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神様が死んだ日
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朝、今日も明に挨拶をするためにおれは明の教室に近い廊下で待機していた。明がどれだけおれを嫌ってたって、この道だけは避けては通れないからここにいれば絶対に会えるのだ。
うーん、我ながら今日も今日とてストーカーである。
なんて思ってたら向こうから歩いてくる明の姿を見つけた。綺麗なミルクティーは遠目からだってよくわかる。
いつも通り駆け出そうとしたところで、一歩。
つい足を止めてしまったのは、その隣を並んで歩く人に気づいたから。
淡い茶色の髪が、窓から差し込む太陽の光を受けて金糸のように光っている。
それが綺麗だなんて素直に思っちゃった。
クールで美人な明とはまた別の綺麗さ、同い年なのに少し幼さが残るような顔つきが可愛らしさも感じさせる。
噂の佐久間くんだ。
「…天使みたい」
実際に二人が並んだ姿を見るのは実は初めてだった。あまりにお似合いで、最初からそうある為に作られた絵画か何かのように綺麗なのだという噂は、まさにその通りだったようで。
いつか自分が明の隣を我が物顔で歩いていた時のことを思い出したら恥ずかしくて死にたくなった。あまりに不釣り合いで。そりゃ許せないよな、とあの頃の数々の嫌がらせに今さら納得なんかしてみる。
だからって、おれが明を諦められるかって言われたらそれはまた別の話なんだけど。
「明!おはよう!」
明は知らない、おれが毎朝どんだけの勇気を振り絞ってここに立ってるのか。お前に無視されるのが、殴られるよりも何倍も痛くて怖いんだって。
明はなんにも知らない。
だからこんなにも簡単に、おれの横を通り過ぎて行く。最初からそこになにもなかったみたいに。
目の前に立ったのに目だって合わない。
「…待ってよ明!あのさ…ゔあっ!」
懲りずに追いかけたおれに向かって明の長い足が飛んできて、おれの体は呆気なく蹴り飛ばされた。
容赦なく腹を蹴ってくるから一瞬まじで死んだかと思った。昨日も打ち付けた後頭部を今日も壁にぶつけて、そろそろ自分の頭が心配になってくる。
「ちょっ、おい相楽!なにやってんの!?」
苦しさと吐き気に咳き込んでたら、焦ったような声が聞こえてそれから背中に手が添えられた。
「君大丈夫?保健室行く?」
「ゲホッ、だいじょ、ぶ」
制服越しでもじんわりとその体温が伝わってきて、おれは自分が惨めで泣きそうになった。
なんだよ、佐久間くん性格までいいのかよ。
「うざ。そいつ俺に纏わりついてる害虫だから、ほっとけよ佐久間。俺先行くから」
そう言って明はほんとに佐久間くんを置いて行ってしまった。
「あの、おれは大丈夫なんで。佐久間くんも行って、遅刻しちゃうとあれだし。いつものことだから」
もうすぐ朝礼の時間だし、おれを心配してくれてる佐久間くんに申し訳なくてへらりと笑った。
「ほんとに大丈夫?辛かったら保健室行ってね。相楽には俺からも言っとくから!じゃあ、お大事に」
「うん、ごめんね。ありがとう」
おれまじで勝ち目ないなあって思いながら、あの明が「佐久間」って名字だけど名前呼んでたなとか「相楽には俺からも言っとくから」って、あの明に注意までできる仲なんだ、とか。
おれが思ってた何倍も明が心を許してるのが、幼なじみだからわかっちゃって。
さみしいし嫉妬するし、なんかもういろんな感情がごちゃ混ぜになってぐるぐるしてる。
ああー、泣きそう。
今日も明の姿が見られたし、声だって聞けたし、おれはそれだけで幸せなはずなのに。
「おい清春、大丈夫か」
いまだに座り込んだまま項垂れてるおれの頭上から声がした。清春、なんておれのことを下の名前で呼ぶのはこの学園に一人しかいなかった。
「あすかせんぱい、」
昨日から仲間になった会長こと飛鳥先輩である。
「なんでいるの?三年は上の階でしょ」
「いや、お前が毎朝挨拶して無視されてるって言うからどんなもんかと思って陰から見てたんだが、無視どころの話じゃなくてビビったぞ」
「あはは、だからおれ嫌われてるんですって」
「嫌われすぎだろ、なにをしたんだよ」
そりゃ気にもなる、挨拶しただけで蹴り飛ばされてるんだから。
「んー。……裏切ったんだ、明のこと。裏切ってないんだけど、でも、うん。結果的にずっと裏切ってる」
おれなんかのせいで明が傷ついたんだって思うと、その事実に泣けてくる。
明に申し訳ない。ごめんねって、いっぱい謝らなきゃいけないことがある。
でも言えない、おれは弱くてずるい人間だから。
「…はー、ダメだ。頭いたい、飛鳥先輩たすけて」
「大丈夫か?壁に打ち付けてたろ。保健室運んでやるから、ついでに何があったかも全部話せ。今後の計画に関わるからな」
「うう、わかりました」
頷いたら、飛鳥先輩がおれの腕を優しく引いてお姫様みたいに抱き上げてくれた。平凡だけどおれだって一応身長は170超えてるのに、こんなに軽々と持ち上げちゃうんだ。
「…かっけー、王子様かよ」
ぼそって呟いたおれのひとりごとに飛鳥先輩が「いいな、それ」って笑う。
「安全にお送りいたしますよ、姫」
さすがイケメン育成ゲームをやってるだけのことはあるな、と思った。
相楽明とおれ、瀬尾清春は幼なじみである。
今となっては元、幼なじみ。
家が隣のおれ達は幼稚園の頃から一緒だった。
隣って言っても、おれの家は普通よりは少しデカめの一軒家で、明の家はその隣に建つ高層マンションの最上階。まさしく天と地の差だ。
それは家だけの話じゃなくて、何から何までおれと明は正反対だった。
家が少し金持ちになっただけの顔も中身も平凡、いたって普通の子どもだったおれに対して、明は人形みたいに顔が綺麗で、大人びていて。
おまけに日本有数の大企業である相楽グループの一人息子。
その頃からもう、明は周りの人間に良くも悪くも特別扱いされていた。
そんなおれと明がどうして仲良くなったのか。
昔のことすぎてあんまり覚えてないけど、最初に声をかけたのはおれだった。
いつも一人でつまんなそうにしてるから、笑った顔がみてみたいなって、幼いおれは確かそんなことを思ったのだ。
それからおれと明はずっと一緒だった。
明は相変わらず他人を寄せ付けないし、自分だけの世界で生きてるみたいだった。
でもそれも仕方ない、だって明はあまりに特別だった。
ただそこに在るだけで、瞬き一つするだけで、その場の視線を集めて騒がれる。
誰もが明に近付きたくて、けれど人間離れした美しさに恐縮した。
明はいつも人の中心にいながら遠巻きにされていた。
多くの人間に好意を向けられながら、いつもいつも教室の中では眉間に皺を寄せて唇を引き結んで、不機嫌そうに退屈そうに頬杖をついていた。
自分に向けられる期待も、好意も、羨望も嫉妬も何もかもが嫌で嫌でたまらなかったんだろう。
そんな明が、おれのことだけ。
誰の名前も覚えないのにおれのことだけを名前で呼んで、おれの前でだけやさしく笑うのだ。
おれが名前を呼ぶだけで、ピンと張り詰めていた明の空気が和らぐ。
みんなみんな、明に近付きたくて必死だったのに、明の方がおれのそばにいたがった。
自惚れでもなんでもなく、おれは明にとっての特別だった。
だけど。
明が求めていたのは「普通」で、それを与えてやれるのがおれしかいないだけなんだって、いつの頃からか気づき始めた。
おれは明からの特別扱いがうれしかったけど、明は周囲の人間からの特別扱いに辟易していた。
明はもっと、普通に生きていたかったのだ。
そんな明が一番嫌悪を露わにしたのが、恋愛感情を向けられること。性の対象として見られることだった。
中学受験の時、いくつかある名門校の中でも明が今の学校を選んだのはそこが男子校だったからだ。
「きよも一緒だろ」って明が言うから、おれはただ頷いて明と同じ学校を選んだ。
中学に入って周りから女が消えれば世界はもう少しマシになると明は思ってたんだろう。だけど実際には明の環境は変わらなかったしなんならもっと酷くなった。中学の時は全寮制じゃなかったから、まだ今よりは女の子と関わる機会もあったけど、常日頃顔を合わせる教室には同性だけ。
一番そういうことに興味のある年齢の男がそういう環境に身を置けば、顔のいい奴から順に話題にあげられてあいつなら抱ける、あいつになら抱かれたいってどんどん下劣な話になっていって、段々それが恋のようになってくる。
もちろん明の名前は一番に挙げられた。
顔が綺麗だから、相楽の家の息子だから。
薄っぺらい理由なんていくらでもあって、その度に明の眉間の皺は深くなっていく。
「同じ男からそういう目で見られるのも、俺のことよく知りもしないのに好きだとか言われるのも、気持ち悪くて死ぬ」
口癖のように明はそんなことを言っていた。
おれはそれを他人事のように聞いていた。
明は今日も大変そうだなって、同情してた。
だって知らなかったから。
自分がまさに、明の一番嫌いな人間に成り下がっていたことを。
恋に落ちる、なんて。
よく耳にするそんな感覚はまるでなかった。
小説とか映画に出てくるような劇的なセリフも場面もなんにもなくて、ただある時。
放課後に廊下を歩いていたら、開いた窓から「好きです付き合ってください」ってそんな告白の定型文みたいな言葉が聞こえてきて。
興味本位で覗いたら、中庭に見知った幼なじみと顔がいいと噂の同級生が一緒にいた。
なんだかんだ、おれは明が告白される瞬間というのをその時に初めて見たのだ。
どうせ断るのは知ってたけど明がなんて返すのか気になって、ダメだと思いつつ足を止めた。
おれの方からは明の背中しか見えないけど、代わりに相手の子の緊張した表情はよく見えた。
から、素直にかわいいと思った。男相手に抱く感想じゃないけど。
もし、万が一明がオッケーなんてしたら、明日からおれは誰と登下校すればいいんだろうなんて想像して少しさみしくなる。
「無理」
だけどそんなおれの心配を他所に明は清々しいほどにあっさりとバッサリと相手の子を振って、帰る為に昇降口のある方、つまりおれの方へと歩き出す。
ここは二階で、早々気付かれることもないだろうに、なんでか明はその瞬間こっちを見上げた。
落ちていく太陽のオレンジが明の瞳に反射してきらめく。
「きよ!」
振り返った瞬間の無表情はどこに行ったんだよ、って言ってやりたくなるくらいの満面の笑み。
子どもみたいに弾んだ声がおれの名前を呼んで、ちかちかと光を放つ瞳がおれのことだけをただ真っ直ぐ見つめていた。
「今そっち行くから!」
明が撒き散らしたたくさんの光の残像が、まだそこらじゅうでキラキラと光っていた。
ぱちりと瞬く。
自惚れでも勘違いでもなく、わかってたはずだった。明にとっておれは特別なんだって。だけど、それは自分が思う以上のものだったようで、見せつけられたそれに眩暈がした。
そうして気づいた。
おれはいつのまにか、明に恋をしていたのだと。
この特別を、あの笑顔を、他の誰にも渡したくなかった。
ぽろりと一粒、理由もわからず落ちた水滴は頬を流れて、すぐに乾いて消えた。
夕方の初夏の風が、生温かったことだけ鮮明に覚えてる。
初めて、自分の想いが幼馴染に向けるものではなくなっていたことを知った。恐ろしかった。いつかその想いが俺と明の絆を壊す前にどうにかしなきゃいけないと思いつつ、明も俺のことを好きになる夢を見続けた。愛しくて愛しくて、堪らなくて、放課後一人きりの教室で明の席に座って、机を撫でながら好きだと呟いた。
それを、聞かれていた。
前に一度明に振られたことのあるクラスメイトは、大好きな明に纒わり付く俺のことがずっと目障りだったようで。
相楽くんにバラされたくなかったら、言うことを聞きなよ。
と、そう脅しを掛けてきた。
写真を一枚撮られただけ。
明の席におれが座ってるだけの写真だ。
見たって明は何も思わないし、好きだと呟いたことをバラされても知らないふりをすればいくらでも言い逃れできる。だけど明への恋心がやましくて、おれは大人しく要求を呑んだ。
バラされたらおれはきっと取り繕えない、なにもないふりなんてきっとできない。
だからあいつに要求される度、明と二人の登下校に、休日の出かける約束に、「最近仲良くなったんだ」ってそんな嘘をついておれはあいつを明との間に引き入れた。距離が縮まるように気を使ってやった。もちろん明には嫌がられたし文句も言われたけど、明は結局おれに甘いから。おれが一言「人数多い方が楽しいじゃん」「明ももっと友達増やせよ」ってもっともらしいことを言えばわかったよって言ってくれた。おれはそれを喜べばいいのか悲しめばいいのかわからなかった。
そうしてある日。
三人でカラオケに行って、トイレに行く為におれだけ部屋を出たタイミングがあった。
「瀬尾くん」
トイレを出たところであいつに話しかけられて、「いつもありがとうね」なんてしおらしくお礼なんて言われた。その時のおれは、せっかく明と二人きりなのに部屋を出るなんてもったいねーな、なんて馬鹿なことを考えていた。
「いや、でもそろそろ、」
そろそろやめてくれって言おうした。
こんな、明を騙すようなことしたくなかったから。
「うん。はいこれ、いつもの。瀬尾くんのおかげで相楽くんと一緒にいられる時間が増えてほんとに幸せ!これからもよろしくね」
なんて言って手のひらに押し付けられたのは数枚の万札。え?なんだこれってつい反射で受け取った瞬間に、「…は?なにしてんの、きよ」っていつのまに来たんだろう、やけに怖い顔をした明がそこにいた。
「え、明?」
「最近やけにこいつ連れてくるなと思ったらなにそれ、そういうこと?金もらって俺のこと売ってたの?」
「え、え!?ちがっ、これは…!」
その時おれはようやく嵌められたことに気づいた。
明が来るのをわかってて、こいつはおれに金を押し付けたのだ。
「嘘だよなきよ。お前がそんなことするわけない、なんか理由があるんだろ?ちゃんと聞くから説明して」
明はちゃんとおれのことを信じてくれた。
こんなどう見ても怪しい場面を見ても、ちゃんとおれの話を聞くって言ってくれた。
うれしくてうれしくて、だけど。
「ごめんなさい相楽くん…!ぼ、僕がいけないの。やっぱり相楽くんのこと忘れられなくて、瀬尾くん欲しいゲームがあるけどお金が足りないって言ってたから、お金渡す代わりに相楽くんと仲良くなれるように頼んだんだ。ほんとにごめんなさい、ね、瀬尾くん?」
よくもまあそんなポンポンと口から出まかせに嘘泣きができるものだと思った。
でも、おれが今欲しいゲームがあって、それがお小遣いだけじゃまだまだ買えない金額なんだって言ってたのはほんとう。三人で帰った日に、おれがそう話した。上手いこと使われたなと思った。
こいつはおれに認めろと言ってるのだ。認めなきゃおれの気持ちは明にバラされる。そしておれはきっとそれを上手に否定できない。
好きだと言われることが、男にそういう目で見られることが明は一番嫌いなんだ。
だから、おれに本当のことは言えない。
「…うん。どうしてもゲームが欲しくて、ごめんな明。でも別にお前の情報勝手に流してたとかじゃねーし、三人で遊ぶのも悪くなかったじゃん?だからいいだろ?」
その日、おれは初めて明にぶん殴られて、明からの特別も信頼も何もかも失った。
中学二年の冬だった。
明にこの気持ちがバレるくらいなら、一度だけ明を傷つける方がマシだった。
明が大好きで、そばにいたくて嫌われたくなくて、だから明を傷つけた。
ほんとうの理由で嫌われるなら、勘違いされてたほうがまだマシだった。
(だけど、それでも信じてほしかったなんて。
わがままかな、明)
うーん、我ながら今日も今日とてストーカーである。
なんて思ってたら向こうから歩いてくる明の姿を見つけた。綺麗なミルクティーは遠目からだってよくわかる。
いつも通り駆け出そうとしたところで、一歩。
つい足を止めてしまったのは、その隣を並んで歩く人に気づいたから。
淡い茶色の髪が、窓から差し込む太陽の光を受けて金糸のように光っている。
それが綺麗だなんて素直に思っちゃった。
クールで美人な明とはまた別の綺麗さ、同い年なのに少し幼さが残るような顔つきが可愛らしさも感じさせる。
噂の佐久間くんだ。
「…天使みたい」
実際に二人が並んだ姿を見るのは実は初めてだった。あまりにお似合いで、最初からそうある為に作られた絵画か何かのように綺麗なのだという噂は、まさにその通りだったようで。
いつか自分が明の隣を我が物顔で歩いていた時のことを思い出したら恥ずかしくて死にたくなった。あまりに不釣り合いで。そりゃ許せないよな、とあの頃の数々の嫌がらせに今さら納得なんかしてみる。
だからって、おれが明を諦められるかって言われたらそれはまた別の話なんだけど。
「明!おはよう!」
明は知らない、おれが毎朝どんだけの勇気を振り絞ってここに立ってるのか。お前に無視されるのが、殴られるよりも何倍も痛くて怖いんだって。
明はなんにも知らない。
だからこんなにも簡単に、おれの横を通り過ぎて行く。最初からそこになにもなかったみたいに。
目の前に立ったのに目だって合わない。
「…待ってよ明!あのさ…ゔあっ!」
懲りずに追いかけたおれに向かって明の長い足が飛んできて、おれの体は呆気なく蹴り飛ばされた。
容赦なく腹を蹴ってくるから一瞬まじで死んだかと思った。昨日も打ち付けた後頭部を今日も壁にぶつけて、そろそろ自分の頭が心配になってくる。
「ちょっ、おい相楽!なにやってんの!?」
苦しさと吐き気に咳き込んでたら、焦ったような声が聞こえてそれから背中に手が添えられた。
「君大丈夫?保健室行く?」
「ゲホッ、だいじょ、ぶ」
制服越しでもじんわりとその体温が伝わってきて、おれは自分が惨めで泣きそうになった。
なんだよ、佐久間くん性格までいいのかよ。
「うざ。そいつ俺に纏わりついてる害虫だから、ほっとけよ佐久間。俺先行くから」
そう言って明はほんとに佐久間くんを置いて行ってしまった。
「あの、おれは大丈夫なんで。佐久間くんも行って、遅刻しちゃうとあれだし。いつものことだから」
もうすぐ朝礼の時間だし、おれを心配してくれてる佐久間くんに申し訳なくてへらりと笑った。
「ほんとに大丈夫?辛かったら保健室行ってね。相楽には俺からも言っとくから!じゃあ、お大事に」
「うん、ごめんね。ありがとう」
おれまじで勝ち目ないなあって思いながら、あの明が「佐久間」って名字だけど名前呼んでたなとか「相楽には俺からも言っとくから」って、あの明に注意までできる仲なんだ、とか。
おれが思ってた何倍も明が心を許してるのが、幼なじみだからわかっちゃって。
さみしいし嫉妬するし、なんかもういろんな感情がごちゃ混ぜになってぐるぐるしてる。
ああー、泣きそう。
今日も明の姿が見られたし、声だって聞けたし、おれはそれだけで幸せなはずなのに。
「おい清春、大丈夫か」
いまだに座り込んだまま項垂れてるおれの頭上から声がした。清春、なんておれのことを下の名前で呼ぶのはこの学園に一人しかいなかった。
「あすかせんぱい、」
昨日から仲間になった会長こと飛鳥先輩である。
「なんでいるの?三年は上の階でしょ」
「いや、お前が毎朝挨拶して無視されてるって言うからどんなもんかと思って陰から見てたんだが、無視どころの話じゃなくてビビったぞ」
「あはは、だからおれ嫌われてるんですって」
「嫌われすぎだろ、なにをしたんだよ」
そりゃ気にもなる、挨拶しただけで蹴り飛ばされてるんだから。
「んー。……裏切ったんだ、明のこと。裏切ってないんだけど、でも、うん。結果的にずっと裏切ってる」
おれなんかのせいで明が傷ついたんだって思うと、その事実に泣けてくる。
明に申し訳ない。ごめんねって、いっぱい謝らなきゃいけないことがある。
でも言えない、おれは弱くてずるい人間だから。
「…はー、ダメだ。頭いたい、飛鳥先輩たすけて」
「大丈夫か?壁に打ち付けてたろ。保健室運んでやるから、ついでに何があったかも全部話せ。今後の計画に関わるからな」
「うう、わかりました」
頷いたら、飛鳥先輩がおれの腕を優しく引いてお姫様みたいに抱き上げてくれた。平凡だけどおれだって一応身長は170超えてるのに、こんなに軽々と持ち上げちゃうんだ。
「…かっけー、王子様かよ」
ぼそって呟いたおれのひとりごとに飛鳥先輩が「いいな、それ」って笑う。
「安全にお送りいたしますよ、姫」
さすがイケメン育成ゲームをやってるだけのことはあるな、と思った。
相楽明とおれ、瀬尾清春は幼なじみである。
今となっては元、幼なじみ。
家が隣のおれ達は幼稚園の頃から一緒だった。
隣って言っても、おれの家は普通よりは少しデカめの一軒家で、明の家はその隣に建つ高層マンションの最上階。まさしく天と地の差だ。
それは家だけの話じゃなくて、何から何までおれと明は正反対だった。
家が少し金持ちになっただけの顔も中身も平凡、いたって普通の子どもだったおれに対して、明は人形みたいに顔が綺麗で、大人びていて。
おまけに日本有数の大企業である相楽グループの一人息子。
その頃からもう、明は周りの人間に良くも悪くも特別扱いされていた。
そんなおれと明がどうして仲良くなったのか。
昔のことすぎてあんまり覚えてないけど、最初に声をかけたのはおれだった。
いつも一人でつまんなそうにしてるから、笑った顔がみてみたいなって、幼いおれは確かそんなことを思ったのだ。
それからおれと明はずっと一緒だった。
明は相変わらず他人を寄せ付けないし、自分だけの世界で生きてるみたいだった。
でもそれも仕方ない、だって明はあまりに特別だった。
ただそこに在るだけで、瞬き一つするだけで、その場の視線を集めて騒がれる。
誰もが明に近付きたくて、けれど人間離れした美しさに恐縮した。
明はいつも人の中心にいながら遠巻きにされていた。
多くの人間に好意を向けられながら、いつもいつも教室の中では眉間に皺を寄せて唇を引き結んで、不機嫌そうに退屈そうに頬杖をついていた。
自分に向けられる期待も、好意も、羨望も嫉妬も何もかもが嫌で嫌でたまらなかったんだろう。
そんな明が、おれのことだけ。
誰の名前も覚えないのにおれのことだけを名前で呼んで、おれの前でだけやさしく笑うのだ。
おれが名前を呼ぶだけで、ピンと張り詰めていた明の空気が和らぐ。
みんなみんな、明に近付きたくて必死だったのに、明の方がおれのそばにいたがった。
自惚れでもなんでもなく、おれは明にとっての特別だった。
だけど。
明が求めていたのは「普通」で、それを与えてやれるのがおれしかいないだけなんだって、いつの頃からか気づき始めた。
おれは明からの特別扱いがうれしかったけど、明は周囲の人間からの特別扱いに辟易していた。
明はもっと、普通に生きていたかったのだ。
そんな明が一番嫌悪を露わにしたのが、恋愛感情を向けられること。性の対象として見られることだった。
中学受験の時、いくつかある名門校の中でも明が今の学校を選んだのはそこが男子校だったからだ。
「きよも一緒だろ」って明が言うから、おれはただ頷いて明と同じ学校を選んだ。
中学に入って周りから女が消えれば世界はもう少しマシになると明は思ってたんだろう。だけど実際には明の環境は変わらなかったしなんならもっと酷くなった。中学の時は全寮制じゃなかったから、まだ今よりは女の子と関わる機会もあったけど、常日頃顔を合わせる教室には同性だけ。
一番そういうことに興味のある年齢の男がそういう環境に身を置けば、顔のいい奴から順に話題にあげられてあいつなら抱ける、あいつになら抱かれたいってどんどん下劣な話になっていって、段々それが恋のようになってくる。
もちろん明の名前は一番に挙げられた。
顔が綺麗だから、相楽の家の息子だから。
薄っぺらい理由なんていくらでもあって、その度に明の眉間の皺は深くなっていく。
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口癖のように明はそんなことを言っていた。
おれはそれを他人事のように聞いていた。
明は今日も大変そうだなって、同情してた。
だって知らなかったから。
自分がまさに、明の一番嫌いな人間に成り下がっていたことを。
恋に落ちる、なんて。
よく耳にするそんな感覚はまるでなかった。
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放課後に廊下を歩いていたら、開いた窓から「好きです付き合ってください」ってそんな告白の定型文みたいな言葉が聞こえてきて。
興味本位で覗いたら、中庭に見知った幼なじみと顔がいいと噂の同級生が一緒にいた。
なんだかんだ、おれは明が告白される瞬間というのをその時に初めて見たのだ。
どうせ断るのは知ってたけど明がなんて返すのか気になって、ダメだと思いつつ足を止めた。
おれの方からは明の背中しか見えないけど、代わりに相手の子の緊張した表情はよく見えた。
から、素直にかわいいと思った。男相手に抱く感想じゃないけど。
もし、万が一明がオッケーなんてしたら、明日からおれは誰と登下校すればいいんだろうなんて想像して少しさみしくなる。
「無理」
だけどそんなおれの心配を他所に明は清々しいほどにあっさりとバッサリと相手の子を振って、帰る為に昇降口のある方、つまりおれの方へと歩き出す。
ここは二階で、早々気付かれることもないだろうに、なんでか明はその瞬間こっちを見上げた。
落ちていく太陽のオレンジが明の瞳に反射してきらめく。
「きよ!」
振り返った瞬間の無表情はどこに行ったんだよ、って言ってやりたくなるくらいの満面の笑み。
子どもみたいに弾んだ声がおれの名前を呼んで、ちかちかと光を放つ瞳がおれのことだけをただ真っ直ぐ見つめていた。
「今そっち行くから!」
明が撒き散らしたたくさんの光の残像が、まだそこらじゅうでキラキラと光っていた。
ぱちりと瞬く。
自惚れでも勘違いでもなく、わかってたはずだった。明にとっておれは特別なんだって。だけど、それは自分が思う以上のものだったようで、見せつけられたそれに眩暈がした。
そうして気づいた。
おれはいつのまにか、明に恋をしていたのだと。
この特別を、あの笑顔を、他の誰にも渡したくなかった。
ぽろりと一粒、理由もわからず落ちた水滴は頬を流れて、すぐに乾いて消えた。
夕方の初夏の風が、生温かったことだけ鮮明に覚えてる。
初めて、自分の想いが幼馴染に向けるものではなくなっていたことを知った。恐ろしかった。いつかその想いが俺と明の絆を壊す前にどうにかしなきゃいけないと思いつつ、明も俺のことを好きになる夢を見続けた。愛しくて愛しくて、堪らなくて、放課後一人きりの教室で明の席に座って、机を撫でながら好きだと呟いた。
それを、聞かれていた。
前に一度明に振られたことのあるクラスメイトは、大好きな明に纒わり付く俺のことがずっと目障りだったようで。
相楽くんにバラされたくなかったら、言うことを聞きなよ。
と、そう脅しを掛けてきた。
写真を一枚撮られただけ。
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見たって明は何も思わないし、好きだと呟いたことをバラされても知らないふりをすればいくらでも言い逃れできる。だけど明への恋心がやましくて、おれは大人しく要求を呑んだ。
バラされたらおれはきっと取り繕えない、なにもないふりなんてきっとできない。
だからあいつに要求される度、明と二人の登下校に、休日の出かける約束に、「最近仲良くなったんだ」ってそんな嘘をついておれはあいつを明との間に引き入れた。距離が縮まるように気を使ってやった。もちろん明には嫌がられたし文句も言われたけど、明は結局おれに甘いから。おれが一言「人数多い方が楽しいじゃん」「明ももっと友達増やせよ」ってもっともらしいことを言えばわかったよって言ってくれた。おれはそれを喜べばいいのか悲しめばいいのかわからなかった。
そうしてある日。
三人でカラオケに行って、トイレに行く為におれだけ部屋を出たタイミングがあった。
「瀬尾くん」
トイレを出たところであいつに話しかけられて、「いつもありがとうね」なんてしおらしくお礼なんて言われた。その時のおれは、せっかく明と二人きりなのに部屋を出るなんてもったいねーな、なんて馬鹿なことを考えていた。
「いや、でもそろそろ、」
そろそろやめてくれって言おうした。
こんな、明を騙すようなことしたくなかったから。
「うん。はいこれ、いつもの。瀬尾くんのおかげで相楽くんと一緒にいられる時間が増えてほんとに幸せ!これからもよろしくね」
なんて言って手のひらに押し付けられたのは数枚の万札。え?なんだこれってつい反射で受け取った瞬間に、「…は?なにしてんの、きよ」っていつのまに来たんだろう、やけに怖い顔をした明がそこにいた。
「え、明?」
「最近やけにこいつ連れてくるなと思ったらなにそれ、そういうこと?金もらって俺のこと売ってたの?」
「え、え!?ちがっ、これは…!」
その時おれはようやく嵌められたことに気づいた。
明が来るのをわかってて、こいつはおれに金を押し付けたのだ。
「嘘だよなきよ。お前がそんなことするわけない、なんか理由があるんだろ?ちゃんと聞くから説明して」
明はちゃんとおれのことを信じてくれた。
こんなどう見ても怪しい場面を見ても、ちゃんとおれの話を聞くって言ってくれた。
うれしくてうれしくて、だけど。
「ごめんなさい相楽くん…!ぼ、僕がいけないの。やっぱり相楽くんのこと忘れられなくて、瀬尾くん欲しいゲームがあるけどお金が足りないって言ってたから、お金渡す代わりに相楽くんと仲良くなれるように頼んだんだ。ほんとにごめんなさい、ね、瀬尾くん?」
よくもまあそんなポンポンと口から出まかせに嘘泣きができるものだと思った。
でも、おれが今欲しいゲームがあって、それがお小遣いだけじゃまだまだ買えない金額なんだって言ってたのはほんとう。三人で帰った日に、おれがそう話した。上手いこと使われたなと思った。
こいつはおれに認めろと言ってるのだ。認めなきゃおれの気持ちは明にバラされる。そしておれはきっとそれを上手に否定できない。
好きだと言われることが、男にそういう目で見られることが明は一番嫌いなんだ。
だから、おれに本当のことは言えない。
「…うん。どうしてもゲームが欲しくて、ごめんな明。でも別にお前の情報勝手に流してたとかじゃねーし、三人で遊ぶのも悪くなかったじゃん?だからいいだろ?」
その日、おれは初めて明にぶん殴られて、明からの特別も信頼も何もかも失った。
中学二年の冬だった。
明にこの気持ちがバレるくらいなら、一度だけ明を傷つける方がマシだった。
明が大好きで、そばにいたくて嫌われたくなくて、だから明を傷つけた。
ほんとうの理由で嫌われるなら、勘違いされてたほうがまだマシだった。
(だけど、それでも信じてほしかったなんて。
わがままかな、明)
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親衛隊は、推しから『選ばれる』までは推しに自分の気持ちを伝えてはいけないルール
雨宮里玖
BL
エリート高校の親衛隊プラスα×平凡無自覚総受け
《あらすじ》
4月。平凡な吉良は、楯山に告白している川上の姿を偶然目撃してしまった。遠目だが二人はイイ感じに見えて告白は成功したようだった。
そのことで、吉良は二年間ずっと学生寮の同室者だった楯山に自分が特別な感情を抱いていたのではないかと思い——。
平凡無自覚な受けの総愛され全寮制学園ライフの物語。

多分前世から続いているふたりの追いかけっこ
雨宮里玖
BL
執着ヤバめの美形攻め×絆されノンケ受け
《あらすじ》
高校に入って初日から桐野がやたらと蒼井に迫ってくる。うわ、こいつヤバい奴だ。関わってはいけないと蒼井は逃げる——。
桐野柊(17)高校三年生。風紀委員。芸能人。
蒼井(15)高校一年生。あだ名『アオ』。


俺の親友のことが好きだったんじゃなかったのかよ
雨宮里玖
BL
《あらすじ》放課後、三倉は浅宮に呼び出された。浅宮は三倉の親友・有栖のことを訊ねてくる。三倉はまたこのパターンかとすぐに合点がいく。きっと浅宮も有栖のことが好きで、三倉から有栖の情報を聞き出そうとしているんだなと思い、浅宮の恋を応援すべく協力を申し出る。
浅宮は三倉に「協力して欲しい。だからデートの練習に付き合ってくれ」と言い——。
攻め:浅宮(16)
高校二年生。ビジュアル最強男。
どんな口実でもいいから三倉と一緒にいたいと思っている。
受け:三倉(16)
高校二年生。平凡。
自分じゃなくて俺の親友のことが好きなんだと勘違いしている。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!
灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。
何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。
仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。
思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。
みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。
※完結しました!ありがとうございました!

お荷物な俺、独り立ちしようとしたら押し倒されていた
やまくる実
BL
異世界ファンタジー、ゲーム内の様な世界観。
俺は幼なじみのロイの事が好きだった。だけど俺は能力が低く、アイツのお荷物にしかなっていない。
独り立ちしようとして執着激しい攻めにガッツリ押し倒されてしまう話。
好きな相手に冷たくしてしまう拗らせ執着攻め✖️自己肯定感の低い鈍感受け
ムーンライトノベルズにも掲載しています。

支配者に囚われる
藍沢真啓/庚あき
BL
大学で講師を勤める総は、長年飲んでいた強い抑制剤をやめ、初めて訪れたヒートを解消する為に、ヒートオメガ専用のデリヘルを利用する。
そこのキャストである龍蘭に次第に惹かれた総は、一年後のヒートの時、今回限りで契約を終了しようと彼に告げたが──
※オメガバースシリーズですが、こちらだけでも楽しめると思い
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