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神様が死んだ日
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自分の中の恋心に気づいた瞬間、絶望した。
叶いもしないうえにそれがバレたらおれは美しい幼なじみの隣にいる資格を、永遠に失うことになるのだから。
それなのに。
呪いのような初恋が、今もまだ、胸の内で息をしている。
神様が死んだ日
歩く度にさらさらと揺れるミルクティー色の髪。この学園で一番綺麗なその色を見つけて緊張が高まる。
落ち着け、と言い聞かせて深呼吸を一つ。
キュッと口角を上げてから、俺はその人物に向かって駆け出した。
さぁ、今日も頑張ろう。
「明!おはよう!」
朝の挨拶は元気良く。
幼稚園の頃教わった通りに目一杯の笑顔と声でそう告げた。恐怖で震えそうな手を固く握りこんで、必死に昔のおれを取り繕う。
“きよ、おはよう”
おれが挨拶した瞬間、いつも無表情な顔にふわりと笑みが浮かんで柔らかい声で同じ挨拶が返ってくる。
そんな嘘みたいな日々は、確かにあったはずだった。
今となってはどうだろう。
紅茶にはちみつを溶かしたような、美しい色の瞳が不快そうに歪められた。その様子を目の前で眺めているのに不思議な程に目は合わない。雪のように白くて綺麗な頬がわずかに引きつったから、声が聞けるかもと期待したのだが明はそのまま目の前に立つおれを避けて通り過ぎた。ああ痛い。この瞬間が何より辛い。無視をされるのが怖い。だけど、俺はまだ諦めきれない。
「っ、なあ!明ってば!」
一刻も早くおれから離れたいんだろう。早足で廊下を進む明を追いかけて、その腕を掴んだ。その瞬間ビクリと明の身体が強張ったのがよくわかった。
「あ、あの明おれ……ぅぐっ、っ!!」
わかっていたはずの反応に傷ついて俯いた瞬間に、明の腕が素早く伸びてきて俺の胸倉を掴んだ。そのまま背後の壁にガツンと容赦なく押し付けられて、衝撃に一瞬呼吸が止まる。強く打ち付けた頭がくらりと回った。背中も痛い。
「……はあー、毎朝毎朝馴れ馴れしく挨拶してくんじゃねえよ、カス。名前も呼ぶなよ。まじうぜえんだよいつまで生きてんの?早く死んでくんない?てか今日中に死ねよ」
神様が特別手をかけて綺麗に綺麗に創り上げましたみたいな顔から吐き出されたのは、そんな汚い罵詈雑言。
ガン、ともう一度壁に叩きつけてから明はおれをゴミのように捨てて歩き出した。離れていく背中を今度はもう追いかけない。
「げほっげほ、……っはあ、めいひどすぎ」
ずるずると壁に背を預けたまま座り込む。
ひどすぎ、なんて言ったおれの口は笑っていた。
だって。
「めいの声、きけた。目、あったよな」
おれを罵倒したあの瞬間、怒りに燃えた明の瞳には確かにおれが映っていた。
「へへっ、うれしー」
あんなに真っ直ぐ見てくれたのいつぶりだろう。
思い出すだけで胸の奥が熱くなって、両手で顔を覆った。
自分がおかしいことなんてわかってる。
あんなに嫌悪感丸出しで対応されてるのに、それでも存在を認識してもらえたのがうれしいとか相当どうかしてる。
それでもおれは明が大好きだから、あんな目でもあんな言葉でも、ちゃんとうれしい。
だから嫌がる明に毎朝毎朝挨拶しては無視されて罵倒されて、たまに殴られて蹴られる。
だって明の方はおれに挨拶なんかされても何も嬉しくないから。おれのこと、大っ嫌いだから。
それを知りながら無理に関わろうとするおれのこと、明は心底うざがってる。知ってる、ちゃんと。痛いほどわかってる。
だけどやめられない。おれから行かなきゃ、明とおれが関わる機会なんてないんだ。ただの他人になるくらいなら、嫌われてる方がマシ。まだ、関心があるだけマシ。
(ごめんね、明)
こんなおれを、どうか許して。
「はよー。瀬尾、またやってきたん」
毎朝の日課を終えて教室に行くと、前の席から呆れたようなダルそうな挨拶が飛んでくる。
手元のスマホゲームに夢中でこっちに視線を寄越さないのはいつものことだ。
毎日髪型が変わるド派手な金髪は今日はハーフアップにされていて、ちょこんと結ばれた髪がなんだか可愛らしい。家系の中に北欧の血が混ざっている明の天然なそれとは違って、羽宮 楓のこの金髪は人工的なものだ。でもその割には綺麗に染められているな、とそんなことをいつも思う。
「おはよ、後頭部がね、めっちゃ痛い」
「懲りないねえ、いい加減気色悪いからやめたらー?」
「おれの心まで痛めつけにくるのやめて」
「そんなんだからお前オレしか友達いないんじゃん」
「おれにはカエたんがいてくれるだけで十分だよ♡」
「きめー」
「あ?お前今日提出の英語のプリント見せてやんねえからな。どうせやってねーだろ」
「……え、なにそれ聞いてない」
「先週言ってたし配られてます~」
「キヨちゃんオレたち親友だよねだーい好き」
くるくると手のひら返しが素晴らしい羽宮に素直に英語のプリントを渡してやったのは、こいつの言う通り今のおれの学園生活においての友達が羽宮しかいないからである。情けないことに。
だから友達は大切にしなきゃいけない。
4時間目の授業が終わって、昼休みを告げるチャイムが鳴る。この学園の生徒のお昼は3パターンだ。
学食に行くか、購買で買うか、持参するか。
ちなみにおれは毎日自分で作った弁当を持参している。高校に上がるまで料理なんてほぼしたことがなかったから最初はよく真っ黒な卵焼きを持ってきてたけど、この生活も二年目ともなれば今やふわふわな卵焼きなんてお手のものである。
なんでおれが料理を余儀なくされたかと言えば、この学園が全寮制の男子校だからだ。身の回りのことは基本自分でやる必要があるし、毎日毎食学食なんかに金を使っていたらあっという間に金がなくなる。
とは言っても、中学からのエスカレーター式である格式高いこの学園に通ってるのはほとんどが金持ちの子どもだから、月収と言った方がしっくりくる程の額が毎月親からお小遣いとして支給されているわけで、わざわざ自分で飯を作る奴はほぼいない。有名シェフを雇い入れている学食とは名ばかりの高級レストランの飯を食うのが当たり前な連中ばかりだ。
この学園に通っているからにはおれの実家も一応金持ちの部類ではあるけど、由緒正しい家柄でもなんでもなく父さんが一代で築き上げた会社がデカくなっただけの所謂成金というやつである。元はバリバリの一般庶民だったおれの親は会社が成功してもその感覚を忘れずに、おれを普通に平凡に育ててくれている。だからおれのお小遣いはあくまで自炊前提の金額なので、学食なんかに行く余裕はない。
「瀬尾~今日の弁当なに?」
「昨日の夕飯の残り詰めただけ。あとは卵焼きとほうれん草の胡麻和え」
「てことは筑前煮だ、わーい」
前の席から椅子を反転させてきた羽宮の前に取り出した弁当箱とセットの箸を置いてやる。
自分の前にも同じものを用意した後に二人で手を合わせる。
「いただきます」
律儀な羽宮は毎回きちんと頭まで下げて見せるから、おれも毎回それに感心してしまう。
いくつも開けられたピアスと、ゴテゴテ付けられた指輪たち。派手だけど、その指先は細くて長い。それを丁寧に合わせて礼をするから、その瞬間の羽宮はなんだかとても綺麗だなんて思ってしまうのだ。本人には口が裂けたって言わないけれど。
「うまぁ~!オレまじでこれの為にお前と友達やってるわ」
「ちょっと待って、すっごく聞き捨てならないよ!?楓くん!?」
「なあにキヨちゃん。お前の卵焼きは相変わらず甘いけど美味しいね」
「それはよかった!でもそんなんで誤魔化されねえぞ」
「はいはい。今日の夕飯なに?」
「ん?今日はパスタにしようかなって」
「まじ?オレ明太子のやつがいいー」
「おっけー。って、だーれがお前の分まで作ってやるかばーか!」
「えー?とか言って、作ってくれるのが瀬尾でしょ」
この学園の寮は二人部屋だ。
よっぽどのことがない限り、入学してから同室の相手が変わることはない。
ということでおれの同室相手は去年からの持ち上がりで羽宮である。
おれとは違って大企業の御曹司である羽宮には余裕で学食に通える金があるはずなのに、なんでかおれの料理が気に入ったみたいで毎日一緒におれの作った飯を食べている。
まあその分の食費は多めにもらってるからいいんだけど。
「二人分の方が楽だから。しょうがなくだぞ」
なんて、ツンデレみたいなセリフを吐いてしまった。
「なにそれツンデレ?お前のは需要ないよ」
うるせえ、おれも今思ったわ。
心の中で反論しながら卵焼きを口に放り込む。毎日変わり映えのしない味。甘党の明の為に練習した甘ったるい卵焼きは、砂糖が入ってるせいで焦げやすい。それだって、もうこんなに綺麗に焼けるようになったのに。
まだ小学生の頃、おれが作った黒コゲの卵焼きをおいしいと言って笑って食べてくれた明のことを今日も思い出す。
『おいしいよ、きよ』
絶対おいしいはずがないのにそんなことを言うから、いつか絶対もっとおいしい卵焼きを食わせてやろうって思ってたのに。おれの卵焼きを食ってくれるのは、今のところ羽宮しかいないのだ。虚しいにも程がある。
「じゃあ羽宮、おれ行くから。買い物よろしくな」
「りょー」
放課後、夕飯の買い出しは羽宮に任せて教室を出る。美化委員に所属しているおれには週に3日、花壇の水やりをするという仕事があるのだ。あとたまに草むしり。
別棟に続く渡り廊下のすぐ横にある人気のない花壇がおれの担当だ。アホみたいに広い敷地内にはアホみたいに花が植えられているので、それぞれの担当が決められているのである。
「お待たせお花ちゃん達。ほーらお水だぞー」
美化委員になってから3ヶ月、この花壇の花はもはやおれのお友だちである。
4月に花を植えてから丹精込めて水やりと草むしりをし、暇だなあと思いながら花壇に向かって話しかける日々。
風で花が揺れるじゃん?あれたぶん相槌だと思うんだよね、って前に羽宮に言ったら「友達いない弊害出まくってんじゃん怖」ってめちゃめちゃ距離を取られたことを思い出した。ほんとに失礼だなあいつは。
広い花壇の隅々まで水を撒き終わって、さてホースを片付けようという時。
右足にふわふわとした温もり。視線を向けるとなんとそこにはどこから入り込んだのか真っ白な毛の猫がいた。
金色のまるい瞳と目が合って、猫がにゃーんと鳴く。
「なになに、どこから来たのきみ。って、おい?」
やたらと真っ直ぐなまなざしに誘われるように手を伸ばすと、それが届くよりも早く猫は軽い足取りで別棟の裏へと歩いて行ってしまう。特別猫が好きってわけでもないけど、なんとなく気になってその後を追ってみる。ゆらゆらと優雅に揺れるしっぽを眺めながらどこに行くんだろうかと考えたところで、急に足を早めた猫が突き当たりの角を曲がって視界から消えてしまった。
「あっ、ちょっと待って猫ちゃん!」
慌てておれも小走りで角を曲がる。てっきり同じような道が続くのだと思っていたその先には、少し開けた空間が広がっていた。二年も通ってるのにこんな場所があるなんて初めて知った。
真ん中に一つだけベンチが置いてあって、そこに座っている人の足にさっきの猫が纏わりついている。
にゃーん、とおれを振り返って猫が鳴くから、ベンチに座るその人の視線もおれの方を向いた。
髪と同じ色をした、意志の強そうな純度の高い黒の瞳。
「…っえ、会長?」
目が合ったその人は生徒内権力のトップに君臨する生徒会長、西園寺 飛鳥だった。
この学園にいてこの人のことを知らない人間はまずいない。
家柄関係なく優秀な人間だけが選ばれる生徒会役員の中で、さらに秀でた能力を買われて選出されるのが生徒会長。つまりスーパーエリートだ。
学年も違うおれみたいに平凡な一般市民は早々関わることなんてない存在。
当然会ったことも喋ったこともないし、向こうがおれのことを知ってるわけがない。
「君は…あ、相楽のストーカーか」
そのはずなんだけど、会長はおれを見て一言そう言った。
聞き捨てならないーーなんてこともなく、悲しいことにその認識には身に覚えがありすぎた。
なんてったって相楽とは明の名字で、明は会長と同じ生徒会の役員だからだ。
生徒会の中にまでおれの悪評が轟いてしまっているんだろう。悲しいことに。
「…うう、否定できないけど否定したい」
「否定できないのか」
「毎朝挨拶しに行って無視されてるだけです」
「嫌われてるな」
「バチバチに嫌われてますよ!…ストーカーにも色々事情ってもんがあるんです」
「ストーカーは犯罪だけどな。まあよかったら座れ」
淡々とした表情のまま会長が端に寄るから、断るのも気が引けて大人しく隣に座ると足元にいたさっきの猫が軽やかにジャンプしておれの膝の上に腰を下ろした。
「お前も座るんかい。え、この子会長の猫ですか?」
膝の上で毛繕いを始めた猫の首には、よく見たら高そうな首輪がついている。
「いや、理事長の飼い猫だ。学園内で放し飼いにされてるからたまに現れる」
「そうなんですか?今日初めて会いました」
「そうか。まああんまり人目の多いところには来ない奴なんだ」
「へえーだからこんなとこにいたのか。え、てか会長はこんなとこで何してるんですか?」
「ん?仕事の前の息抜き」
そう言って見せられたスマホの画面には二次元のイケメンキャラ。それはSNSの広告でもよく流れてくるような、巷で女の子達に大人気のイケメンアイドル育成ゲームだった。
「え、会長これやってるんですか」
「うん。これ俺の推し、深鈴くん」
ゲーム内のホーム画面にいるのは、ふわりと癖のあるクリーム色の髪をした王子様系のイケメンだった。人当たりの良さそうな見た目に反して、宝石みたいな緑の瞳は鋭くこっちを睨みつけていて、会長が画面をタップすると「触んじゃねーよクソが」と暴言を吐いてきた。いや、なにこれ。
「……会長ってドM?」
なんて仮にも生徒会長で、仮にも先輩である人に言うべきことじゃなかったけど、ついぽろっと。
「そんなわけないだろ。深鈴くんはツンツンしてるけど気を許した人間には激甘になるという素晴らしいギャップの持ち主なんだよ」
「文武両道で硬派な武士みたいだと思ってた会長がまさかの二次元オタクしかもイケメンのっていう特大ギャップを前にして深鈴くんが霞んじゃってます」
「ああ、よく言われる」
「でしょうね。てか、深鈴くんが好きって、会長はそっちの人なんですか」
別にうちの学園じゃ珍しくもなんともないけど。
全寮制の男子校なんて元々の素質とか気の迷いとか性欲処理とか、まあ色んな理由でそういう対象が同性になる。まあ仕方ない、女の子が周りにいないうえに出会う機会もほぼないのだから。
会長みたいに家柄も顔も成績もいい人間なんてアイドルさながらの人気を博していて、男しかいないというのに集会の時の挨拶では歓声がまあすごい。ライブ会場にだって負けないくらいの熱気だ。
「わからん、女としかシたことないし。好みの顔ならいけなくもないだろうけど、俺はただイケメンが好きなだけだよ。目の保養、アイドルの追っかけと同じ」
「なるほど」
「そうそう。ほら、お前には特別に深鈴くんのギャップ萌えを見せてやる」
いや興味ないなー、とはさすがに言えずに渡されたスマホを大人しく受け取る。
深鈴くんの個人ストーリーだろうか。出てくる文章を読みながらタップで進んでいくと、最初はツンツンしてた態度が徐々に変わってきて、次のセリフで画面が切り替わった。あんなに不機嫌そうな顔でこっちを睨みつけてばかりいた立ち絵の深鈴くんが、振り返って呆れたような顔で笑っている一枚のイラストへと変わる。スチルってやつだ。
『ははっ、もういいや。あんたといるとなんか気が抜ける、俺の負け。あんたが言うならやってやるよ』
そして突然のボイス。
いきなり喋り始めるからビビった。
でもまあ確かに、触んじゃねーよクソがって言ってた人間がこんな笑顔で自分への信頼を寄越してくれたら、ましてやそれが自分だけだったらたまらない。っていう気持ちはわかってしまう。
「うーん、確かにいいな」
「だろ?こういうキャラに弱いんだよな俺」
「ギャップ沼に溺れてますね」
「まあそれもあるけど、」
「けど?」
おれの手からスマホを返却された会長が、ふっと口の端を引き上げて笑った。
いやイケメンすぎるな、思わずときめいちゃったんだけど。
今までずっと会長のことを無表情がデフォな人だと思ってたけど、話してみると意外と簡単に笑うらしい。
「いいだろ、そういう特別扱い」
会長の萌え語りを聞かされてるだけなのに、なんでかその言葉はおれの中の一番弱い部分にさくりと刺さった。
痛い。
特別扱いがいいって言う会長の言葉がおれにはよくわかってしまう。
だって、明も昔はそうだったから。
「なんか、明に似てますね」
「めい?…ああ、相楽か。それは一回俺も思った。確かにあいつも黙ってれば王子みたいな顔だし、その割に喋ると暴言しか言わないところなんかは深鈴くんそっくりだ。でもあいつはダメだな、誰にも気を許さん」
ああ、最近ようやく佐久間が近寄れるようになったくらいだな、って悪気もなく会長が出した名前にまたしてもおれの心臓はざっくりとやられた。
佐久間 忍。
明と同じ生徒会役員で、最近よく一緒にいるやつ。
誰のことも近づけなかった明が、いつも一人でいることを好んでた明が、唯一隣にいることを許してるから、恋人なんじゃないかって噂をされてる相手。
おれなんかじゃ到底及ばない、綺麗な人。
「…会長、ストーカーにも色々事情があるって言ったでしょ。おれね、明と幼なじみなんです」
そうだ。
少し前までは、佐久間のいる場所はおれの場所だった。
おれだけが明に許されていた。
「明もおれにしてくれてた、特別扱い。おれにだけずっと、優しかった。だからほんとに、深鈴くんは明に似てる」
なんでか無理に笑おうとしたせいで、口の端が引き攣った。失敗して、まるで泣くのを我慢してるみたいになって、そんなおれを見た会長が「ストーカーも大変なんだな」って頭をぐしゃりと撫でてくれた。
ああ、初対面の先輩相手に気を使わせてしまった。
「優しい相楽か、全く想像できないな」
「あはは、ですよね」
「リアルな深鈴くん…いいな」
「ん?」
「なあ、あんまり聞くものじゃないかもしれないけど、なんで今は相楽に嫌われてるんだ?喧嘩でもしたのか」
「喧嘩、だったらよかったんですけどね」
喧嘩だったら、仲直りができた。
また前みたいになれたかもしれない。
でも、そうじゃないから、きっと明はおれのことを許してくれない。
「おれが明に酷いことしたんです、もう一生、許してもらえないようなこと」
「ふーん。でもお前は、相楽とまた一緒にいたいんだろ?」
「そりゃあ、できることならそうしたいですよ」
「じゃあ、俺が協力してやる」
にやっ、て。
この人そういう顔もするんだなっていう、いたずらっ子みたいな顔で会長が笑った。
「はい?」
「俺、リアル深鈴くんが見たい。あの誰にでも態度と口が悪くて常に不機嫌な相楽が、たった一人にだけ気を許して優しくして、笑う。なにそれめっちゃ萌える、すげー見たい」
「いや、ちょっとマジで何言ってるかわかんないんですけど。てか!仮に見られたとしても、それおれに向けての特別扱いですよ?自分にされるからいいんでしょ」
「いや、俺は自分がされたいわけじゃなくてコンテンツとして好きなだけだから。見られるなら俺自身は傍観者で全然いい」
「めっちゃオタク!!」
こんなやたらとキラキラした目で、よくわかんないことを早口で捲し立ててくる相手があの会長だなんて、終わってる。いつもの全校集会の時の毅然とした凛々しくて美しい会長はどこに行ってしまったんだ。
「悪い話じゃないだろ、俺はあいつと同じ生徒会だ。喧嘩したわけじゃないにしても、お前があいつとの関係を修復できるように機会を作ってやる。今のままじゃ一生無理なんだろ?」
おれは明に凄まじく嫌われている。
だからまともに口は利いてもらえないし、話しかけたって良くて無視、悪くて殴られて終わりだ。
クラスだって離れてるし明とおれが関わる機会はほぼない。
きっとこのまま終わるんだろうなって、漠然とそう思ってた。
それは諦めとかそういうのじゃなくて、最初からずっとそうだった。
毎朝無理やり挨拶しに行ってるけど、ただ明に会いたいだけで、話したいだけで。その結果、明に許してもらえるとか、前みたいに戻れるとか。そんなの、もちろん望んではいるけど期待なんかこれっぽっちもしてない。
だって明は絶対おれのことを許してくれない。
いや、ほんとうのことを言えば明は多分許してくれるんだけど、でも。
それを言ったらおれは今度こそ本当に明に嫌われることになるから、それが怖くてずっと言えないでいる。知らないままの明に嫌われてる方が、結果は同じでもまだ救いはある。大丈夫だって思える。
「…わかりました。おれがまた明と仲良くなれるように、協力してください会長」
嘘だ。
明とおれはもう仲良くなんてなれない。
会長には悪いけど、そんなのおれが一番知ってるんだ。
だけど明と話がしたい、声が聞きたい、おれを見てほしい。少しでもそばにいたい。
それが叶うなら、この作戦にのってやる。
会長が望むリアル深鈴くんの特別扱いは、きっとそのうち佐久間くんで見られるだろうから許してほしい。その時おれは多分死ぬんだろうけど。
「任せろ。あらゆる職権を乱用してでもお前達の仲を取り持ってやる」
「いやそれ絶対生徒会長が言っちゃダメなやつ」
「俺はこういう時の為に会長やってんだよ。ああそうだ、俺は西園寺飛鳥だ。名前で呼んでくれ」
「…じゃあ飛鳥先輩で。おれは瀬尾清春です、お好きにどうぞ」
そうだった。おれたちはまだ自己紹介もしてないんだった。今日が初対面で、しかも相手は生徒会長で、おれ何やってんだろ。
「にゃーん」
「あ、こいつは白玉だ」
「おわ、めっちゃ忘れてた。白玉か、よろしくな」
とにもかくにも。
こうしておれと、会長改め飛鳥先輩との共犯のような共同戦線のような不思議な関係が生まれたわけだ。
叶いもしないうえにそれがバレたらおれは美しい幼なじみの隣にいる資格を、永遠に失うことになるのだから。
それなのに。
呪いのような初恋が、今もまだ、胸の内で息をしている。
神様が死んだ日
歩く度にさらさらと揺れるミルクティー色の髪。この学園で一番綺麗なその色を見つけて緊張が高まる。
落ち着け、と言い聞かせて深呼吸を一つ。
キュッと口角を上げてから、俺はその人物に向かって駆け出した。
さぁ、今日も頑張ろう。
「明!おはよう!」
朝の挨拶は元気良く。
幼稚園の頃教わった通りに目一杯の笑顔と声でそう告げた。恐怖で震えそうな手を固く握りこんで、必死に昔のおれを取り繕う。
“きよ、おはよう”
おれが挨拶した瞬間、いつも無表情な顔にふわりと笑みが浮かんで柔らかい声で同じ挨拶が返ってくる。
そんな嘘みたいな日々は、確かにあったはずだった。
今となってはどうだろう。
紅茶にはちみつを溶かしたような、美しい色の瞳が不快そうに歪められた。その様子を目の前で眺めているのに不思議な程に目は合わない。雪のように白くて綺麗な頬がわずかに引きつったから、声が聞けるかもと期待したのだが明はそのまま目の前に立つおれを避けて通り過ぎた。ああ痛い。この瞬間が何より辛い。無視をされるのが怖い。だけど、俺はまだ諦めきれない。
「っ、なあ!明ってば!」
一刻も早くおれから離れたいんだろう。早足で廊下を進む明を追いかけて、その腕を掴んだ。その瞬間ビクリと明の身体が強張ったのがよくわかった。
「あ、あの明おれ……ぅぐっ、っ!!」
わかっていたはずの反応に傷ついて俯いた瞬間に、明の腕が素早く伸びてきて俺の胸倉を掴んだ。そのまま背後の壁にガツンと容赦なく押し付けられて、衝撃に一瞬呼吸が止まる。強く打ち付けた頭がくらりと回った。背中も痛い。
「……はあー、毎朝毎朝馴れ馴れしく挨拶してくんじゃねえよ、カス。名前も呼ぶなよ。まじうぜえんだよいつまで生きてんの?早く死んでくんない?てか今日中に死ねよ」
神様が特別手をかけて綺麗に綺麗に創り上げましたみたいな顔から吐き出されたのは、そんな汚い罵詈雑言。
ガン、ともう一度壁に叩きつけてから明はおれをゴミのように捨てて歩き出した。離れていく背中を今度はもう追いかけない。
「げほっげほ、……っはあ、めいひどすぎ」
ずるずると壁に背を預けたまま座り込む。
ひどすぎ、なんて言ったおれの口は笑っていた。
だって。
「めいの声、きけた。目、あったよな」
おれを罵倒したあの瞬間、怒りに燃えた明の瞳には確かにおれが映っていた。
「へへっ、うれしー」
あんなに真っ直ぐ見てくれたのいつぶりだろう。
思い出すだけで胸の奥が熱くなって、両手で顔を覆った。
自分がおかしいことなんてわかってる。
あんなに嫌悪感丸出しで対応されてるのに、それでも存在を認識してもらえたのがうれしいとか相当どうかしてる。
それでもおれは明が大好きだから、あんな目でもあんな言葉でも、ちゃんとうれしい。
だから嫌がる明に毎朝毎朝挨拶しては無視されて罵倒されて、たまに殴られて蹴られる。
だって明の方はおれに挨拶なんかされても何も嬉しくないから。おれのこと、大っ嫌いだから。
それを知りながら無理に関わろうとするおれのこと、明は心底うざがってる。知ってる、ちゃんと。痛いほどわかってる。
だけどやめられない。おれから行かなきゃ、明とおれが関わる機会なんてないんだ。ただの他人になるくらいなら、嫌われてる方がマシ。まだ、関心があるだけマシ。
(ごめんね、明)
こんなおれを、どうか許して。
「はよー。瀬尾、またやってきたん」
毎朝の日課を終えて教室に行くと、前の席から呆れたようなダルそうな挨拶が飛んでくる。
手元のスマホゲームに夢中でこっちに視線を寄越さないのはいつものことだ。
毎日髪型が変わるド派手な金髪は今日はハーフアップにされていて、ちょこんと結ばれた髪がなんだか可愛らしい。家系の中に北欧の血が混ざっている明の天然なそれとは違って、羽宮 楓のこの金髪は人工的なものだ。でもその割には綺麗に染められているな、とそんなことをいつも思う。
「おはよ、後頭部がね、めっちゃ痛い」
「懲りないねえ、いい加減気色悪いからやめたらー?」
「おれの心まで痛めつけにくるのやめて」
「そんなんだからお前オレしか友達いないんじゃん」
「おれにはカエたんがいてくれるだけで十分だよ♡」
「きめー」
「あ?お前今日提出の英語のプリント見せてやんねえからな。どうせやってねーだろ」
「……え、なにそれ聞いてない」
「先週言ってたし配られてます~」
「キヨちゃんオレたち親友だよねだーい好き」
くるくると手のひら返しが素晴らしい羽宮に素直に英語のプリントを渡してやったのは、こいつの言う通り今のおれの学園生活においての友達が羽宮しかいないからである。情けないことに。
だから友達は大切にしなきゃいけない。
4時間目の授業が終わって、昼休みを告げるチャイムが鳴る。この学園の生徒のお昼は3パターンだ。
学食に行くか、購買で買うか、持参するか。
ちなみにおれは毎日自分で作った弁当を持参している。高校に上がるまで料理なんてほぼしたことがなかったから最初はよく真っ黒な卵焼きを持ってきてたけど、この生活も二年目ともなれば今やふわふわな卵焼きなんてお手のものである。
なんでおれが料理を余儀なくされたかと言えば、この学園が全寮制の男子校だからだ。身の回りのことは基本自分でやる必要があるし、毎日毎食学食なんかに金を使っていたらあっという間に金がなくなる。
とは言っても、中学からのエスカレーター式である格式高いこの学園に通ってるのはほとんどが金持ちの子どもだから、月収と言った方がしっくりくる程の額が毎月親からお小遣いとして支給されているわけで、わざわざ自分で飯を作る奴はほぼいない。有名シェフを雇い入れている学食とは名ばかりの高級レストランの飯を食うのが当たり前な連中ばかりだ。
この学園に通っているからにはおれの実家も一応金持ちの部類ではあるけど、由緒正しい家柄でもなんでもなく父さんが一代で築き上げた会社がデカくなっただけの所謂成金というやつである。元はバリバリの一般庶民だったおれの親は会社が成功してもその感覚を忘れずに、おれを普通に平凡に育ててくれている。だからおれのお小遣いはあくまで自炊前提の金額なので、学食なんかに行く余裕はない。
「瀬尾~今日の弁当なに?」
「昨日の夕飯の残り詰めただけ。あとは卵焼きとほうれん草の胡麻和え」
「てことは筑前煮だ、わーい」
前の席から椅子を反転させてきた羽宮の前に取り出した弁当箱とセットの箸を置いてやる。
自分の前にも同じものを用意した後に二人で手を合わせる。
「いただきます」
律儀な羽宮は毎回きちんと頭まで下げて見せるから、おれも毎回それに感心してしまう。
いくつも開けられたピアスと、ゴテゴテ付けられた指輪たち。派手だけど、その指先は細くて長い。それを丁寧に合わせて礼をするから、その瞬間の羽宮はなんだかとても綺麗だなんて思ってしまうのだ。本人には口が裂けたって言わないけれど。
「うまぁ~!オレまじでこれの為にお前と友達やってるわ」
「ちょっと待って、すっごく聞き捨てならないよ!?楓くん!?」
「なあにキヨちゃん。お前の卵焼きは相変わらず甘いけど美味しいね」
「それはよかった!でもそんなんで誤魔化されねえぞ」
「はいはい。今日の夕飯なに?」
「ん?今日はパスタにしようかなって」
「まじ?オレ明太子のやつがいいー」
「おっけー。って、だーれがお前の分まで作ってやるかばーか!」
「えー?とか言って、作ってくれるのが瀬尾でしょ」
この学園の寮は二人部屋だ。
よっぽどのことがない限り、入学してから同室の相手が変わることはない。
ということでおれの同室相手は去年からの持ち上がりで羽宮である。
おれとは違って大企業の御曹司である羽宮には余裕で学食に通える金があるはずなのに、なんでかおれの料理が気に入ったみたいで毎日一緒におれの作った飯を食べている。
まあその分の食費は多めにもらってるからいいんだけど。
「二人分の方が楽だから。しょうがなくだぞ」
なんて、ツンデレみたいなセリフを吐いてしまった。
「なにそれツンデレ?お前のは需要ないよ」
うるせえ、おれも今思ったわ。
心の中で反論しながら卵焼きを口に放り込む。毎日変わり映えのしない味。甘党の明の為に練習した甘ったるい卵焼きは、砂糖が入ってるせいで焦げやすい。それだって、もうこんなに綺麗に焼けるようになったのに。
まだ小学生の頃、おれが作った黒コゲの卵焼きをおいしいと言って笑って食べてくれた明のことを今日も思い出す。
『おいしいよ、きよ』
絶対おいしいはずがないのにそんなことを言うから、いつか絶対もっとおいしい卵焼きを食わせてやろうって思ってたのに。おれの卵焼きを食ってくれるのは、今のところ羽宮しかいないのだ。虚しいにも程がある。
「じゃあ羽宮、おれ行くから。買い物よろしくな」
「りょー」
放課後、夕飯の買い出しは羽宮に任せて教室を出る。美化委員に所属しているおれには週に3日、花壇の水やりをするという仕事があるのだ。あとたまに草むしり。
別棟に続く渡り廊下のすぐ横にある人気のない花壇がおれの担当だ。アホみたいに広い敷地内にはアホみたいに花が植えられているので、それぞれの担当が決められているのである。
「お待たせお花ちゃん達。ほーらお水だぞー」
美化委員になってから3ヶ月、この花壇の花はもはやおれのお友だちである。
4月に花を植えてから丹精込めて水やりと草むしりをし、暇だなあと思いながら花壇に向かって話しかける日々。
風で花が揺れるじゃん?あれたぶん相槌だと思うんだよね、って前に羽宮に言ったら「友達いない弊害出まくってんじゃん怖」ってめちゃめちゃ距離を取られたことを思い出した。ほんとに失礼だなあいつは。
広い花壇の隅々まで水を撒き終わって、さてホースを片付けようという時。
右足にふわふわとした温もり。視線を向けるとなんとそこにはどこから入り込んだのか真っ白な毛の猫がいた。
金色のまるい瞳と目が合って、猫がにゃーんと鳴く。
「なになに、どこから来たのきみ。って、おい?」
やたらと真っ直ぐなまなざしに誘われるように手を伸ばすと、それが届くよりも早く猫は軽い足取りで別棟の裏へと歩いて行ってしまう。特別猫が好きってわけでもないけど、なんとなく気になってその後を追ってみる。ゆらゆらと優雅に揺れるしっぽを眺めながらどこに行くんだろうかと考えたところで、急に足を早めた猫が突き当たりの角を曲がって視界から消えてしまった。
「あっ、ちょっと待って猫ちゃん!」
慌てておれも小走りで角を曲がる。てっきり同じような道が続くのだと思っていたその先には、少し開けた空間が広がっていた。二年も通ってるのにこんな場所があるなんて初めて知った。
真ん中に一つだけベンチが置いてあって、そこに座っている人の足にさっきの猫が纏わりついている。
にゃーん、とおれを振り返って猫が鳴くから、ベンチに座るその人の視線もおれの方を向いた。
髪と同じ色をした、意志の強そうな純度の高い黒の瞳。
「…っえ、会長?」
目が合ったその人は生徒内権力のトップに君臨する生徒会長、西園寺 飛鳥だった。
この学園にいてこの人のことを知らない人間はまずいない。
家柄関係なく優秀な人間だけが選ばれる生徒会役員の中で、さらに秀でた能力を買われて選出されるのが生徒会長。つまりスーパーエリートだ。
学年も違うおれみたいに平凡な一般市民は早々関わることなんてない存在。
当然会ったことも喋ったこともないし、向こうがおれのことを知ってるわけがない。
「君は…あ、相楽のストーカーか」
そのはずなんだけど、会長はおれを見て一言そう言った。
聞き捨てならないーーなんてこともなく、悲しいことにその認識には身に覚えがありすぎた。
なんてったって相楽とは明の名字で、明は会長と同じ生徒会の役員だからだ。
生徒会の中にまでおれの悪評が轟いてしまっているんだろう。悲しいことに。
「…うう、否定できないけど否定したい」
「否定できないのか」
「毎朝挨拶しに行って無視されてるだけです」
「嫌われてるな」
「バチバチに嫌われてますよ!…ストーカーにも色々事情ってもんがあるんです」
「ストーカーは犯罪だけどな。まあよかったら座れ」
淡々とした表情のまま会長が端に寄るから、断るのも気が引けて大人しく隣に座ると足元にいたさっきの猫が軽やかにジャンプしておれの膝の上に腰を下ろした。
「お前も座るんかい。え、この子会長の猫ですか?」
膝の上で毛繕いを始めた猫の首には、よく見たら高そうな首輪がついている。
「いや、理事長の飼い猫だ。学園内で放し飼いにされてるからたまに現れる」
「そうなんですか?今日初めて会いました」
「そうか。まああんまり人目の多いところには来ない奴なんだ」
「へえーだからこんなとこにいたのか。え、てか会長はこんなとこで何してるんですか?」
「ん?仕事の前の息抜き」
そう言って見せられたスマホの画面には二次元のイケメンキャラ。それはSNSの広告でもよく流れてくるような、巷で女の子達に大人気のイケメンアイドル育成ゲームだった。
「え、会長これやってるんですか」
「うん。これ俺の推し、深鈴くん」
ゲーム内のホーム画面にいるのは、ふわりと癖のあるクリーム色の髪をした王子様系のイケメンだった。人当たりの良さそうな見た目に反して、宝石みたいな緑の瞳は鋭くこっちを睨みつけていて、会長が画面をタップすると「触んじゃねーよクソが」と暴言を吐いてきた。いや、なにこれ。
「……会長ってドM?」
なんて仮にも生徒会長で、仮にも先輩である人に言うべきことじゃなかったけど、ついぽろっと。
「そんなわけないだろ。深鈴くんはツンツンしてるけど気を許した人間には激甘になるという素晴らしいギャップの持ち主なんだよ」
「文武両道で硬派な武士みたいだと思ってた会長がまさかの二次元オタクしかもイケメンのっていう特大ギャップを前にして深鈴くんが霞んじゃってます」
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「でしょうね。てか、深鈴くんが好きって、会長はそっちの人なんですか」
別にうちの学園じゃ珍しくもなんともないけど。
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会長みたいに家柄も顔も成績もいい人間なんてアイドルさながらの人気を博していて、男しかいないというのに集会の時の挨拶では歓声がまあすごい。ライブ会場にだって負けないくらいの熱気だ。
「わからん、女としかシたことないし。好みの顔ならいけなくもないだろうけど、俺はただイケメンが好きなだけだよ。目の保養、アイドルの追っかけと同じ」
「なるほど」
「そうそう。ほら、お前には特別に深鈴くんのギャップ萌えを見せてやる」
いや興味ないなー、とはさすがに言えずに渡されたスマホを大人しく受け取る。
深鈴くんの個人ストーリーだろうか。出てくる文章を読みながらタップで進んでいくと、最初はツンツンしてた態度が徐々に変わってきて、次のセリフで画面が切り替わった。あんなに不機嫌そうな顔でこっちを睨みつけてばかりいた立ち絵の深鈴くんが、振り返って呆れたような顔で笑っている一枚のイラストへと変わる。スチルってやつだ。
『ははっ、もういいや。あんたといるとなんか気が抜ける、俺の負け。あんたが言うならやってやるよ』
そして突然のボイス。
いきなり喋り始めるからビビった。
でもまあ確かに、触んじゃねーよクソがって言ってた人間がこんな笑顔で自分への信頼を寄越してくれたら、ましてやそれが自分だけだったらたまらない。っていう気持ちはわかってしまう。
「うーん、確かにいいな」
「だろ?こういうキャラに弱いんだよな俺」
「ギャップ沼に溺れてますね」
「まあそれもあるけど、」
「けど?」
おれの手からスマホを返却された会長が、ふっと口の端を引き上げて笑った。
いやイケメンすぎるな、思わずときめいちゃったんだけど。
今までずっと会長のことを無表情がデフォな人だと思ってたけど、話してみると意外と簡単に笑うらしい。
「いいだろ、そういう特別扱い」
会長の萌え語りを聞かされてるだけなのに、なんでかその言葉はおれの中の一番弱い部分にさくりと刺さった。
痛い。
特別扱いがいいって言う会長の言葉がおれにはよくわかってしまう。
だって、明も昔はそうだったから。
「なんか、明に似てますね」
「めい?…ああ、相楽か。それは一回俺も思った。確かにあいつも黙ってれば王子みたいな顔だし、その割に喋ると暴言しか言わないところなんかは深鈴くんそっくりだ。でもあいつはダメだな、誰にも気を許さん」
ああ、最近ようやく佐久間が近寄れるようになったくらいだな、って悪気もなく会長が出した名前にまたしてもおれの心臓はざっくりとやられた。
佐久間 忍。
明と同じ生徒会役員で、最近よく一緒にいるやつ。
誰のことも近づけなかった明が、いつも一人でいることを好んでた明が、唯一隣にいることを許してるから、恋人なんじゃないかって噂をされてる相手。
おれなんかじゃ到底及ばない、綺麗な人。
「…会長、ストーカーにも色々事情があるって言ったでしょ。おれね、明と幼なじみなんです」
そうだ。
少し前までは、佐久間のいる場所はおれの場所だった。
おれだけが明に許されていた。
「明もおれにしてくれてた、特別扱い。おれにだけずっと、優しかった。だからほんとに、深鈴くんは明に似てる」
なんでか無理に笑おうとしたせいで、口の端が引き攣った。失敗して、まるで泣くのを我慢してるみたいになって、そんなおれを見た会長が「ストーカーも大変なんだな」って頭をぐしゃりと撫でてくれた。
ああ、初対面の先輩相手に気を使わせてしまった。
「優しい相楽か、全く想像できないな」
「あはは、ですよね」
「リアルな深鈴くん…いいな」
「ん?」
「なあ、あんまり聞くものじゃないかもしれないけど、なんで今は相楽に嫌われてるんだ?喧嘩でもしたのか」
「喧嘩、だったらよかったんですけどね」
喧嘩だったら、仲直りができた。
また前みたいになれたかもしれない。
でも、そうじゃないから、きっと明はおれのことを許してくれない。
「おれが明に酷いことしたんです、もう一生、許してもらえないようなこと」
「ふーん。でもお前は、相楽とまた一緒にいたいんだろ?」
「そりゃあ、できることならそうしたいですよ」
「じゃあ、俺が協力してやる」
にやっ、て。
この人そういう顔もするんだなっていう、いたずらっ子みたいな顔で会長が笑った。
「はい?」
「俺、リアル深鈴くんが見たい。あの誰にでも態度と口が悪くて常に不機嫌な相楽が、たった一人にだけ気を許して優しくして、笑う。なにそれめっちゃ萌える、すげー見たい」
「いや、ちょっとマジで何言ってるかわかんないんですけど。てか!仮に見られたとしても、それおれに向けての特別扱いですよ?自分にされるからいいんでしょ」
「いや、俺は自分がされたいわけじゃなくてコンテンツとして好きなだけだから。見られるなら俺自身は傍観者で全然いい」
「めっちゃオタク!!」
こんなやたらとキラキラした目で、よくわかんないことを早口で捲し立ててくる相手があの会長だなんて、終わってる。いつもの全校集会の時の毅然とした凛々しくて美しい会長はどこに行ってしまったんだ。
「悪い話じゃないだろ、俺はあいつと同じ生徒会だ。喧嘩したわけじゃないにしても、お前があいつとの関係を修復できるように機会を作ってやる。今のままじゃ一生無理なんだろ?」
おれは明に凄まじく嫌われている。
だからまともに口は利いてもらえないし、話しかけたって良くて無視、悪くて殴られて終わりだ。
クラスだって離れてるし明とおれが関わる機会はほぼない。
きっとこのまま終わるんだろうなって、漠然とそう思ってた。
それは諦めとかそういうのじゃなくて、最初からずっとそうだった。
毎朝無理やり挨拶しに行ってるけど、ただ明に会いたいだけで、話したいだけで。その結果、明に許してもらえるとか、前みたいに戻れるとか。そんなの、もちろん望んではいるけど期待なんかこれっぽっちもしてない。
だって明は絶対おれのことを許してくれない。
いや、ほんとうのことを言えば明は多分許してくれるんだけど、でも。
それを言ったらおれは今度こそ本当に明に嫌われることになるから、それが怖くてずっと言えないでいる。知らないままの明に嫌われてる方が、結果は同じでもまだ救いはある。大丈夫だって思える。
「…わかりました。おれがまた明と仲良くなれるように、協力してください会長」
嘘だ。
明とおれはもう仲良くなんてなれない。
会長には悪いけど、そんなのおれが一番知ってるんだ。
だけど明と話がしたい、声が聞きたい、おれを見てほしい。少しでもそばにいたい。
それが叶うなら、この作戦にのってやる。
会長が望むリアル深鈴くんの特別扱いは、きっとそのうち佐久間くんで見られるだろうから許してほしい。その時おれは多分死ぬんだろうけど。
「任せろ。あらゆる職権を乱用してでもお前達の仲を取り持ってやる」
「いやそれ絶対生徒会長が言っちゃダメなやつ」
「俺はこういう時の為に会長やってんだよ。ああそうだ、俺は西園寺飛鳥だ。名前で呼んでくれ」
「…じゃあ飛鳥先輩で。おれは瀬尾清春です、お好きにどうぞ」
そうだった。おれたちはまだ自己紹介もしてないんだった。今日が初対面で、しかも相手は生徒会長で、おれ何やってんだろ。
「にゃーん」
「あ、こいつは白玉だ」
「おわ、めっちゃ忘れてた。白玉か、よろしくな」
とにもかくにも。
こうしておれと、会長改め飛鳥先輩との共犯のような共同戦線のような不思議な関係が生まれたわけだ。
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