
え、明と二人でおれこの部屋から出ていくの!?幸せすぎるけどめっちゃ怖い!ほらもう明の顔ものすごいことになってる、今にもおれのこと殺しそうだよ。
「ふざけた事言うのやめてもらえます?こいつを出すくらいすぐに終わるだろ、自分で行けよ」
「いや無理だ。今すぐ書類に取りかからないと間に合わないぐらいやばい」
飛鳥先輩がなんでわざわざ明におれのことを頼むのかというと、エレベーターに乗るのにも特別棟を出るのにも専用のカードキーがいるからだ。
つまり一般生徒のおれは一人だと入ることもできないし出ることもできない。いつもは行きも帰りも飛鳥先輩が一緒にいるけど、今日はそれができないうえに千代田先輩も佐久間くんもいないから代わりを明に頼んでいる、という状況らしい。
けど、絶対嘘だよなあ。
飛鳥先輩はちっとも修復の兆しのないおれと明の関係をどうにかするために強硬手段に出たんだろう。
うう、だとしても急すぎる。なんで事前に計画を話してくれないんだ。
「そいつを連れてきたのはあんただろ。俺が送ってやる義理はないから」
「先週、提出期限ギリギリで終わりそうになかった書類手伝ってやっただろ。その借りを返す義理はあるよな?」
「……」
あ、明が葛藤してる。
ああ見えて受けた恩はきちんと返さないといけないっていう、義理堅さを持っている男なのだ。
子どもの頃、母さんが作ってくれたマフィンをお裾分けしたら、何倍の値段がするんだろうっていうほど高級なケーキを返してくれたこともある。
「…クソが。わかりましたよ」
「そうか助かる、ありがとう」
え、え、本気??明も本気?!ゴキブリよりも嫌ってるおれのことをあの明が素直に送ってくれるなんて信じられない。
「早く来いよカス、言っとくけどお前を送るわけじゃないから。帰る俺にお前が勝手に付いてくるだけな」
「う、うんわかった!」
なにこれ、夢?
「上手くやれよ清春。殴られて動けなかったら連絡しろ、迎えに行ってやるから」
「あすかせんぱい~~っ、まじでありがとうございます!」
小声でそんなやりとりをして、早速おれを置いて行こうとする明の背中を走って追いかけた。
てかおれ殴られる前提なのね、と思いつつ悲しいことに日頃の扱い的にその可能性は高かったりする。
閉まりかけのエレベーターになんとか滑り込んで息をつく。
ボタンはもう押してあるようで、ドアが閉まると一階に向けて静かに動き出した。
飛鳥先輩と乗ってる時はいつも一瞬なのに、まさかの明と二人きりっていう緊張感と空気の重さにいつもよりも時間の流れが遅く感じた。
変なの、明と二人なんて昔は当たり前だったのに。今はそれがこんなに特別で、明の隣にいることにこんなにも緊張してるおれがいる。なんでこうなっちゃったんだろうって、バカみたいに同じことを考える。今までだって飽きるほどに何回も考えてきたそれは、結局はおれが全部悪いよなって、変わり映えのない答えに行き着いて終わり。
せっかく飛鳥先輩が機会を作ってくれたんだから、なにか話さなきゃってそう思うのに、こんな時に限ってなにも言葉が出てこない。どうしようどうしようって内心焦りまくってたら、明の方が先に口を開いた。
「お前さ、なにがしたいの」
まさか明の方からおれに声をかけてくるなんて、そんなことがあると思わなくて言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
「会長まで使って近付いてきてさ、どういうつもり?毎朝毎朝鬱陶しいし。あんなことしておいてまだ顔出せるのすごい神経だよね」
いつもはすぐ怒鳴るくせに、ありえないくらい罵ってくるくせに。
なのに、今この瞬間の明はすごく静かだ。
真冬の湖みたいに静かで、澄んでいて、冷たい。
言葉遣いは全然汚くなくて、なんなら語尾がちょっとやさしくて、喋り方だけだったら昔の明みたいだった。
「おれは…」
何か言わなきゃいけないと思うのに、何を言えばいいのかわからなかった。
どういうつもり?って、そんなのおれにもわかんない。できるなら前みたいに話したいし、一緒にいたいけどもう全部叶わない。
だから明になにをどうして欲しいとか、そういうわけじゃなかった。
ただおれが、明を諦められないだけだ。
「俺、お前のこと大っ嫌い。はやく消えて」
随分と久しぶりに、おれを睨みつけない瞳と目が合った。
きれいだな、って場違いな感想を抱く。
そうして、こんなに近い距離で明の瞳を見ることができるのは今日が最後なのかもしれないって、唐突にそんなことを思う。
エレベーターのドアが開いて当たり前のようにおれを置いていく背中を追いかける。
特別棟を出るためのドアもカードキーがないと通れないから。
ピピッ、と軽い電子音が鳴って、それで。
ああおれ、これでもう明と一緒にはいられないんだって思ったら、考えるよりも先に明の名前を呼んでしまった。
まあそれでも目の前の背中は立ち止まってなんてくれなくて、変わらない歩幅で歩いて行ってしまうから。
「っ、ごめん明!ごめんなッ…!」
なんのごめんだよって、叫んだおれ自身が思ったんだから、明もきっと思っただろう。
色々だよ、おれは明にいろんなことを謝らなきゃいけない。だからなにかを言おうとしたらそんな言葉しか出てこなかった。
飄々と歩く背中はやっぱりおれの方を振り返りはしなかった。
次の日、おれは初めて明におはようを言いにいかなかった。
80
お気に入りに追加
321
あなたにおすすめの小説
オメガの香り
みこと
BL
高校の同級生だったベータの樹里とアルファ慎一郎は友人として過ごしていた。
ところがある日、樹里の体に異変が起きて…。
オメガバースです。
ある事件がきっかけで離れ離れになってしまった二人がもう一度出会い、結ばれるまでの話です。
大きなハプニングはありません。
短編です。
視点は章によって樹里と慎一郎とで変わりますが、読めば分かると思いますで記載しません。
風紀“副”委員長はギリギリモブです
柚実
BL
名家の子息ばかりが集まる全寮制の男子校、鳳凰学園。
俺、佐倉伊織はその学園で風紀“副”委員長をしている。
そう、“副”だ。あくまでも“副”。
だから、ここが王道学園だろうがなんだろうが俺はモブでしかない────はずなのに!
BL王道学園に入ってしまった男子高校生がモブであろうとしているのに、主要キャラ達から逃げられない話。
多分前世から続いているふたりの追いかけっこ
雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け
《あらすじ》
高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。
桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。
蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。
夢見がちオメガ姫の理想のアルファ王子
葉薊【ハアザミ】
BL
四方木 聖(よもぎ ひじり)はちょっぴり夢見がちな乙女男子。
幼少の頃は父母のような理想の家庭を築くのが夢だったが、自分が理想のオメガから程遠いと知って断念する。
一方で、かつてはオメガだと信じて疑わなかった幼馴染の嘉瀬 冬治(かせ とうじ)は聖理想のアルファへと成長を遂げていた。
やがて冬治への恋心を自覚する聖だが、理想のオメガからは程遠い自分ではふさわしくないという思い込みに苛まれる。
※ちょっぴりサブカプあり。全てアルファ×オメガです。
家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!
会長の親衛隊隊長になったので一生懸命猫を被ろうと思います。
かしあ
BL
「きゃー会長様今日も素敵ですね♪(お前はいつになったら彼氏を作るんだバ会長)」
「あ、副会長様今日もいい笑顔ですね(気持ち悪い笑顔向ける暇あんなら親衛隊の子達とイチャコラしろよ、見に行くから)」
気づいたら会長の親衛隊隊長になっていたので、生徒会に嫌われる為に猫を被りながら生活しているのに非王道な生徒会の中にいる非王道な会長に絡まれる腐男子のお話。
会長×会長の親衛隊隊長のお話です。
※題名、小説内容も少し変更しております。
俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ
雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。
浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。
攻め:浅宮(16)
高校二年生。ビジュアル最強男。
どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。
受け:三倉(16)
高校二年生。平凡。
自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる